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第10話 終局

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「ちょっちょっと。見ないでぇぇぇ」

 もう暑さなど忘れていた。

 この城を今でも包み込もうとする熱さなど。

 ワシは、断言しよう。


 この瞬間のために生き残ったと。



「ちょっと。何してんのよっ」

 イタッ

 人肌を明るく照らす炎が、その不可侵の領域を照らそうとしたその時、わしの視線が強制的に青空から大地へと落とされる。

 すぐさま、そのワシの頭をはたいた本人に目を向けると、さっきまでグダっていた
 ミレイの姿があった。

 なんで、こんなときは、元気になるのだ。

 ワシの心が冷めた表情で、ミレイの姿を捉える。

 何故かミレイは、頬を膨らませて、少し怒っているように見えた。

「殿ぉ!」

 間髪を入れずに、声がしたかと思うと、勢いよく抱きつく感触に驚き、
 ワシは思わず、うぉと、間抜けな声を上げて振り向く。

 甘い匂いに惹かれるように視線を落とすと、そこには大粒の涙を瞳に溜めた
 興隆の娘・紅花《べにか》の姿があった。

 えっ。どうして。

 思わず、戦友・弓の名手の興隆の娘が生まれた瞬間を思い出す。

 すくすく育ち、その大きくなる姿はワシに子どもができなかった為か、
 とても可愛く思え、自分の子どものように可愛がってきた。

 そんな子どもが、立派な娘になり、戦場に赴き、気づけばワシの胸に飛び込んできていた。

 よく友達にいじられて、泣いていたのにのぅ。

 母親を亡くしたときも、泣き止まなかった。

 まさか、その涙を、ワシに向けてくれるなんて思いもよらなかった。

「との。ずっと。ずっと、心配しておりました」
 紅花《べにか》は、大粒の涙をこぼしながら、ワシを見上げる。

「そんなに泣くな。ちゃんと生きておるんじゃから」
 ワシは、紅花《べにか》の涙袋に優しく手を添えて、その涙を拭き取る。

「イカロスども。倒してくれたのじゃろ?助かったぞ。
 弓使い上手くなったな。紅花《べにか》」
 ワシは周囲を見渡し、脳天を貫かれて即死しているイカロスたちを見やる。

 さすがは、興隆の娘と言わんばかりの実力にワシは、もう親離れの時期かとそんな思いにふける。

 そして、思わず、頭を撫でようとした手を直前で引っ込める。

 いかん。

 もう子どもでは、ないのだ。と。


 さっきまで、目を細めて嬉しそうな笑みを浮かべていた紅花《べにか》が何かに気づき、表情を変える。

 一瞬、まだ敵がいるのかと、驚き、うかれていた頭を急速に冷やして、周囲を見渡す。

 奥の方の屋根。

 反対側の屋根。

 もしや、背後?


 誰もいないぞ。

 しかし、何も変化がないのに、紅花《べにか》が表情を変えるはずはない。

 そしてもう一度、紅花《べにか》の表情を覗き込む。

 紅花《べにか》は、表情を曇らせ、顔をうつむいていた。

 どっどうしたのじゃ。
 そう言いかけたとき、紅花《べにか》がその声を遮るように口を開ける。


「頭《あたま》。頭《あたま》を撫《な》でてほしいです。。。」

 ふぇ?
 ワシは、思いもよらぬ、返答に困惑する。

 敵は?

 敵がいるわけではないのか?

 ワシは少し拍子抜けしながら、そんなことかと。


 紅花《べにか》の頭にそっと、手のひらを置く。

 彼女の艶のある髪の毛は、戦場を駆け巡る武士とは、なぜか違うもののように感じた。
 そして、前髪の方向にそって、優しく撫でる。

 紅花《べにか》は嬉しそうに笑う。
「この戦。勝ちましょうね」

 ああ。もちろんだ。

 ワシはそう言って再び、決意を固めると、危機に迫った課題にもう一度目を向ける。

 考えたいのは、直政にワシがここにいることを伝え、助けを呼ぶ方法だった。

 屋上に登る前に考えていたことを復習する。

 1.このまま、屋上まで、上り詰めワシがここにいることを伝える。
 2.直政がいるあんなに遠い場所からワシがいくら叫んだところで、その声は届かない。
 3.ましてや、屋根に登ると、イカロスが襲ってくるために、巨大な城壁の外で蓋をしている紅花《べにか》たちに、状況を伝えるのはとてもむずかしい。

 そう。

 襲ってきたイカロスは、すでに倒すことが叶い。
 紅花《べにか》もなんと、この場にいる。

 しかし、紅花《べにか》に直政に伝えてもらう予定が、紅花《べにか》がこの場にたどり着いてしまった。

 これでは、どのように直政に合図を出せというのだ。

 ワシは頼みの綱が切られたように、感じる。他に手はないかと、屋上から周囲を見渡し始める。

 城の外に出ようとするゴブリンたちは、先ほどと同じように、家臣の者たちが相手をしている。しかし、よく考えれば、ここから城下に声なぞ届くわけがない。


 そして、あることが脳裏をよぎる。

「紅花《べにか》。そなた、どうやってここまで来たのじゃ?」

「えっと、シオン王妃と一緒に来ました」
 紅花《べにか》は、シオン王妃のことをちらっと見て、話す。

「ん?あれ、お姉ちゃん。転移使えないんじゃなかった?」
 体調の戻ったミレイはいつもの調子で、シオン王妃にすぐに頭に浮かんだ疑問をぶつける。

「あ。え。うん。そう。したのよ。ぁれを」
 シオン王妃は、恥ずかしそうにそう呟く。

「なっなにを。なにをしたのじゃ」
 その何か伏せた言い方に、ワシはとてつもなくエロい予感がして、食い気味に尋ねる。

「それは、その。。」
 シオン王妃はまた、恥ずかしそうにその回答をもったいぶる。

「あの奥手なお姉ちゃんが。。まさかね。。」
 ミレイは関心げに、うなずきながらそう応答する。


 ええ。なにをしたのじゃ。
 ま、、まままっまま。

 まさか。

「でっ。でも、キスよ。軽く口づけしただけよ。」

 うおおぉぉまぃ、が。。。

 ワシはどこの言葉かわからない言葉をつぶやき、思考を停止させる。

 ワシがこの世界に来たモチベーションが。。

 みるみる下がっていく。

 そうか。もう違う男と。。


「で、誰としたの?どの男ぉ?」
 ミレイは、それはそれは、楽しそうに続きを聞こうとする。
 なんで、そんなにも楽しそうなのじゃ。。

 ああ。

 ワシは思わず、耳を塞ぎそうになりながらも、その行動は、表に出してはならないと控える。

「男じゃない。紅花《べにか》ちゃん。」
 シオン王妃は、小さな声でそうつぶやくと、つられて、紅花《べにか》も顔を伏せる。

 え。

 まさかのそっち。

 じゃあ。さっきの反応は何だったのじゃ。

 ワシだけ、この空気から置いていかれるようで、さっきまで、考え事をしていたことも忘れて、自問自答をし始める。

 自意識過剰にもほどがあるぞ。ワシ。。

「かっ、変な勘違いしないでくださいよ。頬ですよ。まだ、初めては取ってあるんで」
 紅花《べにか》は、急に反応して、ワシに一生懸命に伝えてくる。

 えっ。

 ワシは思わず、喜ぶ表情が出てしまいそうになると、ミレイは、またもや食い気味で反応する。

「えっ。お姉ちゃん。ほっぺにチューしただけで、転移できるの?すごくない?」

「うん。まぁ」

「私なんか、あれやこれやされないと、転移できなかったのにぃ。。ずるいぃ
 」
 ミレイは変な対抗心を燃やしたようで、これが、姉妹というものかとワシはふぅ、とため息をつく。

 そういえば、シオン王妃と、ミレイは、どっちが父親に似ているのだろう。
 この王国の前国王。シオン・ミレイの父親は莫大な魔力を有していたという。
 他国を牽制できるほどの。

 一人で他国を牽制できるほどの武力。
 夢のような力だなと、思う。

 そんな力を持っていたら、ワシが元の世界でした苦労など一瞬で吹き飛んでしまうのだろうなと思った。

 そう。最初からスケールが違った。

 この世界に来たときから、薄々気づいていたことだ。


 前国王が亡くなって、ゴブリンとケンタウロスの大軍勢に攻められる場面から始まり、漁夫の利を狙ったイカロスの襲撃。

 とてもじゃないが、この小規模な軍勢と、元の世界から来た家臣団だけでは、立ち行くはずがない状況だった。

 誰もが、そう思っていた。

 しかし、ワシがここに来たとき。
 間違いなく、ミレイは何かを当てにしていた。
 ある意味打算的に、ワシに。

 そう。一番最初。あの便器から彼女は、話しかけていた。




 レロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロ

 注がれる。聖水

 この前のハプニングが頭の中でフラッシュバックする。
 あんな、汚い記憶。
 便器タウロスが急に出てきたが故のハプニング。

 あああ。
 恥ずかしい。


 きっと、臭かっただろう。
 あんなの、人にかけるものではない。

 酒を飲んで酔いつぶれたゆえの、幻想。
 一生の不覚。

 そこから、異世界に降り立ち、ミレイに質問をした。

「なぜ?異世界人は、重宝されているのじゃ?」

「それは、もちろん、あなたの性欲が強いからよ」
 そうミレイは恥ずかしげもなく、そう答える。

 そして、すぐさま、疑問が浮かぶ。

 ワシが、ミレイの前で、何か見せただろうか?

 ワシが初めてあったのは、小便をしている最中。

 思い当たっても、それくらいだろうか。
「なぜ。わかるのじゃ?」
 ワシは疑問を確かめる。

「私達はね、見れば分かるのよ。形を見れば」
 そういわれて、おもわず、ワシは自分の股間を触る。

 そして、祈る。

 神様、仏様。ありがとう。

「形が良いと、何が良いのじゃ。」

「魔力量が桁違いに違うわ。それから、あなたと契約をすれば、契約したサキュバスは、使える魔法の種類が増えるわ」



 そうだ。そんな会話をしていた。

 きっと。シオン王妃は、この状況を覆すほどの力を隠し持っているのだ。

 しかし、そんなのどこに。。

 どこに、隠し持っているというのじゃ。。


「私達はね、見れば分かるのよ。形を見れば」
 そう言ったミレイの言葉を思い出す。

 そして、ジロジロと、足元からシオン王妃を眺める。
 泥にまみれた靴やドレス。

 ところどころに、ゴブリンの返り血と思われる緑色の液体が肌にこびりつき、
 走りやすくするためか、ドレスはミニスカートほどの丈まで破かれていた。

 誰もが羨むほどの曲線美は、自然と足元から膝下に辿りたくなる。

 ミレイと違う場所。

 ミレイとは、違う異なる場所。

 それが、シオンのみが持っている魔力の根源。

「私達はね、見れば分かるのよ。形を見れば」

 そして、コルセットできつく縛られた腰元から、胸元に視線を動かして気づく。


 そうか。

 胸か。おっぱいか。

「なに、さっきからジロジロ見てんのよ」
 姉妹で談笑していたミレイがこちらの視線に気づいて、見られた場所を覆い隠す。

 つくづく思うが、ワシがもともといた世界より、サキュパスたちの着物は露出度が高い。
 これでは、その大きさなどすぐ分かってしまうではないか。

 気づけば、王宮内にいた男性サキュパスもわかりやすい服装だった。

 VとTパン好きなのか。サキュパスは。

 ふんどしのほうが、ゆるくて楽だぞっ。。


 違う違う。そんな話ではなくて。


「あっあの。」
 ワシのいやらしい目線がミレイにバレて、ワタワタしていると、シオン王妃が珍しく大きな声で声をかけてくる。

「先日は、初対面なのに、冷たい言葉で婚約の件、断ってしまってすみませんでした」
 シオン王妃は、頭を下げる。

「あなたも、元の世界での立場もあるのに、危険を顧みず、婚約のお誘いをしていただいたと思のに、無下に断ってしまって」

 あっさりと断られた日を思い出す。
 苦い思い出だ。
「お気になさらないで、ください。ワシも、もう少し、あなたのこと考えてから告げるべきだったと。
 一国の王妃に対して、軽率だったと後悔しております」
 ワシもシオン王妃に非礼を詫びる。


 ワシが再び、シオン王妃の表情を見たとき、彼女の表情は最初に出会った時より、勇ましい顔つきになっていた。

「私。覚悟が足りませんでした。この国を守り抜く覚悟が。
 兼昌《かねまさ》さんに言われました。
 そなたは、命を賭してまで、この国を守るはあるか?と。
 あなたやあなたの家臣の方々は、必死に命を賭《か》けて、この国を守ろうとしている。
 その想いに対して、私には、最後まで守り抜くがあるのかと。」

 シオン王妃は一歩。その足をワシに向かって歩ませる。

 彼女の甘い匂いが漂って、彼女のか細い声がクリアに両耳に入りこむ。

「でも、あなたや、兼昌《かねまさ》さんを見て、そのがやっとできました。」

 そして、一息ついて。

 彼女は、その紫色の瞳をこちらに見据えて、言葉を重ねる。








を捧《ささ》げるが。」





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