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第二十六章 交差する思惑
第548話 収監先
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尤も割り当てられた部屋の中は檻とは大違いで、スイートルームもかくやな内装をしていた。
寝心地の良さそうなハイブランドマットが置かれたベッド。一度座ったら立ち上がるのが億劫になりそうなソファ。大きなテレビや高品質な音楽再生機器も設置されていて、優雅に暮らせそうである。医学書から小説まで取り揃えた本棚も配置されていて、至れり尽くせりだ。
(軟禁状態という点を除けば、最高の待遇ですわね。流石にインターネットは使えなさそうですが)
「なかなか良い部屋を与えられたな、星の乙女」
クララの隣に立つクロロメタンが、部屋をまじまじと眺め感心したように頷く。
当たり前のように一緒に入室してきた彼だが、よく考えなくとも女性の部屋に男性が入るのはおかしいのでは、と混乱が収まってきたクララに常識的な思考が戻って来る。しかしこの階層にはクララの部屋以外、見当たらない。その上でクロロメタンがいるという事は――
「あの、ところでわたくしは、貴方と同じ部屋で生活するのですか?」
「我はそう伝えられたが? 命じられた護衛を真っ当する為にな」
「男性と女性を同室に、ですの……!?」
「我の見目は男ではが、人間の性には当て嵌まらぬぞ?」
「そう言う問題ではありません事よ!?」
「案ずるな。そなたの部屋で我が居るべき場所は決まっている」
そう言いながらクロロメタンが歩いて行った先は、部屋の奥にあった無機質な扉。その先にある、打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた部屋であった。
天井には監視カメラが複数設置され、壁には公共プールに備えられているような、質素なシャワー。床には排水溝が一つ。洗浄用の機械が取り付けられていて、排泄物も流せる仕様だ。
「ふむ。些か狭いが、寝転がるには十分か」
一人分の浴槽が入るか入らないかという部屋の広さを前に、クロロメタンは満足気に笑っている。
「……ベッドも、椅子も、何もないじゃないですか……」
しかし囚人の居室よりも殺風景な部屋に、クララは絶句した。
「しかし鎖も杭も拘束椅子もなし。これは高待遇! 流石にネグラのような暮らしはできぬが、かつての研究所と比べたら極楽に等しい」
そのままクロロメタンは無機質な自室へと足を踏み入れると、壁にポストの投函口のような、小さな蓋を興味津々そうに見詰める。
「人の子の話では、此処から飲食や衣服が提供されるのだとか。いつか映画で見た配給口とよく似ている。使われる時が待ち遠しいな」
「……もしかして、現実逃避をしているのですか? 何事も前向きに捉える姿勢は素敵ですが、限度が、あると思うのです」
「声が沈んでいるな、星の乙女よ。これは我が勝手をした結果よ。何を気にする事がある?」
「人として扱われない事を、気にせずにいろと? わたくしは、そのような……」
「我は人の子ではない。人の形をした生物兵器、と言えばわかりやすいか? 拠点たるアバトンの外に出てしまえば、閉所に押し込まれるのが常よ」
クロロメタンにとってこの処遇は、日常の延長線でしかない。
昨日も今日も、彼はただ人間の命令に従っているだけ。元々、人工島アバトンの外では、自由などないのだから。
とは言え、クスシの側にいればまず拘束はされない。勝手に廃棄される事もない。逆に言えば、離れればどんな目に合おうとも文句は言えない。それをわかっていてなお、クロロメタンはクララと言う興味対象を追いかけた。
この機を逃せば『次』はまずないのだから、学会会場での行動範囲の規制がほぼない事を言い訳に、冒険をした。
流れ星が落ちた先を目指して駆ける、子供のように。
そしたら護衛という新しい任務を与えられた。
それも対象は興味を持ったクララ。今日が過ぎれば二度と顔を見る事はない、と思っていた相手。
多量の血を抜かれたのは少し堪えたが他に手を下される事もなく、寝床も用意されたとなれば、クロロメタンからすれば然程悪い状況ではない。
「困るのは問答無用で廃棄される事か。尤も、この程度の爆発物で我の命が潰える事はない。これはあくまで我を押さえ込む時間稼ぎを目的とした……」
トントンと、指先で首輪を突きながら喋っていたクロロメタンは、ふと言葉を区切った。
クララが、無機質な部屋の前に立ったまま、俯いて動かなくなってしまったから。
「そなたはウミヘビを知らなんだか。では僭越ながら、我が教授しよう」
そして彼女の細い肩が震えている事に、気付いてしまったから。
「ウミヘビの前で、仮面は要らぬ」
その言葉を聞いたクララは、ゆっくりとフェイスマスクを外し、目尻に涙を溜めた顔を、晒した。
「……クロロメタンさん。貴方の、貴方達の事、もっと、教えて、くださいますか?」
「あぁ、よいぞ。星の乙女よ」
◇
「あー……。煙草吸いてぇ……」
コンクリートが剥き出しの、無機質な部屋の床に、不機嫌な声が落ちる。
声の主は茶髪に薔薇のような真紅の目を持つウミヘビ――ニコチンだ。
一糸纏わない姿をした彼の首には、銀色の首輪。そこから伸びる鎖は天井に繋がっている。両の足首には釘。右手首には鉄筋。腹部には太い杭が埋め込まれ、壁際に座り込む形で徹底的に固定された状態だ。
身体に空けられた穴から流れる青い血は、排水溝に流れ落ちどこかに蓄えられていくっている。
とは言え、傷口の穴は再生しかけている。いずれ出血は止まるだろう。この程度で、失血死する事はない。
(ま、そしたらまた穴空けられるんだろうけどよ)
ネグラの外。脱走先である国連本部に転移して早々、この仕打ちである。
尤も驚きはない。
寧ろ想定通り過ぎて笑えてくる。ニコチンは国連本部に来るのは初めてではなく、幾度か訪れた事があった。故に此処での待遇も向けられる視線も、把握していた。
最も足を運ぶ機会が多かったのは10前。
『珊瑚』に侵蝕され、超規模菌床と判断された街を滅ぼす、殲滅作戦の頻度が多かった頃。国連と結んでいる契約を元に呼び出されては前線に放り込まれ、作業的に処分を繰り返していた。その際、援護もなければ補給もない。使い潰し前提の戦術ばかり命じられていた。毒素の使い過ぎで中毒に陥り、壊れたウミヘビも出たぐらいだ。
それが普通だった。
(これ、八つ当たりも含んでいるだろ。絶対。モノにゃ手ぇ出せねぇもんな。ヘッ、腰抜けが)
転移に同行したモノフルオロ酢酸ことモノが此処で最初にやった事と言えば、人殺しだ。近場に居た軍人の首を躊躇なく折り、それを見て銃を撃ってきた軍人に対しては四肢の骨を砕き、恐れ慄いて逃げようとした軍人に対しては両手両足の指を一本ずつ、丁寧に折っていた。久々に見た一般人に、モノも興奮していたのだろう。
最終的に、部屋にいた軍人は皆殺しにされた。
(その後に、俺に脱走を命じた奴……アダマスが来たんだよなァ)
一通り骨を折り生爪を剥がし生皮を剥がし、モノが満足した頃合いに彼は現れた。あのタイミングの良さを考えると、部屋にいた人間は最初からモノを発散させる為に配置した捧げ物だったのだろう。
たかがウミヘビに人間の消耗を良しとする程、モノの価値は高いという事だ。あれ以降モノ含む他のウミヘビとは分断され現状はわからないが、今のニコチンと異なり、檻の中でも高待遇を受けているに違いない。
(けど最終的にゃ、使い捨てにする。あの男は、そう言う奴だ)
知っている。わかっている。
それでもニコチンは自分の足で、自分の考えで、この監獄にやって来た。オフィウクス・ラボの監視システムを掻い潜って送られてきた、一通のメールの指示に従って。
あの日、9月29日の『お菓子の日』。モーズがネグラの食堂で、ウミヘビに菓子を振る舞っていた日。
ニコチンはアダマスに、脱走を命じられた。
契約を交わしたウミヘビと共に、国連本部へ転移しろと。決して口外はせず、時を待てと。
合図は『珊瑚』。それが現れたら、速やかに行動に移せ。
掻い摘んで言えば、そのような内容だった。
(他にも色々と脅し文句書いてあったが、心配しなくっとも逆らわねぇよ。バーカ)
何せ従わなければ即刻、廃棄されてしまう。理不尽に、問答無用で、一切の慈悲も猶予もなく。
――アセトアルデヒドが。
故にニコチンは誰にも打ち明けないまま、いつ来るかもわからない『珊瑚』に神経を張り巡らせながら、今日に至った。
寝心地の良さそうなハイブランドマットが置かれたベッド。一度座ったら立ち上がるのが億劫になりそうなソファ。大きなテレビや高品質な音楽再生機器も設置されていて、優雅に暮らせそうである。医学書から小説まで取り揃えた本棚も配置されていて、至れり尽くせりだ。
(軟禁状態という点を除けば、最高の待遇ですわね。流石にインターネットは使えなさそうですが)
「なかなか良い部屋を与えられたな、星の乙女」
クララの隣に立つクロロメタンが、部屋をまじまじと眺め感心したように頷く。
当たり前のように一緒に入室してきた彼だが、よく考えなくとも女性の部屋に男性が入るのはおかしいのでは、と混乱が収まってきたクララに常識的な思考が戻って来る。しかしこの階層にはクララの部屋以外、見当たらない。その上でクロロメタンがいるという事は――
「あの、ところでわたくしは、貴方と同じ部屋で生活するのですか?」
「我はそう伝えられたが? 命じられた護衛を真っ当する為にな」
「男性と女性を同室に、ですの……!?」
「我の見目は男ではが、人間の性には当て嵌まらぬぞ?」
「そう言う問題ではありません事よ!?」
「案ずるな。そなたの部屋で我が居るべき場所は決まっている」
そう言いながらクロロメタンが歩いて行った先は、部屋の奥にあった無機質な扉。その先にある、打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた部屋であった。
天井には監視カメラが複数設置され、壁には公共プールに備えられているような、質素なシャワー。床には排水溝が一つ。洗浄用の機械が取り付けられていて、排泄物も流せる仕様だ。
「ふむ。些か狭いが、寝転がるには十分か」
一人分の浴槽が入るか入らないかという部屋の広さを前に、クロロメタンは満足気に笑っている。
「……ベッドも、椅子も、何もないじゃないですか……」
しかし囚人の居室よりも殺風景な部屋に、クララは絶句した。
「しかし鎖も杭も拘束椅子もなし。これは高待遇! 流石にネグラのような暮らしはできぬが、かつての研究所と比べたら極楽に等しい」
そのままクロロメタンは無機質な自室へと足を踏み入れると、壁にポストの投函口のような、小さな蓋を興味津々そうに見詰める。
「人の子の話では、此処から飲食や衣服が提供されるのだとか。いつか映画で見た配給口とよく似ている。使われる時が待ち遠しいな」
「……もしかして、現実逃避をしているのですか? 何事も前向きに捉える姿勢は素敵ですが、限度が、あると思うのです」
「声が沈んでいるな、星の乙女よ。これは我が勝手をした結果よ。何を気にする事がある?」
「人として扱われない事を、気にせずにいろと? わたくしは、そのような……」
「我は人の子ではない。人の形をした生物兵器、と言えばわかりやすいか? 拠点たるアバトンの外に出てしまえば、閉所に押し込まれるのが常よ」
クロロメタンにとってこの処遇は、日常の延長線でしかない。
昨日も今日も、彼はただ人間の命令に従っているだけ。元々、人工島アバトンの外では、自由などないのだから。
とは言え、クスシの側にいればまず拘束はされない。勝手に廃棄される事もない。逆に言えば、離れればどんな目に合おうとも文句は言えない。それをわかっていてなお、クロロメタンはクララと言う興味対象を追いかけた。
この機を逃せば『次』はまずないのだから、学会会場での行動範囲の規制がほぼない事を言い訳に、冒険をした。
流れ星が落ちた先を目指して駆ける、子供のように。
そしたら護衛という新しい任務を与えられた。
それも対象は興味を持ったクララ。今日が過ぎれば二度と顔を見る事はない、と思っていた相手。
多量の血を抜かれたのは少し堪えたが他に手を下される事もなく、寝床も用意されたとなれば、クロロメタンからすれば然程悪い状況ではない。
「困るのは問答無用で廃棄される事か。尤も、この程度の爆発物で我の命が潰える事はない。これはあくまで我を押さえ込む時間稼ぎを目的とした……」
トントンと、指先で首輪を突きながら喋っていたクロロメタンは、ふと言葉を区切った。
クララが、無機質な部屋の前に立ったまま、俯いて動かなくなってしまったから。
「そなたはウミヘビを知らなんだか。では僭越ながら、我が教授しよう」
そして彼女の細い肩が震えている事に、気付いてしまったから。
「ウミヘビの前で、仮面は要らぬ」
その言葉を聞いたクララは、ゆっくりとフェイスマスクを外し、目尻に涙を溜めた顔を、晒した。
「……クロロメタンさん。貴方の、貴方達の事、もっと、教えて、くださいますか?」
「あぁ、よいぞ。星の乙女よ」
◇
「あー……。煙草吸いてぇ……」
コンクリートが剥き出しの、無機質な部屋の床に、不機嫌な声が落ちる。
声の主は茶髪に薔薇のような真紅の目を持つウミヘビ――ニコチンだ。
一糸纏わない姿をした彼の首には、銀色の首輪。そこから伸びる鎖は天井に繋がっている。両の足首には釘。右手首には鉄筋。腹部には太い杭が埋め込まれ、壁際に座り込む形で徹底的に固定された状態だ。
身体に空けられた穴から流れる青い血は、排水溝に流れ落ちどこかに蓄えられていくっている。
とは言え、傷口の穴は再生しかけている。いずれ出血は止まるだろう。この程度で、失血死する事はない。
(ま、そしたらまた穴空けられるんだろうけどよ)
ネグラの外。脱走先である国連本部に転移して早々、この仕打ちである。
尤も驚きはない。
寧ろ想定通り過ぎて笑えてくる。ニコチンは国連本部に来るのは初めてではなく、幾度か訪れた事があった。故に此処での待遇も向けられる視線も、把握していた。
最も足を運ぶ機会が多かったのは10前。
『珊瑚』に侵蝕され、超規模菌床と判断された街を滅ぼす、殲滅作戦の頻度が多かった頃。国連と結んでいる契約を元に呼び出されては前線に放り込まれ、作業的に処分を繰り返していた。その際、援護もなければ補給もない。使い潰し前提の戦術ばかり命じられていた。毒素の使い過ぎで中毒に陥り、壊れたウミヘビも出たぐらいだ。
それが普通だった。
(これ、八つ当たりも含んでいるだろ。絶対。モノにゃ手ぇ出せねぇもんな。ヘッ、腰抜けが)
転移に同行したモノフルオロ酢酸ことモノが此処で最初にやった事と言えば、人殺しだ。近場に居た軍人の首を躊躇なく折り、それを見て銃を撃ってきた軍人に対しては四肢の骨を砕き、恐れ慄いて逃げようとした軍人に対しては両手両足の指を一本ずつ、丁寧に折っていた。久々に見た一般人に、モノも興奮していたのだろう。
最終的に、部屋にいた軍人は皆殺しにされた。
(その後に、俺に脱走を命じた奴……アダマスが来たんだよなァ)
一通り骨を折り生爪を剥がし生皮を剥がし、モノが満足した頃合いに彼は現れた。あのタイミングの良さを考えると、部屋にいた人間は最初からモノを発散させる為に配置した捧げ物だったのだろう。
たかがウミヘビに人間の消耗を良しとする程、モノの価値は高いという事だ。あれ以降モノ含む他のウミヘビとは分断され現状はわからないが、今のニコチンと異なり、檻の中でも高待遇を受けているに違いない。
(けど最終的にゃ、使い捨てにする。あの男は、そう言う奴だ)
知っている。わかっている。
それでもニコチンは自分の足で、自分の考えで、この監獄にやって来た。オフィウクス・ラボの監視システムを掻い潜って送られてきた、一通のメールの指示に従って。
あの日、9月29日の『お菓子の日』。モーズがネグラの食堂で、ウミヘビに菓子を振る舞っていた日。
ニコチンはアダマスに、脱走を命じられた。
契約を交わしたウミヘビと共に、国連本部へ転移しろと。決して口外はせず、時を待てと。
合図は『珊瑚』。それが現れたら、速やかに行動に移せ。
掻い摘んで言えば、そのような内容だった。
(他にも色々と脅し文句書いてあったが、心配しなくっとも逆らわねぇよ。バーカ)
何せ従わなければ即刻、廃棄されてしまう。理不尽に、問答無用で、一切の慈悲も猶予もなく。
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