毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第四章 一時帰宅編

第65話 交渉

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 途中でトイレ休憩も挟みつつ、半日近くかけて辿り着いたモーズの煉瓦造りアパート付近は案の定というべきか、監視カメラドローンが飛び交い駐車場にはパトカーが複数停車し、巡回の警察が何人も出歩いていた。
 これほど厳重なのは今だけだろう。恐らく明日、いや今となってはあと数時間後の夜明けには強制押収が行われるので、それまでに機密データか何かを取りに主犯(モーズ)か共犯者が戻って来ないかと警戒しているのだ。
 警戒が目に見えて派手で仰々しいのは、バイオテロに屈しない警察の姿勢を市民に見せるパフォーマンスも込めているのだろうが。

「……ど、どうするべきか」

 近くの石塀の曲がり角に隠れながら、厳重警戒なアパートの様子を伺うモーズ。
 自分の預かり知らぬ所でこれでもかと大事になっているのを目の当たりにして、背中に嫌な汗が流れるのが止まらない。

「私が向かいましょうか?」
「それでは君が拘束されてしまう。しかも人権のない君が警察に取り押さえられたら、何をされるかわかったものではない」

 モーズは隣でシャドーボクシングをする暴力沙汰を起こす気満々なセレンをなだめ、待機しているよう頼んだ。
 そもそもモーズが求めているのは、作業机に置いている写真。それだけなのに、辿り着くまでの道のりがとても遠い。

(諦めるか? しかし彼の姿を収めた物はもう、あの写真しかないんだ。諦めたくない)

 モーズ達が育った孤児院は3年前に閉鎖していて、シスター達と撮ったアルバム等は残されていない。
 またフランチェスコは写真を撮るのは好きだが撮られるのはあまり好きではなく、デジタルでもアナログでも映りたがらなかった。
 だからモーズが所持しているほぼ唯一の彼の写真、医大に入学する際に共に撮った記念写真だけが、彼と共に過ごした軌跡となってしまっている。そして同時に、彼を探す大事な手掛かりだ。

「ドローンは無視するとして、セレンの相手を無力化する力を使い、強行突破をすればあるいは……。増援まで時間を要するだろうし……」
「しかしアパートの扉の鍵は開けられるのでしょうか? 先手を取って取り替えられているのでは?」
「ぐぅ」

 セレンの言う通り、何らかの方法で封鎖している可能性は十分、あり得る。
 ではベランダ方面から窓を割って入るか、とモーズがぶつぶつと頭の中で考えているの、不意にポケットに入れていた携帯端末が鳴った。
 こんな時に誰だ、と焦りと苛立ちから着信相手を確認せずに通話に応えてみると、

『お久し振りです、モーズ先生』

 端末から聞こえたのはこの事態を招いた元凶、ルチルであった。

「ルチル医師!? なぜ私の端末の番号を知っているんだ」
『着信があったという大家さんから聞きました』
「プライバシー……」

 大家の個人情報管理の杜撰さに、モーズはマスク越しに目元を片手で覆う。
 大家の女性は気の良い人だ。元々同じ病棟勤務の外科医という社会的信頼のあるルチルが「自分も連絡が取れずに心配している」とか同情を誘えばあっさり口を割ってしまうな、気の良い人。

『そして大家さんに、モーズ先生がお困りという話も聞きまして』
「この事態の原因は九割方、貴方だが? 申し開きはないのか?」
『そこで、必要な物を教えて頂ければ取りに伺おうかと』
「えっ」

 ルチルからのまさかの提案に、モーズは気の抜けた声を発してしまう。

『流石に家具など、大きい物の運び出しは難しいですが……』
「取りに、行く? 警察が包囲している中をか?」
『はい。警察も人間、話せばわかる方々です。説得すれば大丈夫ですよ』
「……私の頼みを聞いて、貴方に何のメリットがある。言っておくがスカウトは受けないぞ。先日、教団の者であるオニキス少年のバイオテロ現場と遭遇した。教団の事を考えると、今も怒りで頭がどうにかなりそうだ」
『スカウトは求めませんよ、今回はね』
「しかし無条件で請け負ってくれるなど、都合のいい話ではないのだろう?」
『はい』
「……条件は?」

 モーズは心の中で身構えながら訊ねる。条件によって写真を諦めるかどうか大きく関わってくるのだ、ルチルの言葉を聞き逃さないよう緊張してしまう。

『食事を』
「うん?」
『私と食事を共に致しませんか? モーズ先生』

 しかし提示された条件はあまりにも簡素で、拍子抜けしてしまうレベルの物だった。

「先生っ! ルチルさんとご飯なんて食べたら、きっと変な薬を盛られてしまいますよ!?」
『おや、セレンも居たのですか。心配なら貴方もご一緒にどうです? ゆっくりお話いたしましょう』

 有毒人種ウミヘビであるセレンに、生半可な毒物は効かない。もし彼に効くレベルの毒を盛るとすれば確実にモーズは命を落とす。
 モーズをスカウトをしたがっているルチルに、毒殺などの物騒な意思はないはずだ。

「食事といっても、私は珊瑚症を患っている。席を共にするのは憚れるのだが」
『ご安心ください。ワタクシもステージ2でとっくに罹患しておりますから。食事先は個室のある店を利用すればいい。お店選びはモーズ先生にお任せします』
「…………」

 モーズは考え込む。ルチルが何を企んでいるのか知らないが、セレンと同席で食事をするのはリスクが少ない筈。
 例えレストランで悪漢に囲まれようとも警察に包囲されようとも、セレンがいれば何の障害にならないのだから。

「……では、作業机に置かれた写真を取ってくる事と、貴方がステージ2なのか確認できたら、共に食事をしてもいい」
「先生、本気ですか!?」
「ひとまず、頼ってみようと思う」
『ありがとうございます。では少々、お待ちください』

 そこで通話が切れる。
 セレンは心配した様子だが、今は信じて待つしかない。

 そして20分後。
 無事にモーズが指定した写真をアパートの部屋から取ってきたルチルが、あらかじめ決めていた待ち合わせ場所、路地裏の隅まで持ってきてくれた。

「お待たせいたしました、モーズ先生」
「本当に取ってくるとは……。どう警察と交渉したんだ。まさか賄賂でも?」
「いいえ。警備のお巡りさんに私とモーズ先生の友情を懇々と語り、貴方と過ごした部屋を最後に見たいと頼んだ所、同行付きで許可をくださいましたよ。お求めの物も、何の変哲のない写真でしたので持ち出せました」
「警察に存在しない思い出を語ったのか? もしや貴方は外科医ではなく作家だったのか?」

 なお当たり前だが、モーズがルチルを自室に招いた事は一度もない。

「ワタクシは少々ロマンチストな外科医、というだけですよ」

 話しながら、ルチルはシャツの袖を巡って素肌をモーズに見せる。
 そこには、まだらに浮かぶ赤い斑点。珊瑚症ステージ2の症状、皮膚の局所が虫刺されのように変色する症状そのものだ。虫刺されと違うのは刺された穴がないのと痒みがないのと、……固くなっている所。
 それは触診で判断できる。

「これで条件は達成、ですかね?」
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