毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第十二章 日本旅行編

第241話 大浴場

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『アバトンの外って初めてがいっぱいだねぇ。連れてきてありがとう、ニコ』

 日本感染病棟附属寮の夜。モーズ達が寝泊まりする個室。

(……話し声)

 布団の中で眠っていたモーズは、微かに聞こえたアセトアルデヒドの声で目が覚めた。
 滅多に睡眠を取らないウミヘビは日が暮れ、日付けが変わろうとも眠らない。よってクスシを連れた泊まりがけの外出をする場合、朝まで時間を潰す必要がある。
 ヒドラジンは相変わらず飛行機のある格納庫で過ごしているようだが、アセトアルデヒドとニコチンは広縁のランタンチェアに向かい合うように座り、窓越しに入ってくる月明かりだけを光源に談笑をしているようだった。

『礼を言われるような事じゃねぇよ。10年以上、閉じ込めといて。遠征以外でも外に連れ出せるって知っていたら、もっと早く手を打ってたんだが……』
『あはは~。仕方ないよぉ。きっと今だから旅行できたんだろうしぃ』

 既に眠ったモーズに気を遣ってか、2人はガラス障子をきっちりと閉めて小声で話している。
 しかし慣れない土地でどうしても神経が過敏になり、僅かな声でも耳が拾ってしまって、結果的に盗み聞きをしている状態となってしまった。

『クスシも増えてウミヘビも増えて、それでいて災害頻度も減ったからねぇ。少なくとも5年前じゃ無理だったよぉ。君が忙し過ぎてさぁ』
『関係ねぇだろ。お前ぇだけ旅行に行かせる手もあったんだしよ』
『それは寂しくて嫌だなぁ。僕はニコと一緒がいい』
『そうか?』
『うん。ところでさぁ、ニコ。災害の頻度が減った代わりに、大変さが上がったみたいだよねぇ? 無茶しちゃ駄目だよぉ?』
『アセトが気にする事じゃねえよ。これが仕事ってだけだ』
『でももうちょっと、身体を大事にして欲しいっていうかさぁ』
『流石に死なねぇようには気を付けているぞ? 

 今、何と言ったのか。
 モーズは思わず飛び起きて訊ねたくなったが、寝巻きの白襦袢を握り締めぐっと堪え、寝返りを打つに留めた。

『そうじゃ、なくてねぇ。えっとねぇ、ニコ。僕がどうこうとかじゃなくて、もっと、ニコがニコ自身の為に動いて欲しいっていうか』
『あぁ? 俺は俺の為に動いているぞ? それでアセトが笑って過ごせるんなら安いもんだ』
『……安く、ないよぉ? ……怪我して、中毒になって、例え死ななくっても、後遺症の危険がさ……』
『それがどうしたよ。お前ぇが傷付く訳でもなし』

 噛み合っていない。
 アセトアルデヒドはニコチンの身を案じているのに、ニコチンはアセトアルデヒドの為ならば命さえ軽視している。
 アセトアルデヒドはどうにかニコチン自身を大切にして貰おうと、言葉を重ねようとしている様子だったが……

『俺はお前ぇさえ笑ってくれりゃいんだよ。後は何も、要らねぇ』

 そう言い切られてしまって、何も言えなくなってしまったようだ。

(……。どうして、言い切れてしまうんだ。献身的と言うには、歪んでいる……。不健全だ……)

 仲のいい友人、と括れない2人の関係性を垣間見てしまったモーズは、居心地が悪い思いを抱きながらも眠る事に注力し、早く朝が来る事を願うしか出来なかった。

 ◇

 翌朝。何とか睡眠が取れたモーズは身支度をすまし、個室に運ばれてきた朝食を摂った。そして事前に決めていた出立の時間が来た所で、モーズは同室のニコチン達を連れ青洲達の泊まる隣室を訪ねる。
 が、扉から顔を出したアトロピンに何故か頭を下げられた。

「申し訳ありません。出立までもう少々、お時間を頂きたく」

 アトロピンの背中の向こう側、畳の上では未だに布団の上で丸くなって眠っているパラチオンの姿がある。彼の側では燐が頬をつついたり耳元で声をかけたりもしているが、全く起きる気配がない。熟睡している。
 そういえば【檻】の中でもパラチオンは昏々と眠っていた。彼は必要睡眠時間が長いのかもしれない。

「ウミヘビは必要睡眠時間が短いと聞いているのだが、パラチオンは例外なのだな?」
「あいつ毒素の調整が下手なんだよ。過剰生成し過ぎて自己処理できねぇの。そんで生成し過ぎた分を分解すんのに睡眠って形を取るんだ」

 するとパラチオンが起きない理由を、モーズの後ろに立つニコチンが呆れながらも教えてくれた。
 ニコチンも中毒症状に陥った際、アトロピンが解毒を施した後、4日間ずっと眠っていた。恐らくあれも毒素の調整をしていたという事だろう。

(イギリスからの帰り、水銀も車内で眠っていたような……。アメリカ遠征の帰りではカリウムとナトリウムが眠っていたな。あれは疲労もあるだろうが、毒素の調整もしていたのか)

 人間が必要とする睡眠とウミヘビが必要とする睡眠は種類が違う。モーズは一つ学習した。

「そう言いなさんなってニコの旦那! ウミヘビなら誰もが通る道でさァ! アッシも昔は居眠りばかりだったもんだ!」

 パラチオンを起こす事をすっぱり諦めた燐はその場ですっくと立ち上がると、押し入れの中に備品として置いてあった真っ白いバスタオルを鷲掴んだ。

「それより出立まで時間ができたんだ! 大浴場で朝風呂と洒落込もうじゃないか! この時間なら貸し切り同然だろうからねぇ!」
「燐……」
「いいだろう青洲の旦那!? ここは民間施設じゃなく国連お膝元、感染病棟の寮! お目付け役の新米も連れて行くし、文句ァねぇはずだ!」
「えっ」

 マスク越しに咎める視線を送る青洲の前を通り抜け、廊下に居たモーズの腕をがしりと掴む燐。
 彼の意思は固い。そう判断した青洲は溜め息を一つ吐いた。

「……はぁ。長風呂は、しないように……」
「がってんだ! ほらほらちゃっちゃか行くよ旦那方っ!」
「だ、大浴場……?」

 ◇

「服着たまま入る気かい!? マナーがなってないよ新米っ!」
「珊瑚症罹患者である私は入浴しない方がいいかと……」
「燐の読み通り他の人間いないし、気にしなくていいんじゃない~?」

 寮の奥(柴三郎の案で増設されたらしい)に設けられた共同大浴場。その手前の脱衣所で、モーズは衣服を脱ぐ事に躊躇していた。
 シャワー生活が主なヨーロッパで育ったうえに、幼少期から感染対策が習慣化していた影響で、人前で肌を晒すことに抵抗があるのだ。

「新人さん、感染予防とかのお薬ちゃんと打っているでしょぉ? そんなに神経質にならなくても大丈夫だよぉ」
「しかし……」
「面倒臭ぇな。アセトが大丈夫っつってんだ、はよ脱げ」
「あ、待てニコチン、これは追い剥ぎでは……っ!?」

 燐とアセトアルデヒドの言葉を聞かないモーズに苛立ってか、最終的にはニコチンに強制的に身包みをひん剥かれ、棚の籠に突っ込んだ後に、モーズ自身は裸一貫で(慈悲としてタオルを一枚持たせてくれたが)大浴場へと放り込まれる。
 大浴場は名の通り、広かった。灰色のタイルが敷き詰められた床に30人分の洗い場に、湯気が立ち込める大きな黒い浴槽。
 その広さが逆に落ち着かない。ウミヘビ達は気にしていないようだが、モーズは身を隠すように端の洗い場の前に座ると、なるべく手短に洗髪と洗身をすませた。そのままこそこそ浴場を出ようとしたものの、気付いた燐にとっ捕まって「旦那がいねぇとゆっくりできねぇだろい!?」とクスシが側にいないと長風呂ができないという理由で浴槽に入れられてしまう。

(……。非常に、心地がいい……)

 が、実際に湯の中に身体を沈めてみると、羞恥心を忘れてしまう程に気持ちがよかった。
 マッサージとはまた違う心地よさ。初めて『入浴』を体験したモーズだったが、身体の芯から温まり弛緩できるという、リラックス効果がとんでもない。

「これで温泉卵がありゃ完璧だったんだがねぇ!」
「俺は酒が飲みてぇ」
「あはは~。2人とも欲望に忠実だねぇ」

 同じく湯に浸かるウミヘビ3人もモーズと同じようにまったり過ごしている。

(ウミヘビの身体は成人男性と変わりがないんだな……)

 彼らの一糸纏わぬ姿を前に、つい身体的特徴を観察してしまうモーズ。
 ウミヘビと名付けられているものの、服の下に蛇の鱗があるなどの特異性は一切なく、戦闘員ではないアセトアルデヒド含めて健康的かつ筋肉質な体付きをしている。

(色素を除いた見た目は人間と何も変わらないな。感性も、たまに砒素のような享楽主義者がいるようだが、基本的に人との差はそこまでない。……人権がない事が本当に、腑に落ちない)
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