毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十章 真っ赤な嘘

第425話 臨床試験

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 西暦2320年9月29日、当日。

 人工島アバトンは水平線から顔を出した太陽の光を受け、オレンジ色に染まっていた。
 空気はまだ朝の冷たさを僅かに残し、風は穏やかに潮の匂いを運んでくる。遠くで海鳥の鳴く声が微かに聞こえた。
 その時、寄宿舎の自動扉が滑らかに開き、白衣の裾を揺らしながら一人の男が現れる。
 ユストゥスだ。
 彼は重たそうな足を運び、絶景といって差し支えない人工海岸の縁をゆっくりと歩いていく。足元に広がる砂浜にはまだ誰の足跡もなく、彼が一歩進むごとに湿った砂に深く沈んだ足跡が残っていく。
 その途中で、ユストゥスは不意に立ち止まり、波打ち際に目を落とす。波が静かに寄せては返している。その規則的なリズムは、彼の中に溜まった緊張をほんの少しだけ解してくれるようだった。
 ユストゥスはひとつ息を吐くと、誰に聞かせるでもなく口を開いた。

「……施術は治験者がコールドスリープの状態のまま行う。まずは対ステージ4抗真菌薬の投与をし、『珊瑚』を死滅させられるだけさせた後、脳で腫瘍と化した『珊瑚』の除去。そのまま再構築手術へ移り……」
「もう起きたのかい?」
「うわっ!」

 唐突に背後からかけられた声に、ユストゥスは肩を跳ね上げ、反射的に声を上げる。
 いつの間にそこに居たのか、後ろにはフリッツが朝の光を背にして立っていた。
 彼は腰に手を当て、どこか呆れた様子でユストゥスを見ている。

「折角、久し振りに部屋のベッドで寝たのに、こんなに早く起きたんじゃ、疲れが取れていないんじゃないかな?」

 フリッツの指摘にユストゥスは言葉を詰まらせた後、直ぐに視線を逸らした。

「……失敗は許されないからな。メディアの、いや世間の期待にも応えなくてはいけない。何より、患者の命がかかっているんだ」

 その声音は固く、緊張で研ぎ澄まされている。
 冗談ひとつ差し挟む余地もない。

「今日の為に何十何百とシミュレートを重ねたが、臨床では何が起きるかわからない以上、身構えるのは当たり前だろう」
「そうかい? 僕はそう気負わずとも大丈夫だと思うけどね」

 フリッツは穏やかな声音で言う。しかし想定外の発言を聞いたユストゥスは動揺した。

「なっ! そんな無責任な事を君が言うとは……っ!」
「大丈夫だよ。ユストゥスは今まで沢山積み重ねてきたんだ。それは絶対に裏切らない。成功するよ、必ず」

 信じている、とは言わなかった。
 それ以上の、確信があった。まるで未来は既に確定していて、成功は「結果」ではなく「当然」であるかのような響きだ。

「それより寝不足でパフォーマンスが落ちたら元も子もないだろう。臨床試験までまだ時間がある。仮眠したらどうだい?」
「ここで寝てしまったら、頭が冴えないまま手術室に向かう事になると思うが」
「あぁ。つまり寝坊するのが心配なのかい?」
「ね、寝坊など……!」
「僕が起こしてあげるから、安心して眠ればいいよ」

 言葉の端に乗せた優しさが、風と共にユストゥスの胸に吹き込む。

「頑張ってね、ユストゥス」
「……あぁ。勿論だ」

 彼の声には、力強さが戻っていた。

 ◇

 太陽が完全に昇りきる頃。白い塔、オフィウクス・ラボ内部。地下一階。
 そこにある手術室の前で、カールはパウルの持つ手持ちカメラのレンズに至近距離に近付き、元気よく手を振っていた。

「さぁさぁ! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 今から始まるのは世紀の救出劇!! 歴史が変わるその瞬間を、その目に焼き付けてくれたまえ!」
「随分と芝居がかった口上を……」

 カメラの調整をしつつ呆れるパウル。このカメラで撮影した映像は全世界へ配信される。だと言うのに、カールの大袈裟な言動は相変わらずで、少しも気にしていない様子だ。
 パウルはいつまでもカメラの前を占領するカールをアイギスの触手で押し除け、そのレンズを壁に寄り掛かるユストゥスへ向ける。彼はフリッツがまとめた資料を無言で読み込んでいた。

「ユストゥスも一言お願い。軽く編集して流すからさ」
「私もか?」
「主担当なんだから当たり前だろう?」

 そう言われたユストゥスは軽く顔を上げると、

「成功する。必ず」

 それだけ告げ、また視線を資料へ戻した。

「わぁユストゥスってば頼もしい~っ!」
「カール。興奮し過ぎると、集中を乱す……」
「あっ、メンゴメンゴ青洲先生! こっからは俺ちゃんも真剣モードに切り替えるよ~っ!」

 壁際の椅子に座り、じっと待機をしていた青洲に嗜まれたカールは、手の平でフェイスマスク越しに口元を覆い、お喋りを止める。
 途端、待機部屋に静寂が訪れ、一気に空気がひり付いた。
 配信の準備をしながらも、あまりの静けさに何か喋った方がいいかとパウルが落ち着かなさげにしている内に、その時は、来る。
 それと同時に3人はパウルを残し、手術室の扉を開けた先へ無言のまま向かった。そこにあるのは更衣室。そこで手術着へ着替え、次の扉の先、クリーンルームへと入る。
 更にその先にあるのが、手術室だ。
 治験者であるジョンは、既に手術台へ寝かせられている。今回はコールドスリープ状態を保った上での施術となる為、ジョンの乗る手術台は冷凍カプセルの中だ。施術も基本的にはカプセルに内臓されたロボットアームに、担当医の神経を繋げて行う。
 またこのカプセルは万が一、治験者が目覚め暴走した時のセーフティでもある。ただし、万が一ロボットアームを始めとした内臓機器に不具合が発生した場合に備え、術者が直ぐに中へ入れるよう、外側からは手動で容易に開く設計となっている。
 その最悪の事態を想定したシミュレートも、ユストゥスらは幾度も重ねていた。
 カプセル内が極寒だろうと、迷わず入る為に。

 手術室へ入室したユストゥスはカプセルの手前に立つ。そこでホログラム映像を展開し、ジョンのバイタルのチェックを始めた。

「対象コールドスリープ状態を確認。生命兆候、安定。脳波変動、なし。『珊瑚』の活動兆候、なし」

 淡々と項目を確認する声が響く。ジョンの容態に変わりはない。
 それが分かり次第、3人はカプセルを三角で囲うように配置につき、眼前に無数のモニターと、手元に半透明のコントロールパネルを投影。パネルに手を乗せ、手袋越しに神経を繋ぐ。
 直後、カプセル内蔵の機器が反応し、ブゥンと、低く重い機械音が鳴る。
 ユストゥスは一つ深呼吸をした後、静かに告げた。

「始めよう」

 臨床試験の開始を。
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