毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十一章 ハロウィンの翌日

第430話 英雄の帰還

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 イギリス感染病棟から程近い、地下付き一軒家。家主であるジョンがいなくなってしまった家。
 そこのリビングでは、イギリス感染病棟院長エドワードがテーブルの上にホログラム映像を展開し、最低限の灯りの中じっと凝視していた。彼はジョンがいなくなってから、棲家をここに移したのだ。
 本来の家主がいつかってきても出迎えられるよう、管理をする為に。
 その家主は、ホログラム映像越し、画面の中にいる。15時間にも及ぶ長時間手術の果て、目覚める時を待っている。
 彼が横たわる手術台の周囲にもホログラム映像が複数浮かびあがり、彼のバイタル状態をリアルタイムで表示している。コールドスリープが、段階的に解かれていくさまを。
 コールドスリープは凍結する時よりも解凍する時の方が危険で、時間も負担もかかる。世界有数の医師が集うオフィウクス・ラボの事だ、完璧な処置が施されているとは思うが、それでも不安を拭い切る事ができなかったエドワードは、臨床試験が始まってから今の今、日付けが変わってもなおホログラム映像の前からろくに動く事ができていなかった。
 固唾を飲んで、ただ見守る事しかできないもどかしさを幾度も味わいながら。
 ピリリリッ
 その時、軽快な着信音と共にエドワードの携帯端末が震える。こんな夜中に誰だろう、とエドワードがテーブルの端に置いていた携帯端末を手に取り確認をしてみると、画面にイギリス感染病棟看護師長フローレンスの名が表示されている事を知った。彼女は電話をかけてきたのだ、こんな夜中に。
 エドワードは緊急性のある連絡かと、直ぐに通話に応答する。

「フローレンス看護師長! こんな時分にどうしましたか? もしや急患でも……!?」
『まだ起きていらしたのですね、エドワード院長』

 が、フローレンスの発した言葉は緊急事態を伝えるものではなく、エドワード自身の安否を確認する言葉であった。
 ギクリと、エドワードの肩が強張る。

『私は日を跨ぐ前に仮眠を取ってください。とお伝えしたはずですが?』
「た、た、たったいま着信音で目が覚めまして……」
『虚偽は結構。発信からすぐ電話に出たうえに、声が鮮明です。ずっと起きていたでしょう?』

 悪足掻きしようとしてもフローレンスにはお見通しで、誤魔化しができないと悟ったエドワードは、彼女がこの場にいないにも関わらず肩身狭そうに身体を縮こまらせる。

『明日の仕事に響きます。睡眠はしっかり取ってください』
「は、はいっ! それはもう……っ」
『あと5分などと、悪足掻きは考えないように』
「うっ。手厳しい」

 まるで子供を寝かし付けにきた母親である。
 ジョンの容態が急変しないか気が気じゃない中、ちゃんと眠る事ができるだろうかと不安なものの、確かにこのままでは身体は休まらない。自身のメンタルを考え念の為、9月29日にあたる昨日と今日、2日分の休みを確保したものの、明日からは通常通り病棟勤務が始まる。
 ここで身体を壊して部下たる看護師や医師、まして患者達に迷惑はかけられない。エドワードは後ろ髪を引かれる思いを抱きつつも、ゆっくりと席から立ち上がった。

「すみません、もう横になります。フローレンス看護師長もお身体に……。……?」

 しかし不意に、エドワードはホログラムの画面に視線を奪われる。

「……っ!」

 そのままエドワードは、携帯端末を手から溢れ落としそうになりながも、食い入るように画面を見つめた。
 そして確信した。

「フローレンス看護師長! 配信見ていますか!?」

 画面の中のその人、自分を拾い、引っ張り、導いてくれた、父親のように慕う彼の指先が、動いている。

「ジョン先生が、ジョン先生が……っ!」

 ぼろぼろと涙が溢れる。声が震える。
 ずっと待っていた。その身体をオフィウクス・ラボに捧げる許可をもぎ取り、このイギリスの地を去ったその時から、彼が眠りから覚めるその瞬間を。
 その願いを想像よりもずっと早く、オフィウクス・ラボは叶えてくれた。感謝と歓喜と共に、エドワードは言葉を紡ぐ。ここからではどう足掻いても伝わらないとわかっていても、言わずにはいられなかった。

「おかえりなさい」

 画面の中で、ジョンの瞼が、開かれる。

 ◇

「モーズくうぅん~? これ説明して貰ってもいいかなぁ~?」

 オフィウクス・ラボ一階、エントランスの隅っこにて。
 モーズはパウルの前で正座を強制されていた。
 パウルの右手には9月29日前後に購入された、食料品一覧が記載された紙束が握られている。その大半は砂糖や小麦粉、牛乳やバター、チョコレートを始めとするお菓子の材料である。数えるのもバカらしくなるほどの種類と量。がしかし、その購入者の名前はたった一人。
 モーズの名のみが、履歴に残されていた。

「ウミヘビと親睦を深める為、そして心身をケアする為にスイーツビュッフェを催しました」
「上限額ギリギリまで消費してそんなお遊びやるなよ!!」

 ダンッ!
 怒りのまま購入物リストをエントランスの床に叩き付けるパウル。しかしモーズは一切怯む事も、反省の色を見せることもなく、寧ろ背筋を伸ばし毅然とした態度で座っている。
 ラボの予算をごっそり浪費したというのに、この開き直りっぷり。パウルはマスクの下、額の上にピキリと青筋を浮かべた。

「治療の一環です。遊びではありません」
「いやもうこの際、動機はいいよ! 僕に一言もなく浪費するなっつってんの!! と言うか僕らが必死に臨床試験に取り掛かっている裏で何まったり菓子作りしてるの!? シンプルにムカつくんだけど!!」
「謹慎中の私にできる事を考えた結果、行き付きました」
「どんな思考回路通じたらそうなるんだよ!! これから試験の試行と学会の準備で幾ら金あっても足りないってのに、何してくれてんだぁああっ!!」
「そんなに叫んでいると、喉が枯れるヨ。パウル」

 どう落とし前を付けさせようか、とパウルの怒りが怒髪冠を衝きそうになったまさにその時、ウィンと、エントランスの自動ドアが開くと共に一人のクスシが入ってくる。
 そのクスシは白衣……ではなく、黒衣に身を包んだ小柄な男性であった。その黒衣の中には銀色の長砲チャンパオを着込み、同じく小柄なパウルよりも背が低い。彼の黒髪の質は青洲せいしゅうの髪と似ていて、同じアジア人と見てわかった。
 フェイスマスクの柄は、真っ赤な金魚が二匹デザインされたもの。モーズが初めて見るデザインである。つまり初めて会う、クスシ。
 そしてモーズがまだ出会っていないクスシは、所長と副所長の2人のみ。

「副所長……!? いつ帰ってたの!?」
「副所長!? 貴方が……!」

 パウルの発言によって、2人の内の片方、副所長と知ったモーズは慌てて立ち上が、ろうとして足の痺れからよろめきつつも、何とか体勢を立て直し頭を下げた。

「お初お目にかかります。モーズです。直接対面するのはこれが初めてとなりますね。よろしくお願いします」
「そう畏まらなくていいヨ。アタシは副所長の徐福じょふくダ。覚えておケ」

 パチンッ
 オフィウクス・ラボ副所長、徐福じょふくは右手に持っていた真っ赤な扇子を閉じ、尊大な態度でそう言ったのだった。
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