ストーカー

Mr.M

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二章 葉月

八月十八日(木曜日)6

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車が真人市に入ると、
これまで片側一車線だった道が
綺麗に舗装された二車線となった。
道路の両側には
見渡す限りの田んぼが広がっていた。
平日の昼間ということもあってか
交通量は少なかった。
車は田舎道をのんびりと進んでいた。
しばらくすると
『真人ショッピングタウンこの先直進五キロ』
の看板が見えた。
その手前で道が左に別れていた。
車はその小道を入っていった。


それは煉瓦造りのお洒落な建物だった。
見たところごく普通の一軒家だった。
店の看板すら見当たらなかった。
駐車スペースは家の前に三台分。
そこには一台の車がとまっていた。
それはこの店の主の車なのか、
それとも他の客の車なのか判断できなかった。

車から降りると僕は大きく伸びをした。
時刻は十四時十五分だった。
たしかに大烏の言う通り
およそ四十分で着いたことになる。
その時、
玄関の扉の前で脇にある小さな看板に気が付いた。
「Carnival」
という文字が読めた。

店内は昼間だというのにやや薄暗かった。
それは重苦しい暗さではなくて、
外界の自然な明るさを意図的に制限して、
室内の雰囲気を演出しているようだった。
客が僕達二人だけであることはすぐにわかった。
四人がけのテーブル席が二つしかない
狭い空間だったからだ。
店内は過度な調度品もなく殺風景だった。

僕たちを出迎えてくれたのは
可愛らしい女性だった。
大烏の情報では四十二歳のはずだが、
とても四十代には見えなかった。
どう見ても僕と同年代か、
もしくは下にしか見えない。
彼女の名前は安東智香といって、
元旦那である江戸圭と二人で
この店をやっているとのことだった。
離婚した後もこうして一緒に働いていることが
僕には解せなかった。
円満離婚ということだろうか。
しかしそもそも円満であれば離婚などしない。
そして気になることはもう一つ。
どうして大烏が
そんな情報を知っているかだったが、
それは口には出さなかった。
今の時代、
その気になれば
個人情報を手に入れることなど容易だった。
何せ、
SNSで自らの情報を自分で世界中に
拡散しているような危機感のない人間もいるのだ。
家の玄関を開けて、
強盗を招き入れているようなものだった。

「こんにちは。大烏さんお久しぶりですね」
彼女は笑うと一層若く見えた。
そしてその笑顔は魅力的だった。
「いつもお一人なのに、
 今日に限っては
 お二人ってご連絡を頂いたものだから、
 てっきり恋人を連れてくるんだと
 思っていましたのに」
そう言って彼女はふたたび笑った。
大烏の方を見ると鼻の下を伸ばして
顔をほころばせていた。
どうやら大烏の目的は
この美しい元人妻だったようだ。

「人生の目的とは最愛の人を見つけ出すこと。
 私はまだその旅の途中さ」
そして大烏はそんな気障なセリフを
恥ずかしげもなく口にした。
彼女は少し微笑んでから
テーブルにグラスと箸とナプキンを並べた。

「挨拶が遅れてすみません。
 安東智香と申します。
 大烏さんには
 いつも御贔屓にしていただいています」
僕は目をそらして「こちらこそ」と小声で返した。
そして緊張を誤魔化すために
水を飲もうとグラスに手を伸ばしたが、
そのグラスは空だった。
「あら、すみません。
 すぐにお飲み物をお持ちします」
そう言って彼女は大烏の顔を見た。
「ふむ。
 私と同じでいいよ」
彼女は頷いて奥へ消えていった。

「ふふ、素敵な人だろう?」
大烏はそう言ってニヤリと笑った。
「別れたご主人ってどんな人なんですか?」
僕は小さく頷いてから尋ねた。
綺麗な女性の男の影というのは、
どうしても気になってしまうのが男の性だ。
「ふむ。
 ここの料理はすべて彼が作っているらしいが、
 まったく表に顔を出さないのだ。
 私も一度しか見たことはないのだがね、
 小柄で痩せぎすで
 ギョロッとした目が印象的な陰鬱な男だったよ」
安東智香に好意を寄せている大烏の色眼鏡を
通した意見は話半分だとしても、
美女と野獣ということには変わりはないのだろう。
大烏の言葉を信じるならば、
彼女は男を選ぶにあたって
外見は特に気にしないということになる。

「お二人で何の話をしているのかしら?」
その時、
小さな青色のガラス瓶を手に持った彼女が
戻ってきた。
大烏はそれを受け取ると
蓋を開けて僕のグラスへ液体を注いだ。
シュワシュワという音と共に
グラスには透明な液体が満たされた。


大して間を置かずに前菜のサラダが運ばれてきた。
真っ白な皿に緑色の生野菜が盛られていた。
それら瑞々しい野菜にかかった
鮮やかな真紅のドレッシング。
僕はドレッシングだけを箸の先で舐めてみた。
何となく鉄臭い苦みを感じた。
それでもこのドレッシングは野菜と交わることで、
素晴らしいハーモニーを奏でた。
料理とは不思議だと思った。
大烏曰く、
この店で出される料理はすべて自家製らしい。
つまり、
この野菜も家庭菜園で作られたということになる。

料理は一皿ずつ順番に運ばれてきた。
最後のデザートを食べ終わった後で、
安東智香がコーヒーを持ってきた。

「今日の料理も相変わらず美味しかったよ」
大烏のその言葉はお世辞でもなければ
大袈裟でもなかった。
僕も大きく頷いた。
「それは良かったです。
 あの人も喜びます」
「ところで、
 今日の肉は何のどこの部分だろうね?」
「それは私にもわかりませんの。
 あの人は料理に関しては秘密主義なので」
彼女はそう言って微笑んだ。
その微笑みにどきりとして僕は咄嗟に俯いた。
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