ストーカー

Mr.M

文字の大きさ
上 下
48 / 128
二章 葉月

八月二十六日(金曜日)10

しおりを挟む
緑色のドアに吊るされたホワイトボードには
「本日の日替わりメニュー 麻婆丼」
と書かれていた。
さらにその下には
「占いはランチタイムの後で」
という小さな文字が読めた。

ドアを開けるとスパイスの香りが鼻を刺激した。
店内は明るく
スナックを思わせるような内装だった。
入り口から奥に伸びる細長い店内は、
左側は四人掛けのテーブル席が二つ。
右側にカウンターがあり
椅子が六つほど並んでいた。
テーブル席には年配の男性が一人。
カウンター席にはサラリーマン風の男が二人
座っていた。

「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか?
 空いているお席にどうぞ」
カウンターに立っている女性にそう促されて、
僕は入り口に一番近いカウンター席に座った。
すぐに水の入ったコップとメニューが出てきた。
「お決まりになりましたら声を掛けて下さい」
狭い店内には彼女以外、
他の従業員の姿は見当たらなかった。
彼女は扉の色と同じ
鮮やかな緑色のエプロンを着けていた。
メニューを開くと、
おススメと書かれたキーマカレーの文字に
目が留まった。
そして僕は店内に漂うスパイスの香りに納得した。
僕はキーマカレーを注文した。

それほど待つこともなくカレーが運ばれてきた。
スパイスの香りが食欲をそそった。
おススメと書かれているだけのことはあって
カレーは美味しかった。
お腹が減っていたこともあり、
僕は夢中で掻き込んだ。

食べ終わって店内を見ると
客は僕一人になっていた。
その時、僕はふと
「占いはランチタイムの後で」
という文字を思い出した。

占い・・。

「あ、あの・・。
 う、占いをお願いしたいのですが・・」
僕はカウンターでコーヒーを淹れている彼女に
恐る恐る声を掛けた。
顔を上げた彼女と目が合った。
日本人離れしたその顔立ちは、
南アジア辺りの血が流れているのか
エキゾチックな色気があった。
年の頃は三十代前半だろうか。
僕と同じかそれよりも少し若く見えた。
ウエーブのかかった黒髪は
肩のラインよりも長かった。
「私の占いは一般的な占いとは
 少し毛色が違うんです」
そう言って
彼女は少し困ったような表情を浮かべた。


一通りの説明の後、
彼女は一旦、店の奥へと姿を消した。
一人になった僕は彼女の言葉を思い返した。

彼女は近い未来が見えると言っていた。
しかし、それは災いであるとも言っていた。
つまり彼女の言葉をそのまま信じるのであれば
彼女に見えるのは人の「不幸」ということになる。
何とも信じ難い話だった。

彼女はすぐに戻ってきた。
エプロンを外した彼女が
カウンター越しに僕の前に立った。
「では、始めさせていただきます。
 挨拶が遅れましたが、
 私は三ノ宮結女と申します」
そう言って彼女は目を閉じると頭を下げた。

店内に流れる静かなオルゴールの調べが
やけに大きく聞こえた。

彼女は俯いたまま時間が止まったかのように
微動だにしなかった。
閉ざされた空間に
美しい女性と二人きりでいるこの状況に、
僕は徐々に息苦しさを覚え始めていた。
僕はそっと唾を飲み込んだ。

規則正しい時計の音が
辛うじて時の流れを告げていた。

突然、彼女が顔を上げた。
「・・結論から言います。
 見えたのは女性です。
 あなたには女難の相がミえます。
 お心当たりはございませんか?」
ドキリとした。
僕は慌てて首を振って否定した。
そして頭の中で彼女の今の言葉を考えた。
彼女の発言は、
三十代の男性であれば
女性問題の一つや二つはあるだろう、
という一般的な推測にすぎない。
一般論を個人に限定して煙に巻くのは、
詐欺師や神を説く人間の常套手段ではないか。
僕はもう一度大きく首を振った。
「・・そうですか。
 ではもう一つ。
 悩み事を相談をなさるお相手は、
 よく検討なさったほうがよさそうです」
そう言って彼女は小さく微笑んだ。

その言葉を聞いた途端、
僕は目の前の彼女が恐ろしくなった。
武衣に感じた恐ろしさとは別の種類のモノだった。
あちらはその美しさ故に
僕の女性恐怖症が発症しにすぎない。
しかし今目の前に立つ彼女に感じるのは、
それとはまったく異質のモノだった。
特別な能力などあるはずもないのはわかっている。
それでもなぜか彼女には、
僕の歪んだ性癖までをも
見透かされているような気がした。


僕は食後のコーヒーを断りすぐに店を出た。
車に乗り込んでも
まだ彼女の言葉が耳に残っていた。

「悩み事を相談なさる相手」
とはつまり武衣のことを指しているのではないか。
そして彼女は女でもあった。
しおりを挟む

処理中です...