おちおち冥福も祈れない

ヒルミチ ヒナカ

文字の大きさ
12 / 36
3話 誰にも向かない職業

2

しおりを挟む
 摩訶不思議な事象を経験しようと、死にたくなるような馬鹿をやらかそうと、地球が平気な顔で回り続けることは職業柄よく知っている。

 昨日は自分が死ななかったというだけだ。

 どこかの誰かの死の報せが、今日も錠野葬祭じょうのそうさいには舞いこんでくる。

「──どうしましょう、もう出ちゃいます?」
「うん……とりあえず僕と平坂ひらさかくんでいいかね。ただ出る前に一旦連絡……って、来た!」
「おはようございます晴澄さん! 初めてじゃないですか、こんな遅刻寸前の出勤」
「雪すげえし、通勤中に何かあったんじゃって電話するとこだったのよ。大丈夫か?」

 出迎えてくれた先輩と後輩の笑顔に背筋がひやりとする。彼らを余計な問題に巻きこむことはギリギリ避けられたようだ。
 スマホはバーに置き去りである。電話をかけられても、今の晴澄に応える手段はなかった。

「すみません。寝坊した上に、道が走りにくくて」
「ほんとにそれだけかー? 通夜みてえに暗い面してまあ」
「生まれてから通夜がなかった日のほうが少ないので……そんなことより、お迎えの依頼があったのでは?」

 職務より優先されるべき事情など晴澄にはない。ハンガーラックにコートをかけながら、あえて頑なな声色で撥ねつければ、飛鳥あすかは肩を竦めて充電器からタブレットを外した。

「中央病院。お迎え行って、そのまま打ち合わせ済ませてくるわ。あ、平坂くん、先に下りてチェーン巻いといてくれる?」
「了解です。そのまま前に車回しますね」
「はーいよろしく。晴澄、お前さんは留守番……ってか冗談抜きで、体調悪いなら休んでいいんだぜ?」

 彼は面倒見がいい。じきに30といっても5歳年下に当たる晴澄は庇護対象に数えられている。その提案は皮肉でも何でもなく、様子のおかしい後輩を心から気遣ってのものだ。
 ゆえに、いたたまれなかった。
 飛鳥が気遣ってくれているのは、しょうもないことで泥酔して見知らぬ青年の体に溺れてしまったまあまあ最低の男なのだ。

「……ありがとうございます。でも、何ともありませんから」
「そっか。無理はすんなよ」

 昨晩の醜態は墓場まで持っていくしかない。
 脳裏をよぎる邪悪な天使の笑みを掻き消すべく頭を振ると、かえって頭痛が酷くなった。





 冬場の除雪作業も、葬儀屋の重要な仕事のひとつだ。
 特に葬儀場は老若男女が動きづらい服装で訪れる場所であり、搬入物も慎重に運びこむ必要があるものばかりだ。歩きやすさは担保しなければならなかった。

 会社の周りは寝台車だけでも通れるよう最低限の雪かきが終わっていたが、朝も早く、通行人が少ないために未だ雪深い。晴澄は電話番を事務員に任せ、靴を履きかえて通りへ出た。格好はスーツのままだが、着替えは常備してあるので構うまい。今は思考停止できる単純作業に没頭したかった。

 ここは雪国ではなく、除雪を要する積雪など年に1度あるかないかだ。雪に往生する機会はかぎられているが、物心ついた頃から実家の手伝いをしてきた晴澄はスノーダンプの扱いに長けていた。
 しかし、その晴澄でさえ10分もすれば足腰への負担に溜息が出るのだ。雪かきは体力勝負。駐車場を挟んで隣、老夫婦が営む和菓子屋にはあとで声をかけたほうがいいだろう。

 溶けはじめて重くなった雪を脇に寄せ、埋もれていた歩道を徐々に露出させる。遣り場のない自己嫌悪を原動力に、黙々と道を広げていく。

 肌が火照る。まるで水底に沈められたかのように街は静まりかえり、ザッザッと雪を削る音のほかは、荒くなった自分の息遣いしか聞こえない。

 ──共鳴するように。嬌声混じりのあえかな呼吸が、頭の中に響いた。

「……っ」

 手つかずの新雪に幻視するのは白い肢体。
 覚えてこそいないが確かに存在した、昨夜の情景。

『このおれと目くるめく朝を迎えておいて、言うに事欠いて最悪だ?』
「……」

 さすがに、もう家を出ただろうか。

 彼が苦言を呈したとおり、今朝のやりとりは契りの夜が明けた直後に交わすものとしては不適切だった。いかな運命を感じたとしても、対応があれでは気持ちは醒めよう。
 見限って正解、それが互いのためだと思案を断ち切ろうとしたところで、世界の静寂は音もなく乱される。

 誰もが道を譲る華美な気配。他に類を見ないそれは、いつのまにか晴澄の背後に迫っていた。

「う……」
「つくづく失礼極まりない男よな。こっちは絶世の美青年だぞ、少しは歓迎しろ」

 無理だ、何の用だ、自分で言うか。
 いくつかの反発は、なぜここに彼が現れたのかという驚愕に掻き消される。
 すらりとした体に纏っているのは数少ない晴澄の私服だ。骨格の違いと没個性な色形から彼にはちっとも似合っていないが、手足の長さゆえに袖や裾は余っていない。
 手元には古ぼけたビジネスバッグ。これも当然のように晴澄のもの、というか。

「……昨日忘れてきた……」
「ん、ああ。おまえの荷物だ。店のマスターも持て余していたぞ」

 胸に押しつけられ、その重みを受けとめつつも1歩後退する。本当に自分のものなのかと中を検めるどころではない。
 昨夜の晴澄が、朦朧としながら鞄を置き去りにしたことを彼に話していてもおかしくはない。だとしても、店の所在まで詳しく伝えたりするだろうか。それにこの錠野葬祭しょくばはどうやって突きとめたのか。
 凍てつく風と何もかもを見透かすような眼差しに、汗を掻いた肌が粟立つ。

「怯えた顔もそそりはするがな。おれがおまえに何をした? ん? おれをベッドに連れこんだのも、おれに足を開かせたのも、ほかならぬおまえ自身だろう。おれは何もしていない」

 まあ止めもしなかったが──と唇の触れそうな距離で、青年は嫣然と微笑んでみせる。

「……鞄に関しては礼を言う」

 完成された美しさと対峙して、ようやく口にできた一言がそれだった。
 引き下げた足は新雪にはまってしまった。もはや逃げることはできないと、覚悟を決めて会話に臨む。

「だが……そっちが何を求めているのかがわからない。見返りがほしいのか、ただの当てつけか、からかいたいだけか……」
「心外だな。純粋な興味だとも。何なら好意と言いかえてもいい」
「……昨夜のことが影響してるなら、悪いが忘れてくれないか。互いの名前も聞かずに関係を持つのは、その……道理に反していた」
「ふん。人の道など知ったことか」

 近付く唇は頬を掠め、耳元に寄せられた。摘みたての花に蝋を垂らしたような、淡くも甘い香りが心臓を引っ掻く。

「ヴェスナだ。名が必要ならそう呼ぶといい、人間」

 するりと喉を撫で下ろされ、息が詰まった。

 悪戯っぽく上がる眉のもと、金の睫毛は微動だにしない。
 思えばこの男──出会ってから今の今まで、一度も瞬きをしていないような。
 姿形こそ完璧な人間だが、星雲渦巻く紫の眼は異界への門を思わせる。まるで天使だと、昨晩とち狂った感想を抱いたのは、あながち間違いではなかったのか。

 問うべきはこの際、名前などではなく。

「ん。電話だぞ」
「え、」

 何事もなかったかのように現実に引きもどさないでほしい。
 鞄から伝わる振動に、こちらも反射でスマホを取り出してしまって、そこにあったはずの緊張感は瓦解する。

『──すみ? 今いい?』
「はい……」

 着信は飛鳥から。出先で何かあったのだろう。
 スマホを耳に当てつつ鞄を抱えなおし、体勢を整えたときには──謎の男は煙のように消失していた。

「……」
『晴澄? もしもーし』
「あ……すみません。聞こえてます」

 白昼夢でないことを示すブーツの跡を爪先でならしつつ、晴澄は意識を無理矢理飛鳥の声に向けた。

『故人さまが教会所属の方でさ。担当、頼んでも大丈夫か?』
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

シスルの花束を

碧月 晶
BL
年下俺様モデル×年上訳あり青年 ~人物紹介~ ○氷室 三門(ひむろ みかど) ・攻め(主人公) ・23歳、身長178cm ・モデル ・俺様な性格、短気 ・訳あって、雨月の所に転がり込んだ ○寒河江 雨月(さがえ うげつ) ・受け ・26歳、身長170cm ・常に無表情で、人形のように顔が整っている ・童顔 ※作中に英会話が出てきますが、翻訳アプリで訳したため正しいとは限りません。 ※濡れ場があるシーンはタイトルに*マークが付きます。 ※基本、三門視点で進みます。 ※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

忍ぶれど… 兄は俺の光――息が届くほど近くにいるのに、けっして触れてはならぬ想い人

志生帆 海
BL
忍ぶれど…(翠・流編 完全版) 兄は俺の光――息が届くほど近くにいるのに、けっして触れてはならぬ想い人 あらすじ 以前投稿した『忍ぶれど』と『色は匂へど』を1本にまとめ『完全版』として、加筆しながら再連載していきます。(旧バージョンの『忍ぶれど』と『色は匂へど』は掲載を終了しています) **** 俺には二つ年上の兄がいる。 実の兄なのに、憧れを通り越した愛を秘かに抱いている。 俺だけの兄だ。 どこにも誰にもやりたくなかったのに どうして行ってしまうんだ? 明日から更に報われない切なる想いを抱いて、生きていく。 一体いつまで待てばいいのか… 「俺の翠」 そう呼べる日が果たして来るのだろうか。 **** しっとりと実の兄弟のもどかしい恋心を描いています。 幼少期から始まるので、かなり焦れったい展開です。 ※『重なる月』https://www.alphapolis.co.jp/novel/492454226/179205590のスピンオフ小説になります。 こちらは『重なる月』の攻、張矢丈の兄達の物語になります。 単独でも読めます。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...