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3話 誰にも向かない職業
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「錠野葬祭です。樋尻初世さまのご葬儀はこちらでと伺い、ご挨拶にまいりました」
「これはこれは、晴澄くん。足元の悪い中よく来てくれましたね」
教会の老牧師、佐久間は人好きのする柔和な笑顔で晴澄を出迎えた。
緑豊かな丘の上に位置しているにもかかわらず、教会への道は自然の脅威に閉ざされてはいなかった。通行の妨げになる雪は駐車場の空きスペースに積まれたようで、広場の赤いレンガが濡れ光っている。場合によっては除雪の手伝いをしなければと営業車に道具を積んできていたため、晴澄としては拍子抜けだった。
「昨夜は酷い降りようでしたが……特に問題なかったようで何よりです。雪かきは信徒の方々が?」
「いえ、今朝早くに地域の青年団が寄ってくださったんですよ。私を含め、ここへ集うのは高齢者ばかりなのでね。ありがたいことです」
曲がっているわけでもない背中を拳で叩きつつ、佐久間は眩しげに晴澄を見上げた。
「どうですか、最近。お父さんはお変わりなく?」
「おそらくは。長らく顔を合わせていませんが」
「東京の支社におられるんでしたね。お正月も戻ってこられなかったんですか?」
「正月は一般社員に休んでもらう必要がありますから。その間は錠野の人間で対応するんです」
「そうか、そうでした。いや、葬儀屋さんは大変だ」
招き入れられた礼拝堂は無人で、冷えきった空気に燭台の灯りもどこか寒々しく見えてしまう。
宗教施設に独特のにおいはつきものだ。寺院の香にはもはや嗅覚も反応しないが、教会に立ちこめるキャンドルの香りはいつ訪れても鼻腔を刺激し、静かな隔絶感を抱かせた。
「お母さんも……この春で25年でしょう。記念式を予定しているなら、遠慮なく声をかけてくださいね」
「ありがとうございます」
口にした感謝があまりにも虚ろで唇を噛む。
キリスト教式の葬儀は、当然ながら仏教式のそれとは大きく形式が異なり、まともに進行できる葬儀社の数がそもそも少ない。父が不在の今、この町では晴澄にしか対応できないといっても過言ではなく──そのことが、晴澄を逃げようにも逃げられない状況に追いこんでいた。
大切なのは手っ取り早く仕事を済ませることだ。飲み物の勧めを丁重に断り、本題に入る。
「備品などに不足はありませんか、佐久間先生。弊社で手配することも可能ですが」
「必要なものは一通り揃っていましたよ。ただ建物がね……ろくな暖房がないは安普請だはで、この寒さでしょう。日曜礼拝で出すヒーターはいくつかあるんですが、数を増やしてもらったほうがいいかもしれません」
「では座席の3列おきに配置しましょうか。明日のうちにお持ちします」
「あ、小さいので構いませんから、オルガンの足元にもあると嬉しいですね。うちの奏者が寒がりで」
「……かしこまりました」
こめかみが引きつったが、平静を装ってメモを取る。何はともあれ早く終わらせて帰りたい。
「まあ、ご自宅でしっかり前夜式をやって、こんな氷室みたいな場所での儀式は手短に済ませるとしましょう。ご家族やお友達に風邪を引かせるようなことがあれば彼女も……初世さんも悲しみます」
「お任せします。樋尻さまのことは先生のほうがよくご存知でしょうから」
「そうですね……芯の強い女性でしたよ。病床にあっても弱音ひとつ吐かず、最期まで自分より他人のことを心配していました」
病で亡くなったという故人に思いを馳せてか。ねぎらうような口ぶりで、佐久間は聖書を引用してみせた。
「もはや死はなく、悲しみもなく、叫びや痛みもありません。すべて過去のものとなったのです。涙を拭ってくださる主の御許で、初世さんは安息に目を閉じておられることでしょう」
神がいる場所の素晴らしさを説く、葬儀で耳にすることの多い一節である。
彼らにとっての死とは天に召されることだ。地上の苦しみから解放され、永遠の安息を得ることだ。
死後の幸福は、生前の祈りによって約束されたもの。
死ねばすべてが無に帰すなんて考えが、彼らに芽生えるわけはない。
「……ええ」
「はっはっ、無理に合わせる必要はありませんよ。ただでさえ葬儀屋さんは多種多様な教えに触れながら日々を過ごしている。純粋な信仰心は持ちづらいでしょうね」
だからといって、佐久間は晴澄を憐れむそぶりは見せなかった。ニコニコと笑ったまま、膝の上で両手を組んでみせる。
「けれどね、晴澄くん。神の教えは長きに渡り普遍のものです。時には説教を受けるというのも、気休めくらいにはなるんじゃないでしょうか」
「は」
「何か悩みがあるのでしょう? お母さん譲りの強面が、今日はまた一段と険しい」
「……」
心配性の飛鳥はともかく佐久間にまで指摘されてしまうとは。穏やかな眼差しに罪の意識が募り、口元に手を遣って目を伏せる。
顔には出ないたちなのだが、今回ばかりは事態が異常すぎた。それに、彼は人を導く教役者だ。悪魔の誘惑に屈した者には敏感なのかもしれない。
──悪魔か。
なにげなく頭に浮かんだ表現はいやに説得力がある。
大丈夫だからと意固地になるのは簡単だが、専門家の意見を聞いてみるのもひとつの手か。
「佐久間先生は……悪魔に会ったことがありますか」
「悪魔、ですか」
さすがに面食らったらしく、佐久間の声が高くなった。自分でも突拍子もない質問だとは思う。しかし彼は額を叩きながら、真剣な表情で考えこんでみせる。
「悪魔祓いはカトリックの専売特許ですからね。眉唾だった昔と違って現代では医学的見地からも処置を試みるそうですが……要するに晴澄くんは、悪魔、悪霊、そういった悪しき影に悩まされているわけですか?」
頷きを返す。あの男の正体が何かはよくわからない。が、もし人ではないとしたら、静穏を尊ぶ自分にとってよくない存在には違いない。
なるほど、と牧師は天を仰いだ。目を瞑り、厳かに言葉を紡いでいく。
「ある少年から悪霊を追い出した際、この類のものは祈りによってのみ追い払うことができる、と主は仰った。それが難しいのであれば、関心を強めないことが最善ですね」
「つまり……?」
「無視を決めこむのです。簡単でしょう?」
「これはこれは、晴澄くん。足元の悪い中よく来てくれましたね」
教会の老牧師、佐久間は人好きのする柔和な笑顔で晴澄を出迎えた。
緑豊かな丘の上に位置しているにもかかわらず、教会への道は自然の脅威に閉ざされてはいなかった。通行の妨げになる雪は駐車場の空きスペースに積まれたようで、広場の赤いレンガが濡れ光っている。場合によっては除雪の手伝いをしなければと営業車に道具を積んできていたため、晴澄としては拍子抜けだった。
「昨夜は酷い降りようでしたが……特に問題なかったようで何よりです。雪かきは信徒の方々が?」
「いえ、今朝早くに地域の青年団が寄ってくださったんですよ。私を含め、ここへ集うのは高齢者ばかりなのでね。ありがたいことです」
曲がっているわけでもない背中を拳で叩きつつ、佐久間は眩しげに晴澄を見上げた。
「どうですか、最近。お父さんはお変わりなく?」
「おそらくは。長らく顔を合わせていませんが」
「東京の支社におられるんでしたね。お正月も戻ってこられなかったんですか?」
「正月は一般社員に休んでもらう必要がありますから。その間は錠野の人間で対応するんです」
「そうか、そうでした。いや、葬儀屋さんは大変だ」
招き入れられた礼拝堂は無人で、冷えきった空気に燭台の灯りもどこか寒々しく見えてしまう。
宗教施設に独特のにおいはつきものだ。寺院の香にはもはや嗅覚も反応しないが、教会に立ちこめるキャンドルの香りはいつ訪れても鼻腔を刺激し、静かな隔絶感を抱かせた。
「お母さんも……この春で25年でしょう。記念式を予定しているなら、遠慮なく声をかけてくださいね」
「ありがとうございます」
口にした感謝があまりにも虚ろで唇を噛む。
キリスト教式の葬儀は、当然ながら仏教式のそれとは大きく形式が異なり、まともに進行できる葬儀社の数がそもそも少ない。父が不在の今、この町では晴澄にしか対応できないといっても過言ではなく──そのことが、晴澄を逃げようにも逃げられない状況に追いこんでいた。
大切なのは手っ取り早く仕事を済ませることだ。飲み物の勧めを丁重に断り、本題に入る。
「備品などに不足はありませんか、佐久間先生。弊社で手配することも可能ですが」
「必要なものは一通り揃っていましたよ。ただ建物がね……ろくな暖房がないは安普請だはで、この寒さでしょう。日曜礼拝で出すヒーターはいくつかあるんですが、数を増やしてもらったほうがいいかもしれません」
「では座席の3列おきに配置しましょうか。明日のうちにお持ちします」
「あ、小さいので構いませんから、オルガンの足元にもあると嬉しいですね。うちの奏者が寒がりで」
「……かしこまりました」
こめかみが引きつったが、平静を装ってメモを取る。何はともあれ早く終わらせて帰りたい。
「まあ、ご自宅でしっかり前夜式をやって、こんな氷室みたいな場所での儀式は手短に済ませるとしましょう。ご家族やお友達に風邪を引かせるようなことがあれば彼女も……初世さんも悲しみます」
「お任せします。樋尻さまのことは先生のほうがよくご存知でしょうから」
「そうですね……芯の強い女性でしたよ。病床にあっても弱音ひとつ吐かず、最期まで自分より他人のことを心配していました」
病で亡くなったという故人に思いを馳せてか。ねぎらうような口ぶりで、佐久間は聖書を引用してみせた。
「もはや死はなく、悲しみもなく、叫びや痛みもありません。すべて過去のものとなったのです。涙を拭ってくださる主の御許で、初世さんは安息に目を閉じておられることでしょう」
神がいる場所の素晴らしさを説く、葬儀で耳にすることの多い一節である。
彼らにとっての死とは天に召されることだ。地上の苦しみから解放され、永遠の安息を得ることだ。
死後の幸福は、生前の祈りによって約束されたもの。
死ねばすべてが無に帰すなんて考えが、彼らに芽生えるわけはない。
「……ええ」
「はっはっ、無理に合わせる必要はありませんよ。ただでさえ葬儀屋さんは多種多様な教えに触れながら日々を過ごしている。純粋な信仰心は持ちづらいでしょうね」
だからといって、佐久間は晴澄を憐れむそぶりは見せなかった。ニコニコと笑ったまま、膝の上で両手を組んでみせる。
「けれどね、晴澄くん。神の教えは長きに渡り普遍のものです。時には説教を受けるというのも、気休めくらいにはなるんじゃないでしょうか」
「は」
「何か悩みがあるのでしょう? お母さん譲りの強面が、今日はまた一段と険しい」
「……」
心配性の飛鳥はともかく佐久間にまで指摘されてしまうとは。穏やかな眼差しに罪の意識が募り、口元に手を遣って目を伏せる。
顔には出ないたちなのだが、今回ばかりは事態が異常すぎた。それに、彼は人を導く教役者だ。悪魔の誘惑に屈した者には敏感なのかもしれない。
──悪魔か。
なにげなく頭に浮かんだ表現はいやに説得力がある。
大丈夫だからと意固地になるのは簡単だが、専門家の意見を聞いてみるのもひとつの手か。
「佐久間先生は……悪魔に会ったことがありますか」
「悪魔、ですか」
さすがに面食らったらしく、佐久間の声が高くなった。自分でも突拍子もない質問だとは思う。しかし彼は額を叩きながら、真剣な表情で考えこんでみせる。
「悪魔祓いはカトリックの専売特許ですからね。眉唾だった昔と違って現代では医学的見地からも処置を試みるそうですが……要するに晴澄くんは、悪魔、悪霊、そういった悪しき影に悩まされているわけですか?」
頷きを返す。あの男の正体が何かはよくわからない。が、もし人ではないとしたら、静穏を尊ぶ自分にとってよくない存在には違いない。
なるほど、と牧師は天を仰いだ。目を瞑り、厳かに言葉を紡いでいく。
「ある少年から悪霊を追い出した際、この類のものは祈りによってのみ追い払うことができる、と主は仰った。それが難しいのであれば、関心を強めないことが最善ですね」
「つまり……?」
「無視を決めこむのです。簡単でしょう?」
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