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4話 絡まざるは兄弟
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高く造られた礼拝堂の屋根を突き抜け、その向こうに広がる空を目指し、古びたオルガンは単調に歌う。飾り気のないメロディ、死を想うには軽すぎるハーモニー。湿っぽい空気を塗り替える独善的な葬送曲に、形容しがたい心地よさを見出していた──かつては。
弾き手の青年は入場前にこちらを視認したきり、一度も目を合わそうとしなかった。むろん、そのことをとやかく言うつもりはない。彼とはしばらく連絡を取っていないのだし、今は互いに就業中で私事を挟めるような状況ではない。
その上、他聞を憚る事情を抱えているのは晴澄のほうなのである。
吹雪の夜に謎の男と関係を持って、今日で3日目。
アレが大きな顔をして自宅に居座り続けているというのに、元恋人と暢気な挨拶を交わす気にはなれなかった。彼に関して神経を尖らせるべきは、その演奏が進行に沿っているか、足元のヒーターに異常がないか、ただそれだけだ。
故・樋尻初世の葬儀はひたすら穏やかに執り行われた。どことなく頭がクラクラするのは暖房で蒸された百合のにおいのせいだろう。換気を視野に入れはじめたときには、式は終盤に差しかかっている。オルガンの最後の一音が響き渡り、献花でいっぱいになった棺の蓋が閉ざされた。
土葬が許可されていないこの国では、キリスト教徒であっても火葬場で拾骨を行うのが一般的だ。教会でやるべきことはこれで終わり。霊柩車で出発する葬家を見送り、晴澄はわずかばかり肩の力を抜くのだった。
「晴澄くん」
が、一瞬にして緊張状態に戻る。
後ろに立っていたのは牧師の佐久間だった。晴澄がぎこちなく一礼すると、彼もまた頭を下げ、気遣わしげに瞬きをしてみせる。
「今日は……初世さんのお別れだけでおしまいですか? それともほかにお通夜か何かが?」
「え? ええ。別の者が担当するお通夜がありますが……」
以前相談した“悪魔”のその後を聞かれるのだろうと身構えていたため、晴澄は質問の意図を掴みかねて首を傾げた。
佐久間は静かに溜息をつく。先日は少しも表に出さなかった、憐れみの色を添えて。
「なら、担当の方がよしなに進めてくれるでしょう。君は早く帰って、あたたかくして寝ることです」
「は……?」
なぜ急に子どものような扱いを、と眉をひそめて、ヒーターの近くに集まっている参列者たちに目がとまる。
──もしや。皆が皆、息苦しいようなこの蒸し暑さを感じていたわけではなく──
汗ばんだ掌をハンカチで拭い、ひとまずは自身の務めをきっちり果たすべく、火葬場へと向かうことにした。
会社に戻った頃には悪寒がしていて、牧師の助言が正しいことは明白だった。先輩たちに断りを入れ、通夜会場の設営だけは手伝ってから、定時で引きあげることにする。
「どうした、いやに早いな。淫行がバレてクビになったか?」
この3日で聞き慣れてしまった声。すっかり我が物顔で寝床を占領している男に文句のひとつもつけるべきだったが、もはやそんな気力も湧かなかった。朦朧としつつもジャケットとネクタイを取り払い、ベッドの空きスペースに身を横たえる。彼の足が下敷きになった気もするが知ったことではない。
瞼など意識して閉じるまでもなく、彼と出会ったときのように、自然と意識が遠のいていく。
そう、おそらくはあの日のせいなのだ。頑丈さが取り柄の晴澄が、こうして指1本動かせなくなっているのは。
滑らかでひんやりとした何かが額に触れる。彼の手であると認識はできていながら、足場のない眠りの淵では、縋るように握りしめざるを得なかった。
「──これだから人間は」
目覚めは午前6時のアラームによってもたらされた。
寝返りこそ打てたものの、依然として気怠さが枷となり、起きあがりさえできない。
非常に不本意だが、風邪をこじらせたことを認めるほかないようだった。
『ったく、ずっと体調悪そうだったのに無理するからだ。休め休め。時間見つけて見舞い行くから、それまで死なんでくれよ!』
「はい……」
先輩との通話を切る前にスマホがベッドから落下する。拾おうと伸ばした腕は、床を擦ったあとぴくりともしない。重症らしい、と感覚のない指先を見るとはなしに眺める。
目の前を横切った白い影もまた高熱が見せる幻覚かと思われたが、腕が布団の中に収められたことを鑑みるにそうではないようだ。ろくに機能していない鼻が、かろうじて甘い香りを感じ取っていた。
衣擦れの音、両頬を包むやわらかさ。
素性も知らぬ男の整いすぎた顔を思い出したところで、濡れた感触が唇を塞いだ。
「ん、」
ぐいと顎を押し上げられる。味のしない液体に混じって、小さな塊が喉を抜けていく。
唇から離れたぬくもりが鼻先に触れ、晴澄はようやく、自分に覆いかぶさっている青年に焦点を結んだ。
「……寄るな」
「心配無用だ、おれには伝染らん」
心配して言っているわけではない。しかし昨夜と同様、体は重く、思考は停止している。これ以上の異議申し立ては不可能だ。何もできず閉じた瞼に口づけが落とされ、幼子をあやすように髪を撫でられる。
抗うすべもなく、暗い海の底に沈んでいく。
人智を超えた無意識の領域。
再び抜け出すことはできるのだろうかと、最後の疑問が泡のように浮かんで消えた。
弾き手の青年は入場前にこちらを視認したきり、一度も目を合わそうとしなかった。むろん、そのことをとやかく言うつもりはない。彼とはしばらく連絡を取っていないのだし、今は互いに就業中で私事を挟めるような状況ではない。
その上、他聞を憚る事情を抱えているのは晴澄のほうなのである。
吹雪の夜に謎の男と関係を持って、今日で3日目。
アレが大きな顔をして自宅に居座り続けているというのに、元恋人と暢気な挨拶を交わす気にはなれなかった。彼に関して神経を尖らせるべきは、その演奏が進行に沿っているか、足元のヒーターに異常がないか、ただそれだけだ。
故・樋尻初世の葬儀はひたすら穏やかに執り行われた。どことなく頭がクラクラするのは暖房で蒸された百合のにおいのせいだろう。換気を視野に入れはじめたときには、式は終盤に差しかかっている。オルガンの最後の一音が響き渡り、献花でいっぱいになった棺の蓋が閉ざされた。
土葬が許可されていないこの国では、キリスト教徒であっても火葬場で拾骨を行うのが一般的だ。教会でやるべきことはこれで終わり。霊柩車で出発する葬家を見送り、晴澄はわずかばかり肩の力を抜くのだった。
「晴澄くん」
が、一瞬にして緊張状態に戻る。
後ろに立っていたのは牧師の佐久間だった。晴澄がぎこちなく一礼すると、彼もまた頭を下げ、気遣わしげに瞬きをしてみせる。
「今日は……初世さんのお別れだけでおしまいですか? それともほかにお通夜か何かが?」
「え? ええ。別の者が担当するお通夜がありますが……」
以前相談した“悪魔”のその後を聞かれるのだろうと身構えていたため、晴澄は質問の意図を掴みかねて首を傾げた。
佐久間は静かに溜息をつく。先日は少しも表に出さなかった、憐れみの色を添えて。
「なら、担当の方がよしなに進めてくれるでしょう。君は早く帰って、あたたかくして寝ることです」
「は……?」
なぜ急に子どものような扱いを、と眉をひそめて、ヒーターの近くに集まっている参列者たちに目がとまる。
──もしや。皆が皆、息苦しいようなこの蒸し暑さを感じていたわけではなく──
汗ばんだ掌をハンカチで拭い、ひとまずは自身の務めをきっちり果たすべく、火葬場へと向かうことにした。
会社に戻った頃には悪寒がしていて、牧師の助言が正しいことは明白だった。先輩たちに断りを入れ、通夜会場の設営だけは手伝ってから、定時で引きあげることにする。
「どうした、いやに早いな。淫行がバレてクビになったか?」
この3日で聞き慣れてしまった声。すっかり我が物顔で寝床を占領している男に文句のひとつもつけるべきだったが、もはやそんな気力も湧かなかった。朦朧としつつもジャケットとネクタイを取り払い、ベッドの空きスペースに身を横たえる。彼の足が下敷きになった気もするが知ったことではない。
瞼など意識して閉じるまでもなく、彼と出会ったときのように、自然と意識が遠のいていく。
そう、おそらくはあの日のせいなのだ。頑丈さが取り柄の晴澄が、こうして指1本動かせなくなっているのは。
滑らかでひんやりとした何かが額に触れる。彼の手であると認識はできていながら、足場のない眠りの淵では、縋るように握りしめざるを得なかった。
「──これだから人間は」
目覚めは午前6時のアラームによってもたらされた。
寝返りこそ打てたものの、依然として気怠さが枷となり、起きあがりさえできない。
非常に不本意だが、風邪をこじらせたことを認めるほかないようだった。
『ったく、ずっと体調悪そうだったのに無理するからだ。休め休め。時間見つけて見舞い行くから、それまで死なんでくれよ!』
「はい……」
先輩との通話を切る前にスマホがベッドから落下する。拾おうと伸ばした腕は、床を擦ったあとぴくりともしない。重症らしい、と感覚のない指先を見るとはなしに眺める。
目の前を横切った白い影もまた高熱が見せる幻覚かと思われたが、腕が布団の中に収められたことを鑑みるにそうではないようだ。ろくに機能していない鼻が、かろうじて甘い香りを感じ取っていた。
衣擦れの音、両頬を包むやわらかさ。
素性も知らぬ男の整いすぎた顔を思い出したところで、濡れた感触が唇を塞いだ。
「ん、」
ぐいと顎を押し上げられる。味のしない液体に混じって、小さな塊が喉を抜けていく。
唇から離れたぬくもりが鼻先に触れ、晴澄はようやく、自分に覆いかぶさっている青年に焦点を結んだ。
「……寄るな」
「心配無用だ、おれには伝染らん」
心配して言っているわけではない。しかし昨夜と同様、体は重く、思考は停止している。これ以上の異議申し立ては不可能だ。何もできず閉じた瞼に口づけが落とされ、幼子をあやすように髪を撫でられる。
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