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4話 絡まざるは兄弟
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真っ白な空間に佇んでいた。
目の前には白い箱。幅が広く、大人がひとり横たわれるくらいの大きさだ。
中に何が入っているかは眩しくてよく見えない。甘さと青さがほのかに香っているから、花でも敷き詰められているのだろう。自然物とは異なる、粘度の高い香りも同時に鼻腔の奥を刺激してくる。そのせいか、正体はわからないながら、確かな不愉快さに襲われていた。
早くこの場を離れたい。しかし足は動かなかった。影を縫われたようである。白一色で覆われたこの世界への抵抗がごとく、自身が黒を纏っていたのが原因かもしれない。
不快感は次第に焦燥へ、やがて恐怖へと変わっていく。このまま白の世界に呑まれてしまうのだろうか。存在の否定も同然に、圧倒的な答えで押し潰されてしまうのだろうか──
何の前触れもなく、箱の中から白いものが飛び出した。
ああここまでかと身を竦めるも、人の腕に似たそれは、汗に濡れた晴澄の前髪をくしゃりと掻きあげただけだった。
その感覚は夢ではなかったらしい。
ゆっくりと現実の光景を受容する。ぼやけた視界に映りこんだのは、髪を梳き流す指である。
寝起きに見るには眩しすぎる青年も、膝の上で眠る晴澄の変化に気付いたようで、目許に淡い笑みを浮かべてみせた。
「気分はどうだ、眠り姫」
「……よくはない」
「そうか。最悪を脱せたのはめでたいな」
皮肉っぽく喉が鳴る。手つきは優しく、寝心地もそれなりだ。動くようになった腕で彼の腰を抱き寄せ、晴澄は深く息を吸った。
夢幻と地続きの、甘やかだが心を掻き乱す香り。悪夢の入口はここにあるに違いない。
目が覚めたことで恐怖は安堵に消え、彼への怒りさえ芽生えはじめていたが、ぬくもりを手放すことはできなかった。普通ではありえない感情の波に襲われたせいで心身ともに疲弊してしまったのだろう。
「ハル?」
「……少し……このままでいさせてくれ……」
我ながら憐れっぽい、弱々しい声だった。彼といるとどうにも調子が狂う。取り繕う気すら起きないのは、最悪の出会いが自暴自棄を招いているのか、あるいはこの世の何もかもを些末と断じているような宇宙の瞳がそうさせるのか。
「ふふ、何だ? 子どもがえりというやつか」
耳朶に囁きと唇を触れさせ、彼は優しさを装った指遣いで晴澄の首を一撫でした。
「おれとしては存分に甘やかしてやりたいところだが……おまえはいいのか?」
「何が」
「客が来ているぞ」
「は──」
──上体を起こし、リビングの人影を視認して、傍らの男を突き飛ばす。すべて一瞬の動作だった。傍らの男は突き飛ばしたところでびくともしなかったが。
なぜ、先に言わない。
血の気が引いていく。いつ再びベッドに倒れこんでもおかしくはないし、いっそ気を失ってしまいたかった。
『──時間見つけて見舞い行くから──』
麻痺した頭で『はい』と返答したのは自分だ。
自分なのだが。
「いやあ、はは。お邪魔してまーす」
ばつの悪そうな顔でテレビの前に座っていた職場の先輩は、右手をひらひらと振ってみせるのだった。
「…… 飛鳥さん……」
目の前には白い箱。幅が広く、大人がひとり横たわれるくらいの大きさだ。
中に何が入っているかは眩しくてよく見えない。甘さと青さがほのかに香っているから、花でも敷き詰められているのだろう。自然物とは異なる、粘度の高い香りも同時に鼻腔の奥を刺激してくる。そのせいか、正体はわからないながら、確かな不愉快さに襲われていた。
早くこの場を離れたい。しかし足は動かなかった。影を縫われたようである。白一色で覆われたこの世界への抵抗がごとく、自身が黒を纏っていたのが原因かもしれない。
不快感は次第に焦燥へ、やがて恐怖へと変わっていく。このまま白の世界に呑まれてしまうのだろうか。存在の否定も同然に、圧倒的な答えで押し潰されてしまうのだろうか──
何の前触れもなく、箱の中から白いものが飛び出した。
ああここまでかと身を竦めるも、人の腕に似たそれは、汗に濡れた晴澄の前髪をくしゃりと掻きあげただけだった。
その感覚は夢ではなかったらしい。
ゆっくりと現実の光景を受容する。ぼやけた視界に映りこんだのは、髪を梳き流す指である。
寝起きに見るには眩しすぎる青年も、膝の上で眠る晴澄の変化に気付いたようで、目許に淡い笑みを浮かべてみせた。
「気分はどうだ、眠り姫」
「……よくはない」
「そうか。最悪を脱せたのはめでたいな」
皮肉っぽく喉が鳴る。手つきは優しく、寝心地もそれなりだ。動くようになった腕で彼の腰を抱き寄せ、晴澄は深く息を吸った。
夢幻と地続きの、甘やかだが心を掻き乱す香り。悪夢の入口はここにあるに違いない。
目が覚めたことで恐怖は安堵に消え、彼への怒りさえ芽生えはじめていたが、ぬくもりを手放すことはできなかった。普通ではありえない感情の波に襲われたせいで心身ともに疲弊してしまったのだろう。
「ハル?」
「……少し……このままでいさせてくれ……」
我ながら憐れっぽい、弱々しい声だった。彼といるとどうにも調子が狂う。取り繕う気すら起きないのは、最悪の出会いが自暴自棄を招いているのか、あるいはこの世の何もかもを些末と断じているような宇宙の瞳がそうさせるのか。
「ふふ、何だ? 子どもがえりというやつか」
耳朶に囁きと唇を触れさせ、彼は優しさを装った指遣いで晴澄の首を一撫でした。
「おれとしては存分に甘やかしてやりたいところだが……おまえはいいのか?」
「何が」
「客が来ているぞ」
「は──」
──上体を起こし、リビングの人影を視認して、傍らの男を突き飛ばす。すべて一瞬の動作だった。傍らの男は突き飛ばしたところでびくともしなかったが。
なぜ、先に言わない。
血の気が引いていく。いつ再びベッドに倒れこんでもおかしくはないし、いっそ気を失ってしまいたかった。
『──時間見つけて見舞い行くから──』
麻痺した頭で『はい』と返答したのは自分だ。
自分なのだが。
「いやあ、はは。お邪魔してまーす」
ばつの悪そうな顔でテレビの前に座っていた職場の先輩は、右手をひらひらと振ってみせるのだった。
「…… 飛鳥さん……」
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