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4話 絡まざるは兄弟
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「看病は必要なさそうだし、モノだけ置いてすぐ帰ろうと思ったんだが……話し相手がほしいって言われちゃあな」
頭が痛い。
昨晩よりずっと激しい動悸がする。
彼には一度も話していないのだ。晴澄の交際相手が常に同性であったことを。
それを知ったところで飛鳥が嫌悪や軽蔑を示すとは思っていない。よくも悪くも彼は優しい人間だ。だからこそ変に気を遣われるのが嫌で、長年隠し続けてきたのである。
ふざけていた、寝惚けて人違いをした、幻聴ではないか。
いくつかの言い訳が脳裏をよぎったが、こうも決定的な状況ではどれも意味をなすまい。問題の人物からの助け舟など期待できるわけもなく、晴澄は顔を背けるように額を押さえた。
「……すみません、……見苦しい、ところを」
「おいおい、謝りなさんな。お前さんが悪いことしたわけでもなし」
晴澄が目を覚ますまでの間に、何を言うべきか考えていたのかもしれない。その後の沈黙も短く切りあげ、飛鳥は頬を掻きつつ笑顔を作る。
「まあ、ピンポン押して、やたらキラキラした兄さんが出てきたときはびっくりしたんだけどさ。お前にも甘えられる相手がいるってわかって、むしろ嬉しかったよ」
「いや、その……彼は……」
なぜか居座っているだけで恋人でも何でもないのだが、この場合、否定したほうが話が拗れてしまうだろう。口ごもり、唇を噛む。
「言いづらいならおれから打ち明けても構わんぞ? おまえからすれば性欲処理以外に用のない、都合のいい相手に過ぎんのだとな」
「永久に口を開くな、お前は」
「あー、うん、わかるぜ! 気まずいわな、身内に見られちゃ」
しなだれかかって脅してくる青年を反射的に跳ねのけたのは、照れ隠しだと判断されたようだ。ベッドを下りた晴澄にスポーツドリンクのペットボトルを勧めながら、飛鳥は自嘲気味に首を振ってみせた。
「悪いなあ。僕ぁどうも昔っから間が悪いってのか、裏目に出ちまうんだよな……兄貴らしくしたいときにかぎってさ」
「……」
フォローはできなかった。
ともに使いに出されれば途中ではぐれ、一緒に留守を任されようものなら階段を踏み外しケガをする。
“恋人”を前にして兄ぶってみせたこともそうだ。尊敬できる先輩でだけいてくれればいいのに、甲斐甲斐しく義弟の世話を焼こうとするものだから、晴澄も壁を築かざるを得なくなるのだが──空気を読むのに長けた彼はなぜだかそこの因果を見落としている。
錠野飛鳥はおそらくそういう星に生まれついた男だった。
そのちぐはぐさは不思議なことに、晴澄が苦手とするもうひとりの身内と共通していた。
「……親父は、このこと知ってる?」
「いいえ」
喉がつかえていたせいで、語調の棘をくるむことに失敗した。青年が興味深げに覗きこんできたが、飛鳥は父と晴澄の間にある溝については承知しているので、そうだよな、と嘆息するくらいで特段咎めはしない。
「内密に……してもらえますか」
ただでさえ自分たち家族は歪な形をしている。これ以上問題を表面化させたくはなかった。黙ってさえいれば、わざわざ向こうが知ろうとすることもあるまい。
飛鳥はほんのわずかに寂しそうな目をしつつも、撥ねつけるような真似はせず、無言で頷きを返した。
「うし、じゃあお暇します。その顔、まだ熱下がりきってないだろ。明日もしんどかったら医者に診てもらうこと」
「はい。あ……お見舞い、ありがとうございました」
水くせえ、と苦笑で見送りを制し、畳んで置いていたコートに腕を通すと、彼は“恋人”に愛想よく挨拶して部屋を去っていった。
時刻は午後4時。葬儀と通夜の合間に立ち寄ってくれたのだろう。
よく自分も朝からこの時間まで寝こけていられたものだ。溜息を零すと同時に、こめかみをなぞる指を振り払う。
「いちいち触るな」
「汗を拭ってやったのだ。家族と喋るだけで緊張するとは奇特な体質だな、おまえも」
「……義兄だ。家族といっても血の繋がりはないし、お前を見られたんだから冷や汗もかく」
「理由はそれだけか? いや──本当にそれが理由なのか」
「……どういう意味だ」
「ふん、まあいい。おれにもそれくらいしおらしい態度を取ってみせろ。まだ感謝の言葉も聞いていないぞ」
「何を感謝することが──」
苛立ちのまま食ってかかりそうになって、伸ばした腕の違和感にブレーキを踏む。
昨夜はかろうじてジャケットを脱いだだけで、スーツから着替えることもできずに眠りこんだはずだ。けれど目に入った袖は紺色で、上下とも寝間着を着ていることに気付く。汗染みや肌のべたつきもない。
ぐしゃぐしゃになったタオルが無造作にシンクに積まれている。水と薬を飲まされた今朝の記憶も、唇がはっきりと覚えていた。
付き添っていた“誰か”の意外すぎる面倒見のよさに、晴澄はしばし絶句する。
「……礼は言っておく。ええと……」
紫紺の双眸に呆れを浮かべ、男は晴澄の額を叩いた。
「ヴェスナだ。同居人の名を忘れるな、せっかく教えてやったというに」
「同居を認めたわけではない」
「兄につきっきりで看病されたいのなら今すぐ呼び戻すが」
冗談でも言っていいことと悪いことがある。
いつのまにか奪われていたスマホを取り返して、ポケットの中にしまいこんだ。
「な? おれが傍にいてよかったろう」
彼──ヴェスナと名乗る青年の美貌が、ぞっとするほど蠱惑的な微笑に彩られる。人間を高みから見下ろす、別次元の生命体であることを晴澄に思い出させるかのように。
働かない頭で問答を繰り返しても勝ち目はない。今のところ勝つ必要も感じていない。ありていに言えばどうでもいい。
疲れ果てた体をソファに寝かせ、瞼を閉じる。
「人間の看病なんてどこで教わったんだ」
「慈愛や献身は扉を“開く”鍵となる。その心身が弱っている場合は万能にも近い。おまえたちを食い物にしていれば自然と身につくことだが……ハル。おまえの錠前には合わんようだな」
トン、と胸を突かれたと思えば、スプリングの軋みと舌なめずりの音が耳の横に迫った。
腹の上にはぬくもりと重量。
また、あの香りに包まれる。
「甘やかされるより手酷くされるほうが好みか? ならば──」
熱を持つ肌に唇が当たり、続いて歯が食いこんだが、もはやどうにでもなれだ。抗議の声ひとつあげずにいると、やがて大きな舌打ちとともに、晴澄は圧迫感から解放された。
「……やめた、徒労に終わりそうだ。趣向を変えるならおまえが正気のときを狙う」
薄目で見る世界の中、ヴェスナは少年のような膨れっ面で晴澄の髪を撫でまわしていた。
「早く元気になれ、朴念仁」
頭が痛い。
昨晩よりずっと激しい動悸がする。
彼には一度も話していないのだ。晴澄の交際相手が常に同性であったことを。
それを知ったところで飛鳥が嫌悪や軽蔑を示すとは思っていない。よくも悪くも彼は優しい人間だ。だからこそ変に気を遣われるのが嫌で、長年隠し続けてきたのである。
ふざけていた、寝惚けて人違いをした、幻聴ではないか。
いくつかの言い訳が脳裏をよぎったが、こうも決定的な状況ではどれも意味をなすまい。問題の人物からの助け舟など期待できるわけもなく、晴澄は顔を背けるように額を押さえた。
「……すみません、……見苦しい、ところを」
「おいおい、謝りなさんな。お前さんが悪いことしたわけでもなし」
晴澄が目を覚ますまでの間に、何を言うべきか考えていたのかもしれない。その後の沈黙も短く切りあげ、飛鳥は頬を掻きつつ笑顔を作る。
「まあ、ピンポン押して、やたらキラキラした兄さんが出てきたときはびっくりしたんだけどさ。お前にも甘えられる相手がいるってわかって、むしろ嬉しかったよ」
「いや、その……彼は……」
なぜか居座っているだけで恋人でも何でもないのだが、この場合、否定したほうが話が拗れてしまうだろう。口ごもり、唇を噛む。
「言いづらいならおれから打ち明けても構わんぞ? おまえからすれば性欲処理以外に用のない、都合のいい相手に過ぎんのだとな」
「永久に口を開くな、お前は」
「あー、うん、わかるぜ! 気まずいわな、身内に見られちゃ」
しなだれかかって脅してくる青年を反射的に跳ねのけたのは、照れ隠しだと判断されたようだ。ベッドを下りた晴澄にスポーツドリンクのペットボトルを勧めながら、飛鳥は自嘲気味に首を振ってみせた。
「悪いなあ。僕ぁどうも昔っから間が悪いってのか、裏目に出ちまうんだよな……兄貴らしくしたいときにかぎってさ」
「……」
フォローはできなかった。
ともに使いに出されれば途中ではぐれ、一緒に留守を任されようものなら階段を踏み外しケガをする。
“恋人”を前にして兄ぶってみせたこともそうだ。尊敬できる先輩でだけいてくれればいいのに、甲斐甲斐しく義弟の世話を焼こうとするものだから、晴澄も壁を築かざるを得なくなるのだが──空気を読むのに長けた彼はなぜだかそこの因果を見落としている。
錠野飛鳥はおそらくそういう星に生まれついた男だった。
そのちぐはぐさは不思議なことに、晴澄が苦手とするもうひとりの身内と共通していた。
「……親父は、このこと知ってる?」
「いいえ」
喉がつかえていたせいで、語調の棘をくるむことに失敗した。青年が興味深げに覗きこんできたが、飛鳥は父と晴澄の間にある溝については承知しているので、そうだよな、と嘆息するくらいで特段咎めはしない。
「内密に……してもらえますか」
ただでさえ自分たち家族は歪な形をしている。これ以上問題を表面化させたくはなかった。黙ってさえいれば、わざわざ向こうが知ろうとすることもあるまい。
飛鳥はほんのわずかに寂しそうな目をしつつも、撥ねつけるような真似はせず、無言で頷きを返した。
「うし、じゃあお暇します。その顔、まだ熱下がりきってないだろ。明日もしんどかったら医者に診てもらうこと」
「はい。あ……お見舞い、ありがとうございました」
水くせえ、と苦笑で見送りを制し、畳んで置いていたコートに腕を通すと、彼は“恋人”に愛想よく挨拶して部屋を去っていった。
時刻は午後4時。葬儀と通夜の合間に立ち寄ってくれたのだろう。
よく自分も朝からこの時間まで寝こけていられたものだ。溜息を零すと同時に、こめかみをなぞる指を振り払う。
「いちいち触るな」
「汗を拭ってやったのだ。家族と喋るだけで緊張するとは奇特な体質だな、おまえも」
「……義兄だ。家族といっても血の繋がりはないし、お前を見られたんだから冷や汗もかく」
「理由はそれだけか? いや──本当にそれが理由なのか」
「……どういう意味だ」
「ふん、まあいい。おれにもそれくらいしおらしい態度を取ってみせろ。まだ感謝の言葉も聞いていないぞ」
「何を感謝することが──」
苛立ちのまま食ってかかりそうになって、伸ばした腕の違和感にブレーキを踏む。
昨夜はかろうじてジャケットを脱いだだけで、スーツから着替えることもできずに眠りこんだはずだ。けれど目に入った袖は紺色で、上下とも寝間着を着ていることに気付く。汗染みや肌のべたつきもない。
ぐしゃぐしゃになったタオルが無造作にシンクに積まれている。水と薬を飲まされた今朝の記憶も、唇がはっきりと覚えていた。
付き添っていた“誰か”の意外すぎる面倒見のよさに、晴澄はしばし絶句する。
「……礼は言っておく。ええと……」
紫紺の双眸に呆れを浮かべ、男は晴澄の額を叩いた。
「ヴェスナだ。同居人の名を忘れるな、せっかく教えてやったというに」
「同居を認めたわけではない」
「兄につきっきりで看病されたいのなら今すぐ呼び戻すが」
冗談でも言っていいことと悪いことがある。
いつのまにか奪われていたスマホを取り返して、ポケットの中にしまいこんだ。
「な? おれが傍にいてよかったろう」
彼──ヴェスナと名乗る青年の美貌が、ぞっとするほど蠱惑的な微笑に彩られる。人間を高みから見下ろす、別次元の生命体であることを晴澄に思い出させるかのように。
働かない頭で問答を繰り返しても勝ち目はない。今のところ勝つ必要も感じていない。ありていに言えばどうでもいい。
疲れ果てた体をソファに寝かせ、瞼を閉じる。
「人間の看病なんてどこで教わったんだ」
「慈愛や献身は扉を“開く”鍵となる。その心身が弱っている場合は万能にも近い。おまえたちを食い物にしていれば自然と身につくことだが……ハル。おまえの錠前には合わんようだな」
トン、と胸を突かれたと思えば、スプリングの軋みと舌なめずりの音が耳の横に迫った。
腹の上にはぬくもりと重量。
また、あの香りに包まれる。
「甘やかされるより手酷くされるほうが好みか? ならば──」
熱を持つ肌に唇が当たり、続いて歯が食いこんだが、もはやどうにでもなれだ。抗議の声ひとつあげずにいると、やがて大きな舌打ちとともに、晴澄は圧迫感から解放された。
「……やめた、徒労に終わりそうだ。趣向を変えるならおまえが正気のときを狙う」
薄目で見る世界の中、ヴェスナは少年のような膨れっ面で晴澄の髪を撫でまわしていた。
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