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第09章 責務

第123話 真っ直ぐな心と形のない心

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 ◇

 リリュートが待つ扉の前でアランが立ち止まり、振り返った。

「どうしますか? 不安であればご一緒いたしますが……」
「……が、頑張ってみます。あの……何かあったら呼んでも……?」
「はい、勿論です。扉の前におりますので」
「わかりました」

 エリー王女は姿勢を正し、大きく深呼吸をした。瞳を閉じ、自分のやるべきことに意識を集中する。

 この国のため。
 自分の心は必要ない。
 王として相応しいのか、リリュートをちゃんと見よう。

 アランを見上げ、首肯(しゅこう)で心の準備が出来たことを知らせると、アランも首肯して扉を叩いた。

「エリー様をお連れいたしました。それでは、エリー様……」

 一人で部屋に入るとリリュートは立ち上がり、入り口まで迎えに来てくれた。

「……お時間を頂きましてありがとうございます」
「いえ……」

 手を取られ、暖かな暖炉の前にあるソファーまでエスコートを受ける。
 腰を下ろすとリリュートは少し距離を開けて座ったため、少しほっとした。

「……エリー様。初めて会った時のことを覚えていますか?」
「はい、勿論です。リリュートだけでしたから、結婚を私の方から断って欲しいと言ったのは。誰もが王になりたいのだという勝手な思い込みに気付かせてくれました」
「最初から私はエリー様に失礼なことをしていましたね」

 リリュートは無表情に言葉を溢す。

「私は……、リリュートの自分の気持ちに正直なところ、好きですよ」

 言ってからはっとした。勘違いさせてしまうことを言ってしまっただろうか。
 窺うようにリリュートを見ると眉間にシワを寄せていた。

「エリー様は、私の心を揺さぶるのが上手です。これ程、色々な感情を教えてくれるのはエリー様だけでした……」
「リリュート……」

 エリー王女は何と言って良いか分からず、自分の握り締めた手に視線を移した。

「エリー様を責めているのではありません。私はやっと人としての感情を手に入れ、生きる意味を見つけられました。幼少から本だけが居場所であり、人と接するのが面倒で興味もありませんでした。だから、王になるなんて面倒だと思ったのです。ですがあの時エリー様の笑顔を見て、灰色だった世界に色が付きました。ずっと側にいたいと思いました。その為なら何でもやれる。王にだって……」
「リリュートは……王になりたいのではなく、私と一緒になりたいから王になると仰るのですか?」
「はい」

 見上げるとリリュートは真っ直ぐな瞳で返事をした。

 誰も自分のことなど見ていないと思っていたが、そうではない。相手を見ていなかったのは自分だった。
 何も見ていないのに人のせいにして、自分を悲劇のヒロインのように作り上げていただけだった。

「エリー様。私は……俺は、あの日からずっとエリー様だけを思ってきました。リアム陛下やジェルミア殿下に嫉妬もしました。近づきたくてもなかなか叶わない遠い存在だったのです。しかし、一緒に公務にあたるようになり、何度もお会いしている内に近付いたと思ってしまいました……。だから突然あのようなことを……」

 リリュートはずっと本当に好きでいてくれたのだ。

「リリュートのせいではありません。私は……人との距離が分からないのです……。ですので、あの……昨日のことなら気にしておりませんので、リリュートも気になさらないで下さい」
「……それは出来そうもありません」
「え?」

 リリュートはエリー王女との距離を縮めて座り直した。大分近い距離にエリー王女は少し体を後ろに反らす。

「気にして欲しい。俺は、エリー様を愛しています。他の男と一緒にいる姿を見るのも辛いほどに。誰にも渡したくないのです」
「リリュート……」

 徐々に近付く熱い視線。
 逃れるように後ろに手をつき、更に体を反らした。

「エリー様は嫌でしたか? 俺とキスしたこと……。あの涙の意味は……」

 自分の感情は必要ない。
 ならこの場合、どのように答えるのが正解なのだろう。

「あの……よく分かりません……。驚いただけで、嫌とかそいうわけではないのですが……あっ……」

 リリュートから距離を取るため、少しずつ反らした背中がソファーに付いた。
 今はリリュートが覆いかぶさった状態で、上から見つめている。



「嫌じゃないなら……もう少し試したら分かるかも」
「ん……」

 リリュートとまた唇を重ねながらアランの言葉を思い出した。

 キスぐらい……。
 一歩踏み込む……。

 レイとは違う不器用な唇を感じながら、これで本当にいいのか分からずにいた。

「誰にも渡したくないです」

 唇は直ぐに離れ、リリュートの余裕のなさそうな表情に胸が締め付けられた。

 それはかつて自分がレイとアリスに対し嫉妬をした時と重なったからだった。状況は違うが、恐らく今日の自分の行動に対し嫉妬もしただろうし、この中途半端な状態が辛いのだろう。

 好きだという言葉が欲しいのだ。
 確かな言葉が。
 だけどレイを愛したようにリリュートを愛せない。

「……気持ちは嬉しいです。ですが、これはとても大事なことですので、もう少し……もう少し時間を下さい……」

 エリー王女はリリュートの胸を僅かに押し返した。

「……わかりました。それまでこれからもエリー様のお側にいても?」
「はい……」

 リリュートは無言で見つめた後、エリー王女の体を支えながらゆっくりと起き上がった。エリー王女の乱れた髪を整えるリリュートの手から想いが痛いほど伝わってくる。

 それなのにエリー王女はそれに応えることが出来なかった。

 王の資質さえあれば、好きでもない相手を選んでもいいのだろうか。
 私の心が他にあるというのに、リリュートはそれでも嬉しいのだろうか。

 考えれば考えるほど分からない。

「そんな悲しい顔はしないで下さい。俺はエリー様の笑顔が見たい……。そうだ、笑う練習しましたよ」
「リリュート……」

 不器用に笑顔を作るリリュートに、エリー王女も無理やり笑顔を作った。


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