欠片断説 ―『明日の風に』短編集―

風城国子智

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隣にいた人

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 温かな感覚に、ゆっくりと目を開く。
 次の瞬間、目に入ってきた光景に、ロルは思わず仰け反った。
 背中を大木に預けているロルの肩を枕にして、少女よりは年上の感じがする女性が眠っている。これは、誰だ? 驚きで、声も出ない。
「……あ、起きた」
 ロルが少し動いたからか、不意に女性が、目を開く。そしてその女性は、目を見開いたロルをその茶色に瞳でじっと見つめてから、にこっと笑った。
「眠っている人を一人で運ぶの大変だから、起きるまで待ってようと思って一緒に眠っちゃった」
 花のような笑顔と、奇怪な言動に、言葉を失う。二人の身体に掛かっていた深緑のマントを羽織る女性の姿を、ロルはただ呆然と見つめる他、無かった。しかし、彼女はロルを助けてくれている。自分の身体を子細に眺めて初めてそのことに気付く。山賊に切り裂かれた左腕には白い包帯が巻かれているし、叩かれた頬には冷たい湿布が貼られている。逃げる途中で木の根に躓いて出来た傷も、きちんと手当てされている。おそらく全て、この女性がやってくれたのだろう。
「ま、とにかく立って」
 お礼を言おうとしたロルの前に、右手が差し出される。
「ここに夜まで居るわけにはいかないわ」
 周りを見回すまでもなく、日が沈みかけているのは風の冷たさから、分かる。ロルはこくんと頷くと、女性の手には頼らず自力で立ち上がった。
 だが。
「……ん」
 目眩が、襲う。ロルは思わず傍の木に寄り掛かった。
「うーん、まだ、ダメかな?」
 俯くロルを下から覗くように見つめてから、女性が呟く。
「ま、大丈夫でしょう。私に掴まって」
 こんなか細い、女性に? 暫し躊躇う。だが、ロルの思考には構わず、件の女性はロルの左脇に自分の小柄な身体を入れると、ロルの身体をひょいと木から離した。
 女性に促されるように、二、三歩足を動かしてみる。意外なことに、ロルを支えている女性の方は全くふらつかない。並の男性より小柄な身体をしているとはいえ、それでもロルの身体は普通の女性より重い筈だ。なのに、この女性は。ロルは正直驚嘆していた。
「こう見えても私、力持ちなの」
 その感情が顔に出ていたようだ。女性はロルを見てからけろりとした顔でそう言った。

 そんな不思議な女性に支えられてロルが辿り着いたのは、森の空き地にぽつんと建っている小さな小屋。その、いきなり目の前に現れた小屋の中に、女性はロルを引っ張るように案内した。
「ここは?」
「私の家」
 ロルの疑問に、簡潔に答える女性。こんな所に、独りで住んでいるのか? 訝しむロルに微笑んでから、女性は更に続けた。
「私は、『薬師』だから」
 そしてそのまま、女性は小屋の床に座り込んだロルの顔を覗き込み、子細に眺める。こんなに長い時間、女性に見つめられること自体初めてだ。羞恥を感じ、ロルは思わず横を向いた。
 と。
「横向いちゃダメ」
 いきなり、両頬に女性の手が当たる。その小さく温かい手に、ロルの心臓はびくっと震えてしまった。この手は、……母親と同じ手、だ。
「うーん、まあ、怪我は良いとして」
 そんなロルの戸惑いを全く感知していない女性は、再びロルを見て首を傾げる。
「頭殴られたのがちょっと心配ねぇ」
 そう言えば。不意に思い出す。森の中で出会った山賊達は頬だけでなく後頭部も殴っていた。既に痛みは引いているが、『頭』は人間にとって大事にすべき場所の一つだと昔武術の師匠に教わった。目の前の女性もその点において心配しているのだろう。
 ついと、女性がロルから離れる。壁際の棚まで行って戻ってきたときには、女性の手には小さな木のコップが握られていた。
 促されるままに、渡されたコップの中身を口に入れる。爽やかな香りが鼻をつくと同時に、少し苦甘い味が舌の上を通り過ぎて行った。
「うん、やっぱり心配だし、当分ここに居ても良いわ」
 仕方ない、という感じで、女性が笑う。しかしその笑いには、迷惑という感情は微塵も入っていないようにロルには感じられた。それが、少し、嬉しい。
 だから。
「私は六花りっか。あなたは?」
「ロル」
 問われるままに、名を名乗る。
「異国の人、なのね。珍しい」
 そう言ってから、今度は好奇心に満ちた瞳でロルを見つめる六花。
 くるくると変わる六花の瞳の色に、ロルは思わず微笑んだ。

 六花の手当が良かったのか、ロルの怪我は一日で痛みはなくなった。心配された頭の痛みも、無い。だが、「頭の傷って後から影響が出るってこともあるし」という六花の言葉に甘え、ロルはずるずると六花の小屋に居続けた。但し、何もしないでいるのも気が引けたので、薪割りや水汲みなど、女性にはちょっと大変な仕事を手伝ってはいる。
 森から拾ってきた枯れ木を手斧で小さく割り、使い易い薪を作る。これまで使った経験が無い所為か、手斧は中々ロルの手に馴染まない。だが、少し不格好な薪でも、六花が薬を作るのには役に立っているようだ。それが、ロルには嬉しかった。
〈今日は、何処まで行ったのかな?〉
 木を割る手を休めて、ふと、そんなことを考える。森で薬草を摘み、小屋でそれを干したり煎じたりして薬にし、出来た物を近隣の村人の所へと持って行き、生活に必要な品々と交換する。それが、六花の主な仕事らしい。村に病人や産婦がいる時には、治療や出産にも関わるそうだ。ここより北にある『専門の村』にて薬草術と魔法の勉強をし、その村の長達の命でここに居る。薬草の入った鍋を混ぜながら、六花はロルにそう、話してくれた。今日はここから一番近い、南の村に行くと言っていたから、もうそろそろ帰ってくると思う。早く帰ってきて欲しい。ロルは切実にそう、思った。
 ロルが焦燥を感じる理由は、六花のことが心配だから。森には、凶悪な山賊が跋扈している。弱い者が森の中を通る街道を通ると必ず集団で襲い、金目の物を全て奪う。実はロルもその山賊に出会ってしまい、持っていた物の殆どを奪われてしまっていた。腰に差していた短剣も、首に掛けていた、母の形見のロケットも。
「ああ、あの山賊さん達ね」
 ロルが山賊の話をした時、六花は少しだけ眉を顰め、しかしすぐにいつもの笑顔に戻った。
「私がここに来た最初の日にちょっかいを出してきたから、懲らしめてやったわ」
 山賊の頭の腕と腰の関節を外し、森の中に三日程放置したそうだ。それからは山賊の影すら見たことがないと、六花は肩を震わせて笑った。
 六花という、見た目はただのか弱い女性の、恐るべき胆力と意外な武力に思わずふっと溜息をつく。あの人は、一人で生きていける人だ。それはともかく。確かこの辺りは華琿かぐんという国の支配地であったはず。華琿は小国だがしっかりした国だと聞いていたのに、何故有害な山賊を放置しているのだろうか。
「まあ、仕方ないわね」
 ロルのこの疑問に答えてくれたのも、勿論六花。
 この辺りは華琿と、その隣にある大国天楚てんそとの境界線近く。山賊達は華琿の騎士達が来れば天楚へ、天楚の騎士団が討伐に来れば華琿へと逃げて生き延びている。天楚側は華琿に山賊討伐の協力を要請しているが、大国である天楚の支配力がこちらに及ぶことを懸念する華琿はそれを拒んでいる。国同士も個人同士も色々面倒ね、と言って、六花は溜息をついた。確かに「仕方ない」と云えば仕方ない話だ。だが、……六花を危ない目に合わせたくない。そう思ってしまう心が、ロルを「仕方ない」で終わらせない。だがしかし、今の自分に何が出来る?
 そこまで考えて、再び溜息が出る。ロルはゆっくりと首を振ると、薪を作りきってしまおうと再び手斧に手を伸ばした。
 と。
 微かな悲鳴に、はっとする。あれは……六花の、声? そう判断するより早く、ロルは傍らに置いておいた自分の剣――山賊に奪われなかった、ロルの唯一の持ち物――を掴み、声のした方へ全速力で、走った。
 すぐに、六花の姿が見える。
「何よ。プレゼントで懐柔しようったってそうはいかないんだから!」
 いつもの強気の声が、森の空気を震わせる。六花の持つ籠を掴んだ大男の左手には、見覚えのある塊が握られていた。あれは、……母の形見のロケット! とすると、あの大男は、件の山賊の一味に違いない。しかも、確か山賊の『頭』だと言われていた男、だ。
「何をしている!」
 一息で、六花と山賊との間に入る。六花の籠を掴んでいる山賊の腕をぐいと掴んで捻り上げようとすると、それを察した山賊はロルから一歩離れた。
「ん、おまえは、……生きていやがったか」
 呟く山賊の鼻先に、剣の切っ先を突きつける。この前は多勢に無勢だったが、一対一なら負けない。
「ふん」
 山賊の方もそれに気付いたらしい。捨て台詞のような鼻息を残すと、次の瞬間にはロルに背を向け、森の奥へと走り去って行った。
「……大丈夫?」
 山賊の姿が消えたのを確認してから、ゆっくりと背中の六花の方を見る。
「大丈夫。ありがとう」
 少し震えた六花の声に、ロルは心底ほっとした。駆けつけて、良かったのだ。
 それにしても。……山賊の頭も、六花のことを憎からず思っていたとは。
〈まあ、そうだろうな〉
 興奮からか真っ赤に染まった六花の頬を眺め、ロルは少しだけ溜息をついた。
 だが。……六花を、他の男に奪われるのは、心が許さない。

 だから。
「良いのに」
 六花は遠慮したが、ロルは六花の護衛をかってでた。
 毎日、森や村に行く六花の後ろを、剣を構えて付いていく。ロルが居るからか、山賊達は六花の周りには現れなくなった。
「案外便利ね。……でも」
 森の中で、六花の声が静かに響く。
「いつまでも一緒に居るわけにはいかないわ」
 六花の言葉が、胸に刺さる。確かに、いつまでも六花の世話になっているわけには、いかないだろう。だが、本音は。
〈六花の傍に、ずっと居たい〉
 これが、ロルの切なる願い。
 もっと実際的な理由もある。山賊達に荷物を奪われた所為で、ロルは今一文無しなのだ。生活する為には六花のように、何か仕事をして糧を稼がなければならないのだが、その手段を、ロルは知らなかった。
 後者のことについて助言を出したのも、六花だった。
「あなた、剣使えるんでしょ。だったら天楚でも華琿でも傭兵か商人の護衛になれるわ」
 それは、そうだ。だが、六花の助言に素直に頷いてすぐ、ロルは首を横に振った。幼い頃からの厳しい鍛錬により武術は身に付いてはいる。だが、贅沢な想いかもしれないが、本音を言えばあまり使いたくない、と思う。それに。傭兵か護衛になってしまったら、そんなに頻繁には六花に会うことはできないだろう。それは、嫌だ。
「なら、字は書ける? 計算は?」
 ある意味我が儘なロルの尻込みに、六花はもう一つの案を出してきた。
「だったら、村の長老さんに紹介してあげる。計算と法律が出来る人を探しているって言ってたから」
 それなら、良いかもしれない。少し離れるけど、六花の傍にいることができる。
 だから。治療に行くという六花に付いていく形で、ロルは村長の家の門を潜った。

「ほう、護衛を付けたか。それは重畳」
 ロルを見た村長は、六花に向かって相好を崩した。一人で森の中を歩くのは危険だと、村長も六花に何度も言っていた、らしい。
「だが、遅かったな。すぐに護衛は要らなくなるぞ」
 何でも、最近急に、天楚と華琿の騎士団が同盟を組み、山賊退治に乗り出したそうだ。思わぬ村長の言葉に、正直驚く。
「まあ」
 六花も驚いたらしい。瞳を大きく見開いている。
「今更、何故?」
「分からん。が、山賊を一掃してくれるなら、喜ばしいことではないか」
 村長の言葉に、曖昧に頷く。村長の、言う通りだ。だが。……六花に護衛が要らなくなるのは、正直、あまり喜ばしいことではない。

 その日の夜。
 扉を強く叩く音に、うとうとしていたロルは吃驚して目を覚ました。
 こんな夜更けに、誰だ? 思わず、首を傾げる。六花もそう思ったらしい、薬草を混ぜる手を止め、ロルの方を見たその瞳は大きく見開かれていた。
「出て、ロル」
 六花の言葉にこくんと頷き、扉のノブに手を掛ける。用心の為、もう片方の手は剣をしっかりと握っている。
 一息で、扉を開ける。だが、扉の向こうに見えたモノに、ロルはすぐに扉を元のように閉じた。
「どうしたの?」
 六花の言葉に、悪いモノを落とすように首を横に振ってから、再び扉を開ける。すぐに、先程と同じ光景が、ロルの目の前に現れた。
「助けてくれ!」
 そう叫ぶ若者に抱えられているのは、血まみれの山賊の頭。既に意識がないのか、ぐったりと頭を下げている。
「まあ、大変!」
 いつの間にかロルの後ろに立っていた六花の悲鳴が耳を打つ。
「すぐ血を止めなきゃ! 中に入れて、ロル!」
「でも」
 次の六花の言葉に、ロルは一瞬躊躇した。彼は、これまでずっと、弱者を虐めてきた。そんな人間を、助けるのか?
「目の前に死にそうな人がいるのに、助けなきゃ薬師じゃない!」
 だが。六花のきっぱりとした言葉に、共感する。
 ロルはそっと身を屈めると、山賊の頭の大きな身体を自分の背に乗せ、小屋の中へ運び込んだ。

 狂乱の夜は、瞬く間に過ぎた。
〈……終わった〉
 ロルが溜息をついた時には既に、辺りはずいぶんと明るくなっていた。
 傍の床に設えられた臨時ベッドには、あちこちに包帯を巻かれた山賊の頭が安らかな寝息を立てている。一時は危なかった頭だが、深い傷をロルが押さえて出血を止め、六花が傷口を縫い止めたおかげで大分持ち直しているようだ。
「ありがとう、ロル」
 疲れた顔でロルの横に座っている六花が、そっと囁く。その声だけで、ロルの疲れは殆ど吹っ飛んだ。
 と。
 軽いノックの音に、我に返る。誰だろう? 山賊達を追ってきた騎士達だろうか? それなら、好都合だ。立ち上がる六花を制し、ロルはゆっくりと扉に近づき、徐に扉を開けた。
 次の瞬間。
「皇子」
 聞き知った声に、思わず一歩、後ろへ下がる。
「生きて、おられましたか」
 目の前にいたのは、ロルの故郷、大陸南方の大帝国シューアの近衛騎士が、二人。
 そうか。卒然と理解する。山賊達が奪ったロルの短剣には、シューア帝国の皇子専用の紋章が刻まれている。近衛騎士達はそれをどこかで見つけ、天楚と華琿の騎士達に協力を要請したのだろう。
「帰りましょう」
 近衛騎士の一人が、ロルの腕を強引に取る。彼らの目的は、ロルを帝国に連れ帰ること。ロルは、シューア帝国の第二皇子、なのだから。そして、彼らの最終目的、は。
「あなたのほうが、帝に相応しいのですから」
「止めてくれ」
 取られた腕を、強引に振り解く。
 その勢いのまま、ロルは近衛騎士の一人を突き飛ばすと、森に向かってまっしぐらに、駆けた。

 どれくらい、走っただろうか。
 木の根に躓き、地面に突っ伏す。
〈私、は……〉
 帝になんて、なりたくない。第一、帝国には第一皇子が居る。同い年とはいえ、彼が次の皇帝だということは、父である現皇帝も認めていることではないか。それなのに、何故、自分の希望総無視で第一皇子と争う必要があるのだろうか?
 ふと、右手を見る。昨夜山賊の下っ端が返してくれた自分の短剣が、鈍い光を放っていた。王宮から逃げるのではなく、この短剣で喉を突いていれば、辛い思いをしなくて済んだのだろうか。ふと、そんなことを考える。いや、……今からでも、遅くは、ない。
 地面に座り直してから、短剣の鞘を外し、鋭い切っ先を喉に当てる。冷たい感覚に手が震えたが、それでも、ロルの決心は変わらなかった。
 だが。
「見つけた」
 明るい声に、喉を貫こうとした短剣の動きが止まる。ロルの目の前には、六花の笑顔が、確かにあった。
 そして。
「あの人達には、帰って貰ったわ」
「えっ?」
 六花の思わぬ言葉に、短剣を取り落とす。一体、どうして? ロルの疑問は、だがすぐに六花の言葉で解決した。
「ちょっと、やっぱり疲れるわね。久しぶりに魔法を使うと」
 ロルのことを忘れる魔法を、近衛騎士達に掛けたというのだ。
「どう、して……」
「幾ら優秀でも、厭がっている人を帝位に就けたら、民が困るもの」
 戸惑うロルに、いつもの通りにっこりと笑う六花。そうだった、六花は、そういう人だ。ロルも思わず笑顔になった。
 だが。
「でも」
 不意に、六花の声が沈む。
「残念なことに、この魔法は私の傍じゃないと効かないの」
 次に響いた六花の言葉に、ロルの背に衝撃が走った。と、いうことは。
「これで一生、私の護衛をしなくちゃいけなくなったわね」
 くすくすと笑いながら、六花がロルを見る。その瞳に幾ばくかの不安が混じっているように見えるのは、ロルの気のせいでは、ない。
 だから。
「良いのか?」
 六花に向かって、そう、尋ねる。
「良くなかったら、魔法使ってあの人達追い出してないわ」
 返ってきた言葉に、ロルは心底ほっとした。
 だから。
「ありがとう」
 差し出された六花の冷たい手を、ロルはそっと握り返した。
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