影の軍

風城国子智

文字の大きさ
13 / 19

一三

しおりを挟む
 意外に、活気のある街だ。
 これが、トゥエが魔皇帝の都リーマンに足を踏み入れたときの正直な感想だった。
 北側に開いた湾を利用した港から伸びる大通りは、攻め込まれた時の防御の為に所々鍵型に曲げてはあるが、それでも、通りは人馬の往来が激しい。街の大きさこそアデールの比ではないが、大通りから見える小路の両側に立っている家の多さからすると、かなりの人口を擁していることは嫌でも分かる。
 だが。この町には、アデールにもウプシーラにもなかった緊張感が、確かに、ある。その理由は、トゥエには既に分かっていた。この街の入口で、ある『誓約書』を認めさせられたからだ。誓約の内容は、『この街に入るにあたり、徘徊する魔物に襲われても文句は言わない』こと。やはり、魔皇帝の都だ。その誓約を示された時、トゥエは心底そう思った。
 今、ぐるりと見渡したところでは、魔物の気配などこれっぽっちも無い。リーニエにある普通の街と同じに見える。だが、この街の何処かには、残虐な魔物が潜んでいるという。自分の膝元で、そんなものを放っておくとは、やはり、残酷な人だ。背中の震えを感じ、トゥエはふっとため息をついた。
 仕方無くリーニエを去ってから、どれくらいの時が経ったのだろうか? 風は確かに冷たいが、日の光は既に、微かな暖かさを運んで来ていた。
 この街にきた理由は単純で、敵対する者が支配する街を見たいと思っただけ。だが、街の意外な普通さに、トゥエは内心感心して、いた。
 と、その時。
「うわっ! 魔物だ!」
「逃げろっ!」
 鋭い悲鳴に、思わず振り向く。トゥエの左にある小路から、人がわっとあふれ出していた。
 嗅いだことのある、吐き気のするほどの生臭さが、トゥエの全身を総毛立てる。どう、するか。それを考える前に、トゥエは人波に逆らい、小路へと飛び込んだ。
 小路の先、粗末な家々に囲まれた小さな広場に、魔物は居た。小山のような体をフルフルと動かしながら、広場の屋台に乗っている食い物をむしゃむしゃと食べている。
「止めなさい! 帰りなさい!」
 その魔物の前で、一人の少女が腕を振り回しながら叫んでいる。魔物の大きさからみると、少女は不釣り合いなほど小さく見えた。
 少女の止めるのには全く構わず(当たり前だ)、魔物はその視界に入る食い物を次々と平らげていく。
「だから、止めなさいって!」
 言うことを聞かない魔物に業を煮やしたのか、少女は不意に、腰の短刀を抜くと魔物にその切っ先を向けた。
 鋭い光が、その切っ先から迸る。自分の魔法と同じ種類のものだ。そう、トゥエが判断する前に、光は魔物の腹へとまっすぐに食い込んだ。しかし、その魔法の光は、太った魔物には何の効果も及ぼさなかったようだ。魔物はけろりとした表情で屋台そのものまで食い尽くすと、今度は少女の方へその大きな手を伸ばした。
「ちょ、ちょっと!」
 素早く逃げる少女。だが、間に合わない。あっという間に、少女の身体は魔物の手に絡め取られてしまった。
 このままでは、少女の命は無い。だが、その時には既に、トゥエは落ちていた短槍を構えてチャンスを窺っていた。
 少女を飲み込もうと、魔物が大きく口を開ける。その瞬間、トゥエは魔力を込めた短槍をその口めがけて投げ込んだ。幸い、少女には当たらず、短槍は魔物の口腔内へと飲み込まれる。次の瞬間、のたうつ魔物から少女を助ける為にトゥエは魔物に向かって飛び出した。
 倒れる少女を担ぎ、大急ぎで魔物から離れる。だが、小柄なトゥエには、小柄な少女でも重すぎた。しかもまだ、背中の傷が治っていない。
 痺れるような痛みを背中に感じ、思わず石畳にへたりこむ。それでも。少女を魔物から遠ざける方が先だ。トゥエは歯を食い縛り、少女を肩に担いだまま立ち上がった。
 と、その時。
「いたっ!」
「こっちだ!」
 同じ色の上着に身を包んだ男が三人、トゥエの横をすり抜ける。振り返ると、丁度、三人のうちの一人が懐から紙のようなものを出したところだった。あれは、魔力を持つ者が作ることのできる『札』。そう、トゥエが思う前に、飛び上がった男が魔物の額にその札を置く。次の瞬間、先ほどまで小路を占領していた魔物はきれいさっぱりかき消えた。どうやら、あの札は『魔物を消すことができる』特別な札のようだ。トゥエがそう考えるより早く。
「ちょっと、下ろして!」
 いきなり耳元で、女の声が響く。
 そう言えば、まだ少女を担いだままだった。トゥエは静かにしゃがみ込むと、掴んでいた少女の腰をそっと放した。
 その、次の瞬間。
「……あっ!」
 急に、視界が薄れる。
 大慌てで背中の傷に手を置くまでもなく、ぬるっとした血が背中を流れ落ちているのがはっきりと感じられた。しかも、多分、放っておいて良い量ではない。
 傷が開いた。早く、手当てしないと……。
 しかし、トゥエの思考はそこでぷちんと切れて、しまった。

 目を開けると、灰色の天井が見えた。
「……目覚めた? おバカさん」
 聞いたことのある声に、けだるく首を動かす。
 街の小路で魔物に襲われかけていた少女が、トゥエの顔をまじまじと見つめていた。
「おい、命の恩人に向かってその言葉はないだろう」
 少し遠くから、男の声も聞こえてくる。辺りを見回すまでもなく、トゥエは、自分が清潔なベッドの上に寝かされていることにすぐに気が付いた。今いる部屋の方も、狭いがこざっぱりしている。短槍が、トゥエ自身のものの他に二、三本立てかけてあるところからすると、多分声の男は(少女も、ということもあり得るが)武人なのだろう。
「第一、あの子普段は大人しいのよ。おなかがすいたら手が付けられなくなるだけで」
 男の声に、少女の反論する声が被さる。
「……食べられそうになったヤツが言う台詞か、それ?」
 だが、男の言葉の方が優位に立っていることは、トゥエでも分かった。
「第一、魔物が出たっていうのに『札』を忘れていくヤツがいるか?」
「うるさいわねっ!」
 とうとう少女は怒り出す。
 少女はトゥエをフンと一瞥すると、肩を尖らせて部屋を去った。代わりに現れたのは、大柄で色白な男性。少し見ただけで、少女と兄弟だと分かった。……あの時に魔物に『札』を貼り付けた男だ、ということも。
「ごめんな」
 男は少女の代わりに、トゥエの傍らにあった椅子に腰掛けて頭を下げた。
「悪いヤツじゃないんだけどな。……ちょっと生意気なだけで」
「悪かったわね、生意気で」
 不意に再び、少女の声が部屋に響く。
 少女は持って来た水差しを部屋のテーブルに音を立てて置くと、男の方をきっと睨んだ。
「俺の名はノイマン。あいつはリベット」
 そんな少女を無視して、男が自己紹介をする。
「あ、トゥエと言います」
 それにつられて、トゥエも自分の名を名乗った。
「妹を助けてくれてありがとう」
「あ、いえ……」
「全く、バカよね」
 トゥエとノイマンの会話を再び遮ったのは、またまた少女。
「自分も怪我してるのに。お人好し」
 少女リベットの侮蔑に近い言葉に、少し凹む。自分でも、あの時リベットを助けようとしたことは無謀だったと思っているのだ。
「そう言えば」
 再び、ノイマンが口を開く。その口から出てきた言葉は、驚くべきものだった。
「『御館様』が、事件にえらく興味持ってさ。夜になったら連れて来いってさ、リベット」
「えー! 私がー!」
 ノイマンの言葉に、リベットの言葉がワントーン上がる。
「何で?」
「昼間の事件の顛末も訊きたいそうだ」
「えー! やだぁー!」
 だが。渋るリベットの大声も、今のトゥエには遠く聞こえた。
「え……」
 『御館様』とは誰だ? ……まさか! トゥエの推論は、次の男の言葉によって正しいと証明された。
「外じゃ『魔皇帝』なんて言われてるけど、故郷を無くした俺達を拾ってくれた優しいお方だぜ」
 ノイマンは心底魔皇帝を尊敬しているらしい。その声には力と信頼感が確かに、あった。
「おまえ、故郷も職もないんだろ? うまくいけば雇ってもらえるぜ」
 その言葉に、トゥエの心は正直揺れた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

無能妃候補は辞退したい

水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。 しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。 帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。 誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。 果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか? 誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます

山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。 でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。 それを証明すれば断罪回避できるはず。 幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。 チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。 処刑5秒前だから、今すぐに!

さようなら、たったひとつの

あんど もあ
ファンタジー
メアリは、10年間婚約したディーゴから婚約解消される。 大人しく身を引いたメアリだが、ディーゴは翌日から寝込んでしまい…。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

処理中です...