影の軍

風城国子智

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一五

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 春らしくない冷たい風が、トゥエの頬を打つ。
 魔皇帝からもらったマントに首を埋めながら、トゥエはゆっくりと辺りを見回した。
〈……おかしいな〉
 朝早くから歩き始めて、既に夕方である。もうそろそろ次の村が見えてくるはずなのに、右を見ても左を見ても代わり映えのしない荒野しか広がっていない。何処かで道を間違えたのだろうか。トゥエはふっと肩を落とした。
「ねえ、まだなの、次の村」
 催促するような高い声に、ゆっくりと後ろを振り返る。魔皇帝から付けられた監視役の少女、リベットが、いかにも疲れたという顔でトゥエを見ていた。短い上着にマントを羽織ったその格好は、傍目には少女に見えない。
「あなたの足が速すぎるから、こっちはとっても疲れるの」
 『とっても』の部分に特に力が籠もっているように聞こえるのは、気のせいだろうか。いかにも怒っている風のリベットに道を間違えたとは言えず、トゥエはもごもごと訳の分からない言葉を呟きながら再び前を向いた。
「ああ、もう少し先なのね」
 そのトゥエの横をすり抜け、リベットが前に出る。背中に負った大きめの頭陀袋が、リベットの動きに合わせて大きく揺れた。その胸に掛かっている『小瓶』も。
「ああ、これ?」
 トゥエがその小瓶について尋ねた時、リベットはこともなげにこう、答えた。
「私達のお守り。御館様にもらったの」
 魔皇帝の近衛隊になると、皆、その瓶をもらうそうだ。中身について尋ねると、リベットは微かな笑みを浮かべた。
「もし誰かが『石に魅入られて』しまったら、これで助けるの」
 『助ける』とは、どういうことなのか。それを尋ねても、リベットは答えてはくれなかった。だが。訳の分からないものに頼るのは危険なことだと承知していたが、トゥエはその中身に微かな希望を抱いても、いた。……その『水』で、『石』に操られているリュエルやウォリスを助けることができるかもしれないという、希望を。
「……あ、あれね、村」
 不意に、リベットが大声を上げる。
 確かに、道の少し左寄りに、茶色っぽい影が見えた。
「急ぎましょう。早くしないと日が暮れちゃう」
 こんな淋しい所で野宿は絶対嫌。リベットはそう言うなり、トゥエを置いて駆け出す。いつの間に、あんなに元気になったのだろう。トゥエはしばし目を丸くした。
 だが。
 嬉々として走るリベットの後を付いて行ったトゥエは、段々大きくなっていく建物の影にはっと胸を突かれた。……あれは、村ではない。村よりも、もっと大きい。しかし、魔皇帝の支配領域とリーニエ王国との間には、大きな『街』は全く無いはずだ。『魔皇帝』の都リーマンまで歩いたトゥエだから、それくらいは知っている。
 大きな街が、有るとすれば。
「えー!」
 先にその『街』に辿り着いていたリベットの落胆の声が、トゥエの推測を確信に変える。
「何これ! 廃墟じゃない!」
 やはり、ここはウプシーラ。トゥエが小さい頃、リュエルやヘクト、ウォリスと遊び回った思い出の街。
「やだ! 何でこんなところに来ちゃったの!」
 責め立てるリベットの声を背に、ゆっくりと廃墟に足を踏み入れる。あの日の血の色は既に褪せていたが、剥げた石畳も、崩れた石垣も、あの日のままだった。外側ばかりではない。壊れた扉の向こうに見える部屋部屋も、石垣の向こうに見える中庭も、あの日壊れたまま、修復もされずただ佇んで、いた。
 これが、魔皇帝の真実。トゥエは改めてそう思った。
 しかし。
「ふーん。……でも」
 夜。リベットにこの街で起こったことを話した時のこと。リベットは少しだけ俯いてから、トゥエの目をしっかり見つめてこう、言った。
「リーニエだって、私達の国を侵略したわ」
 その言葉に、衝撃を受ける。
 と同時に、昔エッカート卿に教わったリーニエの歴史が、トゥエの脳裏にまざまざと蘇った。
 リーニエ王国も、昔は小さかった。マース大陸北部、現在の廃都ウプシーラを拠点としていた部族が、周辺を制圧することによって大きくなったのが、今の『リーニエ王国』。
「御館様の一族も、リーニエに滅ぼされたんですって」
「あ……」
 今まで気づかなかったことに気づかされ、言葉を失う。悲劇は、自分達――自分や、リュエルやウォリス――だけのものではなかった。あらゆる所に転がっていたのだ。すぐ、目の前にも。
「ごめん」
 思わず、謝罪の言葉が出る。トゥエはリベットに向かって深く頭を下げた。
「あなたに謝られても」
 トゥエのその行為に、リベットは笑って首を横に振る。
「それに、過ぎたことだもの。私は今幸せだし」
「そう」
 それならば、良かった。ほっと胸を撫で下ろす。しかしながら。原因がリーニエの侵略だとしても、その復讐の為に、魔物を使って残酷なことをするのは、やはり許せない。
「そうね。私もそう思う」
 そう、トゥエが呟くと、リベットも首を縦に振る。
 そしてリベットは、またもトゥエにとって衝撃な言葉を口にした。
「……多分、御館様もそう思ってる」
「では、何故?」
 思わずそう、聞き返す。そう思っているのなら、何故、魔皇帝はリーニエへの侵攻を止めないのだろうか?
「止められないのよ。この想いと意志だけは、ね」
 だが。次のリベットの言葉に、思わず納得してしまう。
 ……自分にも、誰にも譲れないものが、有る。
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