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 白猫のシリルを抱きかかえ、彼女が連れて来られたのは一軒の喫茶店だった。
 並べられたインテリアや観葉植物といい、お洒落な外観といい、どこをとっても店主のこだわりが感じられる、明るく温かみのある店である。
 見慣れぬ場所にきょろきょろと辺りを見回す少女の目の前に現れたのは、一人の女性である。

「いらっしゃいルーカス…って、その子シリルじゃない!見つけてくれたのね!」

 女性の声を聞くなり、白猫は少女の腕から離れ、女性の足にすり寄って行く。
 ルーカスと同じ年頃の、快活そうなこの女性はマーサといい、この喫茶店の店主だという。猫を可愛がる店主と聞いて、もう少し年齢の高い人物を想像していた彼女は少々驚いていた。

 シリルを撫でる彼女の、明るい茶色の瞳と目が合うと幼い少女特有の人見知りも相まって、少女は逃げるようにルーカスの後ろへと隠れる。

「おう、見つけたのは俺じゃねえけどな」
「あら、それじゃその子?」
「そうだ」

 マーサはルーカスの後ろに隠れた少女の目の前で腰を下ろし、優しく問いかけた。

「お名前聞いてもいい?」
「ロッテ、…です」
「ロッテちゃんね。ありがとう、うちの子を見つけてくれて」

 朗らかな笑顔と共に告げられたその言葉に、少女はフードを深く被って俯く。
 公爵家の嫡子という立場上、このように礼を尽くされることは決して少なくない。だから、こういう状況に慣れていないわけではないのだが、何の含みもない、直接の賛辞をこの距離で受けたのは初めてで、ひどく戸惑っていた。もちろん、恥ずかしかったのもあるが。

「お礼と言っては何だけど、お茶でも飲んでいって。ルーカスも飲んでくでしょう?」
「おう」

 またもやルーカスに連れられてカウンターの椅子に腰掛けた少女に、その奥でポットを手に取ったマーサは思い当たったように声をかける。

「もしかして、ロッテちゃんはジュースとかの方が良いかしら?」
「…紅茶で」
「あら、紅茶が飲めるなんて大人ね」

 揶揄うような笑みを見せながらも、彼女は「ちょっと待っててね」と紅茶を淹れる準備を始めたのだった。

 ◇◇◇

 ポットで湯を沸かしながら、カウンター越しにマーサは再び頭を下げる。

「本当に助かったわ。ありがとう、ロッテちゃん」
「…いえ」

 やはり、こうして直接お礼を言われるのは恥ずかしいと、少女は視線を逸らす。
 いつの間にか近くのテーブルで丸くなって眠っていた白猫を横目に、少女の隣に座ったルーカスは呆れたように声を上げた。

「だから言ったろ、こいつのことだしそんな気にしなくていいって」
「だって、うちの子なんだもの。心配にもなるわよ」
「そんな心配ならそういう魔法具マジックアイテムでもつけとくか?うちにいくらでもあるぞ」
「あんたねえ…そんなことするなんてかわいそうでしょう」
「そーかあ?」
「あんたも一度生き物とかお世話してみればいいんじゃない?そしたら私の気持ちも分かるわよ」
「んな時間あるか。こちとら人間育てるので精一杯なんだよ」

 そんな会話を交わすルーカスとマーサはいやに親しげである。
 後から聞いたところではこの二人は幼馴染のような間柄で、昔からよく一緒に遊んでいたらしい(とはいっても、この小さな街で生まれ育った子供は皆そうらしいが)。

 しかし、この時の彼女に、そんなことは知る由もない。
 この二人はどういう関係なのだろう?自分は場違いなのではなかろうか?事情を知らない少女の心には、そんな考えが宿り始めていた。

「そうだ。ロッテちゃん、良かったらこれあげる」

 黒い靄のような感情に心を支配されそうになった頃、マーサが取り出したのはお手製の猫のマスコットだった。
 真っ白なフェルトで作られたそれには、首に赤いリボンが巻かれ、目の位置には真っ赤なビーズが縫い付けられている。どうやら、シリルを模して作られたものらしい。

「可愛い…」

 いかにも手作りらしい温かみと、綺麗に整った縫い目が見えるそれに思わず少女がそう呟けば、マーサは「気に入ってくれてよかった」と微笑んだ。

「そんなのでよければまた作ってあげる。いつでも遊びに来てくれていいからね」
「うんっ!」

 小さなぬいぐるみを抱え、少女は元気よく頷く。
 その時にはもう、彼女の心の黒い靄は跡形もなく掻き消されてしまっていた。

 結局、子供の機嫌というものは単純なものである。
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