網代さんを怒らせたい

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第1章 今日の敵は明日の……彼氏!?

2.

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網代さんが私が勤めている建築デザイン会社『Sky(スカイ) End(エンド)』に入ってきたのは、年明けすぐだ。
最近事業が拡大し、営業をもうひとり雇おうという話になって中途採用で入ってきた。
私はデザイン部、あちらは営業部と部署が違うとはいえ、三十人ほどしかいない小さな会社、オフィスもビルのワンフロアなので顔もよくあわせるし、話もする。

最初のうちは網代さんの方が四つ年上といってもこの職場では私の方が長いし、それに彼の前職は全然違う異業種だったので、『気軽になんでも聞いてくださいね』なんて先輩風を吹かせていた。
しかし一週間くらいたったある日。

「市松」

その名で呼ばれた途端、口端がぴくぴくと痙攣する。

「……あ、すみません。
間違えました」

口でこそあやまってみせたが、言った本人――網代さんはまったく悪いと思っている様子がない。

「市松ってなんですか!」

もう忘れていたコンプレックスを掘り起こされ、思わず食ってかかっていた。

「市松人形みたいな見た目だから市松。
あと、名前も市松人形っぽいから」

網代さんは完全に真顔で、笑うなり逆ギレするなりされた方がまだいい。

「私は市松じゃありません!」

私は激しく怒っているというのにやっぱり網代さんは真顔で、それ以上口をきく気になれなくてその日はそれ以降、無視をした。

しかし翌日からも。

「市松。
……あ、間違えた」

網代さんはずっと私を市松と呼んでくる。
するりと口から出てくるあたり、きっとかなり前から陰で私を市松と呼んでいたのだろう。
大人げなくずっと無視を続けていたら最終、……お菓子で懐柔された。
うん、自分でもチョロすぎるとは思う。
でもさ、セレブ御用達『Clarte(クラルテ)』のケーキだったんだよ?
仕方ないよね。

それから網代さんは私に対して敬語が取れ、市松と呼び続けている。
そのうえ、あのようにしょっちゅう嘘を教えてからかってきた。
私はといえばそれにへそを曲げながらも毎回、美味しいお菓子で誤魔化されているというわけだ。



「市松ー」

仕事が終わり、駅に向かっていたら後ろから網代さんが追いついてきた。
無視を決め込み足を速めるが、身長差と足の長さは比例しているので当然、歩幅もそれだけ違う。
必死に私がちょこまかと足を動かしたところで、背の高い網代さんは余裕で着いてきた。

「なあ。
明日は暇か?」

返事すらしない私にかまわずに、網代さんが話しかけてくる。
明日の休みがなにも用事がないけれど、それを彼に教える義務はない。

「だーかーらー。
明日はなにか用事があるのかって聞いてるだろ?」

さらに彼は聞いてくるが、完全無視で歩き続ける。
できるなら振り切りたいが、走ったとしてもすぐに追いつかれそうだ。

「市松ってばさー」

「は!?」

いきなり、視界が開けて変な声が出る。
気づいたら網代さんの腕に腰掛けさせられるような格好で、抱き抱えられていた。

「……下ろしてもらえます?」

レンズの奥の細い目をじろりと睨み上げる。
しかし彼は涼しい顔でまったく効いていない。

「だって市松の顔と距離が遠いから、もしかした声が聞こえてないんじゃないかなー、って」

「うっ」

それは前例があるだけに反論できない。
会社でもしょっちゅう、私が話しかけても網代さんが気づかないという事案が発生していた。
なにせ三十センチ以上身長差があるものだから、降ってくる網代さんの声は私には聞こえるが、私の声は注意しないと彼には届かないらしい。

「携帯!
携帯で話したら大丈夫だから、とにかく下ろして」

道行く人が私たちを見てくすくす笑っていて顔が熱くなる。

「了解」

それで納得してくれたのか、網代さんはすぐに私を下ろしてくれた。
速攻で鞄から携帯を出し、彼にかける。
すぐに隣から着信音が聞こえてきた。

「これでいいですよね?」

「隣にいるのに携帯で話しているなんて間抜けじゃないか?」

網代さんの声はダイレクトに聞こえてくるので、携帯は耳に当てずに口もとへ持っていく。
間抜けって、聞こえないんだから仕方ないじゃない!
なんてツッコミは心の中に留めておいた。

「で、なんの用ですか?」

会話の手段は確立したので、また歩きだす。

「明日は暇か?」

「暇だったとしたら貴方になにか関係あるんですか?」

私の声はどこまでも冷たいが、網代さんはまったく気にしていないようで普通に話を続けてくる。

「暇なんだな。
なら明日、新池(しんいけ)駅に十一時集合」

「……は?」

思わず足を止め、彼を見上げる。
すぐに彼も立ち止まった。

「なんで休みの日に貴方と待ち合わせなんてしなきゃいけないんですか!」

噛みつきつつ、二歩先の彼のもとへ急ぐ。
私が隣まできたのを確認し、彼もまた足を動かした。

「うるさいなー。
市松がこのあいだ、携帯で見ながら涎垂らしていたあのパフェ奢ってやるから黙って付き合え」

「涎とか垂らしていません!」

「そうだっけ?」

とぼける彼にイラッとする。

「とにかくそういうことで明日、待ってるからなー」

気がついたら駅に着いていた。
そのまま私にそれ以上なにも言わせずに、さっさと網代さんは駅に入っていく。

「ちょっと……!」

さらに抗議しようとするが、通話はすでに切ってあった。
リダイヤルしようとして手が止まる。
これ以上、彼と不毛な会話を続けたくない。
そもそも、話す気なんてなかったのだ。
なのに。

……ちょっと待って。
もしかして、まんまと網代さんの策略に乗せられた?

きっとあそこで抱き抱えられたりしなければ、無視を続けていただろう。

「くっそー」

毎度ながら本当にムカつく。
明日、絶対に行かないと心の中で固く誓った。
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