網代さんを怒らせたい

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第4章 恋のできない人と恋をしてしまった人

6.

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「戻りました……」

「おかえり、イッチー」

ちょうどコピーを取っていた網代さんが声をかけてくれた。
その顔を見たら、怒りのような悲しいような複雑な気持ちになる。

「なんかあったのか?」

私が微妙な顔をしていたのか、彼は眼鏡の下で眉を少しだけ寄せた。

「……木村さんから食事に誘われました」

落ち着かない気持ちで網代さんの返事を待つ。

「へぇ」

続く言葉をさらに待つが、それ以上出てこない。
それどころかコピー機に向き直り、操作をはじめた。

「……それだけですか?」

「他になんかあるのか?
……ああ。
〝誘われてよかったね〟?」

腹の底にかっと火がつく。
次の瞬間には思いっきり、持っていたバッグで彼の背中を叩いていた。

「バカッ!」

「いてっ!
そんな鈍器みたいな鞄で殴るなよ!」

彼の抗議を無視して自分の席に戻る。
嫌がってほしかった。
怒ってほしかった。
けれど現実はあれだ。

「……でも、そうだよね」

私だって少し前までそうだった。
きっと網代さんから他の女性に食事に誘われたと聞いても、「よかったですね」なんてからかっていただろう。
恋人だといっても網代さんは私が好きなわけじゃない。
それに彼は恋愛ができない体質なのだ。
あの反応は普通なのだから仕方ない。

「え、なに?
和倉さん、網代と喧嘩?」

前の席からわざわざ椅子を動かし、振り向いて西沢さんが聞いてくる。
せっかく、無理にでも納得しようとしていたのに、思い出させないでほしい。

「……あ゛?」

おかげで超不機嫌に思いっきり、西沢さんを睨みつけていた。

「……和倉さん、柄悪いよ」

すごすごと椅子を戻し、彼がまた前を向く。
その丸まった背中に向かって、はぁーっとため息が落ちた。
フランクな職場で多少の無礼は許されるとはいえ、これはさすがにない。

「その、すみませんでした」

「いいよいいよ、気にしてないし」

おそるおそるといった感じで、西沢さんが再び振り返る。

「でもさ、どっちが悪いか知らないけど、喧嘩は早く仲直りした方がいいよ。
俺、昨日から奥さんから口きいてもらえなくてさ……」

はぁーっと彼の口からドブ色のため息が落ちていく。
それは私より、西沢さんの方が深刻なのでは?

「えっと。
なにがあったんですか?」

「聞いてくれる!?」

食い気味に彼が顔を近づけてきて、間にモニターがあるとはいえ背中が仰け反った。

「あー、はい」

曖昧な笑顔で答えると同時に西沢さんがマシンガンのように話しだす。
奥さんが特別な日用に買っておいたアイスを、西沢さんが勝手に食べてしまったらしい。

「それは西沢さんが悪いですよね」

「うっ」

わざとらしく彼が、胸を押さえる。

「代わりのアイスを買って素直にあやまった方がいいですよ」

「……だよね。
帰りにアイスと花束でも買うか」

うんうんと頷いて同意する。
アイスだけじゃなく花束まで買うあたり、旦那様としてポイント高いぞ。

「きっとそれで奥様も許してくれますよ」

「そうするよ」

解決法がわかったからか、さっきとは打って変わって上機嫌で西沢さんは机に戻っていった。
あんな旦那様だったら、奥様も幸せだろうな。
網代さんもその素養はあるのだがいかんせん、そこに愛はない。

「ん」

西沢さんのおかげでちょっとほっこりして仕事をしていたら、唐突に目の前に紅茶のペットボトルが現れた。
顔を上げると網代さんが立っている。

「なんか知らんけど怒らせたみたいだから。
……ごめん」

くいっとさらにペットボトルを振られ、それを受け取る。

「……ありがとうございます」

「ん。
まあ、あれだよな。
仮にも彼氏なのに、他の男に誘われて『よかったな』はないよな」

もらった紅茶は私の好きな無糖のやつだった。

「そうですよ。
喜んでどうするんですか、仮にも彼氏なのに。
そこは嫌がるなり怒るなりするところじゃないんですか?」

じっとレンズ越しに網代さんの目を見て反応をうかがう。

「イッチーは僕にヤキモチ妬いてほしくて、怒ったのか?」

意外そうに言われ、あっというまに顔に熱が上ってくる。
これって私が網代さんを好きだと暗に言っていることにならない?

「その、別に、あの」

口は開いたものの、意味をなす言葉は出てこない。

「……この件については、あとでゆっくり話しませんか」

ここで恋ができないだとかそういう話は非常にマズい。

「そうだな。
今日は食事して帰るか」

「はい」

あっさり網代さんが承知してくれてよかった。


帰り、網代さんはお洒落なビールバルに連れてきてくれた。

「昼間の話だけどさ」

ビールを飲みながら網代さんがさりげなく聞いてくる。

「イッチーは僕に、ヤキモチを妬いてほしかったのか?」

「そ、そんなわけ、あるわけないじゃないですか!」

否定しながらも視線は定まらずにグラスを握る手はガタガタと震えた。

「だよなー。
イッチーだけそんな気持ちになって僕はわからないとか、凹む」

ははっ、と自嘲し、網代さんがグラスを口に運ぶ。

「網代さんは、その。
そういう気持ちに全然ならないんですか……?」

ちびちびとビールを飲みながら、上目で彼をうかがい返事を待つ。

「んー?
そうだな。
イッチーは可愛いと思うけど、それだけだな」

「……そうですか」

わかっていたのにがっかりしている自分がいる。
網代さんは恋ができない。
でもそれは私も同じだった。
でもいま、私は網代さんを好きになっている。
彼もそうなればいいのに、なんていうのは私の虫のいい願いなんだろうか。

「あー、でも。
イッチーは特別だな」

その言葉でいじけていたあたまが上がる。

「〝特別〟ですか?」

「ああ。
気兼ねなく話せて、一緒にいて楽しい。
この先、もし絶対に結婚しなければならなくなったら、イッチーがいい」

眼鏡の向こうで目尻を下げ、愛おしげに網代さんが私を見る。
それはまるでプロポーズのようだが、そこに愛はない。
〝親愛〟はあるかもしれないが、〝恋愛〟ではないのだ。
――それでも。

「私も結婚するなら、網代さんがいいです」

「やっぱり気があうな、僕たち」

無邪気に笑う彼は、私の気持ちに気づいていない。
けれど、それでもいい。
恋愛感情はなくても、私が彼にとって特別ならば――。
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