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第4章 幸せになる後ろめたさ
5.……キス、しようとしましたか?
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「……ハル。
チハル」
「えっ、はい!」
誰かに呼ばれて、意識が現実へ戻ってくる。
「集中しているところ悪いが、そろそろ帰らないと」
笑っているレオンの、背後にある窓の外では日が暮れかけていた。
「す、すみません!」
いくら夢中になっていたからって、レオンを放ってしかも時間まで忘れるなんて……!
「いや、いい。
アレクなんかあれからあのままだからな」
ちょいちょいとレオンが親指で指した先では、最後に見たのと同じ体勢のまま、ブツブツ言いながら書き物を続けているアレクさんがいた。
「いい本はあったか?」
「はい!
でも……」
この中から数冊に絞るなんて至難の業だ。
神話系で鹿の教授が書いた本は種族の生態からアプローチしていて面白かったし、犬と猿の禁断の愛もとても気になる。
「また連れてきてやる」
これを全部読めないのかと落ち込んだ私のあたまを、レオンはぽんぽんした。
「……約束、ですよ」
「ああ」
ちょっぴり涙目で見上げたら、目があった。
レオンの両手が本棚につかれ、私を閉じ込める。
私を見下ろす、彼の瞳をただ見ていた。
腰を屈め、ゆっくりと顔が近づいてくる。
レオンの目が閉じられ、その意図に気づく。
けれどどうしていいのかわからずに戸惑っているあいだに、ふにっ、と鼻に――鼻が触れた。
「ああーっ!
わからなーい!」
いきなり、アレクさんの大きな声が響いてきて、びくりと大きくレオンの身体が震える。
「……帰るか」
「……そう、ですね」
先にドアへ向かったレオンを、本を抱えて慌てて追う。
「じゃあアレク、本、借りていくな」
追いついた私の手から、レオンは本をひょいっと取った。
無言でしっ、しっ、とアレクさんが手を振り、レオンが呆れたように肩を竦める。
「本、大切に読ませていただきます」
アレクさんに改めてあたまを下げ、家を出た。
前を歩く、レオンをちらり。
ドキドキと速い心臓の鼓動は、いつまでたっても落ち着かない。
「……その」
シャツの裾を遠慮がちに掴む。
……さっきは、キスしようとしましたか?
そんな言葉が思い浮かぶが、声としては出てこない。
――ガラガラガラガラ。
背後から重い音が聞こえてきて道をあける。
人間を詰め込んだ檻が、私たちの横を通過していった。
途端に、昂揚していた気分は一気に落ちていく。
「……嫌なものを見たな」
「……そう、ですね」
レオンのシャツを掴んだまま、俯いて無言で歩いた。
あの人たちはまた、売られ、犯され、食べられる。
私はレオンに買われて、運がよかっただけ。
家に帰ってすぐに、レオンは私の首輪を外してくれた。
「チハルは奴隷じゃない。
俺はチハルを犯さないし、食わない」
安心させるように、レオンが私を抱き締めてくれる。
「……でも、あの人たち、は」
「……そうだな。
わかっているが、俺には全部を救う力がない。
許してくれ」
その胸に顔をうずめたまま、ううんと首を振る。
悪いのはレオンじゃない。
この社会だ。
「今日の晩メシはサンドイッチでいいか?
俺が作るから」
しばらくして私を離したレオンの指先が、私の目尻を撫でる。
「簡単なスープくらい作りますよ」
無理にでも笑って台所へ向かう私を、レオンは追ってきた。
「いや、今日はチハル、借りてきた本を早く読みたいだろ?
だから俺が……」
「お気遣い、ありがとうございます。
でも今日は、温かいスープを飲みたい気分なので」
かまわずに料理をはじめた私を、ふっ、と僅かにレオンが笑う。
「勝手にしろ。
俺も勝手にする」
すぐに並んでレオンはサンドイッチを作りはじめた。
「いただきます」
サンドイッチと簡単スープの夕食を取る。
人間とライオンが向かいあって同じ食事をする、変な関係。
「そういえばアレクさんとレオンって、どういう関係なんですか?」
友人、と紹介されてアレクさんは酷く嫌そうだった。
でも、気は許していた感じがするんだよね。
「ああ。
幼馴染みだ」
「幼馴染み……?」
なら納得?
子供の頃の話も知っていたみたいだし。
「昔は家が隣で、親同士、仲がよかったんだ。
王立学校で一緒に学んだ仲だしな」
「学校があるんですか!?」
それはそうか。
教授の書いた本、なんてあったくらいだ。
「あるぞ。
と、いっても獣でも学校で学ぶ奴はあまりいない。
せいぜい、近所の博識なじじぃが開く、私塾で読み書きを習うくらいだな。
だからチハルが、しかも人間で、難しい本まで読めるのはかなり凄い」
そこは褒められても微妙な感じだ。
前の世界では標準スペック……だったと思いたい。
上司からクズだのなんだのボロカスに言われていたけど。
「しかし、チハルはどこから来たんだ?
チハルみたいな奴がたくさんいるところなら、魔法が使えなくたって人間は俺たちと対等なんじゃないか」
「あー、えと。
はははは……」
笑って誤魔化しておいた。
言えるわけがない、人間が支配の頂点で、動物は家畜として食べられたり、絶滅の危機に追いやられているなんて。
「まあ、別に話したくなかったら話さなくていい。
ひとつやふたつ秘密があろうと、俺はチハルが好きだからな!」
言い切った途端、それまで楽しそうに揺れていた尻尾がビタン!と大きな音を立てて落ちた。
「あ、いや、その。
一匹の獣として好きという話であって、メスとして好きとかそういうことじゃなくてな」
急にわたわたと慌てだすレオンがおかしくて、ついくすくすと笑っていた。
「わかっていますよ。
私もそういう意味でレオンが好きです」
「そ、そうか!」
さっきは項垂れていた尻尾が、いきなりピン!と勢いよく立ち上がる。
あれって、嬉しいのかな。
同じネコ科の猫ならそうなんだけど。
食後は借りてきた本を読む。
レオンも向かいあって本を読んでいた。
頬杖をつき、レンズの奥から本を見るレオンは、ライオンながら男前に見える。
「どうかしたのか?」
声をかけられ、彼を見つめていた自分に気づいた。
「あっ、えっと。
……なんでもない、です」
適当に言って誤魔化した。
レオンが見とれるほど格好よかったから、なんて言えるわけがない。
「そうか。
……そろそろ、寝るか」
「そうですね」
本を閉じたレオンと一緒に立ち上がる。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
階段を上がり、レオンは自分の寝室へ、私は屋根裏部屋へと行く。
屋根裏部屋はすっかり片付けられ、私の部屋としてカスタマイズしてあった。
「……レオンが私を好き、か」
今日のあれはキス、だったんだと思う。
ただ、彼のマズルと私の鼻の位置がうまくあわなかっただけで。
「レオンが私を好き……」
私に触れた、彼の濡れて冷たい鼻先の感覚を思いだし、顔が熱くなっていく。
「あー、うー、……うん」
もう恋なんて何年もしていない。
さらに相手は人間どころかライオンだ。
「……ありなのか?
なしなのか?
……私的にはあり寄りのあり……かな?」
レオンは私に優しい。
それは保護すべき人間への同情を勘違いしているのかもしれない。
それでも、人――正確には獣だが――から愛情を向けられるのはこのうえなく嬉しい。
……けれど。
あたまの中を帰りに見た、人間たちがよぎっていく。
「私だけ、いいのかな……」
私はいま、幸せだ。
私を対等に扱ってくれるレオンがいて、理解してくれる獣もたくさんいる。
でもその幸せに、罪悪感を抱いてしまうのだ。
奴隷狩りにあって売られていく人間たちがいる。
ううん、それだけじゃない、会社の同僚たちだって酷い環境にいた。
なのに私ひとり、幸せになっていいのかな……。
チハル」
「えっ、はい!」
誰かに呼ばれて、意識が現実へ戻ってくる。
「集中しているところ悪いが、そろそろ帰らないと」
笑っているレオンの、背後にある窓の外では日が暮れかけていた。
「す、すみません!」
いくら夢中になっていたからって、レオンを放ってしかも時間まで忘れるなんて……!
「いや、いい。
アレクなんかあれからあのままだからな」
ちょいちょいとレオンが親指で指した先では、最後に見たのと同じ体勢のまま、ブツブツ言いながら書き物を続けているアレクさんがいた。
「いい本はあったか?」
「はい!
でも……」
この中から数冊に絞るなんて至難の業だ。
神話系で鹿の教授が書いた本は種族の生態からアプローチしていて面白かったし、犬と猿の禁断の愛もとても気になる。
「また連れてきてやる」
これを全部読めないのかと落ち込んだ私のあたまを、レオンはぽんぽんした。
「……約束、ですよ」
「ああ」
ちょっぴり涙目で見上げたら、目があった。
レオンの両手が本棚につかれ、私を閉じ込める。
私を見下ろす、彼の瞳をただ見ていた。
腰を屈め、ゆっくりと顔が近づいてくる。
レオンの目が閉じられ、その意図に気づく。
けれどどうしていいのかわからずに戸惑っているあいだに、ふにっ、と鼻に――鼻が触れた。
「ああーっ!
わからなーい!」
いきなり、アレクさんの大きな声が響いてきて、びくりと大きくレオンの身体が震える。
「……帰るか」
「……そう、ですね」
先にドアへ向かったレオンを、本を抱えて慌てて追う。
「じゃあアレク、本、借りていくな」
追いついた私の手から、レオンは本をひょいっと取った。
無言でしっ、しっ、とアレクさんが手を振り、レオンが呆れたように肩を竦める。
「本、大切に読ませていただきます」
アレクさんに改めてあたまを下げ、家を出た。
前を歩く、レオンをちらり。
ドキドキと速い心臓の鼓動は、いつまでたっても落ち着かない。
「……その」
シャツの裾を遠慮がちに掴む。
……さっきは、キスしようとしましたか?
そんな言葉が思い浮かぶが、声としては出てこない。
――ガラガラガラガラ。
背後から重い音が聞こえてきて道をあける。
人間を詰め込んだ檻が、私たちの横を通過していった。
途端に、昂揚していた気分は一気に落ちていく。
「……嫌なものを見たな」
「……そう、ですね」
レオンのシャツを掴んだまま、俯いて無言で歩いた。
あの人たちはまた、売られ、犯され、食べられる。
私はレオンに買われて、運がよかっただけ。
家に帰ってすぐに、レオンは私の首輪を外してくれた。
「チハルは奴隷じゃない。
俺はチハルを犯さないし、食わない」
安心させるように、レオンが私を抱き締めてくれる。
「……でも、あの人たち、は」
「……そうだな。
わかっているが、俺には全部を救う力がない。
許してくれ」
その胸に顔をうずめたまま、ううんと首を振る。
悪いのはレオンじゃない。
この社会だ。
「今日の晩メシはサンドイッチでいいか?
俺が作るから」
しばらくして私を離したレオンの指先が、私の目尻を撫でる。
「簡単なスープくらい作りますよ」
無理にでも笑って台所へ向かう私を、レオンは追ってきた。
「いや、今日はチハル、借りてきた本を早く読みたいだろ?
だから俺が……」
「お気遣い、ありがとうございます。
でも今日は、温かいスープを飲みたい気分なので」
かまわずに料理をはじめた私を、ふっ、と僅かにレオンが笑う。
「勝手にしろ。
俺も勝手にする」
すぐに並んでレオンはサンドイッチを作りはじめた。
「いただきます」
サンドイッチと簡単スープの夕食を取る。
人間とライオンが向かいあって同じ食事をする、変な関係。
「そういえばアレクさんとレオンって、どういう関係なんですか?」
友人、と紹介されてアレクさんは酷く嫌そうだった。
でも、気は許していた感じがするんだよね。
「ああ。
幼馴染みだ」
「幼馴染み……?」
なら納得?
子供の頃の話も知っていたみたいだし。
「昔は家が隣で、親同士、仲がよかったんだ。
王立学校で一緒に学んだ仲だしな」
「学校があるんですか!?」
それはそうか。
教授の書いた本、なんてあったくらいだ。
「あるぞ。
と、いっても獣でも学校で学ぶ奴はあまりいない。
せいぜい、近所の博識なじじぃが開く、私塾で読み書きを習うくらいだな。
だからチハルが、しかも人間で、難しい本まで読めるのはかなり凄い」
そこは褒められても微妙な感じだ。
前の世界では標準スペック……だったと思いたい。
上司からクズだのなんだのボロカスに言われていたけど。
「しかし、チハルはどこから来たんだ?
チハルみたいな奴がたくさんいるところなら、魔法が使えなくたって人間は俺たちと対等なんじゃないか」
「あー、えと。
はははは……」
笑って誤魔化しておいた。
言えるわけがない、人間が支配の頂点で、動物は家畜として食べられたり、絶滅の危機に追いやられているなんて。
「まあ、別に話したくなかったら話さなくていい。
ひとつやふたつ秘密があろうと、俺はチハルが好きだからな!」
言い切った途端、それまで楽しそうに揺れていた尻尾がビタン!と大きな音を立てて落ちた。
「あ、いや、その。
一匹の獣として好きという話であって、メスとして好きとかそういうことじゃなくてな」
急にわたわたと慌てだすレオンがおかしくて、ついくすくすと笑っていた。
「わかっていますよ。
私もそういう意味でレオンが好きです」
「そ、そうか!」
さっきは項垂れていた尻尾が、いきなりピン!と勢いよく立ち上がる。
あれって、嬉しいのかな。
同じネコ科の猫ならそうなんだけど。
食後は借りてきた本を読む。
レオンも向かいあって本を読んでいた。
頬杖をつき、レンズの奥から本を見るレオンは、ライオンながら男前に見える。
「どうかしたのか?」
声をかけられ、彼を見つめていた自分に気づいた。
「あっ、えっと。
……なんでもない、です」
適当に言って誤魔化した。
レオンが見とれるほど格好よかったから、なんて言えるわけがない。
「そうか。
……そろそろ、寝るか」
「そうですね」
本を閉じたレオンと一緒に立ち上がる。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
階段を上がり、レオンは自分の寝室へ、私は屋根裏部屋へと行く。
屋根裏部屋はすっかり片付けられ、私の部屋としてカスタマイズしてあった。
「……レオンが私を好き、か」
今日のあれはキス、だったんだと思う。
ただ、彼のマズルと私の鼻の位置がうまくあわなかっただけで。
「レオンが私を好き……」
私に触れた、彼の濡れて冷たい鼻先の感覚を思いだし、顔が熱くなっていく。
「あー、うー、……うん」
もう恋なんて何年もしていない。
さらに相手は人間どころかライオンだ。
「……ありなのか?
なしなのか?
……私的にはあり寄りのあり……かな?」
レオンは私に優しい。
それは保護すべき人間への同情を勘違いしているのかもしれない。
それでも、人――正確には獣だが――から愛情を向けられるのはこのうえなく嬉しい。
……けれど。
あたまの中を帰りに見た、人間たちがよぎっていく。
「私だけ、いいのかな……」
私はいま、幸せだ。
私を対等に扱ってくれるレオンがいて、理解してくれる獣もたくさんいる。
でもその幸せに、罪悪感を抱いてしまうのだ。
奴隷狩りにあって売られていく人間たちがいる。
ううん、それだけじゃない、会社の同僚たちだって酷い環境にいた。
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