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第2章 私の都合と彼の都合
2-2 母親
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――ピリリリッ。
夜中に鳴った携帯に慌てて飛び起きる。
今日は悠生のマンションにお泊まりだが、ベッドにいない悠生にほっとため息。
今日もきっと私が眠ったあと、起きて仕事をしている。
無理していないか心配になるが、いまは一緒にいないことに安心する。
「……もしもし」
『さやかぁ?あのねぇ』
酔っているのか、甘ったるい声で話す女――母に吐き気がする。
「電話しないでって、いつも言ってるでしょ?
用があるときはメールで、って」
『親が子供の声を聞きたいって思うの、ダメなのぉ?』
しくしく泣き出した母に頭痛しか起きない。
こんな夜中に、きっと酔った勢いでかけてきた癖に。
「……それで。
用はなに?」
『さやか、つめたぃー』
「用がないなら切るよ」
……はぁーっ。
わざと聞こえるように、電話口で大きなため息をついてみせる。
まあ、母には効果ないけど。
『まってぇー。
……あのねぇ、怒らないで聞いてくれるぅ?』
「……切る」
『お金、また送ってぇ』
母の言葉に終了ボタンを押しそうになるが、必死で耐えた。
「……いくら?」
『十万』
「切る」
『まって、まってってぇ。
五万でもいいからさぁ』
「……振り込んどく」
今度は母の返事を待たずに切る。
通話を終えると大きなため息。
「沙也加?
目が覚めたのか?」
「……うん」
寝室に入ってきた悠生に抱きつく。
彼はそっとあたまを撫でてくれた。
「どうした?」
「……なんでもない」
心配そうな悠生の声になにも言えない。
……母親から金の無心の電話、なんて。
母は駆け落ちして戻ってくるという行為を繰り返しながら、いまだに懲りていないらしくふらふらしている。
父もさっさと離婚すればいいものの、あんな女のどこがいいのか縋りついているし。
兄はいるが、そんな両親に愛想を尽かして、早々に家を出て行った。
たまに私には連絡をくれるものの、実家とは完全に手を切っている。
私にも早く手を切るように勧めてくるが、残されているばあちゃんが心配で。
ああいう家だったから私は事実上、ばあちゃんに育てられたようなものだったから。
そんな私の気持ちに付け入るように、母はいつも、お金の無心をしてくる。
携帯を落として踏みつけられたあの日。
やっぱりかけてきたのは母だった。
「……あのね、悠生」
「なんだ?」
じーっと私を見つめる、レンズの向こうの瞳。
……まるで、私が隠していることまで見えているようで、ちょっと怖い。
「……。
ちょっと怖い夢、見たみたい。
だから、悠生のお茶、飲みたいな。
そしたら今度は、ぐっすり眠れると思うから」
「沙也加が甘えてくるなんて珍しいな。
……わかった。
淹れてきてやる」
するりと離れた悠生の体温が淋しかった。
縋りたくて伸びかけた手をぐっと強く握りしめる。
「すぐ淹れてくるから。
ちょっとだけ待ってろ」
唇が離れてにっこり笑った悠生に、自分が泣きそうになっていたことを自覚した。
頷くと悠生が寝室を出て行く。
……私はいつまで、こうやって悠生と一緒にいられるのかな。
そんなことを考えて、再び悲しくなってくる。
……あんな母がいて、いつまでも悠生と一緒にいられるわけなくて。
「……沙也加?」
聞こえた声に顔を上げると、悠生がカップを片手に立っていた。
「そんなに怖い夢だったのか?」
サイドテーブルの上にカップを置き、悠生が指で、私の涙を拭ってくれる。
「……うん」
……夢、ではないけど。
悠生と離れなきゃいけない現実を見せつけられた。
「そうか。
……これ、飲め。
きっと落ち着く」
渡されたカップを口に運ぶ。
中身はカモミールのミルクティで、優しい香りと甘さにほっとする。
悠生は私が飲んでいるあいだ、ずっと隣に座って髪を撫でてくれている。
飲み終わってこつんともたれ掛かると、そっと抱きしめてくれた。
「いいよ、このまま眠って」
「……うん」
髪を撫で続ける悠生の手に、ゆっくりと眠りに落ちていく。
今度は夢も見ない、深い眠りについた。
週末はもちろん、悠生のマンション。
悠生の足のあいだで、悠生にホールドされて、悠生に悠生の作ったお菓子を食べさせてもらう。
「沙也加。
あの会社、辞めたらどうだ?」
「……、なんで?」
口に入れられたオレンジタルトを飲み込んで、悠生の顔を見上げると、はぁっ、と小さくため息をつかれた。
「あの会社に将来性がないことくらい、理解してるだろ?」
……知っている、けど。
悠生に指摘されたところをなかなか改善できなくて、親会社の対応が厳しいし。
「わかってる、けど。
でも、短大卒でなんの取り柄もない私なんか、そうそう簡単に転職なんてできないし」
はぁっ、また小さくため息つかれて困ってしまう。
「僕が沙也加なんかって言うのはいいが、自分で私なんか、はダメだ」
「……ごめんなさい」
落ち込んで俯いたら、顔を覗き込まれて唇がふれた。
それだけでご機嫌になっている私って……単純、なのかな。
「沙也加は僕が認めた人間なんだから、もっと自信をもっていい」
「……ありがとう」
珍しい褒め言葉に、頬がちょっと熱くなった。
見上げると、悠生の目元にも朱が差しているし。
「それに転職先なら心配しなくていい。
僕の会社で雇ってやる。
給料もあの会社と違ってちゃんと、沙也加の能力に見合うだけ払ってやる」
「……うん」
甘えるように悠生の胸にもたれ掛かる。
悠生の両腕が私を包み込んで、あったかい。
なにも言わなくなってしまった私に、悠生もなにも言わない。
……悠生はもしかして、私の家のこと、知っているのかな。
浮かんできた疑問を飲み込んで、悠生のいい匂いで誤魔化す。
……悠生に迷惑をかけるのは、嫌だな。
悠生が言ってくれたことは嬉しかったけど、保留にしてもらった。
きっと悠生は私の事情を知っているのだと思うと、胸が苦しくなる。
いっそ素直に告白して、別れを切り出した方が楽になれるのでは、そんなことすら考えてしまう。
そんな私の様子に気付いているのか、最近、悠生の態度はいつもより甘い。
……口は相変わらずだけど、少しでも私を傷つけないように、慎重に言葉を選んでいるのを感じる。
夜中に鳴った携帯に慌てて飛び起きる。
今日は悠生のマンションにお泊まりだが、ベッドにいない悠生にほっとため息。
今日もきっと私が眠ったあと、起きて仕事をしている。
無理していないか心配になるが、いまは一緒にいないことに安心する。
「……もしもし」
『さやかぁ?あのねぇ』
酔っているのか、甘ったるい声で話す女――母に吐き気がする。
「電話しないでって、いつも言ってるでしょ?
用があるときはメールで、って」
『親が子供の声を聞きたいって思うの、ダメなのぉ?』
しくしく泣き出した母に頭痛しか起きない。
こんな夜中に、きっと酔った勢いでかけてきた癖に。
「……それで。
用はなに?」
『さやか、つめたぃー』
「用がないなら切るよ」
……はぁーっ。
わざと聞こえるように、電話口で大きなため息をついてみせる。
まあ、母には効果ないけど。
『まってぇー。
……あのねぇ、怒らないで聞いてくれるぅ?』
「……切る」
『お金、また送ってぇ』
母の言葉に終了ボタンを押しそうになるが、必死で耐えた。
「……いくら?」
『十万』
「切る」
『まって、まってってぇ。
五万でもいいからさぁ』
「……振り込んどく」
今度は母の返事を待たずに切る。
通話を終えると大きなため息。
「沙也加?
目が覚めたのか?」
「……うん」
寝室に入ってきた悠生に抱きつく。
彼はそっとあたまを撫でてくれた。
「どうした?」
「……なんでもない」
心配そうな悠生の声になにも言えない。
……母親から金の無心の電話、なんて。
母は駆け落ちして戻ってくるという行為を繰り返しながら、いまだに懲りていないらしくふらふらしている。
父もさっさと離婚すればいいものの、あんな女のどこがいいのか縋りついているし。
兄はいるが、そんな両親に愛想を尽かして、早々に家を出て行った。
たまに私には連絡をくれるものの、実家とは完全に手を切っている。
私にも早く手を切るように勧めてくるが、残されているばあちゃんが心配で。
ああいう家だったから私は事実上、ばあちゃんに育てられたようなものだったから。
そんな私の気持ちに付け入るように、母はいつも、お金の無心をしてくる。
携帯を落として踏みつけられたあの日。
やっぱりかけてきたのは母だった。
「……あのね、悠生」
「なんだ?」
じーっと私を見つめる、レンズの向こうの瞳。
……まるで、私が隠していることまで見えているようで、ちょっと怖い。
「……。
ちょっと怖い夢、見たみたい。
だから、悠生のお茶、飲みたいな。
そしたら今度は、ぐっすり眠れると思うから」
「沙也加が甘えてくるなんて珍しいな。
……わかった。
淹れてきてやる」
するりと離れた悠生の体温が淋しかった。
縋りたくて伸びかけた手をぐっと強く握りしめる。
「すぐ淹れてくるから。
ちょっとだけ待ってろ」
唇が離れてにっこり笑った悠生に、自分が泣きそうになっていたことを自覚した。
頷くと悠生が寝室を出て行く。
……私はいつまで、こうやって悠生と一緒にいられるのかな。
そんなことを考えて、再び悲しくなってくる。
……あんな母がいて、いつまでも悠生と一緒にいられるわけなくて。
「……沙也加?」
聞こえた声に顔を上げると、悠生がカップを片手に立っていた。
「そんなに怖い夢だったのか?」
サイドテーブルの上にカップを置き、悠生が指で、私の涙を拭ってくれる。
「……うん」
……夢、ではないけど。
悠生と離れなきゃいけない現実を見せつけられた。
「そうか。
……これ、飲め。
きっと落ち着く」
渡されたカップを口に運ぶ。
中身はカモミールのミルクティで、優しい香りと甘さにほっとする。
悠生は私が飲んでいるあいだ、ずっと隣に座って髪を撫でてくれている。
飲み終わってこつんともたれ掛かると、そっと抱きしめてくれた。
「いいよ、このまま眠って」
「……うん」
髪を撫で続ける悠生の手に、ゆっくりと眠りに落ちていく。
今度は夢も見ない、深い眠りについた。
週末はもちろん、悠生のマンション。
悠生の足のあいだで、悠生にホールドされて、悠生に悠生の作ったお菓子を食べさせてもらう。
「沙也加。
あの会社、辞めたらどうだ?」
「……、なんで?」
口に入れられたオレンジタルトを飲み込んで、悠生の顔を見上げると、はぁっ、と小さくため息をつかれた。
「あの会社に将来性がないことくらい、理解してるだろ?」
……知っている、けど。
悠生に指摘されたところをなかなか改善できなくて、親会社の対応が厳しいし。
「わかってる、けど。
でも、短大卒でなんの取り柄もない私なんか、そうそう簡単に転職なんてできないし」
はぁっ、また小さくため息つかれて困ってしまう。
「僕が沙也加なんかって言うのはいいが、自分で私なんか、はダメだ」
「……ごめんなさい」
落ち込んで俯いたら、顔を覗き込まれて唇がふれた。
それだけでご機嫌になっている私って……単純、なのかな。
「沙也加は僕が認めた人間なんだから、もっと自信をもっていい」
「……ありがとう」
珍しい褒め言葉に、頬がちょっと熱くなった。
見上げると、悠生の目元にも朱が差しているし。
「それに転職先なら心配しなくていい。
僕の会社で雇ってやる。
給料もあの会社と違ってちゃんと、沙也加の能力に見合うだけ払ってやる」
「……うん」
甘えるように悠生の胸にもたれ掛かる。
悠生の両腕が私を包み込んで、あったかい。
なにも言わなくなってしまった私に、悠生もなにも言わない。
……悠生はもしかして、私の家のこと、知っているのかな。
浮かんできた疑問を飲み込んで、悠生のいい匂いで誤魔化す。
……悠生に迷惑をかけるのは、嫌だな。
悠生が言ってくれたことは嬉しかったけど、保留にしてもらった。
きっと悠生は私の事情を知っているのだと思うと、胸が苦しくなる。
いっそ素直に告白して、別れを切り出した方が楽になれるのでは、そんなことすら考えてしまう。
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