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第2章 口止め料
1.ボールペン
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赤信号で止まった車の中、時任の僅かに持ち上がった口端を思い出す。
……だから、私は別に。
熱を持っていく顔に、あたまを振って自分の感情を否定するが、心臓は勝手に速い鼓動を刻んでいる。
――パッパー。
後ろの車からのクラクションに我に返った。
とっくに信号は青に変わっており、慌てて車を出す。
脳裏から時任の顔が離れない。
まるで――自分の感情を見透かしたようなあの顔が。
おかげで通い慣れた得意先への道を間違え、約束の時間に遅れてしまった。
そのせいで、今回の契約は次回に持ち越しになった。
精神的にぐったりと疲れ、さらには真っ直ぐ会社に帰って時任と顔をあわせづらく、コーヒーショップに寄る。
いつもならカロリーを気にして頼まない、期間限定のクリームたっぷりストロベリードリンクを頼んだ。
適当に空いた席に座りストローを咥えると、思いの外の甘さに一瞬、眉間にしわが寄る。
まるでさっきの女の声のようで、また時任を思い出した。
……だいたい、婚約しているくせにまだあんなことしてるなんて。
眉間にしわを寄せたまま、甘ったるいドリンクをストローでずっと啜る。
あの時任でもさすがに、社長のお嬢さんと婚約となれば、悪い遊びはやめるだろうと思っていた。
それをまだ、しかも会社でやっているなんて、どれだけ怖いもの知らずなんだと気が知れない。
ピコン、鞄の中で鳴った携帯を手に取ると、さっきの取引先からメッセージが入っていた。
内容を確認すると、はぁーっ、朝香の口から深いため息が落ちる。
……今日は厄日なんだろうか。
メッセージの内容は、次回に持ち越した契約だが内容自体を見直したい、というものだった。
今日の訪問でなんとなく、他社との契約もほのめかしていたからそうじゃないかという気はしていた。
せっかく気分転換に寄ったコーヒーショップだが結局、さらに重たい気分で店を出ることになった。
会社に戻るとまばらに残った人の中、時任も席に座っているのを発見して、ほんとに今日は厄日だと心の中で悪態をついた。
ホワイトボードの外出予定を消し、用もないのにプリンターにセットされた紙の残りなど確認してみる。
しかし、いくら時間稼ぎをしたところで、時任はいなくならない。
仕方なく自分の席に行き、椅子の背にセットしてある鞄置きに鞄を置く。
心の中ではぁーっと重いため息をついて椅子を引いた。
「お疲れ」
パソコンの画面を見つめたまま、出された声にぴくりと手が止まる。
「……お疲れ」
机と椅子のあいだに身体を滑り込ませ、座ると顔をあげずにパソコンの電源を入れた。
立ち上がるまでの僅かな間が、妙に息苦しい。
パスワードを打ち込み、必要なソフトを立ち上げていると、間近で甘く官能的な香りを感じた。
「……これ。
おまえのだろ」
すーっ、机の上に滑らされるボールペンに、後ろは振り返れない。
「……どこにあったの?」
朝香から出た声は酷く震えていた。
自分でも聞いてはいけない質問だとわかっている。
けれど、どうしても、確認せずにはいられない。
「……聞きたいか?」
どきどきと心臓が速く鼓動し、その鼓動までも血液に乗って全身に巡らされているように感じた。
言わなくていい、声にしようとするが、息をするのに精一杯で、口からは声が出ない。
少しずつ濃くなっていく匂いに、酩酊してあたまがくらくらした。
「……第二会議室」
ふっ、耳元でした小さな笑い声を最後に、急速に匂いが薄くなっていく。
振り返ったときにはそこにあったのは残り香だけで、時任の姿はない。
去っていく後ろ姿にホワイトボードを見ると、外出から直帰の予定になっていた。
……やっぱり、気づかれてた。
全身はじっとりと、嫌な汗をかいている。
心臓の鼓動はいまだに落ち着かない。
けれどよくよく考えると、困るのは女を抱いているところを見られた時任のはずで、それを見た自分はなにも困らない。
――まあ、多少はのぞきをしていたと非難されるかもしれないが。
それよりも会社の会議室で婚約者いる男が、あんなことをしていた方が大問題だ。
弱みを握ったのは自分で、時任ではない……はずだ。
……だから、私は別に。
熱を持っていく顔に、あたまを振って自分の感情を否定するが、心臓は勝手に速い鼓動を刻んでいる。
――パッパー。
後ろの車からのクラクションに我に返った。
とっくに信号は青に変わっており、慌てて車を出す。
脳裏から時任の顔が離れない。
まるで――自分の感情を見透かしたようなあの顔が。
おかげで通い慣れた得意先への道を間違え、約束の時間に遅れてしまった。
そのせいで、今回の契約は次回に持ち越しになった。
精神的にぐったりと疲れ、さらには真っ直ぐ会社に帰って時任と顔をあわせづらく、コーヒーショップに寄る。
いつもならカロリーを気にして頼まない、期間限定のクリームたっぷりストロベリードリンクを頼んだ。
適当に空いた席に座りストローを咥えると、思いの外の甘さに一瞬、眉間にしわが寄る。
まるでさっきの女の声のようで、また時任を思い出した。
……だいたい、婚約しているくせにまだあんなことしてるなんて。
眉間にしわを寄せたまま、甘ったるいドリンクをストローでずっと啜る。
あの時任でもさすがに、社長のお嬢さんと婚約となれば、悪い遊びはやめるだろうと思っていた。
それをまだ、しかも会社でやっているなんて、どれだけ怖いもの知らずなんだと気が知れない。
ピコン、鞄の中で鳴った携帯を手に取ると、さっきの取引先からメッセージが入っていた。
内容を確認すると、はぁーっ、朝香の口から深いため息が落ちる。
……今日は厄日なんだろうか。
メッセージの内容は、次回に持ち越した契約だが内容自体を見直したい、というものだった。
今日の訪問でなんとなく、他社との契約もほのめかしていたからそうじゃないかという気はしていた。
せっかく気分転換に寄ったコーヒーショップだが結局、さらに重たい気分で店を出ることになった。
会社に戻るとまばらに残った人の中、時任も席に座っているのを発見して、ほんとに今日は厄日だと心の中で悪態をついた。
ホワイトボードの外出予定を消し、用もないのにプリンターにセットされた紙の残りなど確認してみる。
しかし、いくら時間稼ぎをしたところで、時任はいなくならない。
仕方なく自分の席に行き、椅子の背にセットしてある鞄置きに鞄を置く。
心の中ではぁーっと重いため息をついて椅子を引いた。
「お疲れ」
パソコンの画面を見つめたまま、出された声にぴくりと手が止まる。
「……お疲れ」
机と椅子のあいだに身体を滑り込ませ、座ると顔をあげずにパソコンの電源を入れた。
立ち上がるまでの僅かな間が、妙に息苦しい。
パスワードを打ち込み、必要なソフトを立ち上げていると、間近で甘く官能的な香りを感じた。
「……これ。
おまえのだろ」
すーっ、机の上に滑らされるボールペンに、後ろは振り返れない。
「……どこにあったの?」
朝香から出た声は酷く震えていた。
自分でも聞いてはいけない質問だとわかっている。
けれど、どうしても、確認せずにはいられない。
「……聞きたいか?」
どきどきと心臓が速く鼓動し、その鼓動までも血液に乗って全身に巡らされているように感じた。
言わなくていい、声にしようとするが、息をするのに精一杯で、口からは声が出ない。
少しずつ濃くなっていく匂いに、酩酊してあたまがくらくらした。
「……第二会議室」
ふっ、耳元でした小さな笑い声を最後に、急速に匂いが薄くなっていく。
振り返ったときにはそこにあったのは残り香だけで、時任の姿はない。
去っていく後ろ姿にホワイトボードを見ると、外出から直帰の予定になっていた。
……やっぱり、気づかれてた。
全身はじっとりと、嫌な汗をかいている。
心臓の鼓動はいまだに落ち着かない。
けれどよくよく考えると、困るのは女を抱いているところを見られた時任のはずで、それを見た自分はなにも困らない。
――まあ、多少はのぞきをしていたと非難されるかもしれないが。
それよりも会社の会議室で婚約者いる男が、あんなことをしていた方が大問題だ。
弱みを握ったのは自分で、時任ではない……はずだ。
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