私の愛する悪い男【R18】

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

文字の大きさ
8 / 23
第2章 口止め料

1.ボールペン

しおりを挟む
赤信号で止まった車の中、時任の僅かに持ち上がった口端を思い出す。

……だから、私は別に。

熱を持っていく顔に、あたまを振って自分の感情を否定するが、心臓は勝手に速い鼓動を刻んでいる。

――パッパー。

後ろの車からのクラクションに我に返った。
とっくに信号は青に変わっており、慌てて車を出す。

脳裏から時任の顔が離れない。
まるで――自分の感情を見透かしたようなあの顔が。


おかげで通い慣れた得意先への道を間違え、約束の時間に遅れてしまった。
そのせいで、今回の契約は次回に持ち越しになった。



精神的にぐったりと疲れ、さらには真っ直ぐ会社に帰って時任と顔をあわせづらく、コーヒーショップに寄る。

いつもならカロリーを気にして頼まない、期間限定のクリームたっぷりストロベリードリンクを頼んだ。
適当に空いた席に座りストローを咥えると、思いの外の甘さに一瞬、眉間にしわが寄る。

まるでさっきの女の声のようで、また時任を思い出した。

……だいたい、婚約しているくせにまだあんなことしてるなんて。

眉間にしわを寄せたまま、甘ったるいドリンクをストローでずっと啜る。

あの時任でもさすがに、社長のお嬢さんと婚約となれば、悪い遊びはやめるだろうと思っていた。
それをまだ、しかも会社でやっているなんて、どれだけ怖いもの知らずなんだと気が知れない。

ピコン、鞄の中で鳴った携帯を手に取ると、さっきの取引先からメッセージが入っていた。

内容を確認すると、はぁーっ、朝香の口から深いため息が落ちる。

……今日は厄日なんだろうか。

メッセージの内容は、次回に持ち越した契約だが内容自体を見直したい、というものだった。


今日の訪問でなんとなく、他社との契約もほのめかしていたからそうじゃないかという気はしていた。

せっかく気分転換に寄ったコーヒーショップだが結局、さらに重たい気分で店を出ることになった。



会社に戻るとまばらに残った人の中、時任も席に座っているのを発見して、ほんとに今日は厄日だと心の中で悪態をついた。

ホワイトボードの外出予定を消し、用もないのにプリンターにセットされた紙の残りなど確認してみる。

しかし、いくら時間稼ぎをしたところで、時任はいなくならない。

仕方なく自分の席に行き、椅子の背にセットしてある鞄置きに鞄を置く。
心の中ではぁーっと重いため息をついて椅子を引いた。

「お疲れ」

パソコンの画面を見つめたまま、出された声にぴくりと手が止まる。

「……お疲れ」

机と椅子のあいだに身体を滑り込ませ、座ると顔をあげずにパソコンの電源を入れた。

立ち上がるまでの僅かな間が、妙に息苦しい。

パスワードを打ち込み、必要なソフトを立ち上げていると、間近で甘く官能的な香りを感じた。

「……これ。
おまえのだろ」

すーっ、机の上に滑らされるボールペンに、後ろは振り返れない。

「……どこにあったの?」

朝香から出た声は酷く震えていた。
自分でも聞いてはいけない質問だとわかっている。
けれど、どうしても、確認せずにはいられない。

「……聞きたいか?」

どきどきと心臓が速く鼓動し、その鼓動までも血液に乗って全身に巡らされているように感じた。

言わなくていい、声にしようとするが、息をするのに精一杯で、口からは声が出ない。

少しずつ濃くなっていく匂いに、酩酊してあたまがくらくらした。

「……第二会議室」

ふっ、耳元でした小さな笑い声を最後に、急速に匂いが薄くなっていく。

振り返ったときにはそこにあったのは残り香だけで、時任の姿はない。

去っていく後ろ姿にホワイトボードを見ると、外出から直帰の予定になっていた。

……やっぱり、気づかれてた。

全身はじっとりと、嫌な汗をかいている。
心臓の鼓動はいまだに落ち着かない。

けれどよくよく考えると、困るのは女を抱いているところを見られた時任のはずで、それを見た自分はなにも困らない。

――まあ、多少はのぞきをしていたと非難されるかもしれないが。

それよりも会社の会議室で婚約者いる男が、あんなことをしていた方が大問題だ。

弱みを握ったのは自分で、時任ではない……はずだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

19時、駅前~俺様上司の振り回しラブ!?~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
【19時、駅前。片桐】 その日、机の上に貼られていた付箋に戸惑った。 片桐っていうのは隣の課の俺様課長、片桐課長のことでいいんだと思う。 でも私と片桐課長には、同じ営業部にいるってこと以外、なにも接点がない。 なのに、この呼び出しは一体、なんですか……? 笹岡花重 24歳、食品卸会社営業部勤務。 真面目で頑張り屋さん。 嫌と言えない性格。 あとは平凡な女子。 × 片桐樹馬 29歳、食品卸会社勤務。 3課課長兼部長代理 高身長・高学歴・高収入と昔の三高を満たす男。 もちろん、仕事できる。 ただし、俺様。 俺様片桐課長に振り回され、私はどうなっちゃうの……!?

有名俳優の妻

うちこ
恋愛
誰もが羨む結婚と遺伝子が欲しかった そこに愛はいらない

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

身体の繋がりしかない関係

詩織
恋愛
会社の飲み会の帰り、たまたま同じ帰りが方向だった3つ年下の後輩。 その後勢いで身体の関係になった。

求婚されても困ります!~One Night Mistake~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「責任は取る。僕と結婚しよう」 隣にイケメンが引っ越してきたと思ったら、新しく赴任してきた課長だった。 歓迎会で女性陣にお酒を飲まされ、彼は撃沈。 お隣さんの私が送っていくことになったんだけど。 鍵を出してくれないもんだから仕方なく家にあげたらば。 ……唇を奪われた。 さらにその先も彼は迫ろうとしたものの、あえなく寝落ち。 翌朝、大混乱の課長は誤解していると気づいたものの、昨晩、あれだけ迷惑かけられたのでちょーっとからかってやろうと思ったのが間違いだった。 あろうことか課長は、私に求婚してきたのだ! 香坂麻里恵(26) 内装業SUNH(株)福岡支社第一営業部営業 サバサバした性格で、若干の世話焼き。 女性らしく、が超苦手。 女子社員のグループよりもおじさん社員の方が話があう。 恋愛?しなくていいんじゃない?の、人。 グッズ収集癖ははない、オタク。 × 楠木侑(28) 内装業SUNH(株)福岡支社第一営業部課長 イケメン、エリート。 あからさまにアプローチをかける女性には塩対応。 仕事に厳しくてあまり笑わない。 実は酔うとキス魔? web小説を読み、アニメ化作品をチェックする、ライトオタク。 人の話をまったく聞かない課長に、いつになったら真実を告げられるのか!?

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

Promise Ring

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
浅井夕海、OL。 下請け会社の社長、多賀谷さんを社長室に案内する際、ふたりっきりのエレベーターで突然、うなじにキスされました。 若くして独立し、業績も上々。 しかも独身でイケメン、そんな多賀谷社長が地味で無表情な私なんか相手にするはずなくて。 なのに次きたとき、やっぱりふたりっきりのエレベーターで……。

処理中です...