黒弁護士は夜咲く桜を独占する~過保護な愛に溶かされて~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第六章 夏初に触れていいのは僕だけだ

6-3

職場は定時で帰してもらえた。
仕事も終わっていないのに。

『え?
初日くらい定時で帰ってよ、いろいろ疲れたでしょ?
あとはこっちで巻き取るし。
明日からバリバリ頑張ってもらうから、今日はゆっくり休んで』

……と、斉藤さんから半強制的に帰らされたときは夢でも見ているのかと思った。

「えっと……。
先に帰って晩ごはん作って待ってます、と」

ビルの下にあるベンチに座り、晴貴さんへメッセージを送る。
私が事務所を出るとき、まだ帰ってきていなかった。
今日は直帰と事務所で聞いていたし、晴貴さんからもメッセージが届いている。

「ほんとに忙しいんだな……」

ベンチから立ち上がり、地下鉄の駅へと向かう。
一緒の職場になると彼がいかに忙しい人かわかった。
企業案件に民事訴訟、若手に振ればいいような案件まで抱えているらしい。

そんな中で私の件まで、しかもほぼ無償で頼んでしまったのは心苦しくもある。
だからせめて、美味しい料理を作ろうと決めた。

近くのスーパーで買い物をして帰る。
事務所周辺もマンション周辺も高級スーパーしかないのが困る。

『食費は僕が出すから気にしないでいいよ』
……と、晴貴さんがお金をくれているが、庶民としては気になるに決まっている。

晴貴さんのマンションに帰り、着替えて料理を始める。
今日はハンバーグにしようと決めた。

なぜか私はまだ、晴貴さんのマンションで生活している。
気持ちも落ち着いて薬も減った。
それに晴貴さんが危惧していた、会社の人間が家に押しかけてくるという事態ももうなさそうだが、まだここにいる。

前の会社で査問会にかけられたあと、晴貴さんが私を自分の部屋に置いたのは気持ちが不安定なのもあったが、会社の人間が家に押しかけてくるのを警戒してだった。

実際、一度、着替えを取りに部屋に帰ったらポストへ会社の人間と思われる、大量の嫌がらせの手紙が入っていた。
それらは重要な証拠となるからと晴貴さんが保管している。

今から帰ると連絡をもらい、時間を見計らってハンバーグを焼く。
ちょうど焼き上がった頃、彼が帰ってきた。

「ただいまー」

「おかえりなさい」

ちゅっと軽く、彼の唇が重なる。
ここに来て、いってきますとただいまのキスは当たり前になってしまった。

「いい匂いがするね。
今日の晩ごはんはなに?」

「ハンバーグですよ」

「やった。
ハンバーグ、好きなんだよね。
手、洗ってくる」

鞄を持って彼がリビングを出ていく。
きっと書斎に鞄を置いて手を洗ってくるのだろう。
晴貴さんのマンションは2LDKで、リビングの他に寝室と仕事部屋兼書斎がある。
しかも職場から地下鉄で十分、地下鉄の駅からも徒歩五分とか、家賃を想像したら怖すぎる。

「おまたせ。
なんかオシャレなハンバーグだね」

「そうですか」

シャツとスラックスの姿で彼は食卓に着いた。
部屋着に着替えるのはお風呂のあと派らしい。
すでに彼の買ってくれたもこもこルームウエアの私とは違う。

「いただきます」

手をあわせ、お箸を取って彼が食事を始める。
いつも、そう。
家で食べるときは丁寧に手をあわせる。
なんかそれが、いいなって思う。

「ん、美味しい。
こういうシンプルなのもいいね」

ハンバーグをひとくち食べ、彼が満面の笑みになる。

「お口にあってよかったです」

その笑顔が眩しくて、目を伏せてサラダを口に運んだ。
今日の晩ごはんはハンバーグと簡単なサラダ、レタスとベーコンのスープとご飯だ。
ハンバーグは白ワイン蒸しにして、一緒に蒸したミニトマトを潰してソースにして食べるタイプにした。

「初日はどうだった?
僕も事務所にいられたらよかったけど、忙しくてごめんね」

申し訳なさそうに謝られ、ぶんぶんと首を横に振る。

「いえ。
斉藤さんも事務所の方もよくしてくださいました。
まだ仕事もあるのに、今日は初日で疲れただろうからって定時で帰してくださって」

コピー用紙の補充もシュレッダーの掃除も、気づいた人がやるとか新鮮すぎて驚いた。
しかも事務員ならわかるが、弁護士先生もやっている。

朝と三時、夕方の一日三回のお茶当番があるどころか飲みたい人が自分で淹れる。
来客時のお茶出しや片付けだって担当した人がやっていた。

前の会社とのギャップが大きすぎて風邪を引かないか心配になったくらいだ。

「なら、よかった。
慣れてきたらガンガン仕事振るから、よろしく」

スープボールから口を離し、彼が意地悪くにやりと笑う。

「ううっ。
お手柔らかによろしくお願いします……」

晴貴さんは完璧主義で気難しいと聞いた。
彼の要求に私は応えられるのか、そこはかとなく不安になった。

食事の後片付けをしたあと、晴貴さんから話があると言われた。
悪い予感がして落ち着かず、並んでソファーに座る。

「前の会社に内容証明を送ったが、期日を過ぎても返答がない。
催促をしても、だ。
それで訴訟に進もうと思うが、どうする?」

レンズの奥からじっと、彼が私を見つめる。

「訴訟に進むって裁判を起こすってことですか」

「そうだ」

彼が頷き、自分がとんでもないことをしようとしている気になった。

「別にそんな、大げさに考えなくていい。
借りた千円を返さないとかで起こす人だっている」

本当にそんな人がいるのか疑問だが、彼が冗談めかして言うものだから気が抜けた。

「それに所長は夏初の無実を信じているから採用を決めたが、他の会社なら横領の疑惑を理由に落とすかもしれない。
だから」

惨めな気持ちは味わわされたが、もう関わらないでいいなら我慢すれば済むことだと思っていた。
しかし彼の言うとおり、横領の疑惑がつきまとう限り、私の印象は悪くなる。

「きっちり夏初の罪を晴らそう」

彼がうんと力強く頷き、目頭が熱を持つ。
鼻の奥がつんと痛み、慌てて目尻を拭った。

「よろしくお願いします」

精一杯の気持ちで頭を下げる。
彼に任せておけばすべて大丈夫だと思えた。
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