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第四章 離
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ルミアを陥落させ、多少の小競り合いはあるものの激戦は稀となり、少しばかり余裕ができてまともに休息が取れるようになった。トロイアは舐めてかかっていたベンブルグの急襲、占領で及び腰になっているらしい。ここで手を打って和平に持ち込んでほしいが、俺には政府が――ニコがなにを考えているのかわからない。
その日、執務室で新聞を読みながら、飲んでいたコーヒーのカップを机に叩きつけていた。ガシャンと派手な音が鳴り、カップが砕ける。欠片が俺の指に刺さり傷つけたが、それどころではなかった。
「どうか、したんですか?」
怪訝そうに声をかけながら、寄ってきた副官がコーヒーで濡れた俺の手を拭いてくれる。
「……ああ。なんでもない」
努めて平静なフリをする。しかし腹の中はこれ以上ないほど煮えくり返っていた。
「赤くなってますし、血も出てますね。誰か、氷と救急箱を持ってきてくれ」
すぐに救急箱が運ばれてきて、傷ついた指に副官がテープを巻いてくれる。
「しばらくこれで冷やしてください」
「ああ、ありがとう」
氷嚢が押しつけられ、自分で手に当てた。そのあいだに割れたカップは別の部下によって片付けられた。
「お疲れでしたら、少し休まれては? このところとにかく忙しかったですし」
「いや、いい。大丈夫だ」
さりげない副官の提案を、なんでもないように断る。
「ご無理はなさらないでくださいね」
彼は納得したのか、自分の席へと戻っていった。席にひとりになり、新聞に目を落とす。
【スティングナー大統領、ご乱心!?】
【補佐官殿の愛妾・大統領の爛れた関係】
何度確認しようと、それらの見出しは変わらない。ニコが議会にすら出ず、一日中セドリードとの淫行に耽っているのだとその新聞は報じていた。
今までは、そんなのはただの噂だ、ニコはそんなことをするはずがないと否定してきた。しかし大手新聞社ですらこうやって報じてきたとなると信憑性が増す。
……ニコが、あのセドリードに抱かれている?
胸の内で仄暗い焔が燃え上がるのを感じた。それで怒りにまかせ、カップを叩きつけていた。
……ニコは俺のものだ。この、俺のものだ。
そこまで考えてはっとした。ならばなぜ、俺はニコの手を手放した? ニコはあんなに、俺に助けてくれと訴えていたのに。それを見捨てたのは俺だ。それで重圧に耐えられなくなってポッキリと折れたニコは、快楽に逃げたのだろう。そして、その相手がそこにいたセドリードだったという話か。
「……は。ははっ」
両肘をついて組んだ指に額をつけると、乾いた笑いが口から落ちていった。
「ウォルター少佐、どうかしたんですか……?」
おそるおそるといった感じで、副官が俺をうかがってくる。笑わない俺が、しかも嘲笑しているとなれば不気味に思うだろう。
「いや、なんでもない」
それを適当に誤魔化し、新聞を丸めてゴミ箱へ捨てる。悪いのはこの俺だ。俺が全部、悪い。
首都へと向かう汽車の中、ぼーっと窓の外を眺める。そこには麦刈りの終わった畑が広がっていた。今年は男手が帰ってきたおかげで無事に作付けができ、気候にも恵まれて豊作だという。ほんの一年ほど前は耕されもせず、荒れるに任せた畑があちこちにあった。また、あの光景に戻してはいけないのだ。
「お疲れですか?」
「まあ、な」
副官に声をかけられ、曖昧に誤魔化した。
「少し眠ってください。なにかありましたら起こします」
「そうさせてもらう」
腕を組んで目を閉じる。着いたら俺は、――ニコに会いに行く。
ルミアを占領し、小競り合いはあるものの戦闘は小康状態になったのもあって、俺は本部へ報告に呼び出されていた。褒美もくれるというので、一日休みをもぎ取る。その休みでニコに会いに行こうと思っていた。
すぐにでも会いに行きたいが、着いて二日間は報告と挨拶回りで忙しく過ごす。今回の成功で昇進が決まったが、悲願だったルミアを占領した功績を称え、一足飛びに大佐になるらしい。といっても死んだわけでもないのに二階級特進させるわけにもいかず、今日は中佐の辞令を出し、帰る日に大佐へ昇進となるそうだ。これも普通ならありえない特例だ。
「……疲れた」
宿泊施設に取ってある自分の部屋に入り、軍靴を履いたままうつ伏せでベッドに倒れ込む。今日は上司に、地元名士の集うパーティへ連れていかれた。〝ルミアの英雄〟などと紹介されたが、俺は後方から指示を出していただけだ。反吐が出る。
『ウォルター中佐には今、特定のパートナーはいらっしゃらないのかしら?』
などと若い女性から腕を絡められ、あからさまな視線を送ってこられるのも不快だった。だいたい、俺は女のおしろいと香水のにおいが大っ嫌いなのだ。上司としてはいまだ独身の俺に身を固めろとよけいなお節介……親切のつもりだったのかもしれないが、本当にやめてほしい。
それでも明日は、ニコに会いに行く。連絡は入れたが、取り次げないとセドリードに断られた。ニコ自身に断られたのなら仕方ないが、アイツの言葉など信じるものか。いや、そもそもアイツが、ニコをこんなふうにしたのではないのか? 明日は官邸に行って絶対にニコに会う。そう、決めていた。
その日、執務室で新聞を読みながら、飲んでいたコーヒーのカップを机に叩きつけていた。ガシャンと派手な音が鳴り、カップが砕ける。欠片が俺の指に刺さり傷つけたが、それどころではなかった。
「どうか、したんですか?」
怪訝そうに声をかけながら、寄ってきた副官がコーヒーで濡れた俺の手を拭いてくれる。
「……ああ。なんでもない」
努めて平静なフリをする。しかし腹の中はこれ以上ないほど煮えくり返っていた。
「赤くなってますし、血も出てますね。誰か、氷と救急箱を持ってきてくれ」
すぐに救急箱が運ばれてきて、傷ついた指に副官がテープを巻いてくれる。
「しばらくこれで冷やしてください」
「ああ、ありがとう」
氷嚢が押しつけられ、自分で手に当てた。そのあいだに割れたカップは別の部下によって片付けられた。
「お疲れでしたら、少し休まれては? このところとにかく忙しかったですし」
「いや、いい。大丈夫だ」
さりげない副官の提案を、なんでもないように断る。
「ご無理はなさらないでくださいね」
彼は納得したのか、自分の席へと戻っていった。席にひとりになり、新聞に目を落とす。
【スティングナー大統領、ご乱心!?】
【補佐官殿の愛妾・大統領の爛れた関係】
何度確認しようと、それらの見出しは変わらない。ニコが議会にすら出ず、一日中セドリードとの淫行に耽っているのだとその新聞は報じていた。
今までは、そんなのはただの噂だ、ニコはそんなことをするはずがないと否定してきた。しかし大手新聞社ですらこうやって報じてきたとなると信憑性が増す。
……ニコが、あのセドリードに抱かれている?
胸の内で仄暗い焔が燃え上がるのを感じた。それで怒りにまかせ、カップを叩きつけていた。
……ニコは俺のものだ。この、俺のものだ。
そこまで考えてはっとした。ならばなぜ、俺はニコの手を手放した? ニコはあんなに、俺に助けてくれと訴えていたのに。それを見捨てたのは俺だ。それで重圧に耐えられなくなってポッキリと折れたニコは、快楽に逃げたのだろう。そして、その相手がそこにいたセドリードだったという話か。
「……は。ははっ」
両肘をついて組んだ指に額をつけると、乾いた笑いが口から落ちていった。
「ウォルター少佐、どうかしたんですか……?」
おそるおそるといった感じで、副官が俺をうかがってくる。笑わない俺が、しかも嘲笑しているとなれば不気味に思うだろう。
「いや、なんでもない」
それを適当に誤魔化し、新聞を丸めてゴミ箱へ捨てる。悪いのはこの俺だ。俺が全部、悪い。
首都へと向かう汽車の中、ぼーっと窓の外を眺める。そこには麦刈りの終わった畑が広がっていた。今年は男手が帰ってきたおかげで無事に作付けができ、気候にも恵まれて豊作だという。ほんの一年ほど前は耕されもせず、荒れるに任せた畑があちこちにあった。また、あの光景に戻してはいけないのだ。
「お疲れですか?」
「まあ、な」
副官に声をかけられ、曖昧に誤魔化した。
「少し眠ってください。なにかありましたら起こします」
「そうさせてもらう」
腕を組んで目を閉じる。着いたら俺は、――ニコに会いに行く。
ルミアを占領し、小競り合いはあるものの戦闘は小康状態になったのもあって、俺は本部へ報告に呼び出されていた。褒美もくれるというので、一日休みをもぎ取る。その休みでニコに会いに行こうと思っていた。
すぐにでも会いに行きたいが、着いて二日間は報告と挨拶回りで忙しく過ごす。今回の成功で昇進が決まったが、悲願だったルミアを占領した功績を称え、一足飛びに大佐になるらしい。といっても死んだわけでもないのに二階級特進させるわけにもいかず、今日は中佐の辞令を出し、帰る日に大佐へ昇進となるそうだ。これも普通ならありえない特例だ。
「……疲れた」
宿泊施設に取ってある自分の部屋に入り、軍靴を履いたままうつ伏せでベッドに倒れ込む。今日は上司に、地元名士の集うパーティへ連れていかれた。〝ルミアの英雄〟などと紹介されたが、俺は後方から指示を出していただけだ。反吐が出る。
『ウォルター中佐には今、特定のパートナーはいらっしゃらないのかしら?』
などと若い女性から腕を絡められ、あからさまな視線を送ってこられるのも不快だった。だいたい、俺は女のおしろいと香水のにおいが大っ嫌いなのだ。上司としてはいまだ独身の俺に身を固めろとよけいなお節介……親切のつもりだったのかもしれないが、本当にやめてほしい。
それでも明日は、ニコに会いに行く。連絡は入れたが、取り次げないとセドリードに断られた。ニコ自身に断られたのなら仕方ないが、アイツの言葉など信じるものか。いや、そもそもアイツが、ニコをこんなふうにしたのではないのか? 明日は官邸に行って絶対にニコに会う。そう、決めていた。
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