恋という音は君の名前に似ている

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第四・五章 幸

4.5ー1

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「ニコ。そろそろ起きないか」
「んー」
 レンの声が聞こえてきて、寝返りを打つ。目を開けて視線のあった彼は、少しだけ目尻を下げた。
「……まだ、ねむーい……」
 ぐずぐずと身体を丸める。もう昼だ、早く起きろと怒られるかと思ったが。
「じゃあ、もうちょっと寝てろ」
 レンの手が僕の頭に触れ、くしゃくしゃと柔らかく撫でる。
「レンも一緒に寝ようよ……」
 彼を見上げ、その手を軽く引っ張った。レンズ越しに少しのあいだ見つめあったあと、諦めたのかレンがため息をついた。
「……わかった」
 眼鏡を置いて布団を捲り、もそもそとレンがベッドに入ってくる。
「ぎゅーって、して?」
 手を軽く伸ばして悪戯っぽく見つめると、またレンがため息をついた。
「これでいいか」
 彼がぎゅっと、僕を抱き締めてくれる。
「……うん」
 それが嬉しくて、彼の胸に甘えて額を擦りつけた。レンのシャツからは煙草と彼の汗が混じったにおいがした。その心地いい匂いを胸いっぱいに吸い込んで目を閉じる。
「起きたら、食事にしよう。なにがいい? ニコの好きな白ソーセージも買ってあるぞ」
「……うん」
 レンの声を聞きながら、意識はまた微睡みへと溶けていく。あと少しだけ、少しだけでいいから、このままでいさせて。そのあとはレンを、解放するよ――。

 レンたちが官邸に踏み込んできて、リド――セドリードの首を刎ねたのは、はっきり覚えている。いつか、そうなるのだと思っていた。いや、そうなるのを心待ちにしていた。さすがにレンがセドリードの首を刎ねてしまうのは想定外だったが。僕はこのまま断罪され、殺されるのだろう。そう、思っていた。しかし、目が覚めた僕が見たのは。
『もう、なにも心配しなくていい。俺が、俺がニコを守ってやる』
 僕を抱き締め、泣きじゃくるレンだった。
 レンが僕を連れてきたのは、人里から離れた山荘だった。僕を隠すようなそこは、それだけレンの気持ちが本気なのだと感じさせた。
 連れてこられて二、三日は状況が把握できず、混乱した。国民に断罪されるべき僕が、レンに甘やかされているのだ。いや、ありえない。なにしろセドリードはその罪で、あんな惨い殺され方をしたのだ。なのに僕がこんな天国にいるなんて。
「食欲はあるか?」
 ここに来てすぐ、レンの問いに首を振る。あんな惨状、そうそう忘れられるわけがない。まだ、首のないセドリードの身体が、もうなにも言わぬその首が、忘れられないでいた。
「そうか」
 ベッドの上で膝を抱えて丸くなっている僕にため息をつき、レンが部屋を出ていく。呆れたのか、怒ったのか。どちらでもかまわない。そもそも、レンは僕を捨てたのだ。
「ほら」
 しばらくして、甘い匂いに顔を上げる。そこではレンがマグカップを僕に差し出していた。
「ホットチョコレートだ。好きだっただろ?」
 彼がなにを考えているのかわからなくて、その顔を見上げる。
「これもダメか?」
 心配そうに眼鏡の下で彼の眉が寄る。それは僕を、気遣っているように見えた。
「……もらうよ」
 カップを受け取り、口をつける。優しい甘さが身体に染み入っていった。
 ……リドもよく、僕が食欲がないときにはホットチョコレートを淹れてくれたな。
「リドは……セドリードは死んだんだよ、ね」
 あれで生きていたら化け物だ。それくらい、わかっている。でもどこかでまだ、あれは夢だったんじゃないかと思っていた。
「死んだ。俺がこの手で、首を刎ねた」
 レンの声は酷く冷たい。僕を誑かし、国を傾けた……と思っている男だ、死んで当然だと考えているのだろう。
「……そうか」
 リドの死が現実だと知り、涙がぽろりと落ちた。次々に落ちていく涙を見られたくなくて、顔を膝に伏せる。別にセドリードが好きだったわけではない。彼が僕に近づいたのは、故郷にいる弟のためだとわかっている。政府の中枢に食い込み、弟の治めるリワースには絶対に侵攻させない。彼はそのためだけに動いていた。
 僕だってそれに気づかないほど愚かではない。しかし知っていて利用された。僕が〝おかしくなったフリ〟をするにはちょうどよかったからだ。誰もが、レンでさえ僕がおかしくなったと思っているが、僕自身は正常だった。トロイア侵攻は間違っているとわかっているし、やったいろいろな政策がなんの幸福も産まない、国民を苦しめるだけだとわかっている。それでも実施したのは、誰かが僕を諫め、大統領を辞めさせてくれるのではないかと期待したからだ。その望みは叶ったが、これほどの大事になるとは。いや、もうそうじゃないと僕を大統領の座から引きずり下ろすなんてできなかっただろう。
 とはいえ、重責の苦しみから逃げるため、セドリードがもたらす快楽に溺れていたのは事実だ。ただし、終わったあとは猛烈な後悔が襲ってくる。それから逃れるためにまた彼に抱かれる。その繰り返しだった。
 セドリードを愛してはいなかったが、愛着のようなものは抱いていた。特にあの厳つい男がぽりぽりとナッツを食べるのが、リスのようで可愛らしく思っていたのだ。一度、それを言ったら。
『そんなことを仰るのは弟かスティングナー様だけです』
 怒ったような彼は少し嬉しそうでもあった。もしかしたらセドリードは、僕と弟を重ねていたのではなかろうか。若くして国王となった彼は僕と境遇が似ている。しかし彼にはセドリードのように捨て身で支えてくれる人間がいて羨ましかった。きっとセドリードは僕を通じて弟を見て、同情や愛着のような感情を抱いていたのではないだろうか。だからこそ最後に見た彼の顔は、幸せそうに笑っていた。
「そうか、死んだのか」
 止めどなく涙は流れていく。しかしこれは悲しみの涙ではない、懺悔の涙だ。僕に付き合わせ、セドリードにあんなつらい死に方をさせてしまい、どんなに詫びても詫びきれなかった。
「……そんなにセドリードが恋しいか」
 魂まで凍てつくようなレンの声で、一瞬にして涙が止まる。
「……レン?」
 おそるおそる顔を上げて見えたのは、レンズの向こうで激しく燃えさかる嫉妬の焔だった。ゆっくりと近づいてくる顔を、怯えて見ていた。
「ニコの傍にいていいのは俺だけだ。俺が、ニコを守る。だから、誰もいらない」
 耳もとで囁いて、レンが離れる。熱い吐息がかかった耳を思わず押さえていた。
「う、うん……」
 ……ああ、そうか。レンは僕の望みを叶えてくれるのだ。誰もいらない、レンだけがいればいい。どれだけそう、渇望しただろう。ようやくそれが、叶う。それがどんなに、間違った関係だったとしても。
「……ずっと、離れないでね」
 レンに抱きつき、その身体に顔をうずめる。
「どこにも行かない」
「約束だからね」
「ああ。約束する」
 証明するようにレンが、僕を強く抱き締め返した。

 それからレンは僕をかくまい、甘やかしている。
「シュニツェルが食べたい」
 遅い昼食を食べながら、わがままを言う。本当は危険を冒しながらレンが食料を調達してきてくれているので、こうやってまともに食事ができるだけでも感謝しないといけないのは知っていた。でも、それはおかしくなっている僕らしくないのだ。
 レンは今でも、僕がおかしくなっていると思っている。僕もそのように演技していた。もし、僕が正気だとレンに知られたら嫌われてしまう。それだけは避けたかった。
「わかった。明日、材料を調達してきて作ってやる」
 真面目にレンが頷く。
「絶対だよ」
「ああ」
 僕のわがままがレンを危険にさらしているのはわかっていた。でも、わかっていてそうした。レンがいないあいだにクーデター軍の人間が僕を見つけて拉致してくれないだろうか。街でレンだと知られて、ここがバレないだろうか。そうすれば僕から、レンを解放してあげられるのに。
「おやすみ、ニコ」
「おやすみ、レン」
 夜、寝る前にレンはキスしてくれるが、これは親が子供にするものだ。レンは一緒に寝てくれるが、決して僕を抱かなかった。それが、酷くもどかしい。しかし僕は地獄に落ちるのが決まっている。なのにレンに抱かれるなんて幸せを味わうわけにはいかない。
 この歪な関係は長く続かないのはわかっていた。それでも明日も一緒に穏やかな日が送れるように祈ってしまう。神様。あと少し、ほんの少しでいいから、レンとこの幸せな生活を続けさせてください。そのあとは喜んで地獄へ落ちます――。
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