22 / 37
第4章 公表は突然に
6. 本人だけがわかっていない
しおりを挟む
トレイを片付け、会社を連れ出された。
向かいのビルにある、コーヒーチェーン店に入る。
「なんにする?」
気づいたときにはレジ前で、慌てて目についた、期間限定紅茶のフラッペを頼んだ。
「悪かったな」
トレイの上には私の頼んだフラッペに、コーヒーとサンドイッチ。
「いえ……」
悪いのは片桐課長じゃない、川辺さんだ。
彼が詫びる必要はどこにもない。
――いや、一緒に食堂で昼食をとらせようとしたからああなったわけで、あるといえばあるか。
「ああいう面倒臭いのがいるから、迂闊に行動できないんだよな」
困ったように片桐課長は笑っているが、いままでもそれで困ったことがあったんだろうか。
「でもやっぱりこそこそするのは性にあわんし、これでよかったんだと思う。
笹岡にはしばらく、ああいう嫌な思いをさせると思うけど。
なんかあったらすぐに言え?
俺が黙らせてやるから」
「はぁ……」
黙らせるって、さっきのように?
それはただ、火に油を注ぐだけだ。
けれど言ったところで理解してもらえそうにない。
気が晴れたのか、片桐課長はガツガツとサンドイッチを食べている。
そんな彼を見ながら飲んだ、クリームたっぷりのフラッペは甘ったるく、さっきの川辺さんの声を思い出して胸焼けがしそうだった。
お昼休みが終わって会社に戻ると、さらに視線が痛かった。
「片桐課長。
笹岡さんと一緒に住んでるって本当ですか」
さりげなくコーヒーを出しながら妹尾さんは聞いているが……お昼の、社食での一件を聞いていないんだろうか。
「ああ、一緒に住んでるが。
それがなにか?」
片桐課長は完璧な笑みを浮かべていたが、完全に作り物のそれは反対に怖い。
「あ、いえ、なんでもないです……」
結局、妹尾さんはそれ以上なにも言えず、すごすごと引き下がっていった。
片桐課長がいる間はなにもなかったものの、外回りに出た途端。
「笹岡さん。
データ上の在庫と実物があわないの。
調べて」
「……はい」
妹尾さんから突きつけられた、分厚いファイル。
一品だけかと思ったら、ずらっと商品名が並んでいる。
「あの、いつまでに……」
「今日中」
「……はい」
じろっと睨まれ、なにも言い返せなかった。
そんな自分の性格が嫌になる。
「チョコソースは、と」
倉庫はひんやりとしていて、寒い。
慌ただしく働いている、倉庫勤務の人たちの邪魔にならないように、棚を確認して回る。
「なんだ、ちゃんとあるし」
足りない分は探せばすぐに見つかった。
もしくはラズベリーソースとブルーベリーソースがテレコになっていたりした。
「これからもこんな嫌がらせが続くんだよね……」
気が重くてたまらない。
それじゃなくてもいままでも、さんざん仕事を押しつけられてきたのに。
「もう、やだ……」
俯いて見える地面に、ぽたぽたと滴が落ちてきて慌てて顔を拭う。
泣き言は言いたくない。
言ったらそれだけ、弱くなる。
だからあのときも、歯を食いしばって強がった。
半分も終わらないうちに、終業の音楽が流れ出す。
今日は外食して帰るから十九時に待ち合わせだと言われたが、終わりそうにない。
「一回戻って片桐課長に連絡入れた方がいいよね……」
はぁーっと陰気なため息をつき、くるりと後ろを振り返ったところで誰かにぶつかった。
「すみません!」
急いで一歩下がろうとするが、なぜががっちりホールドされていて下がれない。
「あの……」
「ん?」
私を包む少し甘くてセクシーな匂いは、よく知った匂いだと気づいた。
「なに、やってるんですか」
「んー、笹岡が泣きそうな顔、してたから」
「してませんよ」
「そうか?」
彼は私をぱっと離し、顔を確認するかのように腰を屈めた。
「ほんとだ、泣いてない」
にぱっと笑われるとなんだか気が抜けて、さっきまでの重たい気持ちが軽くなっていた。
「なにやってるんだ?
在庫の確認?」
私の手からリストを奪い、彼――片桐課長はぱらぱらと捲っている。
「さっさと終わらせて帰るぞ」
「あの、三課の片桐課長に二課の仕事を手伝わせるわけにはいかないので」
慌てて、ずんずん歩いていく片桐課長を追いかける。
が、いきなり止まるもんだからその背中に鼻をぶつけてしまった。
「俺を誰だと思ってる?」
くるりと振り返り、片桐課長は顔をぐいっと私に近づけてくる。
右目下にふたつ並んだ黒子が、はっきり見えるほどに。
「……片桐課長」
「営業三課の課長で、営業部長代理、だ。
部長代理が営業部の仕事をしてなにが悪い?」
「悪くない、……です」
……たぶん。
「ならさっさと終わらせるぞ」
私の返事に満足げに頷き、片桐課長は顔を離した。
「それにしてもこの片付けられていない棚はなんだ!?」
片桐課長の怒りはもっともだ。
営業が得意先から持って帰った返品などを、場所を確認せずに適当に置いていくから。
倉庫からも度々、苦情が来ている。
「高来はいったい、なにをやってるんだ!?」
高来課長は口を酸っぱくして何度も注意をしているが、誰ひとりとして聞く様子がない。
ときどき、あまりの苦情に高来課長自ら棚の整理をしているほどだ。
「一度俺から、言った方がいいな」
はい、ぜひそうしてください。
俺様片桐課長――部長代理からだったら、聞くかもしれないので。
「片桐課長」
「なんだ?」
在庫を確認しながらだから、視線はあわせない。
「私、マンションを出ようと思います」
「はぁっ!?」
片桐課長は手を止めこっちを凝視しているが、気づかないフリで商品の数を数える。
「昼間の件か」
すぐに片桐課長も、前を向いて在庫確認を再開した。
「私の意思です」
いまの生活はまるで、片桐課長の愛人かなにかになったかのようだ。
そういうのは嫌だし、それに。
はっきり愛人だとか名前のついた関係ならばまだいいが、この名前のない曖昧な関係を続けていくのは不安だった。
「俺は認めないからな」
「片桐課長が認めなくても。
私は出ていきますので」
「俺は絶対に認めない」
――ガンッ!
目の前の棚が震え、肩がびくんと跳ねる。
強引に後ろを向かされた。
見上げるとレンズの奥で、黒い石炭のような瞳が燃えていた。
「俺は絶対に、笹岡を手放さない」
噛みつくみたいに唇が重なる。
乱暴で余裕のないキスに、手は手近な棚を痛いくらい掴んでいた。
唇が角度を変えた隙に呼吸しようとするが、それよりも早く再び片桐課長の唇が私の口を塞ぐ。
「……わかったか」
わかったかって、なにが?
あたまは酸欠でくらくらし、背中が棚を滑ってその場にぺたりと座り込んでいた。
「もう少しで終わるから、そのまま休んでいたらいい」
なにも言う気になれずに、膝を抱えてうずくまる。
――バサッ。
肩の上にジャンパーを掛けられ、顔を上げた。
視線はあったが、ぷいっと逸らされる。
「……風邪をひかれたら困る」
片桐課長が使っている香水の匂いがふんわりと香るジャンパーは、温かかった。
向かいのビルにある、コーヒーチェーン店に入る。
「なんにする?」
気づいたときにはレジ前で、慌てて目についた、期間限定紅茶のフラッペを頼んだ。
「悪かったな」
トレイの上には私の頼んだフラッペに、コーヒーとサンドイッチ。
「いえ……」
悪いのは片桐課長じゃない、川辺さんだ。
彼が詫びる必要はどこにもない。
――いや、一緒に食堂で昼食をとらせようとしたからああなったわけで、あるといえばあるか。
「ああいう面倒臭いのがいるから、迂闊に行動できないんだよな」
困ったように片桐課長は笑っているが、いままでもそれで困ったことがあったんだろうか。
「でもやっぱりこそこそするのは性にあわんし、これでよかったんだと思う。
笹岡にはしばらく、ああいう嫌な思いをさせると思うけど。
なんかあったらすぐに言え?
俺が黙らせてやるから」
「はぁ……」
黙らせるって、さっきのように?
それはただ、火に油を注ぐだけだ。
けれど言ったところで理解してもらえそうにない。
気が晴れたのか、片桐課長はガツガツとサンドイッチを食べている。
そんな彼を見ながら飲んだ、クリームたっぷりのフラッペは甘ったるく、さっきの川辺さんの声を思い出して胸焼けがしそうだった。
お昼休みが終わって会社に戻ると、さらに視線が痛かった。
「片桐課長。
笹岡さんと一緒に住んでるって本当ですか」
さりげなくコーヒーを出しながら妹尾さんは聞いているが……お昼の、社食での一件を聞いていないんだろうか。
「ああ、一緒に住んでるが。
それがなにか?」
片桐課長は完璧な笑みを浮かべていたが、完全に作り物のそれは反対に怖い。
「あ、いえ、なんでもないです……」
結局、妹尾さんはそれ以上なにも言えず、すごすごと引き下がっていった。
片桐課長がいる間はなにもなかったものの、外回りに出た途端。
「笹岡さん。
データ上の在庫と実物があわないの。
調べて」
「……はい」
妹尾さんから突きつけられた、分厚いファイル。
一品だけかと思ったら、ずらっと商品名が並んでいる。
「あの、いつまでに……」
「今日中」
「……はい」
じろっと睨まれ、なにも言い返せなかった。
そんな自分の性格が嫌になる。
「チョコソースは、と」
倉庫はひんやりとしていて、寒い。
慌ただしく働いている、倉庫勤務の人たちの邪魔にならないように、棚を確認して回る。
「なんだ、ちゃんとあるし」
足りない分は探せばすぐに見つかった。
もしくはラズベリーソースとブルーベリーソースがテレコになっていたりした。
「これからもこんな嫌がらせが続くんだよね……」
気が重くてたまらない。
それじゃなくてもいままでも、さんざん仕事を押しつけられてきたのに。
「もう、やだ……」
俯いて見える地面に、ぽたぽたと滴が落ちてきて慌てて顔を拭う。
泣き言は言いたくない。
言ったらそれだけ、弱くなる。
だからあのときも、歯を食いしばって強がった。
半分も終わらないうちに、終業の音楽が流れ出す。
今日は外食して帰るから十九時に待ち合わせだと言われたが、終わりそうにない。
「一回戻って片桐課長に連絡入れた方がいいよね……」
はぁーっと陰気なため息をつき、くるりと後ろを振り返ったところで誰かにぶつかった。
「すみません!」
急いで一歩下がろうとするが、なぜががっちりホールドされていて下がれない。
「あの……」
「ん?」
私を包む少し甘くてセクシーな匂いは、よく知った匂いだと気づいた。
「なに、やってるんですか」
「んー、笹岡が泣きそうな顔、してたから」
「してませんよ」
「そうか?」
彼は私をぱっと離し、顔を確認するかのように腰を屈めた。
「ほんとだ、泣いてない」
にぱっと笑われるとなんだか気が抜けて、さっきまでの重たい気持ちが軽くなっていた。
「なにやってるんだ?
在庫の確認?」
私の手からリストを奪い、彼――片桐課長はぱらぱらと捲っている。
「さっさと終わらせて帰るぞ」
「あの、三課の片桐課長に二課の仕事を手伝わせるわけにはいかないので」
慌てて、ずんずん歩いていく片桐課長を追いかける。
が、いきなり止まるもんだからその背中に鼻をぶつけてしまった。
「俺を誰だと思ってる?」
くるりと振り返り、片桐課長は顔をぐいっと私に近づけてくる。
右目下にふたつ並んだ黒子が、はっきり見えるほどに。
「……片桐課長」
「営業三課の課長で、営業部長代理、だ。
部長代理が営業部の仕事をしてなにが悪い?」
「悪くない、……です」
……たぶん。
「ならさっさと終わらせるぞ」
私の返事に満足げに頷き、片桐課長は顔を離した。
「それにしてもこの片付けられていない棚はなんだ!?」
片桐課長の怒りはもっともだ。
営業が得意先から持って帰った返品などを、場所を確認せずに適当に置いていくから。
倉庫からも度々、苦情が来ている。
「高来はいったい、なにをやってるんだ!?」
高来課長は口を酸っぱくして何度も注意をしているが、誰ひとりとして聞く様子がない。
ときどき、あまりの苦情に高来課長自ら棚の整理をしているほどだ。
「一度俺から、言った方がいいな」
はい、ぜひそうしてください。
俺様片桐課長――部長代理からだったら、聞くかもしれないので。
「片桐課長」
「なんだ?」
在庫を確認しながらだから、視線はあわせない。
「私、マンションを出ようと思います」
「はぁっ!?」
片桐課長は手を止めこっちを凝視しているが、気づかないフリで商品の数を数える。
「昼間の件か」
すぐに片桐課長も、前を向いて在庫確認を再開した。
「私の意思です」
いまの生活はまるで、片桐課長の愛人かなにかになったかのようだ。
そういうのは嫌だし、それに。
はっきり愛人だとか名前のついた関係ならばまだいいが、この名前のない曖昧な関係を続けていくのは不安だった。
「俺は認めないからな」
「片桐課長が認めなくても。
私は出ていきますので」
「俺は絶対に認めない」
――ガンッ!
目の前の棚が震え、肩がびくんと跳ねる。
強引に後ろを向かされた。
見上げるとレンズの奥で、黒い石炭のような瞳が燃えていた。
「俺は絶対に、笹岡を手放さない」
噛みつくみたいに唇が重なる。
乱暴で余裕のないキスに、手は手近な棚を痛いくらい掴んでいた。
唇が角度を変えた隙に呼吸しようとするが、それよりも早く再び片桐課長の唇が私の口を塞ぐ。
「……わかったか」
わかったかって、なにが?
あたまは酸欠でくらくらし、背中が棚を滑ってその場にぺたりと座り込んでいた。
「もう少しで終わるから、そのまま休んでいたらいい」
なにも言う気になれずに、膝を抱えてうずくまる。
――バサッ。
肩の上にジャンパーを掛けられ、顔を上げた。
視線はあったが、ぷいっと逸らされる。
「……風邪をひかれたら困る」
片桐課長が使っている香水の匂いがふんわりと香るジャンパーは、温かかった。
10
あなたにおすすめの小説
社内恋愛~○と□~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
一年越しの片想いが実り、俺は彼女と付き合い始めたのだけれど。
彼女はなぜか、付き合っていることを秘密にしたがる。
別に社内恋愛は禁止じゃないし、話していいと思うんだが。
それに最近、可愛くなった彼女を狙っている奴もいて苛つく。
そんな中、迎えた慰安旅行で……。
『○と□~丸課長と四角い私~』蔵田課長目線の続編!
貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈
玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳
大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。
でも、これはただのお見合いではないらしい。
初出はエブリスタ様にて。
また番外編を追加する予定です。
シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。
表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。
○と□~丸い課長と四角い私~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
佐々鳴海。
会社員。
職場の上司、蔵田課長とは犬猿の仲。
水と油。
まあ、そんな感じ。
けれどそんな私たちには秘密があるのです……。
******
6話完結。
毎日21時更新。
フリーランスエンジニアの優しすぎる無償の愛
春咲さゆ
恋愛
26歳OLの木崎茉莉は人生のどん底にいた。上手くいかないことに慣れ、心を凍らせることで自分を守る毎日に絶望した茉莉は、雨の夜に思わず人生の終わりを願ってしまう。そんな茉莉に手を差し伸べたかっこいい彼。茉莉は、なぜか無償の愛のような優しさをくれる不思議な男性に少しずつ救われ、前を向いていく。けれど、疑ってしまうほど親切な彼には、親切であり続ける理由があって……。雨の夜の出会いがもたらした、優しくも切ない物語。
涙のあとに咲く約束
小田恒子
恋愛
事務系の仕事に転職したばかりの松下理緒は、総務部の藤堂がシングルファーザーではないかという噂を耳にする。
噂を聞いた後、偶然藤堂と小さな男の子の姿を見かけ、男の子が落とした絵本をきっかけに親しくなる。
家族持ちの藤堂にどうしようもなく惹かれていく。
そんなある日、真一は事故で亡くなった兄夫婦の子で、藤堂が自分の子どもとして育てていると知ったた理緒は……
ベリーズカフェ公開日 2025/08/11
アルファポリス公開日 2025/11/28
表紙はぱくたそ様のフリー素材
ロゴは簡単表紙メーカー様を使用
*作品の無断転載はご遠慮申し上げます。
譲れない秘密の溺愛
恋文春奈
恋愛
憧れの的、国宝級にイケメンな一条社長と秘密で付き合っている 社内一人気の氷室先輩が急接近!? 憧れの二人に愛される美波だけど… 「美波…今日充電させて」 「俺だけに愛されて」 一条 朝陽 完全無欠なイケメン×鈴木 美波 無自覚隠れ美女
私の婚活事情〜副社長の策に嵌まるまで〜
みかん桜
恋愛
身長172センチ。
高身長であること以外ごく普通のアラサーOL、佐伯花音。
婚活アプリに登録し、積極的に動いているのに中々上手く行かない。
「名前からしてもっと可愛らしい人かと……」ってどういうこと?
そんな男、こっちから願い下げ!
——でもだからって、イケメンで仕事もできる副社長……こんなハイスペ男子も求めてないっ!
って思ってたんだけどな。気が付いた時には既に副社長の手の内にいた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる