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第5章 元彼は突然に
6. 諦めない男
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片桐課長が間野くんと話をして一週間が過ぎた。
私もすっかり落ち着いていたし、間野くんのことなんて意識的に忘れていた。
今日は片桐課長は高来課長と一緒に、朝から一日、外回りの予定。
帰ってきたら夜、菊園さんも交えて食事に行こうって話していた。
慰労会じゃないけど、そんな感じ。
菊園さんにも高来課長にもたくさん助けられたから。
久しぶりにうきうきと仕事をこなす。
けれど。
「笹岡さん、これ、資料室に戻してきてくれない?」
三好さんは私の目の前にどさっと段ボール箱を置き、唇をつり上げてにやーっと笑った。
「いまですか?」
「そう、いますぐ」
今日は残業に繋がるような仕事はしたくない。
それに危機は去ったとはいえ、まだ長時間ひとりになるは少し怖かった。
「船井係長が溜め込んでたの。
いい加減、戻さなきゃまずいんだけど、私いま、立て込んでて」
船井係長の得意先が大規模イベントを計画していて、彼が忙しいのは知っている。
そして、そのサポートを命じられた三好さんが忙しいのも。
「わかり……ました」
渋々なのを気づかれないように笑顔を作り、段ボールを抱えて席を立つ。
エレベーターに乗るとため息が漏れた。
……よりにもよって今日じゃなくても。
愚痴っても仕方がない。
薄暗くかび臭い資料室は、だんだん私を不安にさせていく。
……さっさと終わらせよう。
黙々と棚に戻していくが、なんでこれだけも溜めたの、ってくらい多くてなかなか終わらない。
――ガチャッ。
ドアの開いた音で背中がびくりと震える。
きっと、他の課の人間が来ただけ、そう片付けようとした、が。
――カチッ。
続いて聞こえる、鍵をかける音。
資料を取りに来ただけなら、内鍵なんてかける必要がない。
そういえば恋人たちが社内で密会するのに使っているって噂もあるし、そうに違いない。
なのにコツコツとこちらに向かってくる足音はひとつしかなかった。
「花重」
嗅ぎなれた臭いが後ろから私を包む。
力が入らなくなって持っていた資料を落とし、バサリと資料室の中に音が響いた。
「……どう、して」
「ああ、三好さん、だっけ?
あの人に花重がオレから借りた金、踏み倒そうと逃げ回ってるから話がしたいって頼んだら、ふたりにしてくれたよ」
三好さんが私をそういう人間だと思っているとか、この際どうでもいい。
片桐課長は全部終わらせてくれたのだ。
自分はあんなに傷ついて。
なのにどうして、間野くんは。
「美加も愛しているけど、花重も愛しているんだ」
間野くんの唇が私の首筋を這い、ゾクゾクと悪寒が背筋を襲う。
「や、やめて」
「やめない。
花重はオレのモノだ。
片桐なんかに渡すわけないだろ」
逃げたいのに、身体はカタカタと細かく震えるばかりで動かない。
そんな私にかまわず、間野くんは身体を弄った。
「花重がオレの子妊娠したら、さすがに片桐だって諦めるだろ……」
スカートからシャツを引き出し、その中に手を入れてくる。
直接肌に手が触れ、唇を噛んで必死に耐えた。
「やっぱり花重は、可愛いな……」
間野くんの恍惚とした声が、首筋にかかる吐息が気持ち悪い。
嫌で嫌でたまらないのに、恐怖が勝って抵抗できない。
……きっとこれは、さっさと片桐課長に気持ちを伝えなかった罰だ。
きつくきつく目を閉じ、これは片桐課長だと思い込もうとした。
そうすれば少しは苦痛が少なく済みそうだから。
――ガン!
突然、聞こえた大きな音で間野くんの動きが止まる。
「笹岡、無事か!?」
続けて聞こえてきた声に、閉じていた目を開けた。
……ああ、あの人は。
――ガンガンガン、ガチャ、ガチャガチャ!
ドアを叩く音に続き、開けようとドアノブを回す音が響く。
「くそっ、なんで鍵がかかってんだよ!
高来、さっさと鍵取ってこい!」
――ガンガンガン、ガチャガチャ!
「無事か、笹岡!
笹岡!?」
外から聞こえる片桐課長の声で恐怖が薄れた。
小さく深呼吸して、勢いよく後ろへ右肘を引く。
「ぐふっ!?」
辺りの様子をうかがっていた間野くんは、突然食らった肘鉄で私から離れた。
「あんたみたいな浮気最低男、地獄に落ちたらいい!」
トドメ、じゃないけど、思いっきり股間に膝蹴りを食らわせる。
「……!!」
声にならない悲鳴を上げて、間野くんは床の上にうずくまった。
同時にドアが開いて片桐課長が転がり込むように入ってくる。
「無事か、笹岡!? ……?!」
悶絶している間野くんを見て怪訝そうだった片桐課長だけど、理由に気づくと身体を二つ折りにするほどの勢いで笑いだした。
遅れて入ってきた高来課長はそんな片桐課長に怪訝そうだったけれど、すぐに理由に気づくと彼もぷっと吹き出した。
「あー、こっちの彼は、とりあえず僕が連れていくねー」
高来課長はいまだに悶絶している間野くんを立たせているが、その肩はぷるぷると震えている。
すぐに引き摺られるように間野くんが連れていかれ、資料室には片桐課長とふたりっきりになった。
「だ、大丈夫か、笹岡」
人差し指の背でフレームを押し上げるようにして、片桐課長は笑いすぎて出た涙を拭っている。
「……そんなに笑うなんて酷いです」
思わず、唇を尖らせてふて腐れてしまう。
「うん、悪かった」
そっと、片桐課長の腕が私を包み込み、慰めるように背中をぽんぽんと叩いた。
「……怖かった」
「うん」
「……怖かったん、です」
「うん」
ぐいっと片桐課長の手が、自分の胸に私の顔を押しつける。
ぽろりと落ちた涙を皮切りに、声も我慢しないでわんわん泣いた。
「もっと早く来てやれなくて悪かった」
「遅いんですよ、樹馬さんは」
「うん、悪かった」
私の髪を撫でる、片桐課長の手は優しい。
「……でもちゃんと、助けに来てくれた」
「……うん」
ドキドキと速い心臓の鼓動が耳に届く。
これは私の心臓の音?
それとも。
「樹馬さん。
私は……」
――コン、コン。
突然、壁を叩く音が聞こえ、ぱっと片桐課長は私を離した。
「あのー、お取り込み中のところ、悪いんだけど。
笹岡さんが落ち着いたんだったら、話を聞きたいって」
ドアのところには困ったように笑う高来課長が立っていて、一気に顔が熱くなった。
私もすっかり落ち着いていたし、間野くんのことなんて意識的に忘れていた。
今日は片桐課長は高来課長と一緒に、朝から一日、外回りの予定。
帰ってきたら夜、菊園さんも交えて食事に行こうって話していた。
慰労会じゃないけど、そんな感じ。
菊園さんにも高来課長にもたくさん助けられたから。
久しぶりにうきうきと仕事をこなす。
けれど。
「笹岡さん、これ、資料室に戻してきてくれない?」
三好さんは私の目の前にどさっと段ボール箱を置き、唇をつり上げてにやーっと笑った。
「いまですか?」
「そう、いますぐ」
今日は残業に繋がるような仕事はしたくない。
それに危機は去ったとはいえ、まだ長時間ひとりになるは少し怖かった。
「船井係長が溜め込んでたの。
いい加減、戻さなきゃまずいんだけど、私いま、立て込んでて」
船井係長の得意先が大規模イベントを計画していて、彼が忙しいのは知っている。
そして、そのサポートを命じられた三好さんが忙しいのも。
「わかり……ました」
渋々なのを気づかれないように笑顔を作り、段ボールを抱えて席を立つ。
エレベーターに乗るとため息が漏れた。
……よりにもよって今日じゃなくても。
愚痴っても仕方がない。
薄暗くかび臭い資料室は、だんだん私を不安にさせていく。
……さっさと終わらせよう。
黙々と棚に戻していくが、なんでこれだけも溜めたの、ってくらい多くてなかなか終わらない。
――ガチャッ。
ドアの開いた音で背中がびくりと震える。
きっと、他の課の人間が来ただけ、そう片付けようとした、が。
――カチッ。
続いて聞こえる、鍵をかける音。
資料を取りに来ただけなら、内鍵なんてかける必要がない。
そういえば恋人たちが社内で密会するのに使っているって噂もあるし、そうに違いない。
なのにコツコツとこちらに向かってくる足音はひとつしかなかった。
「花重」
嗅ぎなれた臭いが後ろから私を包む。
力が入らなくなって持っていた資料を落とし、バサリと資料室の中に音が響いた。
「……どう、して」
「ああ、三好さん、だっけ?
あの人に花重がオレから借りた金、踏み倒そうと逃げ回ってるから話がしたいって頼んだら、ふたりにしてくれたよ」
三好さんが私をそういう人間だと思っているとか、この際どうでもいい。
片桐課長は全部終わらせてくれたのだ。
自分はあんなに傷ついて。
なのにどうして、間野くんは。
「美加も愛しているけど、花重も愛しているんだ」
間野くんの唇が私の首筋を這い、ゾクゾクと悪寒が背筋を襲う。
「や、やめて」
「やめない。
花重はオレのモノだ。
片桐なんかに渡すわけないだろ」
逃げたいのに、身体はカタカタと細かく震えるばかりで動かない。
そんな私にかまわず、間野くんは身体を弄った。
「花重がオレの子妊娠したら、さすがに片桐だって諦めるだろ……」
スカートからシャツを引き出し、その中に手を入れてくる。
直接肌に手が触れ、唇を噛んで必死に耐えた。
「やっぱり花重は、可愛いな……」
間野くんの恍惚とした声が、首筋にかかる吐息が気持ち悪い。
嫌で嫌でたまらないのに、恐怖が勝って抵抗できない。
……きっとこれは、さっさと片桐課長に気持ちを伝えなかった罰だ。
きつくきつく目を閉じ、これは片桐課長だと思い込もうとした。
そうすれば少しは苦痛が少なく済みそうだから。
――ガン!
突然、聞こえた大きな音で間野くんの動きが止まる。
「笹岡、無事か!?」
続けて聞こえてきた声に、閉じていた目を開けた。
……ああ、あの人は。
――ガンガンガン、ガチャ、ガチャガチャ!
ドアを叩く音に続き、開けようとドアノブを回す音が響く。
「くそっ、なんで鍵がかかってんだよ!
高来、さっさと鍵取ってこい!」
――ガンガンガン、ガチャガチャ!
「無事か、笹岡!
笹岡!?」
外から聞こえる片桐課長の声で恐怖が薄れた。
小さく深呼吸して、勢いよく後ろへ右肘を引く。
「ぐふっ!?」
辺りの様子をうかがっていた間野くんは、突然食らった肘鉄で私から離れた。
「あんたみたいな浮気最低男、地獄に落ちたらいい!」
トドメ、じゃないけど、思いっきり股間に膝蹴りを食らわせる。
「……!!」
声にならない悲鳴を上げて、間野くんは床の上にうずくまった。
同時にドアが開いて片桐課長が転がり込むように入ってくる。
「無事か、笹岡!? ……?!」
悶絶している間野くんを見て怪訝そうだった片桐課長だけど、理由に気づくと身体を二つ折りにするほどの勢いで笑いだした。
遅れて入ってきた高来課長はそんな片桐課長に怪訝そうだったけれど、すぐに理由に気づくと彼もぷっと吹き出した。
「あー、こっちの彼は、とりあえず僕が連れていくねー」
高来課長はいまだに悶絶している間野くんを立たせているが、その肩はぷるぷると震えている。
すぐに引き摺られるように間野くんが連れていかれ、資料室には片桐課長とふたりっきりになった。
「だ、大丈夫か、笹岡」
人差し指の背でフレームを押し上げるようにして、片桐課長は笑いすぎて出た涙を拭っている。
「……そんなに笑うなんて酷いです」
思わず、唇を尖らせてふて腐れてしまう。
「うん、悪かった」
そっと、片桐課長の腕が私を包み込み、慰めるように背中をぽんぽんと叩いた。
「……怖かった」
「うん」
「……怖かったん、です」
「うん」
ぐいっと片桐課長の手が、自分の胸に私の顔を押しつける。
ぽろりと落ちた涙を皮切りに、声も我慢しないでわんわん泣いた。
「もっと早く来てやれなくて悪かった」
「遅いんですよ、樹馬さんは」
「うん、悪かった」
私の髪を撫でる、片桐課長の手は優しい。
「……でもちゃんと、助けに来てくれた」
「……うん」
ドキドキと速い心臓の鼓動が耳に届く。
これは私の心臓の音?
それとも。
「樹馬さん。
私は……」
――コン、コン。
突然、壁を叩く音が聞こえ、ぱっと片桐課長は私を離した。
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