あなた色に染まり……ません!~呉服屋若旦那は年下彼女に独占宣言される~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

文字の大きさ
19 / 71
第4章 これは同情で愛情ではない

4.鮭の調理の仕方

しおりを挟む
「鹿乃子さんは原価計算が滅茶苦茶なんですよ」

「うっ」

トン、と美しい指が私の汚い帳簿を突く。

「この半襟など、お父様の工房を使わせていただいているからぎりぎり赤を免れていますが、本来なら大赤字ですよ」

「うっ」

もっともすぎてどんどん背中が丸まっていく。

「でも!
あんまり高いと、若い人が買いにくくなっちゃうから……」

私のモットーは若い人にもどんどん、着物を着てもらいたい、だ。
なのであまり高くしたくない。

「鹿乃子さんの言いたいことはわかります。
でもそれで、子鹿工房が潰れては本末転倒です」

「うっ」

いちいち三橋さんの指摘は正論で、だんだん泣きたくなってきた……。

「この半襟は値上げしてください」

「……どれくらいですか?」

おそるおそる、三橋さんの顔をうかがう。
値上げは仕方ないが、どれくらい?
倍……とか言われたら断固拒否。
手間賃とかからいったら、それくらいが妥当なのはわかるけど。

「そうですね……二、三百円くらい。
欲を言えば、五百円」

「あ、それくらいなら……」

思ったより上げ幅が少なくて安心した。
その程度なら上げてもいいかな、なんて思っていたくらいだし。

「ただし、柄をもう少し工夫して少なくし、手間を省きましょう」

それが、この値段を認める条件だ、といわんばかりに三橋さんがにっこりと笑う。

「えー。
でもそれじゃ、可愛くなくなっちゃう……」

私はいまの柄が、一番可愛いと思っているのだ。
なのに減らせだとか聞けるはずがない。

「そこは企業努力です。
薄利なら多売するしかない。
多売するならたくさん作らないといけませんよね?
たくさん作るためには?」

「……手間を、省く」

「そうです」

わかっていても、認めるのは難しい。
だって、自分の満足ができるものを売りたいんだもの。

「……おい、てめぇ」

それまで黙っていた祖父が、作業の手を休めて口を挟んでくる。

「職人がこれが最高だって言ってるんだ、それを、手間を省けだとか何様だ、貴様?」

ギロッ、と祖父は凄まじい眼力で三橋さんを睨みつけた。
祖父に、職人をコケにするような話は禁物だ。
職人は誇り高く、常に最高のものを目指せ、というのが祖父の主義だから。

「私は目標について話しているのです。
おじい様のように天然鮭をたっぷり使って最高の見栄えの料理を作るのが悪い、といっているのではありません」

「俺は鮭で料理なんか作ってねぇ」

祖父の機嫌は最高に悪く、一触即発の空気だ。

「ただのたとえですよ。
おじい様は美食で最高の料理人を目指していらっしゃる。
けれど鹿乃子さんが目指しているのは、町の定食屋や弁当屋で安くて美味しいものを出せる料理人じゃありませんか?」

三橋さんの言うことは当を得ている。
私は別に、最高の加賀友禅師になりたいわけじゃない。
うちみたいに、経営困難で若い職人を育てられず、閉めていく工房も少なくなかった。
なら、加賀友禅師はもっとやる気のある人に任せて、私は着物の需要を増やす方に回りたい。
だからこそ、若い人に気軽に着てもらうために、価格も手頃にしたかった。

「だとしたら鹿乃子さんに必要な技術はおじい様と違い、輸入物の鮭を薄くたくさん切っても見栄えよくする技術です」

「……けっ」

祖父が短く吐き捨てるだけして、作業に戻る。
あれはたぶん、三橋さんの言い分を理解してそれ以上、口出しできなくなったんだと思う。

「そういうわけで。
企業努力ですよ、鹿乃子さん。
きっと、可愛い鹿乃子さんならできると私は信じています」

「うっ」

私の肩に両手を置き、絶対に私を失望させたりしませんよね?
なんて目で眼鏡の向こうから三橋さんが見ている。

「……精進します」

彼の言うことは納得なだけに、それしか返せなかった。

「その代わり、じゃないんですが」

まだこれ以上、ダメ出しされるのかと身がまえた。

「この、単発的に入っているオリジナル帯の製作、これ、受発注にして定番にしましょう」

「……はい?」

オリジナル帯、とはたまに、思いつきだったり頼まれたりで作っている、名古屋帯のことだ。

「セミオーダーでもオーダーとなれば、多少、値段をのせても大丈夫です。
それでその他の低い利益を補填しましょう」

「そっか。
その手があったか……」

いままで趣味的に楽しく作ったし、とか、知り合いに頼まれたから知り合い価格で、なんてゆるーい感じでやっていた。
そもそも、そこから間違いなのだ。

「……頑張ります」

「はい。
今年は難しいですが、来年は黒字にしましょうね」

大丈夫だと三橋さんが力強く頷いてくれ、少し安心した。

「そうだ。
もういっそ、経理その他事務作業は全部、私に任せて、可愛い鹿乃子さんは作業だけに集中したらいいんですよ」

さぞいい考えだとばかりに、明るい顔で三橋さんがぽん、と手を打つ。

「ええーっ。
私のお給料も出ないほど、子鹿工房の経営は逼迫してるの、わかってますよね……?」

本来ならこんなコンサルも、いくらかかるか。
三橋さんは家族割引にするからタダでいいって言ってくれるけど、それすらも本当は心苦しいのに。

「出世払いでいただきますから、大丈夫です」

口角を綺麗につり上げた三橋さんの笑顔は、いかにも胡散臭い。

「……精進します」

ううっ、これで来年も赤字だったら、滅茶苦茶怖い……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

冷徹社長は幼馴染の私にだけ甘い

森本イチカ
恋愛
妹じゃなくて、女として見て欲しい。 14歳年下の凛子は幼馴染の優にずっと片想いしていた。 やっと社会人になり、社長である優と少しでも近づけたと思っていた矢先、優がお見合いをしている事を知る凛子。 女としてみて欲しくて迫るが拒まれてーー ★短編ですが長編に変更可能です。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

【完結】結婚式の隣の席

山田森湖
恋愛
親友の結婚式、隣の席に座ったのは——かつて同じ人を想っていた男性だった。 ふとした共感から始まった、ふたりの一夜とその先の関係。 「幸せになってやろう」 過去の想いを超えて、新たな恋に踏み出すラブストーリー。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

友達婚~5年もあいつに片想い~

日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は 同僚の大樹に5年も片想いしている 5年前にした 「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」 梨衣は今30歳 その約束を大樹は覚えているのか

処理中です...