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第4章 これは同情で愛情ではない
4.鮭の調理の仕方
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「鹿乃子さんは原価計算が滅茶苦茶なんですよ」
「うっ」
トン、と美しい指が私の汚い帳簿を突く。
「この半襟など、お父様の工房を使わせていただいているからぎりぎり赤を免れていますが、本来なら大赤字ですよ」
「うっ」
もっともすぎてどんどん背中が丸まっていく。
「でも!
あんまり高いと、若い人が買いにくくなっちゃうから……」
私のモットーは若い人にもどんどん、着物を着てもらいたい、だ。
なのであまり高くしたくない。
「鹿乃子さんの言いたいことはわかります。
でもそれで、子鹿工房が潰れては本末転倒です」
「うっ」
いちいち三橋さんの指摘は正論で、だんだん泣きたくなってきた……。
「この半襟は値上げしてください」
「……どれくらいですか?」
おそるおそる、三橋さんの顔をうかがう。
値上げは仕方ないが、どれくらい?
倍……とか言われたら断固拒否。
手間賃とかからいったら、それくらいが妥当なのはわかるけど。
「そうですね……二、三百円くらい。
欲を言えば、五百円」
「あ、それくらいなら……」
思ったより上げ幅が少なくて安心した。
その程度なら上げてもいいかな、なんて思っていたくらいだし。
「ただし、柄をもう少し工夫して少なくし、手間を省きましょう」
それが、この値段を認める条件だ、といわんばかりに三橋さんがにっこりと笑う。
「えー。
でもそれじゃ、可愛くなくなっちゃう……」
私はいまの柄が、一番可愛いと思っているのだ。
なのに減らせだとか聞けるはずがない。
「そこは企業努力です。
薄利なら多売するしかない。
多売するならたくさん作らないといけませんよね?
たくさん作るためには?」
「……手間を、省く」
「そうです」
わかっていても、認めるのは難しい。
だって、自分の満足ができるものを売りたいんだもの。
「……おい、てめぇ」
それまで黙っていた祖父が、作業の手を休めて口を挟んでくる。
「職人がこれが最高だって言ってるんだ、それを、手間を省けだとか何様だ、貴様?」
ギロッ、と祖父は凄まじい眼力で三橋さんを睨みつけた。
祖父に、職人をコケにするような話は禁物だ。
職人は誇り高く、常に最高のものを目指せ、というのが祖父の主義だから。
「私は目標について話しているのです。
おじい様のように天然鮭をたっぷり使って最高の見栄えの料理を作るのが悪い、といっているのではありません」
「俺は鮭で料理なんか作ってねぇ」
祖父の機嫌は最高に悪く、一触即発の空気だ。
「ただのたとえですよ。
おじい様は美食で最高の料理人を目指していらっしゃる。
けれど鹿乃子さんが目指しているのは、町の定食屋や弁当屋で安くて美味しいものを出せる料理人じゃありませんか?」
三橋さんの言うことは当を得ている。
私は別に、最高の加賀友禅師になりたいわけじゃない。
うちみたいに、経営困難で若い職人を育てられず、閉めていく工房も少なくなかった。
なら、加賀友禅師はもっとやる気のある人に任せて、私は着物の需要を増やす方に回りたい。
だからこそ、若い人に気軽に着てもらうために、価格も手頃にしたかった。
「だとしたら鹿乃子さんに必要な技術はおじい様と違い、輸入物の鮭を薄くたくさん切っても見栄えよくする技術です」
「……けっ」
祖父が短く吐き捨てるだけして、作業に戻る。
あれはたぶん、三橋さんの言い分を理解してそれ以上、口出しできなくなったんだと思う。
「そういうわけで。
企業努力ですよ、鹿乃子さん。
きっと、可愛い鹿乃子さんならできると私は信じています」
「うっ」
私の肩に両手を置き、絶対に私を失望させたりしませんよね?
なんて目で眼鏡の向こうから三橋さんが見ている。
「……精進します」
彼の言うことは納得なだけに、それしか返せなかった。
「その代わり、じゃないんですが」
まだこれ以上、ダメ出しされるのかと身がまえた。
「この、単発的に入っているオリジナル帯の製作、これ、受発注にして定番にしましょう」
「……はい?」
オリジナル帯、とはたまに、思いつきだったり頼まれたりで作っている、名古屋帯のことだ。
「セミオーダーでもオーダーとなれば、多少、値段をのせても大丈夫です。
それでその他の低い利益を補填しましょう」
「そっか。
その手があったか……」
いままで趣味的に楽しく作ったし、とか、知り合いに頼まれたから知り合い価格で、なんてゆるーい感じでやっていた。
そもそも、そこから間違いなのだ。
「……頑張ります」
「はい。
今年は難しいですが、来年は黒字にしましょうね」
大丈夫だと三橋さんが力強く頷いてくれ、少し安心した。
「そうだ。
もういっそ、経理その他事務作業は全部、私に任せて、可愛い鹿乃子さんは作業だけに集中したらいいんですよ」
さぞいい考えだとばかりに、明るい顔で三橋さんがぽん、と手を打つ。
「ええーっ。
私のお給料も出ないほど、子鹿工房の経営は逼迫してるの、わかってますよね……?」
本来ならこんなコンサルも、いくらかかるか。
三橋さんは家族割引にするからタダでいいって言ってくれるけど、それすらも本当は心苦しいのに。
「出世払いでいただきますから、大丈夫です」
口角を綺麗につり上げた三橋さんの笑顔は、いかにも胡散臭い。
「……精進します」
ううっ、これで来年も赤字だったら、滅茶苦茶怖い……。
「うっ」
トン、と美しい指が私の汚い帳簿を突く。
「この半襟など、お父様の工房を使わせていただいているからぎりぎり赤を免れていますが、本来なら大赤字ですよ」
「うっ」
もっともすぎてどんどん背中が丸まっていく。
「でも!
あんまり高いと、若い人が買いにくくなっちゃうから……」
私のモットーは若い人にもどんどん、着物を着てもらいたい、だ。
なのであまり高くしたくない。
「鹿乃子さんの言いたいことはわかります。
でもそれで、子鹿工房が潰れては本末転倒です」
「うっ」
いちいち三橋さんの指摘は正論で、だんだん泣きたくなってきた……。
「この半襟は値上げしてください」
「……どれくらいですか?」
おそるおそる、三橋さんの顔をうかがう。
値上げは仕方ないが、どれくらい?
倍……とか言われたら断固拒否。
手間賃とかからいったら、それくらいが妥当なのはわかるけど。
「そうですね……二、三百円くらい。
欲を言えば、五百円」
「あ、それくらいなら……」
思ったより上げ幅が少なくて安心した。
その程度なら上げてもいいかな、なんて思っていたくらいだし。
「ただし、柄をもう少し工夫して少なくし、手間を省きましょう」
それが、この値段を認める条件だ、といわんばかりに三橋さんがにっこりと笑う。
「えー。
でもそれじゃ、可愛くなくなっちゃう……」
私はいまの柄が、一番可愛いと思っているのだ。
なのに減らせだとか聞けるはずがない。
「そこは企業努力です。
薄利なら多売するしかない。
多売するならたくさん作らないといけませんよね?
たくさん作るためには?」
「……手間を、省く」
「そうです」
わかっていても、認めるのは難しい。
だって、自分の満足ができるものを売りたいんだもの。
「……おい、てめぇ」
それまで黙っていた祖父が、作業の手を休めて口を挟んでくる。
「職人がこれが最高だって言ってるんだ、それを、手間を省けだとか何様だ、貴様?」
ギロッ、と祖父は凄まじい眼力で三橋さんを睨みつけた。
祖父に、職人をコケにするような話は禁物だ。
職人は誇り高く、常に最高のものを目指せ、というのが祖父の主義だから。
「私は目標について話しているのです。
おじい様のように天然鮭をたっぷり使って最高の見栄えの料理を作るのが悪い、といっているのではありません」
「俺は鮭で料理なんか作ってねぇ」
祖父の機嫌は最高に悪く、一触即発の空気だ。
「ただのたとえですよ。
おじい様は美食で最高の料理人を目指していらっしゃる。
けれど鹿乃子さんが目指しているのは、町の定食屋や弁当屋で安くて美味しいものを出せる料理人じゃありませんか?」
三橋さんの言うことは当を得ている。
私は別に、最高の加賀友禅師になりたいわけじゃない。
うちみたいに、経営困難で若い職人を育てられず、閉めていく工房も少なくなかった。
なら、加賀友禅師はもっとやる気のある人に任せて、私は着物の需要を増やす方に回りたい。
だからこそ、若い人に気軽に着てもらうために、価格も手頃にしたかった。
「だとしたら鹿乃子さんに必要な技術はおじい様と違い、輸入物の鮭を薄くたくさん切っても見栄えよくする技術です」
「……けっ」
祖父が短く吐き捨てるだけして、作業に戻る。
あれはたぶん、三橋さんの言い分を理解してそれ以上、口出しできなくなったんだと思う。
「そういうわけで。
企業努力ですよ、鹿乃子さん。
きっと、可愛い鹿乃子さんならできると私は信じています」
「うっ」
私の肩に両手を置き、絶対に私を失望させたりしませんよね?
なんて目で眼鏡の向こうから三橋さんが見ている。
「……精進します」
彼の言うことは納得なだけに、それしか返せなかった。
「その代わり、じゃないんですが」
まだこれ以上、ダメ出しされるのかと身がまえた。
「この、単発的に入っているオリジナル帯の製作、これ、受発注にして定番にしましょう」
「……はい?」
オリジナル帯、とはたまに、思いつきだったり頼まれたりで作っている、名古屋帯のことだ。
「セミオーダーでもオーダーとなれば、多少、値段をのせても大丈夫です。
それでその他の低い利益を補填しましょう」
「そっか。
その手があったか……」
いままで趣味的に楽しく作ったし、とか、知り合いに頼まれたから知り合い価格で、なんてゆるーい感じでやっていた。
そもそも、そこから間違いなのだ。
「……頑張ります」
「はい。
今年は難しいですが、来年は黒字にしましょうね」
大丈夫だと三橋さんが力強く頷いてくれ、少し安心した。
「そうだ。
もういっそ、経理その他事務作業は全部、私に任せて、可愛い鹿乃子さんは作業だけに集中したらいいんですよ」
さぞいい考えだとばかりに、明るい顔で三橋さんがぽん、と手を打つ。
「ええーっ。
私のお給料も出ないほど、子鹿工房の経営は逼迫してるの、わかってますよね……?」
本来ならこんなコンサルも、いくらかかるか。
三橋さんは家族割引にするからタダでいいって言ってくれるけど、それすらも本当は心苦しいのに。
「出世払いでいただきますから、大丈夫です」
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