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第6章 漸は私の男です
8.めっ、しますよ
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なにか食べて帰る気にはなれず、コンビニでお弁当を買って帰る。
お弁当を食べたあと、漸がコーヒーを淹れてくれた。
インスタントコーヒーなのはかまわないが、カップがひとつしかない。
足の間に私を座らせて後ろから抱き締めながら、ときどき私の手からカップを取って漸が飲む。
「もしかして初めから、結婚を断って家を出る気でしたか」
私はお父さんを煽るだけ煽って全く役に立っていない。
最終決断を下したのは、漸だ。
「私は鹿乃子さんを諦めて、相手の方と結婚する気でした」
カップからひとくち飲み、私に戻してくれる。
「脅されたんです、父に。
結婚を承知しないのなら有坂染色を潰してやる、と。
そしてそれができる人なんです、あの人は。
鹿乃子さんに、有坂のご家族にご迷惑をかけたくないので、身を引こうと思いました」
「……そんなの、私が許さない」
振り返り、漸の顔を見上げる。
レンズの向こうからは凪いだ瞳が私を見ていた。
「でもこれは、私の復讐でもあったんです」
「復讐、ですか?」
「はい。
言ったでしょう?
私は不能かもしれない、と。
鹿乃子さん以外に勃つ気が全くしません。
そんな男に大事な娘を嫁がせたとなれば先方は激怒しますし、当然、私の両親も大恥を掻きます。
いい気味だと思いました」
ぎゅーっと、漸が私を抱き締める。
そんな悲しい復讐、しなくてよかった。
「それに私は試したんです、鹿乃子さんを」
「……試した?」
って、私には全く自覚がないんだけど。
「鹿乃子さんが少しでも私の結婚を嫌がってくれたら、鹿乃子さんをきっぱり諦めようと決めていました。
そうしたら、鹿乃子さんは私のものだと言ってくれてました。
その言葉だけを抱いて、鹿乃子さんのいないこのあとの人生も歩んでいけると思った」
漸の目が潤んでいく。
それに胸が苦しくなって、その頬にそっと触れた。
「漸……」
「だから私は、父が希望する相手と結婚しようと決めました。
……でも」
漸の手が私の手に重なる。
「鹿乃子さんは何度も、私に諦めるなと言ってくれた。
店での私を見てもなお、なりたい私になれるように家族と戦ってくれると言ってくれた」
甘えるように漸は、私の手に頬を擦りつけた。
「しかも、私の可愛い鹿乃子さんは、漸は私の男だと啖呵を切ってくれました」
「えっ、あっ」
改めて言われると、顔が火を噴く。
きっとあのときの私は、ドヤ顔だっただろうし。
「格好よかったです。
惚れ直しました。
だから私も、諦めるのをやめたんです」
ちゅっ、と唇が重なった。
「でも殴りかかってくる父を、避けようともしないのはいただけません。
もしかして黙って殴られるつもりでしたか」
「……はい」
避けようと思えば避けられたと思う。
でも、思い知らせてやりたかった。
お前は人を暴力でしか言うことをきかせられない、最低な人間だと。
そしてそれでも、屈しない人間だっているんだって。
「鹿乃子さんの気持ちはわかります。
でも貴方が傷つくと私も痛いんです。
だからご自分を、守ってください。
ああいうことをまたやったら、いくら可愛い鹿乃子さんでもめっ、ですよ」
漸はどこまでも真剣だけど。
「……めっ、ですか」
「はい。
めっ、です」
しばらくふたりで見つめあったあと、……同時に、吹きだした。
「漸にめっ、されるのは怖いので、気をつけます」
「約束ですよ」
また、ちゅっ、と漸がキスしてくる。
今日の漸は心配がなくなったからか、スキンシップが過剰だ。
「その。
……漸、というのは」
怒られる!?
そうだよね、一回りも年上の男性を呼び捨てだとか。
しかも漸は私を鹿乃子さんとさん付けで呼ぶのに。
「あの、ダメですよね、やっぱり。
えと、じゃあ、漸……」
「鹿乃子さんから漸と呼び捨てにされるのは、鹿乃子さんの男という感じがして好きです」
にへら、と実に締まらない顔で漸が笑う。
「……私は鹿乃子さんの男ですよね」
「ひゃぁっ」
わざと耳もとで、甘い重低音ボイスで囁かれ、背筋がぞくりとした。
「……ねえ。
もう一度、言ってください。
漸は私の男だって」
「……や。
……ムリ……」
平常状態であんな台詞を言うのは恥ずかしいのに、さらに耳へ吐息をかけながら囁かれ続けたら無理。
「……言ってください、私の男だって」
「……あっ、……んん」
漸の艶を帯びた声が、私の耳を犯す。
それだけでおかしくなりそうだ。
「……鹿乃子。
言え」
「はぁっ、……あっ」
涙の浮いた目で漸を見上げる。
ゆっくりと眼鏡を外した彼は、火傷をしそうなほど熱い瞳で私を見ていた。
「……言え、鹿乃子」
燃えさかる石炭のような目には逆らえない。
震える唇で言葉を紡いだ。
「漸は、私の、男、です」
「うん」
「漸は私の男だから、誰にも渡さない……!」
「上出来」
瞬間、噛みつくみたいに唇が重なった。
何度も何度も、唇を触れあわせる。
その先に進みたいのに、漸はくれなくてもどかしい。
「……漸……」
もっと深く、繋がりたい。
期待を込めて見つめる。
「ダメですよ。
ここでは鹿乃子さんを抱かないと言ったでしょう?
続きは金沢に帰ってから、です」
ふふっ、とおかしそうに笑い、再び漸は眼鏡をかけた。
「明日は店に行って仕事の整理をしてきます。
ベッドの搬入、お任せしますね」
「ベッド、買ってよかったんですか?
もう店を辞めるんだったら」
ここで過ごすのはそんなに長い期間ではないはずだ。
「そうですね、店の仕事の整理に半年くらいかかると思います。
仕入れも経理も主に私がやっていましたから。
副業の方も本拠地を金沢へ移す準備をしないといけません。
早く可愛い鹿乃子さんと暮らすあの家へ引き上げてしまいたいですが、もうしばらくは無理ですね」
すぐにあちらへ移れるなど思っていない。
でも思った以上にかかるみたいで、ちょっと……。
「もしかして、淋しいですか?」
「そ、そんなこと、あるわけないじゃないですか!」
笑って誤魔化したけど、気づかれてないよね……?
「なるべく早く、片付けるように努力します」
くすり、なんて笑われたから、漸には私の小さな見栄なんて見抜かれているんだろうな……。
「明日、副業のパートナーに紹介します。
夜は期待していてください。
彼は私と違い、お洒落で美味しいお店をたくさん知っていますから」
「それは楽しみにしています」
……なーんて嘘。
そんなお店は、漸とふたりきりで行きたいに決まっている。
今日もソファーベッドに敷きパットを敷き、そこで寝る。
「明日からはゆっくり眠れますから」
「……これはこれで漸の体温が温かくて、癖になりそうですけどね……」
ぎゅーっと漸に抱きついて、目を閉じる。
今日は精神的に疲れていて、すぐに眠気が襲ってきた。
「おやすみなさい、私の可愛い鹿乃子さん」
優しい漸の声を最後に、眠りに落ちていった。
お弁当を食べたあと、漸がコーヒーを淹れてくれた。
インスタントコーヒーなのはかまわないが、カップがひとつしかない。
足の間に私を座らせて後ろから抱き締めながら、ときどき私の手からカップを取って漸が飲む。
「もしかして初めから、結婚を断って家を出る気でしたか」
私はお父さんを煽るだけ煽って全く役に立っていない。
最終決断を下したのは、漸だ。
「私は鹿乃子さんを諦めて、相手の方と結婚する気でした」
カップからひとくち飲み、私に戻してくれる。
「脅されたんです、父に。
結婚を承知しないのなら有坂染色を潰してやる、と。
そしてそれができる人なんです、あの人は。
鹿乃子さんに、有坂のご家族にご迷惑をかけたくないので、身を引こうと思いました」
「……そんなの、私が許さない」
振り返り、漸の顔を見上げる。
レンズの向こうからは凪いだ瞳が私を見ていた。
「でもこれは、私の復讐でもあったんです」
「復讐、ですか?」
「はい。
言ったでしょう?
私は不能かもしれない、と。
鹿乃子さん以外に勃つ気が全くしません。
そんな男に大事な娘を嫁がせたとなれば先方は激怒しますし、当然、私の両親も大恥を掻きます。
いい気味だと思いました」
ぎゅーっと、漸が私を抱き締める。
そんな悲しい復讐、しなくてよかった。
「それに私は試したんです、鹿乃子さんを」
「……試した?」
って、私には全く自覚がないんだけど。
「鹿乃子さんが少しでも私の結婚を嫌がってくれたら、鹿乃子さんをきっぱり諦めようと決めていました。
そうしたら、鹿乃子さんは私のものだと言ってくれてました。
その言葉だけを抱いて、鹿乃子さんのいないこのあとの人生も歩んでいけると思った」
漸の目が潤んでいく。
それに胸が苦しくなって、その頬にそっと触れた。
「漸……」
「だから私は、父が希望する相手と結婚しようと決めました。
……でも」
漸の手が私の手に重なる。
「鹿乃子さんは何度も、私に諦めるなと言ってくれた。
店での私を見てもなお、なりたい私になれるように家族と戦ってくれると言ってくれた」
甘えるように漸は、私の手に頬を擦りつけた。
「しかも、私の可愛い鹿乃子さんは、漸は私の男だと啖呵を切ってくれました」
「えっ、あっ」
改めて言われると、顔が火を噴く。
きっとあのときの私は、ドヤ顔だっただろうし。
「格好よかったです。
惚れ直しました。
だから私も、諦めるのをやめたんです」
ちゅっ、と唇が重なった。
「でも殴りかかってくる父を、避けようともしないのはいただけません。
もしかして黙って殴られるつもりでしたか」
「……はい」
避けようと思えば避けられたと思う。
でも、思い知らせてやりたかった。
お前は人を暴力でしか言うことをきかせられない、最低な人間だと。
そしてそれでも、屈しない人間だっているんだって。
「鹿乃子さんの気持ちはわかります。
でも貴方が傷つくと私も痛いんです。
だからご自分を、守ってください。
ああいうことをまたやったら、いくら可愛い鹿乃子さんでもめっ、ですよ」
漸はどこまでも真剣だけど。
「……めっ、ですか」
「はい。
めっ、です」
しばらくふたりで見つめあったあと、……同時に、吹きだした。
「漸にめっ、されるのは怖いので、気をつけます」
「約束ですよ」
また、ちゅっ、と漸がキスしてくる。
今日の漸は心配がなくなったからか、スキンシップが過剰だ。
「その。
……漸、というのは」
怒られる!?
そうだよね、一回りも年上の男性を呼び捨てだとか。
しかも漸は私を鹿乃子さんとさん付けで呼ぶのに。
「あの、ダメですよね、やっぱり。
えと、じゃあ、漸……」
「鹿乃子さんから漸と呼び捨てにされるのは、鹿乃子さんの男という感じがして好きです」
にへら、と実に締まらない顔で漸が笑う。
「……私は鹿乃子さんの男ですよね」
「ひゃぁっ」
わざと耳もとで、甘い重低音ボイスで囁かれ、背筋がぞくりとした。
「……ねえ。
もう一度、言ってください。
漸は私の男だって」
「……や。
……ムリ……」
平常状態であんな台詞を言うのは恥ずかしいのに、さらに耳へ吐息をかけながら囁かれ続けたら無理。
「……言ってください、私の男だって」
「……あっ、……んん」
漸の艶を帯びた声が、私の耳を犯す。
それだけでおかしくなりそうだ。
「……鹿乃子。
言え」
「はぁっ、……あっ」
涙の浮いた目で漸を見上げる。
ゆっくりと眼鏡を外した彼は、火傷をしそうなほど熱い瞳で私を見ていた。
「……言え、鹿乃子」
燃えさかる石炭のような目には逆らえない。
震える唇で言葉を紡いだ。
「漸は、私の、男、です」
「うん」
「漸は私の男だから、誰にも渡さない……!」
「上出来」
瞬間、噛みつくみたいに唇が重なった。
何度も何度も、唇を触れあわせる。
その先に進みたいのに、漸はくれなくてもどかしい。
「……漸……」
もっと深く、繋がりたい。
期待を込めて見つめる。
「ダメですよ。
ここでは鹿乃子さんを抱かないと言ったでしょう?
続きは金沢に帰ってから、です」
ふふっ、とおかしそうに笑い、再び漸は眼鏡をかけた。
「明日は店に行って仕事の整理をしてきます。
ベッドの搬入、お任せしますね」
「ベッド、買ってよかったんですか?
もう店を辞めるんだったら」
ここで過ごすのはそんなに長い期間ではないはずだ。
「そうですね、店の仕事の整理に半年くらいかかると思います。
仕入れも経理も主に私がやっていましたから。
副業の方も本拠地を金沢へ移す準備をしないといけません。
早く可愛い鹿乃子さんと暮らすあの家へ引き上げてしまいたいですが、もうしばらくは無理ですね」
すぐにあちらへ移れるなど思っていない。
でも思った以上にかかるみたいで、ちょっと……。
「もしかして、淋しいですか?」
「そ、そんなこと、あるわけないじゃないですか!」
笑って誤魔化したけど、気づかれてないよね……?
「なるべく早く、片付けるように努力します」
くすり、なんて笑われたから、漸には私の小さな見栄なんて見抜かれているんだろうな……。
「明日、副業のパートナーに紹介します。
夜は期待していてください。
彼は私と違い、お洒落で美味しいお店をたくさん知っていますから」
「それは楽しみにしています」
……なーんて嘘。
そんなお店は、漸とふたりきりで行きたいに決まっている。
今日もソファーベッドに敷きパットを敷き、そこで寝る。
「明日からはゆっくり眠れますから」
「……これはこれで漸の体温が温かくて、癖になりそうですけどね……」
ぎゅーっと漸に抱きついて、目を閉じる。
今日は精神的に疲れていて、すぐに眠気が襲ってきた。
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