あなた色に染まり……ません!~呉服屋若旦那は年下彼女に独占宣言される~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第6章 漸は私の男です

7.長い間、ありがとうございました

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「わるい!
遅くなった!」

入ってきてどさっ、と私の斜め前に座ったスーツの男は、軽薄な空気を纏っていた。

「あ、これが兄さんが連れてきた女?」

これ呼ばわりされたうえに、じろじろと値踏みするかのように見られて不愉快だけれど、引きつった笑顔でどうにか耐える。

「どんな美女かと思ったら、ブスだね」

にっこりと笑った男の口から白い歯がこぼれるが、全く爽やかには見えない。

「……三橋さん。
どなた、ですか?」

私の声は震えていたが、仕方ない。
それだけ怒りを抑え込んでいるのだから。

「弟の毅です」

「……ああ、弟さんですか。
どこかの軽薄なホストかと思いました」

「キサマ!」

すぐにその手が、私の衿にかかる。
負けじとその顔を睨みあげた。

「……誰が、鹿乃子さんに害を加えていいなど、許可を出しました?」

静かな、静かな声が机の上を這ってきて、弟さんの手を掴まえる。

「ひぃっ!」

途端に彼は私から、ぱっと手を離した。

「じょ、冗談なんだから、そんなに怒ることないだろ、兄さん」

真っ青になりながらも弟さんは誤魔化すようにヘラヘラと笑っているが……冗談?
反対の手を拳にして、半ば上げていたのに?

「とにかく。
三橋さんの意思を無視して結婚なんかさせません。
三橋さんは金沢に連れて帰って、二度とご実家とは関わらせませんから」

座ったまま身ひとつ分、後ろへ下がる。

「三橋さんを私にください」

あたまを下げ、畳に額を擦りつけた。

「ふざけるのもいい加減にしろ、小娘が!」

すぐにお父さんの怒号が降ってくる。

「ふざけていません。
荒木田総理のお嬢さんとの婚約破棄となれば、それなりのペナルティが課せられるのもわかっています。
――でも。
漸は私の、男です」

強い意志を込めて、お父さんを睨みつける。
絶対に、負けない。
三橋さん――漸はこんな家族の中でずっと、自分を殺してきた。
漸にはいつも、幸せそうに笑っていてほしい。
私はあの漸が、大好きだから。

「……うるさい」

お父さんは顔を真っ赤に染め上げ、ぶるぶると震えている。

「うるさい、うるさい、うるさい!
小娘ごときになにがわかるというんだ!」

ダン、と彼の足が机を踏む。
そこからあとはスローモーションのように見えた。
右の拳が上がり、肩が後ろへと引かれる。
反動をつけて大きく振り下ろされる拳を、視線を逸らさずに睨み続けた。

「……だから。
鹿乃子さんを傷つける人は、たとえ父でも許さないと言ったはずですが」

私の鼻の数ミリ先、焦点もあわない位置に漸の手が見える。
その手はお父さんの手を止めていた。

「漸……!」

反対の手が拳に握られ、漸に向かってくる。
けれど漸はそれを、ひらりと軽く避けた。

「もしかしたら私の気持ちをわかってくれるかもしれない、なんて期待した私が莫迦でした。
もう何度も裏切られ、諦めてしまっていたのに。
最後くらいは、なんて本当に愚かです」

お父さんの拳を受け止めたまま、漸は淡々と語っている。

「しかも、何度も鹿乃子さんに暴力を振るうなど。
本当に度しがたい」

「……!」

もがきながらお父さんが漸の手から拳を抜き取る。
きっと、顔色も変えずに痛みが走るほど力を込めて握ったんだ。

「私はこの家を出ていきます。
もう二度と、戻ってきません。
店も、毅が継げばいい」

漸が私を振り返り、無事を確認する。
頷いたらまた、元の位置へ座り直した。

「お客様に迷惑をかけるわけにはいきませんから、いま受けている注文分と、ご挨拶が終わるまでは店に立ちますが、それが終われば辞めます。
それで、貴方たちとの縁を切ります。
長い間、ありがとうございました」

座布団を避けた漸が、ご両親へ向かってあたまを下げた。
お父さんも、お母さんも、弟さんもなにも言わない。
漸はなんの感情もなく話していたが、なにも言わせない空気を作っていた。

「鹿乃子さん。
行きましょう」

そっと、庇うように漸が私を立たせる。

「漸は私が、絶対に幸せにしますので。
あ、あと職人ごときとか言ったことは、しっかり広めさせてもらいます」

あたまを下げて襖を開けた漸を追う。
先に私を出し、漸は中を振り返った。

「ああ、毅。
政治家の孫なのに初代総理大臣も知らないような貴方の妻より、鹿乃子さんが醜いなんてことはありえませんので。
じゃあ」

とん、と軽い音がして襖が閉まる。

「漸……?」

「すみません、可愛い鹿乃子さんをブスだなんて言われて腹が立ち、少々意地悪をしてしまいました」

「少々……?」

なんだろうか?
襖の向こうからは凄まじい咆哮が聞こえてきているけど。

「もうここには用がありません。
さっさと行きましょう」

「……はい」

清々しい顔で笑いながら漸は私を促しているけれど。

……あれ?
もしかして私、今日、いらなかった……?

帰りは誰も見送りにすら出てこなかった。

「タクシーを呼んでもいいんですが、少し歩いたら大通りなのでそこで拾った方が……」

「あー、怖かったー」

「……鹿乃子、さん?」

門を出て、ようやく大きく息を吐き出す。
そんな私をさぞ不思議そうに漸は見た。

「もしかして、緊張していたんですか」

「するに決まっているじゃないですか。
……あ、どっちですか」

漸の手が私の手を取り、歩きはじめる。

「堂々としていらっしゃったので、さすがおじい様の孫だけある、肝が据わっているなと思っていたのですが」

「えー、めちゃくちゃ怖かったですよ?
泣きたくなりましたが泣いたら負けだと思って」

じいちゃんがいるから大丈夫、ずっとそう自分に言い聞かせていた。
じいちゃんが私を守っていてくれているから大丈夫。
何度も、何度も。
そうじゃないと、挫けそうだった。
今日は祖父の作ってくれた着物を着てきて正解だ。

「絶対に漸を連れて帰るんだって、ただ夢中で。
でもよかった、これで漸と金沢へ帰れる」

「鹿乃子さん……!」

いきなり、漸に抱き締められた。
毎度のごとく足が宙に浮く。

「ありがとうございます、鹿乃子さん」

「私は、なにも。
それより早く、マンションに帰りましょう?
正直に言うと、まだ足が震えてて」

こんなことを告白するのは恥ずかしいが、そのせいでさっきから歩くのに転けそうで怖いのだ。

「可愛い、鹿乃子さん」

「えっ、あっ、下ろして!」

漸が私をお姫様抱っこする。
そのままタクシーに乗るまで、下ろしてもらえなかった。
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