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第1章 家政夫を頼んだら執事がきました
1-5 家政婦……なのか?
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――ピピピ、ピピピ……。
「なんで目覚ましが鳴る……」
ぼーっと携帯のアラームを止めようとして、慌てて飛び起きる。
今日は……家政婦さんの来る日だ。
「眠い……」
今日も寝たのは朝方近かった。
普段ならまだ、寝ている時間。
「誰だ、家政婦なんか頼んだの……」
あたろうにも自分なだけにどうしようもできない。
顔を洗ってコンタクトにするか眼鏡にするか悩んだ。
家では通常、黒縁眼鏡を愛用している。
コンタクトは外に出るときだけ。
長時間画面を睨んでいると目が乾くから、というのもある。
「眼鏡でいいか……」
部屋に戻って服を選ぶ。
いつもは着古した首がだるだるのTシャツにリラックスパンツという名のステテコだが、さすがにそれはまずい。
面倒だと思いつつ、適当なカットソーにジーンズを穿く。
「化粧もした方がいいよね……」
口からはぁーっとでっかいため息が落ちる。
なんで家政婦が来るってだけで、こんなに面倒なんだろう。
いつもはすっぴんもすっぴん、顔を洗ってオールインワンゲルを塗るだけだが、今日はさらにBBクリームを塗って粉をはたき、リップを塗る。
「これで頼んでよかった!
とかにならなかったら、恨んでやる……」
恨むって誰を恨めばいいんだろう?
勧めてきた桃谷さん?
でも頼んだのは自分自身だ。
――ピンポーン。
「はーい」
身支度が済んで少したった頃、チャイムが鳴った。
時間ぴったりなのはさすがだ。
「ひだまり家政婦紹介所から来ました、松岡です」
「はい、すぐに開けます」
玄関に向かいながら、さっきから違和感を覚えていた。
聞こえる声が男、なのだ。
「こんにちはー」
「あ、はい、……こんにち、は」
私が頼んだのは家政婦のはずなのだ。
田辺一美、五十二歳だと電話で打ち合わせをした人間は言っていた。
けれど、そこに立っているのは執事のような燕尾服をきっちりと着込み、お堅い銀縁スクエアの眼鏡をかけたオールバックの男。
まず、私が頼んだのは家政婦であって執事ではない。
それに家政婦といえば女性だと決めつけ、性別を確認しなかった私にも落ち度はあるだろう。
一美なんて名前、男性でも珍しくない。
けれど男はたとえ田辺さんが童顔若作りだったとしてもありえないほど若い。
若すぎる。
どうみても、私と同じくらいか少し上、くらいにしか見えない。
「……その。
お願いした家政婦さん、なんですよね……?」
「はい、ひだまり家政婦紹介所から来ました、松岡です」
「松岡……?」
差し出された封筒を受け取る。
ピンクのそれには下の方に、ひだまり家政婦紹介所とファンシーなイラストともに印刷してあった。
中を確認したら契約書類が入っている。
間違いなく頼んだ家政婦のようだが、名前が違う。
「もしかして、連絡がまだだったでしょうか。
本日、お伺いする予定だった田辺ですが、一身上の都合でしばらく休むことになりました。
つきましては代わりといたしまして、私が」
「は、はぁ……」
そういえば、携帯が鳴っていたような気がする。
眠くて黙殺したが。
起きて身支度を調えてからもなんとなく落ち着かずそわそわしていたから当然、通知のチェックなんてしていない。
「なにか不都合がございますでしょうか」
「え、えーっと。
……その服は?」
男は困る、そう言いかけてやめた。
正当な理由がない限り、性別を理由に断るなんていまの時代、やっぱりよくない。
「私の趣味でございます。
どこでも大変ご好評いただいておりますが、なにか?」
「い、いえ……」
自慢げににっこりと笑われたって、なんと返していいか困る。
「では、仕事に取りかからせていただいてよろしいでしょうか、ご主人様?」
いろいろ確認を怠り、さらには担当変更の電話を無視した自分が悪い。
松岡さんには罪はなく、断る理由も見つからない。
「よ、よろしくお願いいたします……」
「かしこまりました、ご主人様」
右手を胸に当て、恭しく松岡さんがお辞儀する。
それに引きつった笑顔しか返せない。
なんだか強引に押し切られた気がしないでもないが、全部自分が悪いんだし。
それに今日はお試しだから、なにか粗を見つけて適当に断っちゃえばいいんだし。
時間内にできる範囲でいいので、掃除と今日の夕食作りをお願いした。
「なにかあったら呼んでください。
仕事、してますので」
「かしこまりました」
お辞儀をする松岡さんはいちいち芝居がかっていたが、彼がするとそれが様になった。
……執事かー。
執事なんて取材で行った、執事カフェの執事くらいしか知らない。
あの執事はメイドカフェのメイドと一緒でエンターテイメントに特化していて、酷くがっかりしたが。
「よろしいでしょうか」
「は、はぃ!」
うっ、緊張しすぎて声が裏返った……。
ふすまを開けると松岡さんが立っていた。
あらためて見ると背が高い。
古い日本家屋の我が家では、鴨居にあたまをぶつけそうだ。
「なにか?」
つとめて平静なフリをして振る舞う。
「よろしければお茶をお淹れいたしましょうか?」
「そ、そうですね。
お願いします」
「かしこまりました」
お辞儀をして松岡さんはふすまを閉めた。
と、同時に詰めていた息を吐き出す。
……き、緊張したー。
それでなくても人付き合いは苦手、さらには男性となるともっと苦手。
家政婦を頼むのだってかなりの覚悟がいったのに、家政〝夫〟となると耐えられるはずがない。
「早く時間にならないかなー」
契約は三時から八時までの五時間。
な、長い。
なんでもっと短く、三時間契約とかにしなかったんだろう……。
なんか担当の林さん?がぐいぐい勧めてきて。
断り切れなかったんだよね……。
「あー、もー、さっさと帰ってほしい……あーっ!」
大慌てで部屋を飛び出し、台所へと急ぐ。
「どうかなさいましたか?」
「どうも……しない、です」
松岡さんは何事もなかったかのようにお茶を淹れていたが、……ここはついさっきまで、到底人が踏み込める領域ではなかったはずなのだ。
ゴミを行政指定のゴミ袋に詰めるのすらめんどくさく、コンビニの袋に入れただけでいくつも放置していた。
たまに編集さんと食事に行って、気持ちよく酔った帰りに意味不明に買った食べ物は冷蔵に入れっぱなしで、この前開けたのはいつかなんて覚えていない。
特にあれが出てからはここが発生源だとばかりにゴミを置くとき以外、閉め切っていた。
とにかく台所は完全にゴミ部屋で、私にとって一番ヤバい部屋、なのだ。
「どちらにお持ちいたしましょうか」
「あ、じゃあ、茶の間で……」
よくぞあの短時間で、って感心するくらい、ゴミは綺麗に行政指定のゴミ袋に詰めてまとめられている。
久しぶりに台所の床を見た。
うちにも流しとコンロがあったんだって、なぜか知っているはずなのに感動した。
「どうぞ」
いつもごはんを食べる場所として確保している、ちゃぶ台の唯一の隙間で松岡さんがお茶を淹れてくれる。
イギリス製のイチゴ柄のティーセットはいつぞや、こんなのでお茶するなんて優雅だわー、それに経費で落ちるし、なーんて感じで買った記憶がある。
もちろん、買ってから一度も使ったことがない。
「……ありがとうございます」
カップに口をつけると、いい匂いがした。
たぶん、ダージリン。
……ん?
ダージリンはいいが、こんな酷い我が家にお茶っ葉などあろうはずがない。
いや、たとえあったとしても、こんな感じで買ったまま放置、で香りなんてすでに飛んでいるはず。
「この紅茶、どうしたんですか?」
「ああ、初めてのお宅にお伺いするときは持参するようにしております」
「……そうですか」
松岡さんが指を揃えた手で、眼鏡の右端を押さえるようにくいっと上げる。
そういうのはますますできる執事っぽい。
――が。
和室、ちゃぶ台、正座する執事服の男は違和感でしかない。
「よろしければこっちらもどうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
お皿にのせたクッキーを差し出された。
おそるおそる手を伸ばし、クッキーを口に入れる。
「……!」
クッキーは口の中に入れた途端、ほろほろと崩れていった。
しかもバターのいい香りがする。
はっきり言って、いままで食べてきたどんなクッキーよりも、おいしい。
「お茶のおかわりはいかがですか?」
「……お願いします」
クッキーを食べた後の紅茶は、クッキーの脂分と甘さを洗い流し、爽やかに整えてくれる。
もう、紅茶クッキー紅茶クッキーで永遠に食べていられそう。
「ふにゃぁ」
おいしいものを食べてついつい、気が緩む。
が、くすりと小さく耳に届いた笑い声で、瞬時に背筋がしゃんと伸びた。
「ご満足いただけましたでしょうか」
「ま、まあまあ」
不覚にも気の抜けた姿を見せてしまうなんて。
精一杯、虚勢を張ってみたもののバレバレな気がする。
――なぜなら一瞬、意地悪く松岡さんの右の口端が僅かに持ち上がっていた気がするから。
「なんで目覚ましが鳴る……」
ぼーっと携帯のアラームを止めようとして、慌てて飛び起きる。
今日は……家政婦さんの来る日だ。
「眠い……」
今日も寝たのは朝方近かった。
普段ならまだ、寝ている時間。
「誰だ、家政婦なんか頼んだの……」
あたろうにも自分なだけにどうしようもできない。
顔を洗ってコンタクトにするか眼鏡にするか悩んだ。
家では通常、黒縁眼鏡を愛用している。
コンタクトは外に出るときだけ。
長時間画面を睨んでいると目が乾くから、というのもある。
「眼鏡でいいか……」
部屋に戻って服を選ぶ。
いつもは着古した首がだるだるのTシャツにリラックスパンツという名のステテコだが、さすがにそれはまずい。
面倒だと思いつつ、適当なカットソーにジーンズを穿く。
「化粧もした方がいいよね……」
口からはぁーっとでっかいため息が落ちる。
なんで家政婦が来るってだけで、こんなに面倒なんだろう。
いつもはすっぴんもすっぴん、顔を洗ってオールインワンゲルを塗るだけだが、今日はさらにBBクリームを塗って粉をはたき、リップを塗る。
「これで頼んでよかった!
とかにならなかったら、恨んでやる……」
恨むって誰を恨めばいいんだろう?
勧めてきた桃谷さん?
でも頼んだのは自分自身だ。
――ピンポーン。
「はーい」
身支度が済んで少したった頃、チャイムが鳴った。
時間ぴったりなのはさすがだ。
「ひだまり家政婦紹介所から来ました、松岡です」
「はい、すぐに開けます」
玄関に向かいながら、さっきから違和感を覚えていた。
聞こえる声が男、なのだ。
「こんにちはー」
「あ、はい、……こんにち、は」
私が頼んだのは家政婦のはずなのだ。
田辺一美、五十二歳だと電話で打ち合わせをした人間は言っていた。
けれど、そこに立っているのは執事のような燕尾服をきっちりと着込み、お堅い銀縁スクエアの眼鏡をかけたオールバックの男。
まず、私が頼んだのは家政婦であって執事ではない。
それに家政婦といえば女性だと決めつけ、性別を確認しなかった私にも落ち度はあるだろう。
一美なんて名前、男性でも珍しくない。
けれど男はたとえ田辺さんが童顔若作りだったとしてもありえないほど若い。
若すぎる。
どうみても、私と同じくらいか少し上、くらいにしか見えない。
「……その。
お願いした家政婦さん、なんですよね……?」
「はい、ひだまり家政婦紹介所から来ました、松岡です」
「松岡……?」
差し出された封筒を受け取る。
ピンクのそれには下の方に、ひだまり家政婦紹介所とファンシーなイラストともに印刷してあった。
中を確認したら契約書類が入っている。
間違いなく頼んだ家政婦のようだが、名前が違う。
「もしかして、連絡がまだだったでしょうか。
本日、お伺いする予定だった田辺ですが、一身上の都合でしばらく休むことになりました。
つきましては代わりといたしまして、私が」
「は、はぁ……」
そういえば、携帯が鳴っていたような気がする。
眠くて黙殺したが。
起きて身支度を調えてからもなんとなく落ち着かずそわそわしていたから当然、通知のチェックなんてしていない。
「なにか不都合がございますでしょうか」
「え、えーっと。
……その服は?」
男は困る、そう言いかけてやめた。
正当な理由がない限り、性別を理由に断るなんていまの時代、やっぱりよくない。
「私の趣味でございます。
どこでも大変ご好評いただいておりますが、なにか?」
「い、いえ……」
自慢げににっこりと笑われたって、なんと返していいか困る。
「では、仕事に取りかからせていただいてよろしいでしょうか、ご主人様?」
いろいろ確認を怠り、さらには担当変更の電話を無視した自分が悪い。
松岡さんには罪はなく、断る理由も見つからない。
「よ、よろしくお願いいたします……」
「かしこまりました、ご主人様」
右手を胸に当て、恭しく松岡さんがお辞儀する。
それに引きつった笑顔しか返せない。
なんだか強引に押し切られた気がしないでもないが、全部自分が悪いんだし。
それに今日はお試しだから、なにか粗を見つけて適当に断っちゃえばいいんだし。
時間内にできる範囲でいいので、掃除と今日の夕食作りをお願いした。
「なにかあったら呼んでください。
仕事、してますので」
「かしこまりました」
お辞儀をする松岡さんはいちいち芝居がかっていたが、彼がするとそれが様になった。
……執事かー。
執事なんて取材で行った、執事カフェの執事くらいしか知らない。
あの執事はメイドカフェのメイドと一緒でエンターテイメントに特化していて、酷くがっかりしたが。
「よろしいでしょうか」
「は、はぃ!」
うっ、緊張しすぎて声が裏返った……。
ふすまを開けると松岡さんが立っていた。
あらためて見ると背が高い。
古い日本家屋の我が家では、鴨居にあたまをぶつけそうだ。
「なにか?」
つとめて平静なフリをして振る舞う。
「よろしければお茶をお淹れいたしましょうか?」
「そ、そうですね。
お願いします」
「かしこまりました」
お辞儀をして松岡さんはふすまを閉めた。
と、同時に詰めていた息を吐き出す。
……き、緊張したー。
それでなくても人付き合いは苦手、さらには男性となるともっと苦手。
家政婦を頼むのだってかなりの覚悟がいったのに、家政〝夫〟となると耐えられるはずがない。
「早く時間にならないかなー」
契約は三時から八時までの五時間。
な、長い。
なんでもっと短く、三時間契約とかにしなかったんだろう……。
なんか担当の林さん?がぐいぐい勧めてきて。
断り切れなかったんだよね……。
「あー、もー、さっさと帰ってほしい……あーっ!」
大慌てで部屋を飛び出し、台所へと急ぐ。
「どうかなさいましたか?」
「どうも……しない、です」
松岡さんは何事もなかったかのようにお茶を淹れていたが、……ここはついさっきまで、到底人が踏み込める領域ではなかったはずなのだ。
ゴミを行政指定のゴミ袋に詰めるのすらめんどくさく、コンビニの袋に入れただけでいくつも放置していた。
たまに編集さんと食事に行って、気持ちよく酔った帰りに意味不明に買った食べ物は冷蔵に入れっぱなしで、この前開けたのはいつかなんて覚えていない。
特にあれが出てからはここが発生源だとばかりにゴミを置くとき以外、閉め切っていた。
とにかく台所は完全にゴミ部屋で、私にとって一番ヤバい部屋、なのだ。
「どちらにお持ちいたしましょうか」
「あ、じゃあ、茶の間で……」
よくぞあの短時間で、って感心するくらい、ゴミは綺麗に行政指定のゴミ袋に詰めてまとめられている。
久しぶりに台所の床を見た。
うちにも流しとコンロがあったんだって、なぜか知っているはずなのに感動した。
「どうぞ」
いつもごはんを食べる場所として確保している、ちゃぶ台の唯一の隙間で松岡さんがお茶を淹れてくれる。
イギリス製のイチゴ柄のティーセットはいつぞや、こんなのでお茶するなんて優雅だわー、それに経費で落ちるし、なーんて感じで買った記憶がある。
もちろん、買ってから一度も使ったことがない。
「……ありがとうございます」
カップに口をつけると、いい匂いがした。
たぶん、ダージリン。
……ん?
ダージリンはいいが、こんな酷い我が家にお茶っ葉などあろうはずがない。
いや、たとえあったとしても、こんな感じで買ったまま放置、で香りなんてすでに飛んでいるはず。
「この紅茶、どうしたんですか?」
「ああ、初めてのお宅にお伺いするときは持参するようにしております」
「……そうですか」
松岡さんが指を揃えた手で、眼鏡の右端を押さえるようにくいっと上げる。
そういうのはますますできる執事っぽい。
――が。
和室、ちゃぶ台、正座する執事服の男は違和感でしかない。
「よろしければこっちらもどうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
お皿にのせたクッキーを差し出された。
おそるおそる手を伸ばし、クッキーを口に入れる。
「……!」
クッキーは口の中に入れた途端、ほろほろと崩れていった。
しかもバターのいい香りがする。
はっきり言って、いままで食べてきたどんなクッキーよりも、おいしい。
「お茶のおかわりはいかがですか?」
「……お願いします」
クッキーを食べた後の紅茶は、クッキーの脂分と甘さを洗い流し、爽やかに整えてくれる。
もう、紅茶クッキー紅茶クッキーで永遠に食べていられそう。
「ふにゃぁ」
おいしいものを食べてついつい、気が緩む。
が、くすりと小さく耳に届いた笑い声で、瞬時に背筋がしゃんと伸びた。
「ご満足いただけましたでしょうか」
「ま、まあまあ」
不覚にも気の抜けた姿を見せてしまうなんて。
精一杯、虚勢を張ってみたもののバレバレな気がする。
――なぜなら一瞬、意地悪く松岡さんの右の口端が僅かに持ち上がっていた気がするから。
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