家政夫執事と恋愛レッスン!?~初恋は脅迫状とともに~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第9章 ヤキモチは煮ても焼いても食えない

9-3 パンダになるのが怖くてマスカラは塗れない

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 次に松岡くんがやってくる金曜日まで、ひたすら執筆に没頭した。
 少しでも考えると、悲しくなるから。
 睡眠も、食事すら取らずにひたすらキーを叩き続ける。

『冷蔵庫の中を見たら紅夏の食生活なんてすぐにわかる』

 松岡くんはそう言っていた。
 だからこんな生活をしていれば彼が心配してくれるんじゃないかという期待がなかったとはいえない。

 そんな私をあざ笑うかのように、例の郵便は毎日届いた。
 封も切らずにフリーザーパックに詰め、ダイニングテーブルの上に置いていく。
 毎回、松岡くんが来たときに横井さんへ届けてくれていたが、月曜日の分はそのままある。

「ほんと、どうしたらいいんだろう……」

 憂鬱な三日間で唯一、よかったことといえば。

『例のピュアホワイト。
書籍への誹謗中傷だと、社よりnyamazonへ情報開示要求を出しました。
他社も出すようですし、遠からずどこの誰特定されるはずです。
弊社としては彼女……彼かもしれませんが、訴える予定ですし、そのとき大藤先生もあわせて名誉毀損で訴えたらいいかと思います』

 私へ報告する立川さんの声は少し、弾んでいた。

「そうですか……。
ありがとう、ございます」

 やっとあのレビューがなくなるのだというのに、なんの感慨もない。
 きっとこんな状況じゃなきゃ、手放しで喜べたのに。

『大藤先生、なんだか暗いですね。
なにかあったんですか』

「別に……」

 立川さんの声が心配そうになる。
 けれど彼のせいで松岡くんと喧嘩しました、なんて言えるはずがない。

『そうだ、嫌がらせがこれで解決するんです。
お祝いに食事にでも行きませんか』

「いえ……いいです……」

 この状態で立川さんと食事になんか行ったりしたら、また松岡くんを怒らせる。
 それだけはいくら鈍い私でもわかる。

『ほんとにどうかしたんですか』

 私を気遣ってくれる彼には申し訳ないが、こればっかりは説明できない。

「その……最近、執筆が進んでて。
早く書き上げたいかなー……なんて」

 もっともらしい言い訳をした。
 それくらいしか思いつかなかったから。

『そうですか。
気分が乗っているときはやはり、書きたいですもんね。
わかりました、食事は初稿が上がったときにでも』

「……はい、ありがとうございます」

 電話を切るとはぁーっと大きなため息が出た。

「執筆、頑張ろう」

 この小説が書き上がったら、真っ先に松岡くんに読んでもらおう。
 そうすれば、私の気持ちをきっと、わかってくれるから。



 ――ピピピッ、ピピピッ。

 手探りで携帯を探し当て、アラームを止める。

「……起きなきゃ」

 口ではそういいながらも、まぶたはちっとも開かない。
 今朝も遅くまで書いていた。
 寝たのはすっかり日が昇ってから。
 それも限界を超えるまで書いていたからベッドまでたどり着けず、仮眠用に置いてある布団にくるまって仕事部屋の床に転がったくらいだ。

「……早く起きなきゃ、松岡くんが来る……」

 わかっているけれど、やはりまぶたは開かない。
 そのまま二度寝に入ってしまった。


「……いま、何時……?」

 まだ目覚めきっていないあたまで携帯を掴み、時間を確認する。

「五時!?」

 画面を見て、いっぺんに目が覚めた。
 大慌てで起きて茶の間へ向かう。

「ごめん、松岡くん!
寝てた!」

「おはようございます」

 素っ気なくそれだけ言い、松岡くんは引き続きアイロンをかけていた。

「あ、うん。
……おはよう」

「私は買い物に行って参ります」

 アイロンがけが終わったのかてきぱきと片付け、松岡くんは部屋を出て行く。

「あの、ね」

 なにか言わなきゃ、袖を引いて引き留めたものの声が出ない。

「……なにか」

 上から、見下ろされた。
 その銀縁眼鏡と同じくらい冷たいまなざしに、身体が竦む。

「……なんでも、ない」

 袖を掴む私の手を振り払うかのように、松岡くんは買い物に出て行った。

「……まだ怒ってるんだ」

 俯いたまま洗面所に向かい、顔を洗う。
 しつこいくらい、何度も。

 寝室で適当な服に着替え、いまさら無駄だとわかっていながら化粧をした。
 アイシャドウもチークもちゃんと塗る。
 でもマスカラだけはパンダになったときが怖くて、塗れなかった。

 最後に、松岡くんからもらったペンダントをつける。

 ――私はちゃんと、松岡くんのものだよって言いたくて。

「ただいま戻りました」

「はい!」

 松岡くんが戻ってきて、私も茶の間へ向かう。

「郵便が届いておりました」

「ありが、とう」

 私の目の前に郵便の束を置いて、松岡くんはさっさと台所へ行ってしまった。
 確認しないでもすでに、例の茶封筒がのぞいている。
 嫌だな、と思いつつ、封を切った。
 今日は金曜日でエスカレートする日だから。

 中から出てきたのはやはり私の本だった。

 ――ただし今度は、無数の釘が打ち付けてある。

「ひぃっ」

 悲鳴とともに本は下に落ちた。
 それはワラ人形を連想させて、背筋を悪寒が駆け抜けていく。

「気持ち悪い」

 私が怖がっていても、松岡くんは台所から出てこない。
 こんなおぞましいものを送りつけられたことよりも、そっちの方が私を悲しくさせた。

 台所へフリーザーパックを取りに行く。
 棚をごそごそやっている私を、松岡くんはちらっとだけ見た。
 けれど声はかけてくれない。

 無言で茶の間に戻り、今日の郵便を詰める。
 いつもなら松岡くんが回収して横井さんへ届けてくれるが、これはどうしよう?
 さっき、ダイニングテーブルの上を見たら、私が置いておいた分はそのままになっていた。

「お食事の準備ができました」

「あ、はいっ!」

 行ったダイニングにはやはり、ひとり分だけの食事が用意してあった。

「……いただきます」

 スプーンを握ってもそもそとグラタンを食べる。
 メニューはグラタンにサラダとスープと、普通だった。
 けれどひとりで食べるごはんは味がしない。

「……ごちそうさまでした」

 さっさと食器を下げ、松岡くんは洗っていく。
 ダイニングの椅子に座ったまま、それを見ていた。

 前回、喧嘩したときは、謝りたいのにどうやっていいのかわからない私に、松岡くんの方が折れてくれた。
 だから、今回も期待した。

 ……けれど。

「では本日はこれで失礼させていただきます」

 ぴしゃっと、拒絶するように玄関が閉まる。
 結局、今日は謝るどころかまともに会話すらしてくれなかった。

「そんなに怒んなくてもいいじゃない……」

 ひとりになると、涙がぽろぽろこぼれ落ちてくる。

「……いい。
仕事するから」

 手のひらで涙を拭いながら仕事部屋に向かう。
 デジタルメモを立ち上げ、つらいことをすべて忘れるようにキーを叩きはじめた。
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