家政夫執事と恋愛レッスン!?~初恋は脅迫状とともに~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第9章 ヤキモチは煮ても焼いても食えない

9-4 書き上がらないと仲直りしてもらえない

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 ゴン、額が机に激突する。

「ヤバい、寝てた……」

 五分で自動オフの設定になっているデジタルメモの画面は、真っ暗になっていた。

「でも、あとちょっと……」

 これが書き上がれば松岡くんと仲直りできる。

 ――これが書き上がらなければ松岡くんから許してもらえない。

 半ば強迫観念で、ひたすらキーを叩いていた。

「紅夏」

 松岡くんの、声がする。

「……こんなになるまで仕事することねーだろ」

 ゆらり、身体が揺れる。
 すぐ傍でお日様みたいな匂いがして、すりっと頬を擦り寄せた。

「……松岡くん……」

 彼がいま、こんなに私に優しくしてくれるはずがないのだ。
 だからこれは私が見ている、都合のいい夢だとわかっている。
 わかっているから悲しい。

「泣くことねーだろ。
……って泣かせてるのは俺だけど」

 身体の揺れが止まり、今度はゆっくり、ゆっくりと手があたまを撫でる。

「ヤキモチだってわかってるんだ。
あんな顔を見せるのは俺だけだって思ってたのに、ほかの奴にもしてるしさ。
二股とか疑いたくなるだろ」

 松岡くんのひとり言は続いていく。

「紅夏がそんな器用なこと、できないのはわかってるんだけど。
でもな……」

 髪を撫でていた手が離れていく。
 その手はあらわになっているであろう、首筋の噛み痕を撫でた。

「こんな印つけとかないと、不安でしょうがない。
余裕なくて紅夏を追い詰めてる俺、格好悪ー」

 ふふっ、自嘲するかのような小さな笑い声が耳に届いた。

「おやすみ、紅夏。
夢の中じゃ、泣かずにすんだらいいな」

 頬に柔らかいものが触れ、離れていく。
 それが酷く悲しくてまた涙がこぼれた。


「立川様がお見えになっておりますが」

「はいっ!?」

 松岡くんの声で目が覚めた。
 また、彼が来る時間を過ぎても寝ていたようだ。

 ――けれど。

 机で寝落ちたはずなのに、目覚めたのはベッドだった。

「えっ、立川さん!?」

「はい、立川様です。
いかがいたしましょうか」

 いままでだったら嬉しいところだけれど、いまは正直、会いたくないっていうのが本音。
 特に、松岡くんがいるときに。
 立川さん自身には罪がないから大変申し訳ないけれど。

「どう、しようかな」

 ちらっと、松岡くんを見上げる。
 けれど彼は顔ひとつ変えない。

「会った方がいいと思う?」

 ちらっ、ちらっと、さらに彼の顔をうかがう、が。

「なぜそのようなことを私に尋ねるのですか」

 すぐに冷たい声が返ってくる。
 さっき、夢の中でずいぶん優しかったけれど、あれはやっぱり、あくまでも夢だったのだ。

「……うん。
ごめん。
すぐに準備するから待っててもらって」

「はい」

 松岡くんがいなくなり、みるみる期待は萎んでいく。

「……着替えよ」

 顔を洗って適当な服に着替え、化粧をする。
 最近は楽しくなってきていた化粧だけれど、いまは億劫で仕方ない。
 最後に、これだけは忘れずに、松岡くんからもらったペンダントをつけた。

「お待たせしました……」

「すみません、お忙しいのに押しかけてきて」

「いえ……」

 茶の間で立川さんはお茶を飲んでいた。
 曖昧な笑顔でその前に座る。
 彼はすぐに、紙袋を差し出してきた。

「これ。
いま、世間で話題のチーズタルトです。
まさか、一時間も並ぶなんて思いませんでしたよ」

「一時間も並んですか!?」

 こともなげに立川さんは言っているが、さすがにそれには驚いた。

「はい、大藤先生のためだったら」

「……ありがとうございます」

 ぱーっと立川さんの顔が輝き、眩しすぎる。
 さすが王子様だとか思いつつ、理想の王子様を立川さんに重ねて見ているのがそもそもの間違いなのだといまさらになって気づいた。

「それで。
嫌がらせの方はその後、どうですか」

「それが……」

 ダイニングテーブルの上に積みっぱなしになっている郵便物を持ってくる。

「こんな感じでまだ、届いています」

 こたつの上に並べられたそれらに、立川さんは眉をひそめた。

「拝見しても?」

「あ、出しちゃダメです」

 フリーザーパックを開けようとした彼を慌てて止める。

「その、できるだけ指紋をつけないようにって、警察の方が」

「なるほどですね」

 納得したのか立川さんは頷き、フリーザーパックの上から中のものの観察をはじめた。

「こっちの本は釘を打ってありますけど、この未開封のは?」

 封を切っていない封筒を、フリーザーパックごと立川さんが持ち上げる。

「いつも金曜日にエスカレートするから、ほかの曜日のは同じ内容だろうと開けてないんです。
ちなみに釘の分が先週金曜日で、先々週は血塗れになって送られてきました」

「血塗れ、ですか。
気持ち悪いですね」

 立川さんもいい気はしないのか、不快そうに顔をしかめた。

「この釘打ちの奴も。
まるでワラ人形に釘を打って呪っているみたいじゃないですか」

「そう、ですよね」

 私も同じことを考えた。

「反対にこっちから、呪ってやりたいくらいですよ」

 立川さんは本気なのか冗談なのかわからない。
 でも、そんな気持ちになるのはわかる。

「でも、人を呪わば穴二つ、って言いますし」

「大藤先生は優しいんですね」

「優しくなんかないですよ。
自分に返ってくるのが嫌なだけで」

 笑ってごまかして、紅茶を口に運ぶ。

 私だって呪えるなら犯人を呪いたい。
 でもそれはいま私に嫌がらせをやっている人間と同じことをするということになる。
 そんなのは――嫌だ。

「社にもこの件、伝えておきます。
まあ、ピュアホワイトの身元が割れるのも秒読みですから、すぐに終わるとは思いますけどね」

「……なら、いいんですけど」

 立川さんはnyamazonに悪辣なレビューをつけた人間と、悪質な郵便を送ってくる犯人が同一人物だと決めつけているようだけれど。

 ――はたして、そうなのだろうか。

「話は変わりますけど、作品の進み具合はどうですか」

 立川さんの声で、少し考え込みそうになっていた意識を慌てて戻す。

「……進んでます」

 あれ、は早く書き上げてしまわなければいけない。
なによりも優先して。
 そうじゃないと私は――。

「そうですか。
その、もしよかったら、蒼海文芸大賞に応募してみませんか」

「……はい?」

 物思いにふけって聞き流していたら、思いがけない言葉に顔を上げた。

「いや、お勧めしなかったのは悪かったんですが、たぶん締め切りに間に合わないだろうと思っていまして。
でもこの分だと十分間に合いそうなので」

 蒼海文芸大賞といえばプロアマ問わず応募ができる、文芸界では大きな公募だ。
 入賞作は書店で大々的に売り出され、映像化された作品も少なくない。
 そんな公募に私の作品を出す?

「でも、私なんて」

 いままで書いてきたのはTLノベルで文芸は未知の分野。
 あんなに立川さんとプロットを詰めたにもかかわらず、まだ手探り状態で書いている。

「大丈夫です。
僕が保証します。
それに桃谷だってきっといい作品になると言っていたじゃないですか」

「それは、そうですが……」

 自信が全くない。
 そもそも、私なんかが書いたものを出していいのかすらわからない。

「こんなことを言うのもなんですが、小説の体裁すらとれていない作品だって応募されてくるんですよ?
だから自信を持って」

 なんだか慰め方がずれている気がするが、おかげで少し、肩の力が抜けた。

「じゃあ、……頑張ってみます」

「はい」

 ダメだったらダメでいい。
 ただ、いま持てる力を全部出して、頑張るのみ、だ。


「今日はほんと、突然押しかけてきてすみませんでした。
でも、この間、電話で話したときの大藤先生が気になって」

 かなりの落ち込みモードだったから立川さんはさぞ、心配したのだろう。
 しかもいま、あんな嫌がらせを受けているとなると。

「……なんか、すみません」

「いえ。
じゃあ、僕はこれで。
なにかあったらいつでも電話ください」

「はい、ありがとうございます」

 靴を履く立川さんを見送る。

「あ、そうそう。
……彼、気をつけた方がいいですよ」

 松岡くんに聞こえないようにか耳の傍で、小さな声で囁かれた。

「それってどういう……」

「作品、楽しみに待っています!」

 私が聞き返すよりも早く、立川さんは帰ってしまった。

「いったい、なんだったんだろう……?」

 気をつけるって、松岡くんに?
 なんで?

 家の中に戻ると松岡くんはお茶の片付けをしていた。

「あ……」

「なんでしょう?」

 松岡くんの返事は素っ気ない。

「その。
起きてからなにも食べてないからお腹が空いて。
それでその、なにか食べるものないかな、って」

 ぎこちなく笑ってみる。
 けれど松岡くんは無言で台所へ行ってしまった。

「これでも召し上がればよろしいのでは?」

 戻ってきた松岡くんが、紙袋を押しつける。

 ――立川さんが持ってきた。

「そ、そうだね」

 紙袋を受け取って、すごすごと仕事部屋に戻った。
 椅子に座り、中からチーズタルトを取り出す。

「今日は嬉しそうになんてしなかったよ」

 そこにいない松岡くんに話しかける。

「王子様は卒業するし。
王子様より松岡くんがいい」

 がぶっと乱暴に、チーズタルトに噛みついた。

「だから機嫌、直してよ……」

 一時間も並んで買ってきたというチーズタルトは、妙にしょっぱかった。
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