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誠史郎ルート 1章
甘い毒 3
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雨は止んでいた。
家の前に停まった車の助手席でシートベルトを外す。顔を上げると目の前に誠史郎さんの端正な面が優しい微笑みをたたえていた。
キスを交わすと、離れがたく思う。名残惜しくて切ない吐息がこぼれた。
今日は自宅に戻ると言う誠史郎さんの白いセダンを見送ってから、そろりと玄関のドアを開けた。何となく後ろめたかった。
「ただいまー……」
声も小さくなってしまった。
リビングへ行ってみんなと顔を会わせる前に、一度部屋へ戻ろうと思っていたけれど、階段へ向かって廊下を歩いている途中で眞澄くんが顔を出す。
「お帰り。あれ、誠史郎は?」
「えっ?」
勝手に声が裏返ってしまう。
「雨降ってきたから車で迎えに行って、一緒にいるって連絡あったから」
いつの間にか伝えてくれていたみたいだ。誠史郎さんは本当に如才無い。
「あ、えっと、ここまで送ってくれて、今日は帰るって」
誠史郎さんとお付き合いをするのはやましいことではないはずなのに、視線が泳いでしまう。喉の辺りで何がつかえて胸がチクチク痛む。
「ふたりでずっと何してたんだ?」
「その、せ、誠史郎さんのシャツが雨で濡れちゃって、風邪ひいたらいけないから着替えてもらってから家に戻ろうと思って、マンションにお邪魔して、お、お茶をいただいて……」
妙に早口で喋る私をまっすぐに見つめる漆黒の瞳。それを正面から見返す勇気は出なかった。
「俺たち風邪なんてひかないから、気にする必要ないのに」
眞澄くんは小さく笑って私の髪をくしゃりとするように頭を撫でる。優しい大きな手に、申し訳なさでいっぱいになってしまう。
早く伝えた方が良いとわかっているけれど、眞澄くんや、みんなを傷つけるのが怖い。虫のいい話だけど、こうして話すこともできなくなるのは嫌だった。
一度部屋へ戻ると眞澄くんに告げて、とんとんと階段を上る。
自室の中に入ると、閉じたドアに凭れて大きくため息をついた。私はいつも通りに振る舞えていただろうか。
鞄を下ろしながら、今夜はもう誠史郎さんに会えないと思うと寂しくなった。
伝える勇気を出さなければ、誰に対しても失礼だとわかっている。
だけどふがいない私には、まだそれができそうになかった。
珍しく眠りが浅く、何度も目が覚めるうちに朝を迎えてしまった。
足元でぐっすり寝ているみやびちゃんを羨ましく思いながら、誠史郎さんが来る前に仕度を終わらせようと起き上がる。
目の下がクマになっていないか気になって、姿見に顔を近づけて覗きこむ。
誠史郎さんに、ちょっとでもかわいいと思ってもらいたい。こんなことを考えた自分に、はたと我に返って恥ずかしくなってしまう。
着替えて階下のリビングへ行く。淳くんが朝ごはんの用意をしてくれていたので手伝おうとキッチンに移動した。
「おはよう」
いつもと変わらない柔らかな王子様の微笑みになぜか気後れしてしまう。
「……おはよう」
「何かあった?」
淳くんは本当に些細なことでも見逃さない。ミルクティーの色の瞳は優しく微笑んでいた。
「えっ? な、何もないよ? ちょっとよく眠れなかっただけで……」
冷蔵庫からヨーグルトの入った容器を取り出して、作業台に四つ並べたガラスの器に小分けにする。我ながら隠し事が下手だ。
だけど淳くんは、それ以上追及してくることはなかった。
眞澄くんと裕翔くんも起きてきて、みんなで朝食を食べる。
眞澄くんと裕翔が後片付けをしてくれるので私はリビングでみやびちゃんと遊んでいたところに誠史郎さんがやって来た。
「おはようございます。今日は真壁さんはいらっしゃらないのですか?」
すごい。完璧にいつも通りの誠史郎さんだ。私は全然普通じゃいられないのに。
「お仕事の打ち合わせが入ったって、昨日の夜に帰られて……」
唇が視界に入るといろいろと思い出しておかしなテンションになるので、目を合わせないように下を見る。
声も妙に小さくなってしまった。
「あー! 誠史郎がみさきをいじめてる!」
キッチンからこちらへやって来た裕翔くんの声に驚いてしまう。誠史郎さんは困ったような微笑みを浮かべて元気な少年を見た。
「そんなことないよ!」
私の態度が不審なせいだ。急いで否定するけれど、裕翔くんの双眸は疑ったように誠史郎さんを見ている。
「本当?」
こくこくと何度もうなずく。
「意地悪されたらちゃんと言うんだよ?」
裕翔くんの手が頬に伸びてきて、思わず退いてしまう。しまった、と私が思っていると裕翔くんもきょとんとしている。
「あ、ありがと。大丈夫」
「裕翔くん、片付けの途中ではありませんか?」
誠史郎さんの言葉で裕翔くんは小さく肩をすくめてキッチンへ戻る。みやびちゃんもお水が欲しくなったのか、その後をついて行った。
ひとりで動揺している私を見て、誠史郎さんはわずかに口角を上げる。
「私にしか触れられたくないなんていじらしいところを見せられたら、抱きしめたくなりますね」
私だけに聞こえるように耳元でささやかれ、そのまま耳朶を甘噛みされた。
誰かに見られたのではないかと熱くなった耳を隠してキョロキョロしたけれど、大丈夫だったみたいで胸を撫で下ろす。
「誠史郎さん……!」
小声で抗議したけれど、誠史郎さんは穏やかなのにどこか意地悪な雰囲気の微笑で受け流す。
「油断大敵です」
何か言い返したいけれど、一言も出てこない。こうして誠史郎さんにかまってもらえることも、ふたりだけの秘密の行為も嬉しい。
私はこんなに一喜一憂しているのに、誠史郎さんは少しも取り乱した様子はない。その冷静さを少し分けてもらいたいと思った。
家の前に停まった車の助手席でシートベルトを外す。顔を上げると目の前に誠史郎さんの端正な面が優しい微笑みをたたえていた。
キスを交わすと、離れがたく思う。名残惜しくて切ない吐息がこぼれた。
今日は自宅に戻ると言う誠史郎さんの白いセダンを見送ってから、そろりと玄関のドアを開けた。何となく後ろめたかった。
「ただいまー……」
声も小さくなってしまった。
リビングへ行ってみんなと顔を会わせる前に、一度部屋へ戻ろうと思っていたけれど、階段へ向かって廊下を歩いている途中で眞澄くんが顔を出す。
「お帰り。あれ、誠史郎は?」
「えっ?」
勝手に声が裏返ってしまう。
「雨降ってきたから車で迎えに行って、一緒にいるって連絡あったから」
いつの間にか伝えてくれていたみたいだ。誠史郎さんは本当に如才無い。
「あ、えっと、ここまで送ってくれて、今日は帰るって」
誠史郎さんとお付き合いをするのはやましいことではないはずなのに、視線が泳いでしまう。喉の辺りで何がつかえて胸がチクチク痛む。
「ふたりでずっと何してたんだ?」
「その、せ、誠史郎さんのシャツが雨で濡れちゃって、風邪ひいたらいけないから着替えてもらってから家に戻ろうと思って、マンションにお邪魔して、お、お茶をいただいて……」
妙に早口で喋る私をまっすぐに見つめる漆黒の瞳。それを正面から見返す勇気は出なかった。
「俺たち風邪なんてひかないから、気にする必要ないのに」
眞澄くんは小さく笑って私の髪をくしゃりとするように頭を撫でる。優しい大きな手に、申し訳なさでいっぱいになってしまう。
早く伝えた方が良いとわかっているけれど、眞澄くんや、みんなを傷つけるのが怖い。虫のいい話だけど、こうして話すこともできなくなるのは嫌だった。
一度部屋へ戻ると眞澄くんに告げて、とんとんと階段を上る。
自室の中に入ると、閉じたドアに凭れて大きくため息をついた。私はいつも通りに振る舞えていただろうか。
鞄を下ろしながら、今夜はもう誠史郎さんに会えないと思うと寂しくなった。
伝える勇気を出さなければ、誰に対しても失礼だとわかっている。
だけどふがいない私には、まだそれができそうになかった。
珍しく眠りが浅く、何度も目が覚めるうちに朝を迎えてしまった。
足元でぐっすり寝ているみやびちゃんを羨ましく思いながら、誠史郎さんが来る前に仕度を終わらせようと起き上がる。
目の下がクマになっていないか気になって、姿見に顔を近づけて覗きこむ。
誠史郎さんに、ちょっとでもかわいいと思ってもらいたい。こんなことを考えた自分に、はたと我に返って恥ずかしくなってしまう。
着替えて階下のリビングへ行く。淳くんが朝ごはんの用意をしてくれていたので手伝おうとキッチンに移動した。
「おはよう」
いつもと変わらない柔らかな王子様の微笑みになぜか気後れしてしまう。
「……おはよう」
「何かあった?」
淳くんは本当に些細なことでも見逃さない。ミルクティーの色の瞳は優しく微笑んでいた。
「えっ? な、何もないよ? ちょっとよく眠れなかっただけで……」
冷蔵庫からヨーグルトの入った容器を取り出して、作業台に四つ並べたガラスの器に小分けにする。我ながら隠し事が下手だ。
だけど淳くんは、それ以上追及してくることはなかった。
眞澄くんと裕翔くんも起きてきて、みんなで朝食を食べる。
眞澄くんと裕翔が後片付けをしてくれるので私はリビングでみやびちゃんと遊んでいたところに誠史郎さんがやって来た。
「おはようございます。今日は真壁さんはいらっしゃらないのですか?」
すごい。完璧にいつも通りの誠史郎さんだ。私は全然普通じゃいられないのに。
「お仕事の打ち合わせが入ったって、昨日の夜に帰られて……」
唇が視界に入るといろいろと思い出しておかしなテンションになるので、目を合わせないように下を見る。
声も妙に小さくなってしまった。
「あー! 誠史郎がみさきをいじめてる!」
キッチンからこちらへやって来た裕翔くんの声に驚いてしまう。誠史郎さんは困ったような微笑みを浮かべて元気な少年を見た。
「そんなことないよ!」
私の態度が不審なせいだ。急いで否定するけれど、裕翔くんの双眸は疑ったように誠史郎さんを見ている。
「本当?」
こくこくと何度もうなずく。
「意地悪されたらちゃんと言うんだよ?」
裕翔くんの手が頬に伸びてきて、思わず退いてしまう。しまった、と私が思っていると裕翔くんもきょとんとしている。
「あ、ありがと。大丈夫」
「裕翔くん、片付けの途中ではありませんか?」
誠史郎さんの言葉で裕翔くんは小さく肩をすくめてキッチンへ戻る。みやびちゃんもお水が欲しくなったのか、その後をついて行った。
ひとりで動揺している私を見て、誠史郎さんはわずかに口角を上げる。
「私にしか触れられたくないなんていじらしいところを見せられたら、抱きしめたくなりますね」
私だけに聞こえるように耳元でささやかれ、そのまま耳朶を甘噛みされた。
誰かに見られたのではないかと熱くなった耳を隠してキョロキョロしたけれど、大丈夫だったみたいで胸を撫で下ろす。
「誠史郎さん……!」
小声で抗議したけれど、誠史郎さんは穏やかなのにどこか意地悪な雰囲気の微笑で受け流す。
「油断大敵です」
何か言い返したいけれど、一言も出てこない。こうして誠史郎さんにかまってもらえることも、ふたりだけの秘密の行為も嬉しい。
私はこんなに一喜一憂しているのに、誠史郎さんは少しも取り乱した様子はない。その冷静さを少し分けてもらいたいと思った。
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