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誠史郎ルート 2章

禁断の果実 6

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 白衣を脱いだ誠史郎は雑用を済ませるために保健室から職員室へ移動していた。その途中、廊下で待ち伏せる作業着姿の山神が目に入る。

「誰にも言えない恋って、燃え上がりますよね」

 無視をして行き過ぎようとしたところでそう声をかけられ、誠史郎は足を止める。

「そうでしょうね」
「こちらもできるだけ手を尽くしますが、彼女を最終的に守れるのは先生ですから、よろしくお願いします」

 わずかに振り向いた誠史郎の冷たく鋭い眼光が山神を射抜く。常人ならば震え上がるところだが、彼は笑顔を崩さなかった。

「西山先生に恋人がいるってフラれたって、安座間先生が騒いでますよ?」
「本当のことを伝えただけです。騒いだところで、私の恋人の素性は知られることはありません。亘理さん、いえ、研究所の目的は何なのですか?」
「ふたりの幸せが最上の願いですよ?」

 張りついたような笑顔に誠史郎はそれ以上会話を続ける気が湧かない。無言で踵を返し、当初の目的地へ歩を進める。

はこちらで引き受けますから、安心してくださいねー」

 背中にかけられる能天気な山神の声に、誠史郎は余計なお世話だと小さくため息をつく。たち、と言うからには安座間先生だけではなく、和田先生のことも彼らは把握している。

 彼女たちには同僚以上の関心はないと何度もはっきり伝えているが、なぜか聞く耳を持たない。

 他人の心を思い通りにコントロールできると思っている山神の傲慢さ。あの研究所の人間は皆、自分たちは特別だと思っているのだろうか。

 そう感じたことに自嘲してしまう。誠史郎も亘理や山神と同じ穴の狢だと自覚はあるのに、ついみさきや眞澄たちといると忘れてしまう。

 みさきと誠史郎の関係が良好であることが彼らの願い。そこから目的を推察しようと思考を巡らした。

 山神が現れてから、誠史郎は柄にもなくみさきへの衝動を抑え込んでいる。きっと彼らはみさきに禁じられた果実を食べさせようとする蛇だ。

 まだ高校生の少女の未来に、この関係が瑕疵となるわけにはいかない。生徒に手を出した時点で危険を冒しているが。

 もちろん何が起ころうと生涯彼女を手離す気などないし、不測の事態が起これば責任は全て誠史郎が引き受ける覚悟も用意もある。

 だがみさきとの恋路に不安要素は少なければ少ないほど良い。今でさえ、みさきへ恋心を抱く男が四人も同じ屋根の下にいる。

 彼らに危害を加えられるのは、誠史郎の望むところではない。みさきを護るということでは一致した関係だし、とくに眞澄と淳は年の離れた弟のようなものだ。

 誠史郎に何をさせようというのか。

「『幸せ』……」

 山神から遠ざかりながらひとりごちる。

 人間の思い描く、恋人たちの幸せ。
 主を愛した『白の眷属』について、何か伝承があるのではないか。

 時間がかかるかもしれないが、周の遺した文献を調べてみようと誠史郎は考えた。


「俺も、多少手荒なことをしてでも人間のお姫様と吸血鬼のしもべの恋物語が起こす奇跡を目撃したいんです」

 山神の小さな独り言は誠史郎の背中に届いていない。


 ††††††††


 すぐに完全下校の時刻なのに、体育倉庫に真堂ひとりで行ってくれなんて、どうしてだろうと不審に思いながらも向かった。

 誰からの言付けなのか伝えてくれたクラスメイトに聞いたけれど、その子も別のクラスの友達に頼まれたと言っていた。伝言ゲームになっているみたいで、出どころがわからないなんて怪しすぎる。

 だけど、もしかしたら、とも期待していた。

 重く軋む扉を開けると、独特の埃っぽい臭いが鼻をつく。
 小さく咳をして暗い倉庫を覗き込むが、人の気配はない。

 当てが外れた。誠史郎さんがふたりきりになりたいと呼んでくれたのかと思ったけれど、こんな場所である必要性がない。家でこっそり会えば良い。

 一体誰が、と思いながら出入り口を全開にしてから一歩足を踏み入れる。ジャリ、と砂を踏んだ音が響いた。

「誰かいますか……?」

 念のため声をかけてみたけれど、やっぱり返事はない。

 日の暮れた体育倉庫は薄暗いけれど、特におかしな感じもしない。趣旨のよくわからないいたずらだと納得して小さく肩を落とした瞬間。

「真堂さん?」
「せ……っ」

 嬉しさのあまり誠史郎さん、と呼んでしまいそうになってあわてて口をつぐむ。

「先生……」

 ボロを出してしまいそうな自分にひやひやした。

「どうしてここにいらっしゃったんですか?」

 保健室の先生が体育倉庫に用事なんてまずない。私が首を傾げると、誠史郎さんははっとした表情になった。

 踵を返そうとした誠史郎さんの背後に人影が見えた。誰かは誠史郎さんを突き飛ばす。よろめいた誠史郎さんの身体が運悪く私にぶつかった。

「あっ……」
「真堂さん!」

 誠史郎さんがしりもちをついた私に気を取られた隙に、ドアが閉められた。ガチャガチャと鍵をかけられた音も続く。

 遠ざかって行く足音を呆然と聞いていた。

「大丈夫ですか?」

 小窓からの明かりしかない薄闇だけど、誠史郎さんが手を差し伸べてくれているのがわかった。しなやかで大きな手を握って立ち上がらせてもらう。

「はい……。だけど、閉じ込められましたね」

 私はスカートの汚れを手で払った。

「そのようですね。真堂さん、携帯はお持ちではありませんか?」
「残念ながら教室のカバンの中です」
「私も職員室に置いてきてしまいました。仕方ありません。淳くんや眞澄くんが来てくれるのを信じて待ちましょう」
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