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淳ルート 3章

琥珀と翡翠 1

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 指定された時間のより少し早く私たちはその場所に来た。
 翡翠くんたちはまだ来ていないみたいだ。

 廃墟のような使われていない倉庫なので人気ひとけはない。重い扉を眞澄くんと裕翔くんが開けてくれる。灯りもなくて、用意しておいたランタンをそれぞれ手に進んだ。
 それでも暗い。

 コンクリートを踏む足音が響く。それが余計に緊張感を高めた。

 扉は閉めずに入ってきたので、背後にも気を配っていた。

「誰か来るよ」

 裕翔くんの声にみんな足を止めた。暗いけれど、人影がふたつ確認できる。
 眞澄くんと誠史郎さんが灯りを掲げてくれたおかげで、相手の顔がはっきりわかった。

「あーら、早めに来てたんだぁ」

 くねくねしながら猫なで声で話す大島さんと、その隣で無表情に佇む翡翠くん。温度差がすごい。

 この状態で一騎打ちが始まるのは避けたかった。
 何か罠が仕掛けられていた場合、私たちが出口へ迎えない。どうにか立ち位置を変えたい。

 大島さんはそれをわかっているのか、妖しい微笑みをたたえてそこから動こうとしない。

「翡翠、琥珀を殺しなさい」

 殺すと言う言葉に私の心臓は氷水をかけられたようにヒヤリとなった。全身を巡る血も冷たくなったように感じる。

 どうして淳くんを殺さなければいけないのか、私にはさっぱりわからない。

 翡翠くんは無表情のまま、無言で一度腰を落とした。そしてすぐに床を蹴って淳くんに向かってくる。

「淳くん!」

 淳くんは予測していたみたいで、最低限の動きで翡翠くんの攻撃をかわした。

 誠史郎さんがこの場に結界を張ってくれる。それを合図みたいに淳くんはいつもとは違う銃を構える。

 普段は隠し持った小さな拳銃だけど、今は特に武器を隠す必要がなかったので淳くんはサブマシンガンを持っていた。

 この姿を見るたびに、淳くんのしなやかな身体のどこにそんな力があるのだろうと思う。白皙の王子様の体幹は少しもブレることなく、弾幕を張るように翡翠くんに向かって撃ちまくる。ギャップがすごいけれどカッコイイとも思う。

 だけど大島さんはそう思えないみたいだった。

「ちょ、ちょっと……!」

 ひどく狼狽しているみたいで、普段の人を食ったような表情が影をひそめる。

 銀の弾丸で足を何箇所も貫かれた翡翠くんは倒れ込んで動けない。だけど無表情のまま、腕の力だけで這って淳くんへ向かおうとしている。痛みを感じていないのだろうか。吸血種でもケガをしたら痛いはずなのだけど。

 戦慄を覚えるほど整った面は、表情が能面のように動かない。

 そんな翡翠くんを眞澄くんが魔封じのロープで素早く捕縛した。
 誠史郎さんが少年の額に符を貼り付けると、電池の切れた人形のように意識を失う。

 翡翠くんの撃たれた傷はゆっくり修復をはじめる。

 淳くんは銃口を大島さんへ向けた。

「や、止めてよ。そんなので撃たれたら私……」

 淳くんの色素の薄い瞳が冷たく大島さんを見据えている。少しでも妙な動きを見せれば、容赦なく撃ち抜くだろう。

 それを感じているのか、不敵な大島さんが本気で怯えているように見えた。コンクリートをするように後退った足音が響く。

 彼女も人間ではないけれど、吸血種のように頭や心臓を潰されなければ生き延びられる魔物でもないのだろう。

 他人の命は軽いのに、いざ自分の身が危険にさらされると焦るなんて。正常な反応だろうけれど、美学がない。

「僕たちを黙って通してください」

 眞澄くんが意識のない翡翠くんを肩に担いだ。これで私たちはいつでもここを出られる。

 大島さんは悔しそうに奥歯を噛みしめる。だけど淳くんの気迫に気圧されたのか、視線を逸らして道をあけた。

 淳くんが大島さんに照準を合わせ続ける間に出口へ向かった。透さんを先頭に眞澄くん、裕翔くんが続く。

 私は淳くんの傍にいた。淳くんはしんがりになろうとしているのがわかっていたから。

 大島さんがこのまま手出ししてこないとは思えない。そして淳くんは戦うことになればひとり残ってでもみんなを守ろうとするだろう。

 どちらもさせない。

 ふと気配を感じて振り返ると、誠史郎さんも残ってくれていた。
 私と目が合って小さく微笑んだ誠史郎さん。手にしていた鞭で地面を叩くと、鋭く痛そうな音がコンクリートにこだました。

 威嚇された大島さんはますます表情が引きつった。

「素直に失敗を認めて、上司への言い訳でも考えておいた方が利口だと思いますよ?」

 穏やかな声音と優しげな微笑みなのに、辛辣さにあふれている。

 誠史郎さんは私に目配せした。私はうなずいて、淳くんの背中に触れる。
 こちらを振り向いた淳くんは、私を一瞥して誠史郎さんを見た。お互い何も言葉にしなかったけれど、みんなの意思は疎通できていた。

 私と淳くんは大島さんから目を離さず、先に脱出させてもらうべく動いた。

「追ってこないでください」

 目くらましの符を誠史郎さんは涼やかな表情ではらりと宙に舞わせた。
 閃光が大島さんの視界を奪っただろう。

 急いで車へ戻ると、透さんがいつでも出発できる状態でいてくれた。

「飛ばすで!」

 透さんは不敵な笑顔でアクセルを踏み込む。

 大島さんに追いつかれることなく、自宅に戻ることができた。
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