退魔師・久遠馨の心霊事件帖

三田村優希

文字の大きさ
8 / 35
第壱帖・白藤の情念

6

しおりを挟む
 抹茶の緑を連想させる穏やかな色合い。利休色の作務衣さむえを着た青年が、離れの縁側で横になっていた。手枕で微睡まどろむ春の午後は何とも心地良く、長い時間こうしていれば風邪を引いてしまうと判っているが、心地よさの方が強くて瞼を開けられない。やがて縁側に誰かの衣擦れの音が響いてきて、青年は自堕落な時間は終わったと内心で息を吐く。

 しゅるしゅると、絹特有の滑らかな音は耳に心地よい。そっと目を開ければ、真っ白な足袋と僅かに緑がかった青――千草色の裾がすぐ傍で見える。和服の主が誰か瞬時に察した青年は、何か言われる前に素早く身を起こし居住まいを正した。今まさに小言を言ってやろうと構えていた三十代前半に見える女性は、拍子抜けしたように小さく肩をすくめると自分も青年の前に正座をした。

かおるさん、その名を継いで初めての依頼人が見えられました。さっさと着替えていらっしゃいな」

 声音に若干の苛つきが混じっているのは、依頼人と聞いて青年が心底面倒くさそうな表情をしたからだ。

「僕のような若造なんかより、母さんの方がまだまだ現役でしょう? どうぞご自身で受けたらいかがですか?」

 出来れば面倒くさいことから逃げ出したいなと、馨と呼ばれた青年は作務衣の襟を直しながら言う。

「なに寝言をのたまうのかしら、この息子は? あと母さんじゃなくて、薫《かおる》さんと呼べと言ってるでしょう?」 

 にっこりと笑っているが、全身から半端ない殺気が放たれている。さり気なくたもとから2枚ほど護符ふだを取りだし、今にも式神を呼び出そうという気配を感じた。

 馨は慌てて
「も、申し訳ございませんでした!」
 土下座をしながら詫びを入れる。

 この母親は冗談抜きで、息子に式神やら真言密教の護法童子ごほうどうじらを折檻のために使役する。今までにも母さんと呼び、式神に襲われたことが多々あった。息子からすれば、単なる年季が入った若作りの権化たる痛々しい婆なのだが、うっかりそんなことを言ったら本気で命が危ない。見た目は30代前半だが、実年齢は50代半ば。冗談抜きで、式神を使って誰かの生気を吸ってこの世に存在しているのではないかと、実の息子ながら背中が寒い。

「で? 依頼人とは?」

 しぶしぶ作務衣姿で依頼人に会うのも何だと思い、着替えるために立ち上がる。母は奥座敷の方角を指しながら答えた。

「名古屋からいらした、日本舞踊池園流宗家のお孫さんよ」

 両家は長い付き合いがある。馨も幼少の頃、両親に連れられわざわざ名古屋まで出掛け、日本舞踊の舞台を観たものだ。宗家は確か70代半ばだから、孫というなら似たような年齢かと思いながら、馨は自室に入ると洋服に着替えた。

 「お待たせしました」

 座敷に入ると住み込みの家政婦である千佐子が、客人の話し相手をしているところだった。彼女も70の坂を少し越えたばかりだが腰はスッキリと伸び、紫鼠むらさきねずの小袖の上から割烹着を着けている。遅いですよと、去り際に千佐子が目で訴えかけてきて馨は小さく肩をすくめる。

 依頼人と向かい合う形で座した。障子は大きく開け放たれており、桜の季節も終わった5月上旬の今、庭には躑躅が咲き乱れている。赤紫と白、そして赤色と色も豊富な躑躅たちが咲き誇っている。依頼人はきちんと正座をしており、日本舞踊家元の孫娘だけあって背筋が伸びていて茶を飲む姿勢も美しかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

【電子書籍化】ホラー短編集・ある怖い話の記録~旧 2ch 洒落にならない怖い話風 現代ホラー~

榊シロ
ホラー
【1~4話で完結する、語り口調の短編ホラー集】 ジャパニーズホラー、じわ怖、身近にありそうな怖い話など。 八尺様 や リアルなど、2chの 傑作ホラー の雰囲気を目指しています。現在 150話 越え。 === エブリスタ・小説家になろう・カクヨムに同時掲載中 【総文字数 800,000字 超え 文庫本 約8冊分 のボリュームです】 【怖さレベル】 ★☆☆ 微ホラー・ほんのり程度 ★★☆ ふつうに怖い話 ★★★ 旧2ch 洒落怖くらいの話 ※8/2 Kindleにて電子書籍化しました 『9/27 名称変更→旧:ある雑誌記者の記録』

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

近づいてはならぬ、敬して去るべし

句ノ休(くのやすめ)
ホラー
山中、もしあなたがそれに出会ったら…… 近づいてはいけない。 敬して去るべし。   山を降りろ。   六年勤めた会社を辞めた。お荷物だとはわかっていたし、むしろ清々しくもあった。 28歳のコウイチには、仕事より大切なものがあった。 田舎歩きだ。そこ大事なのが学生のときにかじった民俗学だ。廃集落、古い祠、忘れられた神々——それを訪ねることは、彼のたった一つの愉しみだった。   大学時代、民俗学の講義で准教授はこう言った。「神々は神ではない」。人が畏れ、従い、忖度したものがかみになる。その言葉がコウイチを変えた。 会社の営業で関東のあちこちを歩きまわった。コウイチは仕事よりも土地の古老の話に耳を傾けることに熱中した。   ふと見つけた資料にコウイチは目を奪われた。 「名付け得ぬ神」。 東京の西、檜原村の奥深く、コボレザワという場所にその祭祀を担った一族がいたという。山奥には祠があるらしい。だがもう六十年も前に無人になってしまっているようだ。   コウイチは訪ねることにする。 道中、奇妙な老人に出会う。一人目は気のいい古書店主。二人目は何かを知りながら口を閉ざす資料館の老人。そして三人目は——   雪深い山の中でコウイチはついに祠を見つけた。巨大な岩を背にした祠は古び、壊れていたが、まだ人が来ている痕跡があった。 不穏な気配にコウイチは振り向くが、なにもない。 あれ? 鳥の声が、まったくない。

雨が止むとき、人形は眠る

秋初夏生
ホラー
「雨の日に人が突然倒れる」という不可解な事件が、金沢で続発していた。 冥府庁調査課の神崎イサナと黒野アイリは調査の末、ひがし茶屋街に佇む老舗の人形店「蓮月堂」へ辿り着く。 そこでは“誰も作った覚えのない人形が、夜ごと少しずつ増えている”という奇妙な噂が立っていた。 病に伏す人形師・桐生誠士は、異変の真相解明を二人に託し、さらに姿を消した元弟子の人形師“斎宮”を探してほしいと願う。 増え続ける人形、曖昧に濁される証言、消えた記録。静かな雨音の下で、隠された想いが少しずつ輪郭を帯びていく。 これは、失ったものを手放せなかった人間の執念が引き起こす、じわじわと心を侵す怪異の物語。

処理中です...