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4 招待状
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グルサレラ軍が一戦を交えただけで撤退したとの報を受け、カルーサ国王テッサ八世は拍子抜けした想いでいた。
地方領主や貴族に戦役を課し、力を削ぐ絶好の機会と考えていたのだ。
後継ぎが戦死すれば容赦無く家を廃して王領として吸収する。
農民に戦死者が多く出るようであれば、河川の普請を課して追い打ちを掛けようと考えていた。
テッサ八世は、最初からサラサース家全滅を予想していた。
名誉を重んじる古い気質の地方領主の典型だったので、命令書一枚で死地に向かってくれると考えていた。
敵勢力の強弱を計る手頃な試験紙だったのだ。
強い相手であれば、早目に強力な貴族を向かわせる、弱い相手であれば、名声を与えぬ様に中堅処を向かわせる。
そんなゲームの様な差配が楽しめると想い、ほくそ笑んでいたのだ。
ところが敵は簡単に撤退してしまったので非常に面白くなかった。
なので、サラサース家への国王命令の履行に対する労いが必要な事は解っていたのだが、無視しようと思っていたら本当に忘れてしまった。
テッサ八世は、他国にグルサレラ軍が侵攻したとの報を聞いた時も、直ぐに撃退するものと思って大して気に留めなかった。
だが隣国との交易にも支障が出始め、周辺国から逃れて来る王族が出始めると流石に青くなった。
逃れて来た王族から聞き取りを行ってみると、グルサレラ軍は想像以上に強い。
テッサ八世は、なぜ自分の国の一地方領主が勝てたのか判らなかった。
敵軍の捕虜からの情報なのか、逃げて来た王族達の間では、カルーサ国勝利の情報は驚くほど重要で強烈な情報として広まっていた。
泣きながらカルーサ国の助力を請う他国の王族もいて、テッサ八世は閉口した。
グレサレラ軍を撃退した男は、敵の主力部隊の総督と三つ子の天才魔術師を屠り、敵軍に地獄王の代理人として恐れられているという。
テッサ八世は潜んで観察していた潜入者の報告を読み返したが、その報告では要領を得ない。
サラサース家の軍勢は敗走して谷に逃げ込み、その谷をグレサレラ軍の魔術師が物凄い火魔術で焼き払った。
その後グレサレラ軍が谷に入り、慌てて逃げ帰って来た。
そしてサラサース家の生き残り、報告には少年と書いてある、が崖上から交渉を行い、グレサレラ軍が撤退した。
谷奥で恐ろしい事が起こったことは想像できる、だが報告者は谷奥を確認したが、グレサレラ軍兵士の遺体以外は特に変わった物は無かったという。
首を捻って考え込む日々を過ごしていたテッサ八世の元に突然グレサレラ軍撤退の報が入って来た。
隣国のメリッサ国からの情報では、全滅覚悟で王都に兵を集めて籠っていたら、突然休戦協定の使者が来て、撤退宣言と捕虜交換の申し入れを行って来たというのだ。
恐々応じて理由を聞くと、地獄王の代理人の所為と言って、テーブルに拳を叩き付けたと言う。
他国からの礼状も届き始めると、テッサ八世もサラサース家の功績を無視することが出来なくなって来た。
さらにテッサ八世自身も、谷奥で起きた未知の出来事と、グルサレラ軍と交渉に当った少年、地獄王の代理人が物凄く不気味に思えて来た。
そしてグルサレル軍がレグノリア大陸全土から撤退した一月後、テオの元にグルサレル軍撃退祝勝会の招待状が王室から届けられた。
宮廷第一書記官が、自ら持参するという丁重な扱いだった。
「まあ、凄いじゃないテオ。私王城へ行くの初めてなの、何を着て行こうかしら」
使者が帰るとテオは皮肉な思いで招待状を眺めていたが、ライラはすっかり燥いでいる。
テオの脇に座って嫣然と使者を迎え、ライラはすっかりテオの伴侶的な雰囲気になっている。
喪が明けたので、ライラは白地に細かい黄色の花弁の模様が散らされた明るい色のドレスを上品に纏い、金色の髪を首の後ろで束ねている。
青と緑の宝石を散らした白珊瑚のティアラを被っていると、神殿から抜け出た優しげで上品な女神に見える。
この顔が、練武場に入るとオーガに見えるのは何故だろうとテオは思った。
式典への出席を了解し、テオは式典が予定されている日よりも一週間程早く王都に入る積りで館を出発した。
留守の間に必要な用事は、全て予定表に書き込み、館の執事長に渡して頼んである。
「ねえテオ、メレメッサ神殿前のバザーがお薦めですって。ガラス細工のお店が二百軒も軒を連ねているらしいわよ。この間グラスを二個割っちゃったからちょうど欲しかったの」
勿論テオは用事が山積で時間が惜しかったので、直前に到着すれべ良いと考えていた。
だが、ライラの拳を伴った説得に屈して出発を早めざるを得なかった。
「平原牛の肉料理は、メドナ通りが美味しくて、高原牛はケサナ通りの方が美味しいらしいわよ。ねえ、テオ、聞いてるの」
「うん、聞いてるよ姉さん」
テオは忙しかったが、大きな懸案が一つ片付いて気持ちに余裕があった。
働き手を失った家庭への支援に必要な見積額の計算が終わったのだ。
武器や防具が高値で売れた事は知っていたが、金箱に積み上がった金貨の量は予想以上だった。
十分な支援を行っても十分に残る額で、領内の社会基盤の整備資金に回す事が出来る額だった。
多少長く王都に滞在しても、掛かる費用は全体計画の誤差範囲以下なので、テオも初めての王都を多少楽しむ積りでいた。
宿は安くて良い宿を、取引のある商人に紹介してもらった。
貴族達は王都に館を構えていたり、王族に近い有力貴族であれば王城内に居住区を貸し与えられているのだが、地方領主に過ぎないサラサース家には勿論そんな物はない。
もっとも、式典への招待客であるテオには、王城内に客室が用意されていたのだが、招待とは縁のないサラサース家末子であるテオにはそんな知識は無かった。
さらに言えば、地方領主と言えども身の回りの世話をする家来を十数人程度引き連れて来るのが普通なのだが、領内を泊まり歩く事に慣れ切っている二人には思いも及ばず、のこのこ二人で出掛けて行った。
これはテオが預かり知らぬ事、招待者の王家自体も予想していなかった事なのだが、このグルサレル軍撃退祝勝会が今回の戦役に関しレグノリア大陸で唯一催された式典になってしまったのだ。
通常敵が撤退したタイミングに合わせて、どこの国でもアナウンス目的で勝利宣言を行うものなのだが、今回は余りにも圧倒的で一方的な負け方だったので、臆面も無く勝利宣言が出せる国が無かったのである。
カルーサ国だけがほとんど被害も出さずに、グルサレル軍の重要人物を屠って撃退してしまった。
グルサレル軍が撤退した後、疲弊しているレグノリアの各国には、この事実が脅威に思えていた。
各国共に、情報を得ようと必死になっていたのだが、カルーサ国内を探っても驚くほど情報が無かった。
なので各国の王室は、招待状を受け取った時、この式典が情報収集の絶好の機会と考えた。
情報収集の為に大人数を送り込み、勿論不自然にならないように招待に応じる代表者として上位の王族を送り込み、その護衛に必要な人数としての体裁を繕った。
各国の王族が一堂に会する機会は実質上皆無に近い、この千載一遇の機会に、カルーサ国内の有力貴族達も他国の王族の面識を得ようと必死になった。
そして式典の三週間前から、有力貴族が各国の王族を招待して行う舞踏会、逆に各国の王族がカルーサの貴族を招待して催される舞踏会が、王都各所で盛んに執り行われた。
皆、王城に出向く筈のサラサース家当主を待つが現れない。
慌ててサラサース領へ領事や家令を早馬で送り込むが、既にテオは王都へと発っており、宿泊先不明との返事を虚しく持ち帰るだけだった。
主役の筈でありながら、自覚の無いテオは完全に蚊帳の外をうろついていた。
「わー、静かで綺麗な宿ね。それに広い」
テオは領内を見回る時と同様に、駅馬車を何度か乗り継いで王都に辿り着いた。
途中泊まったのは、宿場町の簡素な木賃宿だったが、ここは商人達も長期の定宿として使用する、書斎や応接セットなどの設備の揃った広い部屋だった。
応接セットの脇の窓を全開にして、目の前に広がる公園の景色を眺めてライラが大喜びしている。
宿は公園に面した静かな場所にあり、繁華街や表通りから少し離れた、部屋数の少ない清潔で落ち着いた宿だった。
部屋が二階、一階は王都でも有名な料理店で、取引の有る商人の紹介が無ければ予約も難しい隠れ宿だった。
旅は予想以上に順調で、夕刻の到着予定が昼前には辿り着いていた。
昼飯を一階の店で食べさせてもらい、テオは何時もの習慣で周囲の話声に耳を傾ける。
地方を巡視していると、表に出て来ないトラブルが、他愛もない話題の中に隠されていることがあるのだ。
「この薄切り肉と葉っぱの酢漬け美味しわね。テオも食べる」
「ああ、姉さん」
「このドレッシングも美味しいわね。今度うちの料理長にも頼んで作ってもらいましょうか。うん、このお肉柔らかくて美味しいわ。このハーブを乗せると香りが口に広がって違う感じになるのね。これは鳥かしら、うん、美味しいわ。これは油で揚げたのかしら、わー、肉汁が出て美味しいわ。この黄色いのはクリームかしら、あら違うわね、酸っぱいわ。卵と酢と油を混ぜたドレッシングかしらね。サラダとも合うし、油で揚げた肉とも合うわ。ほら、テオも付けてみたら美味しいわよ」
「ああ、姉さん」
「これは魚ね、うん、サッパリして美味しいわ。まあ、これって海老じゃない、サクサクして美味しいわ。このスープも美味しいわ。玉ねぎを刻んで茸と一緒にバターで炒めてから煮たんでしょうね、この白パンも美味しいわ。この青苺の砂糖漬けを塗って食べるのよ、まあ、山蜜柑の皮の砂糖煮もあるわよ。うーん、甘くて美味しい。領内で砂糖が作れれば、砂糖ももっと安く手に入るのにねー。まあ、テオ。見て、ケーキよケーキ。王都には甘い物が一杯有って羨ましいわ」
テオは聞き耳を立てるのを諦めた、燥いでいるライラの口を塞ぐ事は無理だと思い直したのだ。
その判断が良かったのか悪かったのか。
周囲の商人達の話題の多くには、式典の主役、テオの所在を憶測した無責任な噂話で満ち溢れていた。
「姉さん、砂糖の造り方って知ってる」
「蜂蜜からじゃないの」
「ううん、植物から絞り取るんだよ。今日まだ時間が有るから、お世話になっている王立科学院の農事研究所へお礼を兼ねて挨拶に行く積りなんだ。姉さんも一緒に行って話を聞いてみるかい」
「相手は学者さんなんでしょ。大丈夫かな」
「大丈夫だよ、文面を見る限り気さくな人みたいだよ」
地方領主や貴族に戦役を課し、力を削ぐ絶好の機会と考えていたのだ。
後継ぎが戦死すれば容赦無く家を廃して王領として吸収する。
農民に戦死者が多く出るようであれば、河川の普請を課して追い打ちを掛けようと考えていた。
テッサ八世は、最初からサラサース家全滅を予想していた。
名誉を重んじる古い気質の地方領主の典型だったので、命令書一枚で死地に向かってくれると考えていた。
敵勢力の強弱を計る手頃な試験紙だったのだ。
強い相手であれば、早目に強力な貴族を向かわせる、弱い相手であれば、名声を与えぬ様に中堅処を向かわせる。
そんなゲームの様な差配が楽しめると想い、ほくそ笑んでいたのだ。
ところが敵は簡単に撤退してしまったので非常に面白くなかった。
なので、サラサース家への国王命令の履行に対する労いが必要な事は解っていたのだが、無視しようと思っていたら本当に忘れてしまった。
テッサ八世は、他国にグルサレラ軍が侵攻したとの報を聞いた時も、直ぐに撃退するものと思って大して気に留めなかった。
だが隣国との交易にも支障が出始め、周辺国から逃れて来る王族が出始めると流石に青くなった。
逃れて来た王族から聞き取りを行ってみると、グルサレラ軍は想像以上に強い。
テッサ八世は、なぜ自分の国の一地方領主が勝てたのか判らなかった。
敵軍の捕虜からの情報なのか、逃げて来た王族達の間では、カルーサ国勝利の情報は驚くほど重要で強烈な情報として広まっていた。
泣きながらカルーサ国の助力を請う他国の王族もいて、テッサ八世は閉口した。
グレサレラ軍を撃退した男は、敵の主力部隊の総督と三つ子の天才魔術師を屠り、敵軍に地獄王の代理人として恐れられているという。
テッサ八世は潜んで観察していた潜入者の報告を読み返したが、その報告では要領を得ない。
サラサース家の軍勢は敗走して谷に逃げ込み、その谷をグレサレラ軍の魔術師が物凄い火魔術で焼き払った。
その後グレサレラ軍が谷に入り、慌てて逃げ帰って来た。
そしてサラサース家の生き残り、報告には少年と書いてある、が崖上から交渉を行い、グレサレラ軍が撤退した。
谷奥で恐ろしい事が起こったことは想像できる、だが報告者は谷奥を確認したが、グレサレラ軍兵士の遺体以外は特に変わった物は無かったという。
首を捻って考え込む日々を過ごしていたテッサ八世の元に突然グレサレラ軍撤退の報が入って来た。
隣国のメリッサ国からの情報では、全滅覚悟で王都に兵を集めて籠っていたら、突然休戦協定の使者が来て、撤退宣言と捕虜交換の申し入れを行って来たというのだ。
恐々応じて理由を聞くと、地獄王の代理人の所為と言って、テーブルに拳を叩き付けたと言う。
他国からの礼状も届き始めると、テッサ八世もサラサース家の功績を無視することが出来なくなって来た。
さらにテッサ八世自身も、谷奥で起きた未知の出来事と、グルサレラ軍と交渉に当った少年、地獄王の代理人が物凄く不気味に思えて来た。
そしてグルサレル軍がレグノリア大陸全土から撤退した一月後、テオの元にグルサレル軍撃退祝勝会の招待状が王室から届けられた。
宮廷第一書記官が、自ら持参するという丁重な扱いだった。
「まあ、凄いじゃないテオ。私王城へ行くの初めてなの、何を着て行こうかしら」
使者が帰るとテオは皮肉な思いで招待状を眺めていたが、ライラはすっかり燥いでいる。
テオの脇に座って嫣然と使者を迎え、ライラはすっかりテオの伴侶的な雰囲気になっている。
喪が明けたので、ライラは白地に細かい黄色の花弁の模様が散らされた明るい色のドレスを上品に纏い、金色の髪を首の後ろで束ねている。
青と緑の宝石を散らした白珊瑚のティアラを被っていると、神殿から抜け出た優しげで上品な女神に見える。
この顔が、練武場に入るとオーガに見えるのは何故だろうとテオは思った。
式典への出席を了解し、テオは式典が予定されている日よりも一週間程早く王都に入る積りで館を出発した。
留守の間に必要な用事は、全て予定表に書き込み、館の執事長に渡して頼んである。
「ねえテオ、メレメッサ神殿前のバザーがお薦めですって。ガラス細工のお店が二百軒も軒を連ねているらしいわよ。この間グラスを二個割っちゃったからちょうど欲しかったの」
勿論テオは用事が山積で時間が惜しかったので、直前に到着すれべ良いと考えていた。
だが、ライラの拳を伴った説得に屈して出発を早めざるを得なかった。
「平原牛の肉料理は、メドナ通りが美味しくて、高原牛はケサナ通りの方が美味しいらしいわよ。ねえ、テオ、聞いてるの」
「うん、聞いてるよ姉さん」
テオは忙しかったが、大きな懸案が一つ片付いて気持ちに余裕があった。
働き手を失った家庭への支援に必要な見積額の計算が終わったのだ。
武器や防具が高値で売れた事は知っていたが、金箱に積み上がった金貨の量は予想以上だった。
十分な支援を行っても十分に残る額で、領内の社会基盤の整備資金に回す事が出来る額だった。
多少長く王都に滞在しても、掛かる費用は全体計画の誤差範囲以下なので、テオも初めての王都を多少楽しむ積りでいた。
宿は安くて良い宿を、取引のある商人に紹介してもらった。
貴族達は王都に館を構えていたり、王族に近い有力貴族であれば王城内に居住区を貸し与えられているのだが、地方領主に過ぎないサラサース家には勿論そんな物はない。
もっとも、式典への招待客であるテオには、王城内に客室が用意されていたのだが、招待とは縁のないサラサース家末子であるテオにはそんな知識は無かった。
さらに言えば、地方領主と言えども身の回りの世話をする家来を十数人程度引き連れて来るのが普通なのだが、領内を泊まり歩く事に慣れ切っている二人には思いも及ばず、のこのこ二人で出掛けて行った。
これはテオが預かり知らぬ事、招待者の王家自体も予想していなかった事なのだが、このグルサレル軍撃退祝勝会が今回の戦役に関しレグノリア大陸で唯一催された式典になってしまったのだ。
通常敵が撤退したタイミングに合わせて、どこの国でもアナウンス目的で勝利宣言を行うものなのだが、今回は余りにも圧倒的で一方的な負け方だったので、臆面も無く勝利宣言が出せる国が無かったのである。
カルーサ国だけがほとんど被害も出さずに、グルサレル軍の重要人物を屠って撃退してしまった。
グルサレル軍が撤退した後、疲弊しているレグノリアの各国には、この事実が脅威に思えていた。
各国共に、情報を得ようと必死になっていたのだが、カルーサ国内を探っても驚くほど情報が無かった。
なので各国の王室は、招待状を受け取った時、この式典が情報収集の絶好の機会と考えた。
情報収集の為に大人数を送り込み、勿論不自然にならないように招待に応じる代表者として上位の王族を送り込み、その護衛に必要な人数としての体裁を繕った。
各国の王族が一堂に会する機会は実質上皆無に近い、この千載一遇の機会に、カルーサ国内の有力貴族達も他国の王族の面識を得ようと必死になった。
そして式典の三週間前から、有力貴族が各国の王族を招待して行う舞踏会、逆に各国の王族がカルーサの貴族を招待して催される舞踏会が、王都各所で盛んに執り行われた。
皆、王城に出向く筈のサラサース家当主を待つが現れない。
慌ててサラサース領へ領事や家令を早馬で送り込むが、既にテオは王都へと発っており、宿泊先不明との返事を虚しく持ち帰るだけだった。
主役の筈でありながら、自覚の無いテオは完全に蚊帳の外をうろついていた。
「わー、静かで綺麗な宿ね。それに広い」
テオは領内を見回る時と同様に、駅馬車を何度か乗り継いで王都に辿り着いた。
途中泊まったのは、宿場町の簡素な木賃宿だったが、ここは商人達も長期の定宿として使用する、書斎や応接セットなどの設備の揃った広い部屋だった。
応接セットの脇の窓を全開にして、目の前に広がる公園の景色を眺めてライラが大喜びしている。
宿は公園に面した静かな場所にあり、繁華街や表通りから少し離れた、部屋数の少ない清潔で落ち着いた宿だった。
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地方を巡視していると、表に出て来ないトラブルが、他愛もない話題の中に隠されていることがあるのだ。
「この薄切り肉と葉っぱの酢漬け美味しわね。テオも食べる」
「ああ、姉さん」
「このドレッシングも美味しいわね。今度うちの料理長にも頼んで作ってもらいましょうか。うん、このお肉柔らかくて美味しいわ。このハーブを乗せると香りが口に広がって違う感じになるのね。これは鳥かしら、うん、美味しいわ。これは油で揚げたのかしら、わー、肉汁が出て美味しいわ。この黄色いのはクリームかしら、あら違うわね、酸っぱいわ。卵と酢と油を混ぜたドレッシングかしらね。サラダとも合うし、油で揚げた肉とも合うわ。ほら、テオも付けてみたら美味しいわよ」
「ああ、姉さん」
「これは魚ね、うん、サッパリして美味しいわ。まあ、これって海老じゃない、サクサクして美味しいわ。このスープも美味しいわ。玉ねぎを刻んで茸と一緒にバターで炒めてから煮たんでしょうね、この白パンも美味しいわ。この青苺の砂糖漬けを塗って食べるのよ、まあ、山蜜柑の皮の砂糖煮もあるわよ。うーん、甘くて美味しい。領内で砂糖が作れれば、砂糖ももっと安く手に入るのにねー。まあ、テオ。見て、ケーキよケーキ。王都には甘い物が一杯有って羨ましいわ」
テオは聞き耳を立てるのを諦めた、燥いでいるライラの口を塞ぐ事は無理だと思い直したのだ。
その判断が良かったのか悪かったのか。
周囲の商人達の話題の多くには、式典の主役、テオの所在を憶測した無責任な噂話で満ち溢れていた。
「姉さん、砂糖の造り方って知ってる」
「蜂蜜からじゃないの」
「ううん、植物から絞り取るんだよ。今日まだ時間が有るから、お世話になっている王立科学院の農事研究所へお礼を兼ねて挨拶に行く積りなんだ。姉さんも一緒に行って話を聞いてみるかい」
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