負け犬REVOLUTION 【S】

葦空 翼

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第一章 希望と欲望の街、シャングリラ 前編

第09話01 天国と着替えと“術符”

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『湯加減イカガデスカァ』

『とってもいいぞ!最高だ♥』

 きゃっきゃ!

 弾けるような水音、女性二人が朗らかに笑い合う声が聞こえる。
 サイモンは昨夜も来た白い石で出来た空間…
 天国の間と呼びたくなる空間に再び来ていた。

 女性陣とは異なり、今夜のサイモンは湯浴みをする予定がない。
 何せまだ出かける予定があるのに、カーネの服がない。
 こうなれば最終手段を取るしかない。

『ビッグケット、悪イケド賞品ノどれす、
 かーねニ貸シテアゲテクレナイカ。
 ソノ人服ナイダロ』
『えーと…カーネって?』

『ア、コレハ仮名ナノカ。チョット待テ』
{すいません、あの、きみのなまえってなに?
 まだきいてなかったよな}

 闘技場で散々聞いた「カーネ」という名前。
 これはは恐らく、登録者が勝手に決めた出場ネームだ。
 すぐそこにいるコボルト女性の本名はまだ聞いてなかった。
 そこで改めて、コボルト語で扉越しに尋ねてみる。
 すると、ギリギリ聞こえるくらいのか細い声が返ってきた。

{私の名前は…エウカリスです}
{コボルトごで かわいい ね。いいなまえだ}
{ありがとうございます}

 カーネ改めエウカリス。
 とにかく、彼女に服を用意してやらねば、
 どこに行くことも出来ない。

『ビッグケット、ソノ人エウカリスッテイウンダッテ。
 デ、エウカリスニどれすヲ貸シテアゲテ欲シインダケド』
『ふーん。じゃあ私は何着て帰るんだ?』

『ウン、二人ガ湯浴ミシテル間ニ
 ジルベールノ店ニ取リニ行コウト思ッテ』
『あーなるほど』

 この闇闘技場、地下の大階段…
 実はシャングリラ最東部、住宅街の中にある。
 この街の亜人、獣人は大概がここに住んでる。
 その中にひっそりと。

 ということは、住宅街内、
 メインストリート寄りの場所に建っているジルベールの店は
 有り体に言って「近い」のだ。
 魔法の絨毯で行けばそこそこすぐだろう。

『わかった、じゃあ今日買った着替えを持ってきてくれ。
 組み合わせはなんでもいい。
 テキトーにしか買ってないから。
 あと下着を一着余分に持ってきて。
 それをエウカリスの分にしよう』

『ワカッタ。今行ッテクル』
『ありがとう、よろしく頼む』

 ビッグケットの返事を聞いて、
 サイモンはずっと小脇に抱えていた絨毯を床に広げた。

{エウカリス、ちょっときみにきせるしたぎを
 とりにいってくるから。
 ビッグケットが1セットくれるって}
{あ、ありがとうございます!すみません!}

 よし、必要なことは伝えた。
 あとは言語通じないなりに女同士で上手くやってくれ。
 絨毯に座り込む。必要なのは口頭指示。

「浮いて、真っ直ぐ進んで!」

 そういや貴族男含め、誰もこの絨毯にツッコまなかったな。
 まぁビッグケットが派手派手な見た目だったから、
 サイモンが何を持っていても気にならなかったのかもしれないが。

(…10万エルスの絨毯、自慢したかったな…)

 まぁそんなの、些細な心残りなんだけど。
 絨毯はふわりと浮かび上がり、
 サイモンの体を目的地まで運ばんと動き出した。

(ジルベール、家に居るよな?)

 本当は引っ越しを先に終わらせるべきなんだろうが。
 本人が真夜中でもいいと言ったんだ、お言葉に甘えてしまおう。
 とりあえず今は服だ。







「ジルベール、俺だ。いるか?」
「あれぇ、もう来たの?」

 それまで訪ねた時と比べ、早い返事。
 訪ねてくるのがわかっていたからだろう。
 声をかけると、比較的すぐ扉が開いた。

 寝間着だろうか家着だろうか、ローブのような衣類を身につけ、
 髪を向かって左肩から流した眼鏡なしのジルベールが顔を出す。

「あれ、ビッグケットちゃんは?」
「今は優勝報酬の湯浴みをしてるとこ。
 血でどろどろだから終わるまでこっち来れないよ」 

「わぁー、また勝ったんだ!」
「当然。今日も圧勝だったよ」

 扉を軋ませて中に入ると、室内は真っ暗だ。
 ジルベールが何やら小さな紙を手に持ち、
 小声で何か呟いて燭台に火を灯す。
 火なんて暖炉から持ってくる物だと思っていたサイモンは、
 その初めて見る所作に驚いてしまった。

「なんだ?それ」

「ああこれ?これは術符。
 魔法陣や呪文が描いてあって、
 魔法を使えない人でも一言呪文を言うだけで疑似魔法を使える
 便利なマジックアイテムだよ。
 火を灯す程度の物ならめちゃくちゃ安く売ってるから、
 興味あるなら買ってみれば?」

「へぇ~」

 口ではへぇ~と感心してみせたが、
 内心小馬鹿にする気持ちが抑えきれない。
 この家は恐らくキッチンがないはずだから、
 暖炉はリビングにあるだろう
 (この時代と国の料理は、
 大体リビングにある暖炉でするのがお決まりだ)。

 リビングから燭台で火を拾ってくるのがそんなにおっくうなのか?
 例え安く売ってるにしても、
 一々これで火を起こすなんてもったいない…。

 サイモンがしげしげ燭台を眺めていると、
 ジルベールがそれに気づいて口元に笑みを浮かべる。
 サイモンの考えることなどお見通し。と言わんばかりだ。

「わざわざ術符で火を起こすなんてもったいないと思ってる?
 一度使い始めると、
 もう暖炉から種火拾ってくる生活には戻れないよ。

 だってリビングに寄るのが面倒になるんだもん。
 まっすぐ行きたいとこに行けるの、すごくいいよ。
 これさえあれば火を移す道具も要らないしね」

「ああ~、道具一式揃えるのは確かに手間だよな」

 その説明にはさすがに納得してしまう。
 例えば寝室に居たとして、
 新たに他の部屋の燭台に火を付けるためには、
 灯りとしてのランプの他に、
 火をつけるための燭台と種火がそれぞれ必要になる。

 よってまず寝室のランプに火をつけて、
 火を移すための燭台を用意して、
 それにも火をつけて…やっと目的の部屋に行ける。

 だがこの術符とやらがあれば、
 寝室に何枚か置いておいて、
 2枚手に持って1枚は灯りに使い、
 その足で目的の部屋に行ける。
 うわっ、早い。便利。

「これがあれば火打ち石だって要らないし、
 冒険者にもウケてるって話だよ。
 安心安全に火を持ち歩けるのはすごくいいよね」

「はー、確かに。
 でも口頭詠唱で発火すんだったら、
 複数枚一気に火ついたりしないのか?」

 それはとても素朴な疑問だった。
 音声の呪文を札がどう認識してるかはわからないが、
 2枚持ち歩いて片方にだけ指示を出すことなんて
 可能なんだろうか?
 サイモンが眉根を寄せると、
 ジルベールはとても愉快そうに笑った。

「おっ、玄人な質問してくるね。
 それはある意味訓練した結果、って感じかなぁ。
 札を使う時は口頭詠唱以外に、
 『この札を使います』っていう念みたいなのが必要なんだ。
 だから純粋単純に音声解除で発火するわけじゃないんだよ」

「へぇ~、まぁ多少練習して、慣れたら使えるって感じなのか?」
「そゆこと」

 そこまで聞くと、ジルベールは傍らの机に
 ことりとランプを置いた。
 暗闇の中で小さな炎が揺らめく。

「で、ビッグケットちゃんが湯浴みしてる間に
 何を取りに来たの?」

「あ、そうだ。服だよ服。
 上下一式と下着2着。今日の試合で獣人の女の人を助けてさ。
 素っ裸で可哀想だから、下着をあげようと思って」

「えっ、下着だけ?」
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