2 / 6
ナーシャの場合
しおりを挟む「ナーシャ・ネルソン。そなたとの婚約を破棄する」
茶色の髪をかきあげ、青い眼の青年は声高に声を上げた。
場所は学園内のカフェテリア。衆人環視の中、ナーシャと呼ばれた少女は背筋を伸ばして青年を見上げる。
「理由をお聞きしても宜しいですか? ダニエル様」
茶色の髪を弄びながら、ダニエルは呆れたげな溜め息をつく。
「分からない事が、その理由だよ。地味で控えめなのが君の美徳だと思っていたが..... 大輪のバラの前では、無いにも等しい魅力だったね。僕はそれに気づいただけさ」
.....意味が分からない。
ナーシャを含む、カフェテリアにいる人々全ての心境だった。
そこへスカーレットが現れる。
美しい顏に豊かな金髪。蒼く灰色がかった瞳は王族特有な色で、侯爵家自慢の御令嬢だった。
彼女は対峙するダニエルとナーシャに視線を向け、不思議そうに、薄く紅い唇で言葉を紡ぐ。
「皆様、何をしておられますの?」
小さく首を傾げたスカーレットに、眼を輝かせてダニエルが駆け寄ってきた。
興奮気味に赤らんだ彼の頬。如何にも『やったよ?』感満載なそれに、スカーレットの瞳が疑問を深めた色を浮かべる。
「今、婚約破棄の話をしていた所だよっ、君の言う通り、僕は優秀な人間だからね。こんな地味な女を婚約者にしていたのは間違いだと気づいたんだ」
「左様ですか」
「これで僕らの障害はなくなった。スカーレット嬢に婚約を申し込みたい」
「はあ?」
大仰に眼を見開き、スカーレットはダニエルを凝視する。
「何の御話しですの? そういう話は家を通すものですわ」
貴族間の常識であった。
まずは御伺いをたて、好感触なら申し込む。そして合意がとれれば国王に申し出て許可を頂くのだ。
それら全てをすっ飛ばして本人に求婚とか。有り得なさ過ぎて、その場の人間全てが呆れ混じりにダニエルを見つめている。
いたたまれず、ダニエルは俯き、小さく呟いた。
「そ、...そうだね。当人同士で決められる事じゃなかったね」
「その当人同士とかもよく分かりませんわ。ダニエル様が、わたくしに懸想しておられると言うことですの?」
不可思議そうなスカーレットの顔に、ダニエルは不安を覚える。おかしい。何かが噛み合っていない。
「君は僕の論文を誉めてくれたよね?」
「ええ、さすが優秀賞をとった論文です。貴方からお話も聞けて、有意義な時間を頂きました」
「うん、僕の事を素敵だと....傍に在って欲しいと....」
「はい。貴方のように優秀な方が侯爵家に在れば嬉しいですわ。優れた人材の獲得は難しいですもの」
にっこり微笑むスカーレットの顔に邪気は全くない。
夢から醒めたようなダニエルの茫然とした面持ちが、その内面を如実に物語っていた。
あ....察し。
周囲の人々が視線を生温くゆるませる。
しどろもどろなダニエルの言葉を拾い集めて分析すると、スカーレット嬢から論文を称賛され、言葉の端々からダニエルに好意があると脳内変換し、今回の婚約破棄騒動に至ったのだろう。
論文が賞をとってからこちら、彼は鼻持ちならないほど有頂天になっていたから。
周囲を見下し、婚約者にもぞんざいな言葉を投げ掛け、それでも王宮に認められたという実績があるため、口を挟めない周囲の人々。
それが増長して、今回の事態を招いたに違いない。
自分の勘違いを自覚し、真っ赤な顔でダニエルはカフェテリアから逃げ出していく。それをナーシャが追いかけて行った。
二人を静かに見送る、二対の双眸に気づかないまま。
校舎裏までやってきたダニエルは、追いかけてきたナーシャを振り返り、泣き出しそうな顔で睨み付けた。
「なんだよ、笑いにでも来たのかよっ」
「ダニエル様.... わたくしは貴方をお慕いしております」
ナーシャはダニエルの腕にそっと手を添える。それを振り払い、ダニエルは叫んだ。
「どうせ哀れんでいるんだろう? 馬鹿な男だとっ、調子に乗ってスカーレット嬢に好意を寄せられていると勘違いして.... とんだ道化者だっ!!」
「よろしいではありませんか」
凛と清しい声がする。
「貴方様は、ちゃんと理解されたではないですか。勘違いだと。ダニエル様は過ちを認められる強い方です。わたくしは、そんな貴方をお慕いしているのです」
ダニエルの目が驚嘆に見開く。
彼は論文が認められる前は、地味でこれと言って取り柄のない男だった。
子爵令息のダニエルは男爵令嬢のナーシャと穏やかな婚約関係を築いていた。
しかし、彼の論文が王宮で最優秀賞をとり、事態が一変する。
高位貴族らからも称賛を受け、にわかな万能感に酔った。僅かにもたげた選民意識から周囲を見下し、ナーシャもつまらない婚約者に見えていた。
口調も荒くなり、以前の貴方に戻って欲しいと望むナーシャが煩わしくて仕方がなかった。
.....以前の僕だって? 地味で冴えない子爵令息の? 冗談じゃない。
そんな時、スカーレット嬢から論文の話を求められる。
尊敬の眼差しを受け、魅惑的な瞳で、貴方のように優秀な方が傍に在ればと、細い嘆息とともに囁かれ、完全に誤解をした。
.....なんて恥ずかしい。
誤解したまま、つまらない女を切り捨てようと暴挙に至り、ようよう冷静に自分を見つめる事が出来たのだ。
「こんな僕を.... まだ慕ってくれるのか?」
「貴方だからこそです。以前の貴方を知っているからこそ、心ない仕打ちにも耐えられました。きっと気づいてくださると」
微笑むナーシャを抱き締めて、ダニエルはあるお伽噺を思い出していた。
幸運は常に足元に転がっているのだと。気づけるか、気づけないか。それが運命の別れ道なのだと。
「ごめん。....ありがとうナーシャ」
「ダニエル様....」
御互いの気持ちを再確認し、新たな絆を深める二人を見つめていた二対の瞳は、ナーシャ達に気づかれぬよう校舎裏から立ち去っていく。
「残念でしたわね」
「いや。彼女が幸せなら、それで良い」
今回、スカーレットは二人から依頼を受けていた。
一人は言わずと知れたナーシャ。
彼女は心ない婚約者の暴言に耐えかねて、何とかならないかと相談を持ちかけてきたのだ。
それで今回の婚約破棄騒動へとスカーレットはダニエルを誘導する。
いかにダニエルが増長していたとはいえ、子爵令息の彼がスカーレットと婚約を考える訳はない。
微に入り細を穿ち、スカーレットは彼が誤解を招く言い回しや、感情を込めたのだ。
文面として捉えれば他愛ない言葉でも、情感の乗った艶かしい声で囁かれれば誤解をしようと言うもの。
そうやって誤解の種を植え付け、ダニエルが暴挙に及べば鼻をへし折り、ナーシャが慰めて元サヤに収まる。そういう計画だった。
しかし、そこにもう一人の依頼人が現れる。
彼はキャスバル・ロイゼンターラ。伯爵家令息だ。
ナーシャに心を寄せる彼は、彼女を蔑ろにするダニエルに鉄槌を望んだ。あわよくば婚約破棄も。
ナーシャからの依頼の事もあり、婚約破棄に関しては成り行き任せとし、スカーレットは今回の茶番劇に挑んだのだ。
婚約破棄となれば、ダニエル有責でもナーシャには傷がつく。そこをかっさらうつもりのキャスバルだったが。
どうやら元サヤに戻ってしまったようだ。
「では、これを」
渡された袋のずっしりとした重みに、スカーレットは瞠目する。
「婚約破棄は、ざまぁのオプション付きでも金貨十枚でしてよ?」
この重みは、どう考えても金貨三十枚はある。訝しげなスカーレットの瞳に、キャスバルは儚い眼差しで答えた。
「一時とはいえ、良い夢を見せてもらった。その代金だ」
一瞬とはいえ、愛しい女性を手に出来るかもしれないと思えた。強行すれば可能だっただろう。
しかし、キャスバルは彼女の幸せを選んだ。
.....夢ですか。それも売り物になるのねぇ。ロマンチストが多いのかしら、殿方は。
明日にはナーシャからも報酬も手に入る。
知る人ぞ知る、悪役令嬢スカーレット。
お金が大好きな彼女は、新たな開拓分野を見つけて、華の様に美しい顏で蠱惑的な笑みを薄くはいた。
こうして悪役令嬢を生業とするスカーレットは、威風堂々と我が道を征く。
あなたの悩みに一粒の悪役令嬢、いかがですか?♪
97
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
だってお義姉様が
砂月ちゃん
恋愛
『だってお義姉様が…… 』『いつもお屋敷でお義姉様にいじめられているの!』と言って、高位貴族令息達に助けを求めて来た可憐な伯爵令嬢。
ところが正義感あふれる彼らが、その意地悪な義姉に会いに行ってみると……
他サイトでも掲載中。
捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。
蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。
これで、貴方も私も自由です。
……だから、もういいですよね?
私も、自由にして……。
5年後。
私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、
親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、
今日も幸せに子育てをしています。
だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。
私のことは忘れて……。
これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。
はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
彼女が望むなら
mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。
リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる