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前編
「あの日」のこと
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「あーもう、重い! 本当になんでこんなに急な坂道を作るのよ! 自転車を乗る人のことを、ちょっとは考えてよ!」
アタシはスーパーからの帰り道、この急激な坂道を登っていく。両手で自転車のハンドルを押し、引力に逆らって一歩一歩ハアハア言いながら歩いている。
今日は特売日なので自宅から少し離れたスーパーへ遠征する日だった。自炊して節約する毎日を送っているアタシにとって、スーパーの特売日は大切なイベントだ。そしてそのスーパーへ行くためには、この道が一番の近道なのだから仕方がない。
問題は途中にある、この急勾配の坂道だ。行きは下りだから楽ちんなんだけど、帰りの時はこの地獄が待っている。
坂の途中まではなんとか立ち漕ぎでいけるんだけど、残り30メートルはどうしても自転車から降りて押さないといけない。本当に心臓破りの坂だ。
おまけに今日は根菜類が安かった。人参、じゃがいも、玉ねぎ……特に玉ねぎとじゃがいもは日持ちするので、いつもより多めに買ってしまった。それがハンドルの前のカゴに目一杯入っている。その重量がハンドルの重みに拍車をかけていた。
「なんでアタシだけ……毎日こんなにつらい生活を送らないと……いけないのよ」
息も絶え絶えに歩きながら、アタシは一人ぼやきが止まらない。
アタシのパパは家庭のある人で、ママはその愛人。アタシはその二人の間に生まれた子供。ママはスナックで、毎日夜遅くまでアタシのために働いてくれていた。一緒にいる時間は少なかったけど、アタシは幸せだった。
でもアタシが中2の時、突然心臓麻痺で亡くなった。突然倒れて救急車で運ばれ……本当にあっという間だった。アタシは悲しくて悲しくて、どれだけ泣いたか覚えていないぐらいだ。
ママが亡くなった後も現実はとても厳しくて……アタシは何度も「死にたい」と思った。でもせっかくママから受け継いだ命を、簡単に諦めることはできなかった。
なんとか生きなきゃ……アタシは心を奮い立たせた。自分で自炊し始めたのはその頃からだった。
『人間の体は食べ物からできてるんだから、ちゃんとしたものを食べないとダメよ』
ママの生前の言葉を守り、アタシは自炊して自らの生きる活力を得ようと努力した。お腹が満たされると、なんとか生きる活力だけは湧いてきた。
ママがいなくなった後、パパにお願いして狭いアパートに引っ越した。広いマンションに一人でいるとママを思い出してしまって泣いてしまう日が続いたからだ。パパは家庭のある人だからアタシを引き取ることもできないし、もちろんアタシだってそんなことを望んではいなかった。だから今のアパートで一人暮らしをさせてもらうことで、十分満足だった。
高校はパパの勧めで伊修館へ進んだ。このあたりでは有名なお嬢様学校だ。でもアタシには仲のいい友達ができなかった。「愛人の子」という情報は一気に広まって、皆アタシのことを敬遠しがちになったからだ。
「まったくもう……親も友達もいないし彼氏もいない。坂道でこんなに重い自転車を押さないといけない……本当に世の中、不公平にできてるわね……」
アタシは一人で愚痴ることしかできなかった。どこからか白馬に乗った王子様が現れてくれないかな。いや、別に白馬に乗ってなくてもいい。背が高くてイケメンで優しくて経済力があれば十分だ。
「そんな王子様に『お嬢さん、僕が坂の上まで運んであげるよ』とか言われてさ。自転車ごとお姫様抱っこしてくれないかな」
プロレスラーかよ、とか一人で虚しいツッコミを入れる。最近アタシの妄想癖が悪化している。やっぱり辛い人生から目を背けるための防衛本能なのかもしれない。
そんなくだらない妄想に浸っていたせいか、自転車のハンドルを持つ手が疎かになる。アタシは突然バランスを崩して、自転車を倒しそうになった。
「おーっと!」
アタシはハンドルをぐいっと引っ張って、なんとか自転車の体勢をを保ったんだけど……そのはずみで、前カゴから野菜が落ちてしまった。ジャガイモ3個と玉ねぎが2個。よりによって坂道を転がりやすい根菜だ。
「うわっ、ちょっと!」
ちょっと待ってと言おうとしたが、当然野菜たちは待ってくれない。ジャガイモも玉ねぎも、アタシの焦りをあざ笑うかのように坂道をコロコロと転がっていく。焦りまくるアタシが坂の下を見ると、突然道路脇からブレザーの制服を着た男の子が出てきた。
「お、おい! なにか転がってるぞ! ちょっと!」
その男の子も焦っていたが、転がって落ちてくるジャガイモと玉ねぎを拾おうとしてくれている。
「よっ! はっ! ほっ!」
手と足を必死に動かしてじゃがいもと玉ねぎを拾ってくれている彼の姿は、サッカーかハンドボールのキーパーのようだった。アタシは何故かその様子がおかしくて、自虐の意味も込めて少し笑ってしまった。
「おいっ、笑ってないで手伝ってくれ」
「へっ? う、うん、ごめんなさい」
アタシは自転車を停めて、その男の子のところに小走りで近づいた。その男の子は……短髪でそれほど背も高くなかったけど、奥二重の優しそうな目元、きりっとした眉、スッとした鼻筋に厚めの唇……全体的に整った、正義感の強そうな顔立ちをしていた。
男の子はジャガイモ2個と玉ねぎ2個を抱えていた。一生懸命拾ってくれたので、息が少し上がっている。
「ほい、これ。残念だけどジャガイモは1個、側溝に入ってったわ」
「うん、ガーターだったね」
「ボーリングかよ」
初対面なのにアタシのボケにちゃんと突っ込んでくれた。アタシは嬉しくなって、また笑ってしまった。
「本当にありがと。助かりました」
「いや、俺もびっくりした。食べ物がおにぎり以外で転がってくることもあるんだな」
彼はそう言って笑って、胸に抱えていたジャガイモと玉ねぎを手渡してくれた。その笑顔が精悍さと優しさの両方を持ち合わせていて……アタシの心臓が変な音を立てた。
アタシはスーパーからの帰り道、この急激な坂道を登っていく。両手で自転車のハンドルを押し、引力に逆らって一歩一歩ハアハア言いながら歩いている。
今日は特売日なので自宅から少し離れたスーパーへ遠征する日だった。自炊して節約する毎日を送っているアタシにとって、スーパーの特売日は大切なイベントだ。そしてそのスーパーへ行くためには、この道が一番の近道なのだから仕方がない。
問題は途中にある、この急勾配の坂道だ。行きは下りだから楽ちんなんだけど、帰りの時はこの地獄が待っている。
坂の途中まではなんとか立ち漕ぎでいけるんだけど、残り30メートルはどうしても自転車から降りて押さないといけない。本当に心臓破りの坂だ。
おまけに今日は根菜類が安かった。人参、じゃがいも、玉ねぎ……特に玉ねぎとじゃがいもは日持ちするので、いつもより多めに買ってしまった。それがハンドルの前のカゴに目一杯入っている。その重量がハンドルの重みに拍車をかけていた。
「なんでアタシだけ……毎日こんなにつらい生活を送らないと……いけないのよ」
息も絶え絶えに歩きながら、アタシは一人ぼやきが止まらない。
アタシのパパは家庭のある人で、ママはその愛人。アタシはその二人の間に生まれた子供。ママはスナックで、毎日夜遅くまでアタシのために働いてくれていた。一緒にいる時間は少なかったけど、アタシは幸せだった。
でもアタシが中2の時、突然心臓麻痺で亡くなった。突然倒れて救急車で運ばれ……本当にあっという間だった。アタシは悲しくて悲しくて、どれだけ泣いたか覚えていないぐらいだ。
ママが亡くなった後も現実はとても厳しくて……アタシは何度も「死にたい」と思った。でもせっかくママから受け継いだ命を、簡単に諦めることはできなかった。
なんとか生きなきゃ……アタシは心を奮い立たせた。自分で自炊し始めたのはその頃からだった。
『人間の体は食べ物からできてるんだから、ちゃんとしたものを食べないとダメよ』
ママの生前の言葉を守り、アタシは自炊して自らの生きる活力を得ようと努力した。お腹が満たされると、なんとか生きる活力だけは湧いてきた。
ママがいなくなった後、パパにお願いして狭いアパートに引っ越した。広いマンションに一人でいるとママを思い出してしまって泣いてしまう日が続いたからだ。パパは家庭のある人だからアタシを引き取ることもできないし、もちろんアタシだってそんなことを望んではいなかった。だから今のアパートで一人暮らしをさせてもらうことで、十分満足だった。
高校はパパの勧めで伊修館へ進んだ。このあたりでは有名なお嬢様学校だ。でもアタシには仲のいい友達ができなかった。「愛人の子」という情報は一気に広まって、皆アタシのことを敬遠しがちになったからだ。
「まったくもう……親も友達もいないし彼氏もいない。坂道でこんなに重い自転車を押さないといけない……本当に世の中、不公平にできてるわね……」
アタシは一人で愚痴ることしかできなかった。どこからか白馬に乗った王子様が現れてくれないかな。いや、別に白馬に乗ってなくてもいい。背が高くてイケメンで優しくて経済力があれば十分だ。
「そんな王子様に『お嬢さん、僕が坂の上まで運んであげるよ』とか言われてさ。自転車ごとお姫様抱っこしてくれないかな」
プロレスラーかよ、とか一人で虚しいツッコミを入れる。最近アタシの妄想癖が悪化している。やっぱり辛い人生から目を背けるための防衛本能なのかもしれない。
そんなくだらない妄想に浸っていたせいか、自転車のハンドルを持つ手が疎かになる。アタシは突然バランスを崩して、自転車を倒しそうになった。
「おーっと!」
アタシはハンドルをぐいっと引っ張って、なんとか自転車の体勢をを保ったんだけど……そのはずみで、前カゴから野菜が落ちてしまった。ジャガイモ3個と玉ねぎが2個。よりによって坂道を転がりやすい根菜だ。
「うわっ、ちょっと!」
ちょっと待ってと言おうとしたが、当然野菜たちは待ってくれない。ジャガイモも玉ねぎも、アタシの焦りをあざ笑うかのように坂道をコロコロと転がっていく。焦りまくるアタシが坂の下を見ると、突然道路脇からブレザーの制服を着た男の子が出てきた。
「お、おい! なにか転がってるぞ! ちょっと!」
その男の子も焦っていたが、転がって落ちてくるジャガイモと玉ねぎを拾おうとしてくれている。
「よっ! はっ! ほっ!」
手と足を必死に動かしてじゃがいもと玉ねぎを拾ってくれている彼の姿は、サッカーかハンドボールのキーパーのようだった。アタシは何故かその様子がおかしくて、自虐の意味も込めて少し笑ってしまった。
「おいっ、笑ってないで手伝ってくれ」
「へっ? う、うん、ごめんなさい」
アタシは自転車を停めて、その男の子のところに小走りで近づいた。その男の子は……短髪でそれほど背も高くなかったけど、奥二重の優しそうな目元、きりっとした眉、スッとした鼻筋に厚めの唇……全体的に整った、正義感の強そうな顔立ちをしていた。
男の子はジャガイモ2個と玉ねぎ2個を抱えていた。一生懸命拾ってくれたので、息が少し上がっている。
「ほい、これ。残念だけどジャガイモは1個、側溝に入ってったわ」
「うん、ガーターだったね」
「ボーリングかよ」
初対面なのにアタシのボケにちゃんと突っ込んでくれた。アタシは嬉しくなって、また笑ってしまった。
「本当にありがと。助かりました」
「いや、俺もびっくりした。食べ物がおにぎり以外で転がってくることもあるんだな」
彼はそう言って笑って、胸に抱えていたジャガイモと玉ねぎを手渡してくれた。その笑顔が精悍さと優しさの両方を持ち合わせていて……アタシの心臓が変な音を立てた。
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