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前編
緑色のカバ
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「その制服、栄花学園ですよね?」「ああ、そうだ」「何年ですか?」「1年だよ」「あ、じゃあタメだ」「え? うそだろ? マジかよ!」そんなキャッチボールが続いた。やっぱり彼はアタシのことを中学生だと思っていた。
「ちなみにどこの高校か聞いていいか?」
「伊修館」
「うわ、マジでか。実はお嬢様だったんだな」
「うーん、周りはそうかも。アタシは違うけど」
それからアタシたちは少しの間話をした。「寮に入ってるんだね。じゃあBLとかあるの?」「BLはないけど、俺の同室のヤツが……いや、やっぱいい」「なになに? 気になる」「初対面で話す話じゃない。逆に女子校なら百合とか本当にあるのか?」「うーん、アタシは知らないけど、バレンタインデーとかは凄いよ」そんな他愛もない話をしていた。
アタシはその彼との何気ない会話がとても楽しくて……学校で友達がいなかったアタシにとって、同い年の男子と公園のベンチでお話をする。そんな夢のようなイベントに、アタシがときめかないわけがなかった。
彼は頭がいいのか、話のテンポがとても心地よかった。落ち着いた声を聞いているだけで、アタシの気持ちは安らいだ。でも……楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。
「さて、暗くなってきたしそろそろ行くわ。これ、ごちそうさん」
彼は飲み終わったパピーを手に取って立ち上がった。私も一緒に立ち上がる。彼は坂を下って、バス停まで歩くそうだ。
「じゃあな、気をつけて。もう落とすなよ」
もう会えないのかな。寂しいな……。
「うん、ありがとう。じゃあまた」
でもアタシの口から出た言葉は、そんな普通のお別れの挨拶だった。連絡先とか聞いたら引かれるかもしれないし……でも栄花学園の1年生だってことはわかった。また会える機会があるかもしれない。
そんな事を考えている間に、彼は背を向けて坂を降りていく。彼の背中を追っかける勇気のないアタシも、そのまま自分のアパートへ向かって自転車を漕ぎ出した。
「あーあ……やっぱり連絡先聞きたかったな」
自転車を漕ぎながら、アタシは嘆息する。でも……アタシみたいに中学生に間違われるような、背も低くてそれほど可愛くもない女の子から連絡先を聞かれたって嫌なだけかも……そんなことも同時に思ってしまった。いつもの自己肯定感の低さに、アタシ自身本当に嫌になる。
そんな事を考えていると、もう近所のドラッグストアまで来ていた。そのドラッグストアの入り口に「本日ポイント5倍デー」の看板が。
「そういえばティッシュとトイレットペーパーがなかったかも」
でも荷物がこんなに一杯だし……あ、でも自転車の後部席にゴムロープで巻けばいけるかも。ポイント5倍に目が眩んだアタシは、一度止まって後部席にゴムロープがあるかどうかをチェックする。すると……
「あれ? これ、なんだろ?」
後部シートの取付金具部分とゴムロープの間に、なにか挟まっている。アタシは自転車のスタンドを立てて、後部座席からその何かを引っ張って取り出した。それは緑色の動物のアクセサリーのようなもの……
「これって確か……」
アタシはこれを見たことがある。数日前に駅ビルの中のアクセサリーショップに売っていたカバのキーホルダーだ。「東京の有名デザインショップの期間限定商品」ってポップがあったのでよく覚えている。
そしてこの緑色のカバがどこから来たのか、アタシは瞬時に理解した。さっきの彼の通学カバンの取っ手部分に、キーリングと短いチェーンだけがついていたからだ。明らかに先っぽの何かが取れて無くなっている感じだったのだが、訊くのも失礼かなと思って黙っていた。
彼は自分のカバンを後部座席に乗せながら、自転車を押してくれていた。そして途中何度かふらついたときに、この緑色のカバが座席の金具に挟まって千切れてしまったんだろう。
「これ……返さないといけないよね」
ひょっとしたら彼にとって、大切な物なのかもしれない。それにまだ公園で別れてから5分ぐらいしか経っていない。彼は坂の向こうのバスターミナルだろうから、急いで追っかければまだ間に合うかも。
アタシは自転車を方向転換して、急いで漕ぎ出した。もう辺りは薄暗くなってきている。早く行かないと、彼を見失っちゃうかもしれない。
自転車を漕ぎながら、アタシは妄想する。これはチャンスかもしれない。彼に会ったら、絶対に連絡先を聞こう。もし教えてくれなかったら、それはそれでいいじゃない。何もしないよりは、やって失敗したほうがずっといい。
もしまた会えたら、もっといっぱい話がしたい。学校の話、好きな芸能人や音楽の話。彼の落ち着いた声をもっともっと聞きたい。
アタシはさっきの公園の前を通り、例の急な坂を今度は下っていく。上りはあんなに苦しいのに、下っていく時の爽快感はたまらない。今は気持ちが高揚しているから余計にそう感じてしまう。
坂を下って信号を渡れば、バスターミナルまであと100メートルぐらい。彼はもう着いただろうか? 男の子の足だから、もう着いてるかも。
アタシはもうすっかり浮かれていた。彼に会ったら最初になんて声をかけようか? あのキーホルダー、やっぱりあそこのアクセサリーショップで買ったのかな? そんなことを考えていた。
だからアタシは悪くない。もちろん、あの彼だって悪くない。歩行者信号だって青だった。悪いのは……「運」とトラックの運転手だ。
青信号の横断歩道を自転車で渡っていたアタシに、大型トラックが猛スピードで近づいてきた。生前の最後の記憶が激しい衝突音だけというのは、16歳の女子高校生の最後としてはあまりにも虚しい。気がつけばアタシは自分のアパートの部屋に戻っていた。でもそこには……アタシの肉体はもうどこにもなかった。
「ちなみにどこの高校か聞いていいか?」
「伊修館」
「うわ、マジでか。実はお嬢様だったんだな」
「うーん、周りはそうかも。アタシは違うけど」
それからアタシたちは少しの間話をした。「寮に入ってるんだね。じゃあBLとかあるの?」「BLはないけど、俺の同室のヤツが……いや、やっぱいい」「なになに? 気になる」「初対面で話す話じゃない。逆に女子校なら百合とか本当にあるのか?」「うーん、アタシは知らないけど、バレンタインデーとかは凄いよ」そんな他愛もない話をしていた。
アタシはその彼との何気ない会話がとても楽しくて……学校で友達がいなかったアタシにとって、同い年の男子と公園のベンチでお話をする。そんな夢のようなイベントに、アタシがときめかないわけがなかった。
彼は頭がいいのか、話のテンポがとても心地よかった。落ち着いた声を聞いているだけで、アタシの気持ちは安らいだ。でも……楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。
「さて、暗くなってきたしそろそろ行くわ。これ、ごちそうさん」
彼は飲み終わったパピーを手に取って立ち上がった。私も一緒に立ち上がる。彼は坂を下って、バス停まで歩くそうだ。
「じゃあな、気をつけて。もう落とすなよ」
もう会えないのかな。寂しいな……。
「うん、ありがとう。じゃあまた」
でもアタシの口から出た言葉は、そんな普通のお別れの挨拶だった。連絡先とか聞いたら引かれるかもしれないし……でも栄花学園の1年生だってことはわかった。また会える機会があるかもしれない。
そんな事を考えている間に、彼は背を向けて坂を降りていく。彼の背中を追っかける勇気のないアタシも、そのまま自分のアパートへ向かって自転車を漕ぎ出した。
「あーあ……やっぱり連絡先聞きたかったな」
自転車を漕ぎながら、アタシは嘆息する。でも……アタシみたいに中学生に間違われるような、背も低くてそれほど可愛くもない女の子から連絡先を聞かれたって嫌なだけかも……そんなことも同時に思ってしまった。いつもの自己肯定感の低さに、アタシ自身本当に嫌になる。
そんな事を考えていると、もう近所のドラッグストアまで来ていた。そのドラッグストアの入り口に「本日ポイント5倍デー」の看板が。
「そういえばティッシュとトイレットペーパーがなかったかも」
でも荷物がこんなに一杯だし……あ、でも自転車の後部席にゴムロープで巻けばいけるかも。ポイント5倍に目が眩んだアタシは、一度止まって後部席にゴムロープがあるかどうかをチェックする。すると……
「あれ? これ、なんだろ?」
後部シートの取付金具部分とゴムロープの間に、なにか挟まっている。アタシは自転車のスタンドを立てて、後部座席からその何かを引っ張って取り出した。それは緑色の動物のアクセサリーのようなもの……
「これって確か……」
アタシはこれを見たことがある。数日前に駅ビルの中のアクセサリーショップに売っていたカバのキーホルダーだ。「東京の有名デザインショップの期間限定商品」ってポップがあったのでよく覚えている。
そしてこの緑色のカバがどこから来たのか、アタシは瞬時に理解した。さっきの彼の通学カバンの取っ手部分に、キーリングと短いチェーンだけがついていたからだ。明らかに先っぽの何かが取れて無くなっている感じだったのだが、訊くのも失礼かなと思って黙っていた。
彼は自分のカバンを後部座席に乗せながら、自転車を押してくれていた。そして途中何度かふらついたときに、この緑色のカバが座席の金具に挟まって千切れてしまったんだろう。
「これ……返さないといけないよね」
ひょっとしたら彼にとって、大切な物なのかもしれない。それにまだ公園で別れてから5分ぐらいしか経っていない。彼は坂の向こうのバスターミナルだろうから、急いで追っかければまだ間に合うかも。
アタシは自転車を方向転換して、急いで漕ぎ出した。もう辺りは薄暗くなってきている。早く行かないと、彼を見失っちゃうかもしれない。
自転車を漕ぎながら、アタシは妄想する。これはチャンスかもしれない。彼に会ったら、絶対に連絡先を聞こう。もし教えてくれなかったら、それはそれでいいじゃない。何もしないよりは、やって失敗したほうがずっといい。
もしまた会えたら、もっといっぱい話がしたい。学校の話、好きな芸能人や音楽の話。彼の落ち着いた声をもっともっと聞きたい。
アタシはさっきの公園の前を通り、例の急な坂を今度は下っていく。上りはあんなに苦しいのに、下っていく時の爽快感はたまらない。今は気持ちが高揚しているから余計にそう感じてしまう。
坂を下って信号を渡れば、バスターミナルまであと100メートルぐらい。彼はもう着いただろうか? 男の子の足だから、もう着いてるかも。
アタシはもうすっかり浮かれていた。彼に会ったら最初になんて声をかけようか? あのキーホルダー、やっぱりあそこのアクセサリーショップで買ったのかな? そんなことを考えていた。
だからアタシは悪くない。もちろん、あの彼だって悪くない。歩行者信号だって青だった。悪いのは……「運」とトラックの運転手だ。
青信号の横断歩道を自転車で渡っていたアタシに、大型トラックが猛スピードで近づいてきた。生前の最後の記憶が激しい衝突音だけというのは、16歳の女子高校生の最後としてはあまりにも虚しい。気がつけばアタシは自分のアパートの部屋に戻っていた。でもそこには……アタシの肉体はもうどこにもなかった。
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