淡き河、流るるままに

糸冬

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(十)

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 長宗我部盛親が在陣している天満の長宗我部家の上屋敷の周辺は、物々しい雰囲気を醸しだしていた。
 盛親が土佐から引き連れてきた六千名を超えるとされる軍勢は、到底屋敷だけでは収容できず、多くの兵が周囲の寺社などに分宿しているためだ。
 途中、警備に回る番卒らに幾度か誰何されたが、次郎が堂々と播州牢人淡河民部と名乗り、盛親への面会を望む旨を伝えると、特段に揉めることもなく先に進むことを許された。
 実のところ、急遽上方勢に味方することが決まったため、誰を通して誰を咎めるのか、下級の武士にまで意思が徹底されていない節が見受けられた。
(大軍を率いるというのも、難儀なものなのだろう)
 次郎は馬上で厳めしい面を作りながら、盛親に対して立場もわきまえずつい同情してしまう。
 長宗我部屋敷の正門前近くまできたところで、別所一党の陣列を見ていた白髪頭の老武者が驚きの表情をみせた。
「おお、久しいな。どこぞの坊主かと思えば、鉄入斎ではないか」
 老武者は、一行の先頭に立っていた鉄入斎にしわがれた声で話しかけてくる。
 次郎はただ事ではないと直感して、左手を挙げて行軍を止める。
「これは、良きところで出会うたわ」
 呼び止められた鉄入斎は破顔して、次郎に前に出るよう促す。
 老武者は、どうやら鉄入斎とは旧知の間柄であるらしい。
「こちらの御方こそ、此度、御家再興のため兵を挙げられた淡河民部様じゃ」
「播州淡河の武者、淡河弾正が一子、次郎民部と申します」
 下馬した次郎は、ともかく丁寧に頭を下げて相手の出方を伺う。
「これはこれは。拙者、中内惣右衛門三安と申す」
 老武者が楽しげな口ぶりで次郎に向けて名乗った。
 厳めしい面構えであるが、笑うと奥目の眼差しには妙に愛嬌がある。
 中内惣右衛門三安は、永禄五年(一五六二年)年に本山家の吉良城攻めに参陣したとの記録が残る、長宗我部家の古強者である。
「それにしても、常々話しておった淡河の忘れ形見とな。実在したのか」
 惣右衛門は遠慮する様子もなく、次郎の頭のてっぺんからつま先までをしげしげと眺め渡し、感心した口ぶりで呟く。
「儂のことを覚えておったか」
「おうともよ。御先代様に召し出されて別所家の働きを問われたにも関わらず、万座の前でひたすら淡河弾正の知略と武勇を誉めそやして終わった鉄入斎は、今でも当家の語り草よ」
 惣右衛門はわははと笑い声をあげた。が、ふと真顔になって鉄入斎と次郎を等分に眺める。
「今になって出張って参ったということは、なにか、長宗我部に陣借りをしたいと、そういう訳か」
「御明察じゃ。かつての縁を頼りたいのじゃ」
 鉄入斎の言葉に、惣右衛門はやや腰の引けた態度を見せる。
「なるほど。されど、儂の一存ではどうにもならぬぞ。殿にお伺いを立てねばならぬが、あいにくと殿はいま屋敷にはおわさぬ」
 そう言って、あちらにおられるとばかりに惣右衛門は大坂城の方角に向けて顎をしゃくってみせた。
「左様か。待たせてもらうことは出来ようか」
「まあ、それは構わぬが」
 気安く話しかけたことを後悔するように表情を曇らせつつ、惣右衛門はしぶしぶといった調子でうなずいた。



 土佐二十二万石の太守である長宗我部盛親は、天正三年(一五七五年)生まれ。次郎とほぼ同年代にして、長宗我部家の若き当主である。
 土佐一国の統一のみならず、四国統一間近まで長宗我部家の勢力を拡大した先代の当主・元親が昨年の五月に伏見屋敷にて死去したため、元親の四男である盛親がその跡を継いだ。
 先代の死からまだ一年余りしか経ってないうえ、そもそも家督を継ぐ経緯にも紆余曲折があった。
 本来、元親の後を継ぐ筈の長男・信親は、年少時から将器をうたわれ将来を嘱望されていたが、惜しくも天正十四年の九州征伐の前哨戦において島津勢に破れて討死している。
 次男・香川親和、三男・津野親忠を差し置いての盛親の家督相続は、元親が強く主張したためである。
 親和に家督を継がせるよう促した秀吉の意向に逆らっての強行である。
 表向きは二人とも他家の養子に入っていることが理由とされた。
 だが、信親が遺した娘を盛親の妻として、盛親との間に生まれた子に信親の血筋を継がせたいとの、元親の妄執じみた思いも多分に影響していた。
 叔父と姪の結婚には心情的に納得しがたい者も多いなか、世継の問題が決着を見ないまま、親和は信親討死の翌年、天正十五年(一五八七年)に病没してしまう。 
 親和亡きあと、今度は三男・親忠を世継に推す者も表われて家中が割れ、家中では少なくない血が流れ、親忠は元親の命で幽閉される事態となった。
 今でも盛親は、潜在的な親忠派を火種として家中に抱えたまま、家の舵取りを余儀なくされていた。

 六月になって豊臣秀頼の名で発せられた会津征伐のための出兵の軍令を、盛親は土佐にて受けた。
 本来、盛親は昨年七月に元親の葬儀の為に土佐に帰国した後、領内のとりまとめを行った後には、再び上方に戻って天下の動きを間近で見守る算段だった。
 しかし、家中の統制に取り紛れている間に一年近くが経過し、その機を逸していた。
 上方の情勢を充分に把握できていないとはいえ、さすがに盛親も、これが名代として実際に軍を動かす徳川家康が主導して引き起こした戦さであると承知している。
 土佐で出陣の準備を進めさせつつ形勢眺めをしているところで、七月十三日になって、今度は家康を討つことを命じる「内府ちかいの条々」を受け取ることになる。
 十三か条にわたって家康の罪が書き記された書状からは、一度は家康に会津討伐を命じた豊臣家は、今度は一転して家康を逆徒と見なしたと受け取れる。
 もはや、事態の推移を傍観していられる情勢ではない。天下を二分する大戦さの予感を前に、中立はいちばん愚かな選択である。
 当初、盛親は徳川勢に味方するつもりだった。
 とはいえ、上方勢に四方を囲まれた状態では簡単に身動きなどとれない。
 加えて、せめて真意を家康に伝えたいと、家臣の中から十市新右衛門、町屋三郎左衛門の二人を密使として送り出した。
 その上で軍船に分乗した長宗我部勢六千五百名は、夏の追い風にも助けられて二日足らずで淀川河口にまで達した。
 しかし大阪に上陸して盛親が目の当たりにしたのは、想像以上に家康討伐の動きが進んでいる上方の情勢だった。
 加えて先発させた二人の使者は、いくらも進まぬうちに近江の水口に、当地を治める長束正家が設けた関所にて咎められ、目的を果たせぬまますごすごと帰還してきた。
 いくらか機転の利く者であれば、どうにか関所を抜けることも出来たのではないかと思われたが、盛親は二人の使者をさほど咎めなかった。
 役目を果たせなかった二人を処断するのは簡単である。家中の引き締めのためにはむしろ必要かも知れない。
 だがそれ以上に、処断した場合に家臣たちの士気が落ちたり、反発を強めたりする可能性を盛親は恐れた。気心を互いに掴み切れていない主従の難しさである。
 これも天運と受け入れた盛親は、潔く腹をくくり、上方勢に味方することを決めた。
 七月十七日になって大坂城に登った盛親は、上方勢の総大将として担ぎ出された毛利輝元に目通りし、さらに軍議に加わった。
 長宗我部勢は戦線で指揮をとる副将格の宇喜多秀家の指揮下に入り、家康の股肱である鳥居元忠が立て籠もる伏見城攻めに参陣することが決まった。
 明朝の出陣を申し伝えられた盛親は、軍議を終えて屋敷に戻ると、主だった家臣を屋敷の一室に集めた。
 伏見城攻めに関して、家臣から反論の声はなかった。
 もちろん、上方勢に味方すると決した以上、この期に及んで否を唱えても意味がないことは、主従いずれも承知している。
 しかしそれでも、自分の判断に家臣たちが心服しているというよりは、自ら軍略を考えようとの意思を蜂起しているように、盛親には思われてならなかった。
 あまりにも父・元親が偉大過ぎたのかも知れない。
 筋違いと思いつつも、亡き父の遺臣に対して恨み事の一つも言いたくなる盛親である。
「今の内に、なにか殿に申し上げるべきことはござらぬか。戦さがはじまってからでは遅かろうと存ずる」
 盛親の側近で、その場を取り仕切る桑名弥次兵衛が、浮かぬ顔の盛親の心情を読み取ったかのように、諸将に向けて問う。
「では、恐れながら申し上げます」
 一同の中から、中内惣右衛門が声をあげた。
 弥次兵衛は盛親の顔を伺った後、惣右衛門に続きを促す。
「さきほど、陣借りを申し出て参った者がございます」
「陣借りとな」
 脇息にもたれながら、盛親は気乗りしない調子で問うた。
 大坂城から帰還して、伏見城攻めの差配を終えた直後である。慣れぬ出来事が続き、所作に疲労の色は隠せない。
「陣借牢人の一人や二人、わざわざ儂に断りを入れるまでもない。その方の才覚で判断いたせ」
「それが、六十名ほどが徒党を組んでおりまする」
「なにっ」
 バツの悪そうな惣右衛門の言葉に、盛親は思わず眉を上げた。
 もちろん、六十名とて六千名を超える長宗我部勢にとっては百分の一に満たぬ人数ではある。しかし、さすがに無断で判断するには難しい人数かも知れぬと盛親は思いなおす。
「そやつら、いったい何者じゃ」
「はっ。播州牢人、淡河民部と名乗っておりまする」
「淡河。はて、どこかで聞いた名であるな」
 盛親は首をひねる。
 かつて元親の仇敵であった三好家の重臣・十河民部大輔存保の名を想起させるためか、頭の片隅にその名が残っていた。
「さもあろうかと存じまする。なにしろ、淡河弾正の牝馬放ちと申せば、家中の語り草ですからな」
 惣右衛門が得たりとばかりに身を乗り出す。
「確か、播州三木の合戦の折の逸話であったか」
「左様でござりまする。四国征伐の折、御先代様は豊太閤の軍略を知る者の話を参考に聞きたいと仰せになり、別所旧臣の触れ込みで城下で牢人しておった宇野鉄入斎なる男を城内に招いたことがございましてな」
 三木合戦の話を聞きたい元親に対して、居並ぶ長宗我部の武将達を前に、鉄入斎は実は別所の陪臣であることを明かしたうえ、実際に仕えていた淡河弾正定範がいかに優れた武将であったかを延々と語り続けたのだ、と惣右衛門は説明する。
「その鉄入斎が、淡河弾正の忘れ形見である淡河民部を主と仰き、手勢六十名を引き連れて陣借りを求めて参っておる次第にて」
「話が長いわ。そもそも、当家はいま、手勢に不足しておらぬぞ」
 盛親は不満気に鼻を鳴らした。
 例えば永禄年間以前の、土豪や国人衆同士がわずかな領地を巡って争っていた時代であれば、腕に覚えのある陣借者を雇うことにも意味があった。
 しかし、今回の出陣は軍勢の規模も大きく、どれだけの遠征になるか読めない。
 単純な兵数だけで軍備は語れず、むしろ軍勢を支える荷駄の管理は、昔とは比較にならないほど重要となっている。
 今後、どれだけの期間に渡って遠征を行うことになるのか判らない状態で、たかだか六十名とはいえども、員数外の陣借者を手勢に抱えるのは面白くなかった。
 しかし、惣右衛門は素直には引き下がらなかった。
「さりとて、損はない話かと存じますが」
 元より、根っからのいくさ人である惣右衛門には、陣借者に兵糧を割かねばならないことは「損」のうちに入らないものらしい。
 だが盛親にとって意外なことに、諸将もまた、陣借者に対して好意的だった。
 当家を頼ってきたものを無碍に追い返すのは忍びない。
 此度の戦さに勝てば所領も増える。となれば、新たな家臣も雇う必要がある。今のうちに腕の立つかどうか見極めるよい機会である。
 彼らの意見はおおよそ、そのようなものだった。
「左様か」
 家督を継承して日も浅く、心服しているとは言い難い家臣達を相手に押し問答をしていることに、盛親は不意に例えようもない疲労感を覚えた。
 今は、他に頭を使わねばならないことがいくらでもある。見ず知らずの陣借者を受け入れるかどうかなど、気を取られている場合ではなかった。
「まあ、よいわ。その方らが面倒を見るというのであれば、好きにせよ」
 とうとう、盛親は投げやりに応じた。
「ありがたき幸せ」
 惣右衛門がほっとした表情を見せる。
「ただし、戦さの後に、必ず召し抱えると約した訳ではない。そのことは念を押すようにいたせ」
 我ながら些事に頭を使っているものだ、とやや自己嫌悪の念を抱きながら、盛親はそう釘を刺した。
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