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(十一)
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屋敷の控えの間で待たされていた次郎らの元に足を運んだ中内惣右衛門は、「殿は陣借を御認めになられた」とだけ告げ、盛親への目通りは取り次がなかった。
「明朝には出陣となるゆえ、淡河党も遅参など致さぬように」
「承知仕った。これより先は、惣右衛門様を頼みとすればよろしいのでしょうか」
次郎の問いかけに、惣右衛門は露骨に渋い表情をみせた。
「成り行きで取次はしたものの、これから先はその方らの才覚じゃ。それがしも、まずは我が手勢を采配せねばならぬ故、これ以上あてにしてもろうても困る」
明らかに面倒ごとを背負わされたことを迷惑している様子だった。
「これは、至りませぬで申し訳ござりませぬ」
本来であれば、ぞんざいな扱いに対して腹を立てるべき場面なのかもしれない。
だが、いずれ敵方に走る思惑を秘めている次郎らにとっては、惣右衛門にあまり親身になられてもかえって困る。
(だとすれば、この扱いはむしろありがたいのか)
次郎は今更ながらに、奇妙な立場に置かれていることに困惑しつつ、当たり障りのない返事でその場を濁すほかなかった。
木幡山に築かれた伏見城は東西に流れる川が天然の水濠となり、北には渓谷がやはり空濠の役を果たす要害である。
遠望した大坂城は桁外れの巨城であったが、伏見城もまた淡河城などとはくらべものにならない規模である。
本丸に鳥居元忠、西ノ丸には内藤家長、三ノ丸には松平家忠と、いずれも徳川の譜代の臣が守りを固めている。
しかし、家康の会津征伐に将士が多く同行しているため、城に残る城兵はごくわずかと見られていた。
伏見城攻めにあたり、長宗我部勢は三ノ丸と対峙する北側の攻め口に配された。
「大きな城だ」
次郎は伏見城を望見し、思わず声を漏らす。寄せ手の兵数は四万と号され、敵手は二千に満たないと聞く。兵数に不足はないが、果たして短期間で攻め落とせるものかと思う。
別所一党が陣所として割り振られたのは、長宗我部勢の陣の北東側の端だった。
水の手からも遠い石だらけのガレ場であり、穴一つ掘るにも苦労するような場所で、根小屋の小屋掛けにはいたって不向きな場所だった。
陣借衆としては、このような粗略な扱いにも黙って耐えねばならないということなのだろう。
とりいそぎ淡河党の本陣らしき一角を確保したところで、馬乗り格が集まり、額を寄せ合って善後策を検討する。
万が一にも部外者に聞かれる訳にはいかない。自然と声は低く、小さなものになる。
「随分とひどい場所を割り当てられたものだ」
別所隼人が、愚痴ともつかぬ言葉で切り出す。
「むしろ、厚遇されたら後が困る。いずれ陣を抜けるつもりで長宗我部勢を利用しているのは我等なのだから」
赤松外記が、難しい顔をしながらも、自らを納得させるように周囲に向けて言う。
「改めて皆様方に申し上げるまでもございませぬが、上方勢に与するは一時の方便にて、ここを先途と力戦敢闘したところで、大望を遂げる援けとはなりませぬ」
名目上の主として上座に座る次郎は、慣れぬ調子でそう声を発する。
長宗我部勢への陣借が徳川勢に味方する為の方便と知れたら、良くて放逐、悪ければ皆殺しである。
「そう遠慮する必要はない。今は、そなたが我等の大将なのだから」
行人包で顔を隠してこの場に参加している源兵衛の励ましの言葉に、場の空気が緩む。
「相すみませぬ。どうも慣れぬものにて」
思えば、源兵衛は年下でありながら、堂々とした態度で家臣に命令を下していた。やはり、武士というのは殿のようであらねばならぬ、と、次郎はあらためて尊敬の念を抱く。
「それはさておき、手を抜いて戦さをせよと申すは難しきことよ」
源兵衛のつぶやきに、次郎も強くうなずき返す。
「加えて、本懐を前にここで倒れては死んでも死に切れぬというもの。敵手を討つことも、討たれることもなく、戦ってみせねばなりますまい」
「難しい注文じゃな。されど、やり遂げねばならぬ」
別所隼人が口の端をゆがめて笑う。皆の思いを代弁するかのような言葉だった。
伏見城攻めは七月十八日から始まった。
城攻めに先立ち、増田長盛が軍使を送り、圧倒的な不利を説いて鳥居元忠に降伏を勧めたが、言下に拒絶されている。
それどころか元忠は城内にある前田玄以や長束正家の宿所を焼き払っただけでなく、上方勢に先んじて城周辺の大名屋敷に火を放っている。
視界を確保して上方勢の動きを把握しやすくし、鉄砲の射線を確保するためであるが、上方勢に使わせないとの目論みも勿論ある。
戦術としては妥当な判断ではあるが、亡き太閤の御膝元の大名屋敷に対しても遠慮せずにいられるのは、元忠が家康以外を忠誠の対象と見なしていないことも大きいのだろう。
さらに元忠は、手勢が少ないため全ては守り切れぬと割り切り、本丸など最中心部に注力して守るため、一部の曲輪を放棄している。
これほどの戦意を見せつけられた以上、兵の多寡をもって徳川方が降ることなどありえなかった。
上方勢は、まず鉄砲放ちを前に出しての射撃戦により城攻めを開始した。
次郎は、鉄砲組が銃口を揃えて一斉に射撃する光景を目の当たりにするのは生まれて初めてである。
厳密に言えば、三木城の籠城時にも銃声は耳にしている。しかし、これほどまとまった数が同時に発砲することはなかった。
「凄まじいものじゃな」
耳を聾する、とはこのことかと次郎は渋面を作る。
本能的な恐怖心が沸き起こるが、これを克服できないようでは戦さで使いものにならない。
目下のところ、次郎のもとに盛親からの命令は届いていない。
勝手に自分たちだけで攻めかかる訳にもいかないし、そもそもこんなところで味方を死傷させても意味がない。命令がなければないで、傍観するまでである。
「銭は大事ないか」
次郎はふと気づいて後方に控える轡取りの助七に問う。
言葉だけをみると軍資金を案じているように見えるが、無論、次郎が気にかけているのは愛馬として間もない銭波のことである。
「銃声を聞かせて馴らしてはあるのですが、やはりこれだけの数が一度に発砲するのは初めてのことなれば、多少は怯えている様子です」
助七は首をすくめて応じる。
銭波よりも助七のほうが銃声に肝を冷やしているのではないか、などとからかいの言葉が口を衝いて出そうになる。ただ、まだ年若い助七には酷であろうと自重する。
「まあ、これが良い機会になってくれれば良かろう」
淡河党の陣にまで流れてくる硝煙の匂いにも悩まされつつ、次郎はしばし銃撃の様子に目を凝らしていた。
そこへ、別所隼人らが徒立ちの士分数名とともに、近隣の竹林から切り出してきたという数十本の竹を担いで戻って来た。
高さを揃えて切った竹の束は、仕寄りの際に銃撃を防ぐために不可欠の道具である。わざわざ長曾我部勢が陣借衆のために用意してくれるはずもないから、自分たちで作る必要があった。
「無断で切ってきたのでありましょう。差し障りがなければ良いのですが」
次郎は案じ顔である。
この時代、竹は生活にも軍事にも必需の物資である。
本来、人の手で管理されている竹林から無断で竹を切ってよいものではないが、戦時ともなれば、誰もお構いなしである。
「我等は竹のみ。他家はもっと遠慮がござらぬぞ」
別所隼人は笑顔で言い放つ。
事実、銃撃を加える鉄砲足軽を横目に、仕寄りに備えた準備を進めているのは別所一党だけではない。
上方勢は無人となった城下の家屋から板材や柱なども容赦なく剥ぎ取っている。それどころか家財や金銭などの略奪も横行していた。
別所一党が竹以外に手を付けないのは、統制が取れていて潔癖だからというよりは、この後で福島勢に駆け込む目論みがある以上、今の段階で財貨を抱えたところで持ちきれないとの思いのほうが強い。
仕寄りの準備は一日あれば概ね整った。しかし、いずれの攻め口においても、出来れば緒戦で兵を損ないたくないとの思いからか、総攻めの号令はかからず、煮え切らない銃撃のみが続いていた。
城攻めに参加している軍勢のうち、長宗我部勢や薩摩の島津勢は、当初は徳川勢に合流するつもりで大坂に来ている。
情勢の急変を受け、心ならずも上方勢に組み込まれているだけであり、戦意が高まる筈もなかった。
翌朝。
朝餉を終えたところで、田中孫右衛門が次郎の前に進み出る。
「次郎様。どうやら、寄せ手は本日も鉄砲を撃ちかけるところから仕寄る算段と思われまする。ついては、この機会に乗じて我が手の鉄砲放ちに試し撃ちをさせたく存じますが、如何に」
殊更に、真面目くさった顔で田中孫右衛門が鉄砲奉行の立場で進言する。
「仲間内しかいない時は、そういう堅苦しいのはやめてください」
「いや、この手の偽装は日頃から癖を付けておかねば、いざという時にボロが出るもの」
顔をしかめる次郎に対し、田中孫右衛門は表情を崩すことなく、己の考えを説明する。
曰く、十名ばかりの鉄砲放ちとはいえ、遊ばせておくわけにはいかない。
これまでの道中でも、田中孫右衛門は経験の浅い鉄砲放ちどもに対して、暇を見つけては目当ての仕方、引き金の引き方、筒内の掃除の方法などを教え込んでいた。しかし、結局は実際に発砲してみなければ判らないことも多い、等々。
「確かに、鉄砲の鍛錬は欠かせないものと考えます。よろしいでしょうか」
次郎の言葉の後半部は、次郎の背後に隠れるように座る源兵衛に向けられたものだ。
水濠を挟んで城方と銃火を交える以上、味方にも手負い討死が出ないとも限らない。
もっとも距離があるため、きちんと竹束の陰に身を潜めておけば、さほど危険ではないと思われた。
「当方のやる気をみせるのにも都合が良い。派手にやるが良い、と申したいところではあるが、なにぶん手持ちの玉薬には限りがあるでのう」
行人包姿の源兵衛は、一度は声を弾ませかけたものの、最後には首をひねった。
もちろん、葛屋から支援を受けた金品の中には、鉛玉と焔硝も含まれている。しかし、持ち運べる物資の量には限度がある。無尽蔵という訳にはいかない。
福島勢と合流する前に撃ち尽くしてしまうような真似は避けたいところである。
「此度は鉄砲放ちの操作を確かめるのが主なれば、節約のうえ、数も制限いたしまする」
「それならばよかろう」
「あと、差支えがなければ宇野鉄入斎殿にも御同行願いたいのですが」
「鉄入斎でござりますか。はて、あの者は鉄砲を撃てたかどうか」
やや面食らいながら次郎は問い返す。鉄入斎が鉄砲を扱えるかどうか、次郎は知らないが、使えても不思議ではなかった。
しかし、田中孫右衛門の思惑は別のところにあった。
「いえ、鉄砲の腕ではなく、顔の広さをお借りしたく」
実際に鉄砲を撃つにも、勝手には出来ない。長宗我部勢が陣取る持ち場の一角を借りる算段をつけねばならない。それを鉄入斎に頼みたいのだという。
「なるほど。それならば確かに、鉄入斎が適任でしょう」
最初に声をかけてきた中内惣右衛門は、面倒ごとに関わりたくないとばかりにあからさまに次郎たちを避けている。それ以外の伝手を鉄入斎が持っているかどうかは判らないが、少なくともなんの縁もない他の者が交渉するよりは脈がある筈だ。
次郎から話を聞いた鉄入斎は喜色を浮かべた。
「これは大任でございますな。中内殿の他に知り人が陣内におれば良いのですが、まあなんとか話をつけたく存じまする」
鉄入斎は、自信ありげに胸を張った。
その後、田中孫右衛門率いる鉄砲放ち十名と共に長宗我部の鉄砲組頭の元に足を運んだ鉄入斎は、首尾よく交渉を成功させた。
十名が横になって撃てるだけの空間を確保したのみならず、さらに焔硝と鉛玉の融通まで受けるしたたかさをみせたのだった。
「案ずるほどのことはございませなんだな。先方も人手があって困るものでもなく、渡りに船といった調子で認めていただきましたぞ」
戻って来た鉄入斎は得意顔である。
「いや、まったくたいしたものだ」
次郎は素直に感嘆の言葉を向ける。
その一方、自分はこれから先、何かの働きで殿の役に立てることがあるだろうか、と考え込まずにはいられない。
身代わりとして淡河勢を名乗っているだけで、功績になるとは次郎は考えていない。そもそも、家臣である鉄入斎が長宗我部に伝手があるというのが、身代わりとなった根拠なのだから、自慢にもならない。
すっかり耳慣れた銃声を聞きながら、次郎は渋い顔で伏見城を見つめ続けていた。
「明朝には出陣となるゆえ、淡河党も遅参など致さぬように」
「承知仕った。これより先は、惣右衛門様を頼みとすればよろしいのでしょうか」
次郎の問いかけに、惣右衛門は露骨に渋い表情をみせた。
「成り行きで取次はしたものの、これから先はその方らの才覚じゃ。それがしも、まずは我が手勢を采配せねばならぬ故、これ以上あてにしてもろうても困る」
明らかに面倒ごとを背負わされたことを迷惑している様子だった。
「これは、至りませぬで申し訳ござりませぬ」
本来であれば、ぞんざいな扱いに対して腹を立てるべき場面なのかもしれない。
だが、いずれ敵方に走る思惑を秘めている次郎らにとっては、惣右衛門にあまり親身になられてもかえって困る。
(だとすれば、この扱いはむしろありがたいのか)
次郎は今更ながらに、奇妙な立場に置かれていることに困惑しつつ、当たり障りのない返事でその場を濁すほかなかった。
木幡山に築かれた伏見城は東西に流れる川が天然の水濠となり、北には渓谷がやはり空濠の役を果たす要害である。
遠望した大坂城は桁外れの巨城であったが、伏見城もまた淡河城などとはくらべものにならない規模である。
本丸に鳥居元忠、西ノ丸には内藤家長、三ノ丸には松平家忠と、いずれも徳川の譜代の臣が守りを固めている。
しかし、家康の会津征伐に将士が多く同行しているため、城に残る城兵はごくわずかと見られていた。
伏見城攻めにあたり、長宗我部勢は三ノ丸と対峙する北側の攻め口に配された。
「大きな城だ」
次郎は伏見城を望見し、思わず声を漏らす。寄せ手の兵数は四万と号され、敵手は二千に満たないと聞く。兵数に不足はないが、果たして短期間で攻め落とせるものかと思う。
別所一党が陣所として割り振られたのは、長宗我部勢の陣の北東側の端だった。
水の手からも遠い石だらけのガレ場であり、穴一つ掘るにも苦労するような場所で、根小屋の小屋掛けにはいたって不向きな場所だった。
陣借衆としては、このような粗略な扱いにも黙って耐えねばならないということなのだろう。
とりいそぎ淡河党の本陣らしき一角を確保したところで、馬乗り格が集まり、額を寄せ合って善後策を検討する。
万が一にも部外者に聞かれる訳にはいかない。自然と声は低く、小さなものになる。
「随分とひどい場所を割り当てられたものだ」
別所隼人が、愚痴ともつかぬ言葉で切り出す。
「むしろ、厚遇されたら後が困る。いずれ陣を抜けるつもりで長宗我部勢を利用しているのは我等なのだから」
赤松外記が、難しい顔をしながらも、自らを納得させるように周囲に向けて言う。
「改めて皆様方に申し上げるまでもございませぬが、上方勢に与するは一時の方便にて、ここを先途と力戦敢闘したところで、大望を遂げる援けとはなりませぬ」
名目上の主として上座に座る次郎は、慣れぬ調子でそう声を発する。
長宗我部勢への陣借が徳川勢に味方する為の方便と知れたら、良くて放逐、悪ければ皆殺しである。
「そう遠慮する必要はない。今は、そなたが我等の大将なのだから」
行人包で顔を隠してこの場に参加している源兵衛の励ましの言葉に、場の空気が緩む。
「相すみませぬ。どうも慣れぬものにて」
思えば、源兵衛は年下でありながら、堂々とした態度で家臣に命令を下していた。やはり、武士というのは殿のようであらねばならぬ、と、次郎はあらためて尊敬の念を抱く。
「それはさておき、手を抜いて戦さをせよと申すは難しきことよ」
源兵衛のつぶやきに、次郎も強くうなずき返す。
「加えて、本懐を前にここで倒れては死んでも死に切れぬというもの。敵手を討つことも、討たれることもなく、戦ってみせねばなりますまい」
「難しい注文じゃな。されど、やり遂げねばならぬ」
別所隼人が口の端をゆがめて笑う。皆の思いを代弁するかのような言葉だった。
伏見城攻めは七月十八日から始まった。
城攻めに先立ち、増田長盛が軍使を送り、圧倒的な不利を説いて鳥居元忠に降伏を勧めたが、言下に拒絶されている。
それどころか元忠は城内にある前田玄以や長束正家の宿所を焼き払っただけでなく、上方勢に先んじて城周辺の大名屋敷に火を放っている。
視界を確保して上方勢の動きを把握しやすくし、鉄砲の射線を確保するためであるが、上方勢に使わせないとの目論みも勿論ある。
戦術としては妥当な判断ではあるが、亡き太閤の御膝元の大名屋敷に対しても遠慮せずにいられるのは、元忠が家康以外を忠誠の対象と見なしていないことも大きいのだろう。
さらに元忠は、手勢が少ないため全ては守り切れぬと割り切り、本丸など最中心部に注力して守るため、一部の曲輪を放棄している。
これほどの戦意を見せつけられた以上、兵の多寡をもって徳川方が降ることなどありえなかった。
上方勢は、まず鉄砲放ちを前に出しての射撃戦により城攻めを開始した。
次郎は、鉄砲組が銃口を揃えて一斉に射撃する光景を目の当たりにするのは生まれて初めてである。
厳密に言えば、三木城の籠城時にも銃声は耳にしている。しかし、これほどまとまった数が同時に発砲することはなかった。
「凄まじいものじゃな」
耳を聾する、とはこのことかと次郎は渋面を作る。
本能的な恐怖心が沸き起こるが、これを克服できないようでは戦さで使いものにならない。
目下のところ、次郎のもとに盛親からの命令は届いていない。
勝手に自分たちだけで攻めかかる訳にもいかないし、そもそもこんなところで味方を死傷させても意味がない。命令がなければないで、傍観するまでである。
「銭は大事ないか」
次郎はふと気づいて後方に控える轡取りの助七に問う。
言葉だけをみると軍資金を案じているように見えるが、無論、次郎が気にかけているのは愛馬として間もない銭波のことである。
「銃声を聞かせて馴らしてはあるのですが、やはりこれだけの数が一度に発砲するのは初めてのことなれば、多少は怯えている様子です」
助七は首をすくめて応じる。
銭波よりも助七のほうが銃声に肝を冷やしているのではないか、などとからかいの言葉が口を衝いて出そうになる。ただ、まだ年若い助七には酷であろうと自重する。
「まあ、これが良い機会になってくれれば良かろう」
淡河党の陣にまで流れてくる硝煙の匂いにも悩まされつつ、次郎はしばし銃撃の様子に目を凝らしていた。
そこへ、別所隼人らが徒立ちの士分数名とともに、近隣の竹林から切り出してきたという数十本の竹を担いで戻って来た。
高さを揃えて切った竹の束は、仕寄りの際に銃撃を防ぐために不可欠の道具である。わざわざ長曾我部勢が陣借衆のために用意してくれるはずもないから、自分たちで作る必要があった。
「無断で切ってきたのでありましょう。差し障りがなければ良いのですが」
次郎は案じ顔である。
この時代、竹は生活にも軍事にも必需の物資である。
本来、人の手で管理されている竹林から無断で竹を切ってよいものではないが、戦時ともなれば、誰もお構いなしである。
「我等は竹のみ。他家はもっと遠慮がござらぬぞ」
別所隼人は笑顔で言い放つ。
事実、銃撃を加える鉄砲足軽を横目に、仕寄りに備えた準備を進めているのは別所一党だけではない。
上方勢は無人となった城下の家屋から板材や柱なども容赦なく剥ぎ取っている。それどころか家財や金銭などの略奪も横行していた。
別所一党が竹以外に手を付けないのは、統制が取れていて潔癖だからというよりは、この後で福島勢に駆け込む目論みがある以上、今の段階で財貨を抱えたところで持ちきれないとの思いのほうが強い。
仕寄りの準備は一日あれば概ね整った。しかし、いずれの攻め口においても、出来れば緒戦で兵を損ないたくないとの思いからか、総攻めの号令はかからず、煮え切らない銃撃のみが続いていた。
城攻めに参加している軍勢のうち、長宗我部勢や薩摩の島津勢は、当初は徳川勢に合流するつもりで大坂に来ている。
情勢の急変を受け、心ならずも上方勢に組み込まれているだけであり、戦意が高まる筈もなかった。
翌朝。
朝餉を終えたところで、田中孫右衛門が次郎の前に進み出る。
「次郎様。どうやら、寄せ手は本日も鉄砲を撃ちかけるところから仕寄る算段と思われまする。ついては、この機会に乗じて我が手の鉄砲放ちに試し撃ちをさせたく存じますが、如何に」
殊更に、真面目くさった顔で田中孫右衛門が鉄砲奉行の立場で進言する。
「仲間内しかいない時は、そういう堅苦しいのはやめてください」
「いや、この手の偽装は日頃から癖を付けておかねば、いざという時にボロが出るもの」
顔をしかめる次郎に対し、田中孫右衛門は表情を崩すことなく、己の考えを説明する。
曰く、十名ばかりの鉄砲放ちとはいえ、遊ばせておくわけにはいかない。
これまでの道中でも、田中孫右衛門は経験の浅い鉄砲放ちどもに対して、暇を見つけては目当ての仕方、引き金の引き方、筒内の掃除の方法などを教え込んでいた。しかし、結局は実際に発砲してみなければ判らないことも多い、等々。
「確かに、鉄砲の鍛錬は欠かせないものと考えます。よろしいでしょうか」
次郎の言葉の後半部は、次郎の背後に隠れるように座る源兵衛に向けられたものだ。
水濠を挟んで城方と銃火を交える以上、味方にも手負い討死が出ないとも限らない。
もっとも距離があるため、きちんと竹束の陰に身を潜めておけば、さほど危険ではないと思われた。
「当方のやる気をみせるのにも都合が良い。派手にやるが良い、と申したいところではあるが、なにぶん手持ちの玉薬には限りがあるでのう」
行人包姿の源兵衛は、一度は声を弾ませかけたものの、最後には首をひねった。
もちろん、葛屋から支援を受けた金品の中には、鉛玉と焔硝も含まれている。しかし、持ち運べる物資の量には限度がある。無尽蔵という訳にはいかない。
福島勢と合流する前に撃ち尽くしてしまうような真似は避けたいところである。
「此度は鉄砲放ちの操作を確かめるのが主なれば、節約のうえ、数も制限いたしまする」
「それならばよかろう」
「あと、差支えがなければ宇野鉄入斎殿にも御同行願いたいのですが」
「鉄入斎でござりますか。はて、あの者は鉄砲を撃てたかどうか」
やや面食らいながら次郎は問い返す。鉄入斎が鉄砲を扱えるかどうか、次郎は知らないが、使えても不思議ではなかった。
しかし、田中孫右衛門の思惑は別のところにあった。
「いえ、鉄砲の腕ではなく、顔の広さをお借りしたく」
実際に鉄砲を撃つにも、勝手には出来ない。長宗我部勢が陣取る持ち場の一角を借りる算段をつけねばならない。それを鉄入斎に頼みたいのだという。
「なるほど。それならば確かに、鉄入斎が適任でしょう」
最初に声をかけてきた中内惣右衛門は、面倒ごとに関わりたくないとばかりにあからさまに次郎たちを避けている。それ以外の伝手を鉄入斎が持っているかどうかは判らないが、少なくともなんの縁もない他の者が交渉するよりは脈がある筈だ。
次郎から話を聞いた鉄入斎は喜色を浮かべた。
「これは大任でございますな。中内殿の他に知り人が陣内におれば良いのですが、まあなんとか話をつけたく存じまする」
鉄入斎は、自信ありげに胸を張った。
その後、田中孫右衛門率いる鉄砲放ち十名と共に長宗我部の鉄砲組頭の元に足を運んだ鉄入斎は、首尾よく交渉を成功させた。
十名が横になって撃てるだけの空間を確保したのみならず、さらに焔硝と鉛玉の融通まで受けるしたたかさをみせたのだった。
「案ずるほどのことはございませなんだな。先方も人手があって困るものでもなく、渡りに船といった調子で認めていただきましたぞ」
戻って来た鉄入斎は得意顔である。
「いや、まったくたいしたものだ」
次郎は素直に感嘆の言葉を向ける。
その一方、自分はこれから先、何かの働きで殿の役に立てることがあるだろうか、と考え込まずにはいられない。
身代わりとして淡河勢を名乗っているだけで、功績になるとは次郎は考えていない。そもそも、家臣である鉄入斎が長宗我部に伝手があるというのが、身代わりとなった根拠なのだから、自慢にもならない。
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ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
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