淡き河、流るるままに

糸冬

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(十三)

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 こうして十日あまりの攻防の末、伏見城はようやく陥落した。
 しかし、初手から調略に頼り、堂々たる城攻めで攻め落とせなかった事実は、いささか上方勢の士気を損ねることとなった。
 ただし次郎たちにとっては、仲間内から討死を出さなかったことが重要である。城攻めののちに自陣に戻り、互いの無事を確かめあい、胸をなでおろしていた。
「大言壮語の割に役に立たなんだ恰好で肩身の狭いところではあるが、やむをえまい」
 懈怠と見咎められぬよう、随分と気を配って「戦っている振り」を続けた次郎としても安堵の思いが強い。
 もっとも、浅知恵といえば浅知恵である。長宗我部盛親も、とうの昔にお見通しなのかもしれない。
 それでも淡河党を称する彼らが放逐されることも、兵糧の支給を止められることもなかった。それを良いことに、次郎らは図々しくも軍勢の末席に居座り続けている。
「これで、後顧の憂いなく東に向かうこととなりましょうな」
 伏見城から立ち上る煙を遠望しながら、いささか気疲れした調子で鉄入斎が独りごちる。
「そうなろうな」
 鉄入斎の傍らで、次郎は相槌を打つ。
 早晩、徳川勢は会津攻めを打ち切って西上してくるであろうとは、特段の知恵者ならずとも衆目の一致するところである。
「徳川勢を迎え撃つのは尾張あたりになるのでは」
 鉄入斎はそう推測してみせる。

 上方勢が伏見城を攻めている間、七月二十五日には、後世で言う小山評定により、徳川勢は会津征伐を取りやめて軍勢を反転させている。
 この時点では正確な情報が次郎らに届いている訳ではなかったが、遅かれ早かれ家康が軍勢を引き連れて戻ってくるのは確定事項と言ってよい。
 しかし、伏見城攻めを終えた長宗我部勢に続いて命ぜられたのは伊勢国の安濃津城攻めであった。
 宇喜多秀家、島津義弘らは美濃方面へと向かい、長宗我部盛親の他、長束正家、毛利秀元、安国寺恵瓊、吉川広家、鍋島勝茂ら、総勢三万の軍勢が伊勢に派遣されることになる。
 一方で、大谷吉継、脇坂安治、朽木元網、赤座直保、平塚為広、富田勝成らはおよそ二万の兵を率いて北陸道の敦賀に兵を進めているとの風聞も次郎の耳には聞こえてきた。
「石田治部様にとっては、徳川内府さえ倒せば終わる筈の戦さであろう。大坂にほど近い伏見城はともかく、伊勢だの敦賀だの、あちこちの城を攻め落としてなんになるのか」
 根小屋を撤去し、陣払いと出立の作業に追われながら、次郎としては首をひねらざるを得なかった。軍略とは奥深いものなのであろうと自らを納得させるほかはない。



 八月五日、伊勢攻略を命ぜられて近江の勢多まで進出した上方勢三万のうち、先陣として毛利秀元、吉川広家、長束正家、安国寺恵瓊ら二万一千が、鈴鹿峠を超えて伊勢に進む。長宗我部勢は勢多に陣を張り、戦況を伺う。
「八月十四日に徳川内府の軍勢、その先鋒と思しき一団が尾張清須城に入ってございます」
 長宗我部勢の陣所に首尾よく潜り込んだ於寿が、次郎にそう報告する。
 聞けば、於寿は尾張にまで足を延ばし、敵情を探っていたという。
 清須城の主である福島正則を筆頭に、池田輝政、黒田長政、浅野幸長、加藤嘉明、細川忠興、藤堂高虎、桑山元晴、田中吉政ら、豊臣政権下の有力武将が主である。
 徳川家の家臣は本多忠勝と井伊直政が軍監として付いている。
 また、讃岐高松城主の生駒一正もこの軍勢には兵を引き連れて加わっていることが判明した。
(もし、雑兵として徴募されていたら、生駒の殿様の手勢に自分も加わって、上方勢と戦うことになっていたのだな)
 次郎はふと、一介の足軽として従軍している己の姿を想像する。
 今、面と向かって生駒勢と対峙している訳ではないので実感はさほどないが、やはり運命の分かれ道を感じないではいられない。
「まだ、やや遠いな」
 次郎の傍らで報せを伝え聞いていた源兵衛は片頬を歪めた。
 於寿は、己が掴んだ情報が源兵衛の耳に入ることに頓着はしないものの、あくまでも報告は次郎に対して行う、との姿勢を崩さない。
 淡河長範からあくまでも「我が甥を援けよ」との命令を受けているからだ、というのが於寿の言い分である。
 加えて、今は次郎が一党の頭である体裁を取っており、なおのこと源兵衛より次郎を優先する態度を隠さない。
 源兵衛がそれで機嫌を損ねている訳ではないが、次郎としてはどうにも肩身が狭い。
 それはそれとして、源兵衛の手元には、伊勢とその周辺国の位置関係を描いた絵図がある。
 安濃津攻めに先立ち、於寿が伊勢の葛屋の支店を通じて取り寄せ、進呈したものだ。
 位置関係を精緻に測量したような代物ではないが、地理不案内の別所一党にとっては、この絵図一枚があるとないとでは大違いであった。
 どの機を狙って長宗我部の陣を抜けるか。
 判断を誤れば、徳川勢にも上方勢にも味方と認識されぬまま、両者に挟まれて立ち往生することになりかねない。源兵衛の悩みは深い。
「福島勢が新たな動きをみせ次第、また伝えてもらいたい」
「承知いたしました」
 次郎の言葉に、於寿は輝くような笑みをみせて応じた。

 清須城に入った福島正則ら徳川勢は、しばらくの間は家康を待つかのように軍勢を止めて様子を伺う構えをみせていたが、八月二十一日を期して出陣した。
 向かう先は長宗我部盛親らの上方勢に攻め寄せられている伊勢ではなく、美濃である。
 翌二十二日には上方勢についた岐阜城と犬山城に向け、徳川勢約三万五千が攻め寄せた。
 ただし福島正則はこの日は竹ケ鼻城攻めに回っており、これを一日で攻め落としている。
 そして、翌日には岐阜城攻めに加わり、猛攻を仕掛けて攻略に貢献している。
 なお、岐阜城の城主である織田秀信は織田信長の孫であり、正則にしてもかつての主筋の血を引くとあっては粗略には扱わない。正則は秀信の命までは奪わず、降伏を許している。
 それらの情報は、二日か三日おきごとに、於寿が葛屋の連雀と連絡を取りながら次郎の元に伝えられる。
「もう少し早く合流できておれば、福島様の馬前で手柄をたてられたものを」
 福島勢の奮戦ぶりを伝え聞き、源兵衛は焦りの色を隠せない。
「まだ、上方勢の主力とは槍を交えておりませぬ。まだ、功名の機会はございましょう」
 なだめる次郎も心苦しい思いでいっぱいである。
 美濃の情勢が徳川方優位に動いている中、長宗我部勢を含む上方勢の伊勢攻めの第二陣は、八月二十三日になってようやく安濃津城を視界に収める位置にまで進出した。
 毛利秀元らは、依然として安濃津城を攻め落とせていなかった。
 安濃津城の城主・富田信濃守信高は、会津征伐に向かう徳川勢に同行していた。
 上方の異変により会津征伐が中止になった後、八月一日には安濃津城の守備を家康に命ぜられて下野国小山から急ぎ出立。三河国の吉田城にて数百の軍船を借りて三河湾を渡る好判断により、かろうじて上方勢に先んじて安濃津城に帰り着き、守りを固めている。
 そもそも上方勢は、会津征伐に参加して徳川勢についた諸将はまだ帰城していないと踏んでおり、留守居さえ蹴散らせば容易に攻め落とせるとの見通しが外れた形である。
 伏見城攻めに日数をかけすぎたツケが回った形である。
 北の安濃川と南の岩田川に間に挟まれた湿地帯に築かれた安濃津城は攻め口の限られる、なかなかの堅城であった。
 上方勢の第二陣が着陣した二十三日当日は長束勢および安国寺勢が城に寄せて小競り合いが起こったものの、大きな戦さにはならず、日没を迎えた。
「これ以上、無駄に時はかけられぬ。城兵は二千にも満たぬと聞く。ここは一気呵成に攻め落とす」
 その日の晩の軍議の場で、盛親は諸将の前で切り出し、強攻策により安濃津城を攻め落とすと宣言した。
 城を包囲して軌を一にして強襲すると定められ、各陣は夜の間に与えられた持ち場へと移動する。長宗我部勢もまた、城の東側に回り込んで布陣した。
 明けて二十四日。
 盛親は言葉通り、鉄砲による射撃もそこそこに、配下に命じて城下の東側に広がる寺町の家屋に火を放った。
 城兵は懸命に消火にあたるが、戦禍を恐れて住民が逃げ散った城下では類焼を防ぐ者もおらず、炎は町屋や寺社に燃え広がった。
 火の粉が舞う中、盛親は安濃津城の大手門を突破すべく手勢を前に押し出した。
 このままでは押し切られるとみた富田信高は、援軍として城に入っていた伊勢上野城主の分部光嘉とともに門を開き出陣した。
 この際、戦国の世においては珍しく、分部光嘉は毛利勢の宍戸元続は武将同士の一騎打ちを演じている。決着はつかず、互いに手傷を負って退いている。
 一方の富田信高もまた、最前線で自ら槍を手に上方勢と打ちあった。
 しかし、多勢に無勢となり、危ういところをからくも包囲を破って城内に撤退する事態となった。
 けっきょく、この日は上方勢は二の丸および三の丸までを攻め落としたところで日没を迎えたため、総攻撃は翌日に持ち越された。
 夜襲では不測の事態を招き、予想外の痛手を被らないとも限らないとの盛親ら寄手の将の判断だった。
 次郎は俄か作りの自分たちの陣所に戻り、留守居をしていた源兵衛らと共に夕餉をとる。
 そこに、鉄入斎がにやつきながら遅れて戻ってきた。
「面白き噂を耳にしましたぞ」
「相変わらず、鉄入斎は話好きよな」
 半ば呆れつつ、次郎は鉄入斎を車座の中に迎え入れて話の先を促す。
「安濃津城の主、富田信濃守殿は当方の手勢に囲まれて、危うく命を落としそうになったところ、若武者が単騎駆けつけて血路を開いて脱出したそうじゃが、実はこの若武者は、信濃守殿の北の方、宇喜多殿であったそうな」
「なんと、女武者とは。我が別所にも畠山殿のためしがあるが、実物をひと目見てみたいものじゃな」
 源兵衛が楽し気に横から口をはさんだ。
 畠山殿とは、別所長治の叔父で反織田派の急先鋒だった別所賀相の妻・波のことだ。
 畠山昭高の娘であるため、畠山殿と称されていた。
 時に天正八年一月。
 二年近くにおよんだ包囲により、三木城に籠る別所の城兵の衰弱をみてとった羽柴勢は力攻めに転じた。
 その際、畠山殿は女の身でありながら攻め寄せる敵兵目掛けて矢を放ち、騎乗して城外に打って出て敵将を倒したと伝わる。
「女武者など、相手にはしたくないもの。討ったところで功名とはならず、万が一にも破れようものなら、末代までの笑いものにござる」
 赤松外記がいかにも嫌そうな表情で首を振ると、皆の間に笑いが起きた。

 翌朝。
 盛親は最後の仕上げとばかり、総攻めを命じる。
 本丸に追い詰められた富田信高は再び城門を開いて上方勢と交戦した。
 死に物狂いの富田勢に対し、上方勢はここまで来て兵を損ないたくない心理もあって、やや押し返される。
 しかし、遅かれ早かれ、落城は避けがたい情勢であることに違いはない。上方勢が無理をせず敵兵をあしらっていると、やがて富田勢は本丸へと退いた。 
「富田殿の武門の意地は充分に立ったものとみえる」
 盛親はそう判断し、いったん軍勢をとめた。
 徳川勢が美濃を攻めているとの報せは、既に盛親の元にも届いている。
 ここで兵を無駄に傷つけるのは得策ではないとの考えであった。

 上方勢は安濃津城に、木食応其こと興山上人らを軍使として遣わした。
 その結果、富田信高は降伏の勧めに応じ、城を明け渡し、剃髪して高野山に入ることとなった。
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