【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬

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(四)商人・葛屋豊助

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 三好之虎の使番として方々を訪れる中で則頼は一つ、意外な事実を知った。

 どうやら則頼の父・重則は公家の間ではなかなか名を知られた、いわゆる有名人であったらしいのだ。

 播磨の小城主に過ぎない重則が京の公家に名を覚えられているのも不思議であったが、いくつか話を聞くうちに構図が見えてきた。

 則頼の祖父・有馬則景が健在であった頃、若かりし日の重則は京にのぼり、幕府の奉公衆として働いていた時期があったらしい。

 重則の妻、つまり言うまでもなく則頼の母は、細川京兆家十四代当主・細川澄元の娘である。

 赤松氏の枝流のさらに傍流に過ぎないき重則には、見合わぬ高嶺の花と言ってもよい。

 どのような経緯で夫婦となったか、などと則頼はいちいち尋ねたこともなかったが、公家連中の話を聞く限りでは、母・細川氏の側が重則を見初めたらしい。

 重則は細川氏の押しに根負けするような形で、彼女を妻として三津田まで連れ帰ったのだという。

(そのような話があるのか)
 当然のことながら、則頼が生まれる前の話である。重則からも、母からもそのような話を直接耳にする機会はなかった。

 加えて、当時の重則は女御連中が色めきだつほどの美男子であったらしい。

 その話を懐かし気に聞かせる老公家は、卵のようにのっぺりしたな則頼の顔を見て、「親父様とはあまり似ておられませぬな」などと遠慮なしに口にする。

 則頼は閉口するものの、ただ困惑して終わらせてよい話ではない。

(これも、教訓とすべきであろう) 

 なにしろ、他国の情勢をよく知らぬ公家の間では「有馬を名乗る播磨の赤松末流」といえば有馬郡の分郡守護である三田の有馬民部少輔村秀を差し置き、重則を指すと考える者も少なくないらしい。

 分郡守護の家柄であれば、まだ細川澄元の娘を妻に迎えても釣り合うとの思い込みからくる誤解であろう。

 人間とは、耳にした話を都合よく勝手に解釈してしまうものであるらしい。よくよく心しておかねばならんな、と胸に刻む則頼である。



 天文二十四年(一五五五年)。
 則頼は、物心ついて以来、はじめて三津田城以外で正月を迎えた。

 之虎は正月早々、阿波国勝端城から兵を率いて播磨国へと出陣していたが、則頼は従軍を求められず、摂津国堺北荘の之虎の屋敷で留守居である。
 
 そして二月足らずの滞陣を終えて之虎が帰還し、数日が経ったある日のこと。

 不意に次の間に顔を出した之虎が、則頼が控えているのを目にとめ、自室に招き入れた。

「失礼いたしまする」

 室内に入ってみると、そこには之虎の他にもう一人、歳の頃は四十ぐらいの温厚そうな頭巾姿の男が端座していた。

「お主に、これなる豊助とのつなぎの任を与える」
 之虎が前置きなしに言い、豊助と呼ばれた男が静かに頭を下げた。

「はっ」
 之虎の言葉と豊助の会釈を受けて則頼も反射的に応じたものの、実のところ意味はよく判っていない。

「して、その豊助様とはいかなる御方にございましょうや」

「さてな。儂にもよう判らぬ」
 之虎は不思議な意味ありげな笑みを浮かべて応じた。

「それでは、有馬様がお困りになりましょう。某は、阿波生まれの一介の商人にございます」
 困惑する則頼を見かねてか、横合いから豊助が微苦笑を浮かべて口をはさんだ。

 則頼は、これまでもいくつか商人のところに使いをした経験もあるから、新たに役目を使命されることは誇らしさこそあれ、不満などない。

 ただし、今までこのように直々に対面して役目を任じられたことはなかった。

「豊助殿は、どのような商いをされておられる御方なのでござろう」
 則頼は腰の落ち着かぬまま、豊助に尋ねる。

「今は反物や皮、武具など様々に商うておりますが、元々は阿波国にて、葛粉の行商から始めました。それゆえ、葛屋かずらやと号しております」
 そう応じた豊助は、ひとくさり葛の効用について語る。

 秋の七草の一つとされる葛は、根が葛粉や漢方薬である葛根湯の原料となる。

 葛の葉は止血に効果があるとされ、また蔓は繊維を編んで布に加工できる。

「このようにどこを取っても使い出があり、なにより葛のごとく地面に這ってどこにでもしぶとく生い茂る姿こそ、我が商いの信条にござります」

「なるほど」
 豊助の語り口に引き込まれ、則頼はつい不躾な相槌を打ってしまう。

 傍らで之虎が苦笑して、横から口を挟む。

「豊助の口のうまさには用心いたせよ。先ほどは良きことばかり申しておったが、葛は若木に巻き付いて枯らす、とも言われるでな」

「これは手厳しい」
 困り顔を作った豊助は、額に手を当てて首を横に振ってみせる。

 二人のやり取りにしばし呆気に取られていた則頼だが、どうやら自分は之虎から信任されて役目を与えられるのだと実感が沸き、つい頬が緩んだ。



 その日以降、則頼は頻繁に葛屋へと足を運ぶこととなった。

 之虎に命じられて買い付ける品目は武具であったり、着物であったり、時には茶器や茶葉であったりした。

 また、特段の口上もなく、単に封書を手渡すだけであったり、逆に手ぶらで赴いて返書を預かったりする場合もあった。

  行商から商売を興したという葛屋の身代の規模は堺の著名な豪商には及ばない。
 しかし則頼が見たところ、店を構えず、背負い道具に商品を担いで売り歩く連雀と呼ばれる行商人を多数の抱え、独特な商法を確立して、繁盛しているらしかった。

 そうやって足を運ぶようになってから一月近く経ったある日。
 之虎が注文していた茶器を受け取るため葛屋を訪れた則頼は、豊助に丁重に部屋に招きあげられた。

 手代に品物を取りに行かせる間、豊助は自ら則頼に応対する。

「有馬様は、三田の有馬につながる御方にございますか」
 当たり障りのない雑談の中、豊助が不意に問うた。

 則頼も既に耳にしているとおり、父・則重が京にいた頃の逸話を聞きつけてきたのかもしれない。

「いや、儂の家は三田よりやや西の、三津田に居を構える傍系でな。曾祖父あたりの頃に三田から分かれて在したと聞くが、詳しくは知らぬ」
 則頼は、あやふやな返事しか出来ぬ自分に赤面しつつ答えた。

 重則から聞かされた有馬家の由来は、どう贔屓目に聞いても誇張が少なからず入ったものでしかなかった。

 そのせいもあって、これまであまり真面目に耳を傾けていなかったことを後悔した。

 真偽はどうあれ、自分の家の来歴もろくに語れないようではいかぬ、と反省する。

「左様でございますか」

「今、父は淡河の城に本拠を移しておるようじゃ。領地を広げたいとあれこれ謀り、松永様の手を煩わせておるようじゃ」
 豊助は則頼の不見識をあざけることはなく、微笑みを絶やさない。

 その視線に耐えかね、則頼は父からの書状で知った言わずもがなの近況を口にしていた。

「それはそれは。松永様がお相手では、なかなか手強いことでございましょうな」

 松永様とは、三好長慶の寵臣として一代で頭角を現し、家政に辣腕を振るう松永久秀のことである。

 久秀は摂津瀧山城を拠点として、摂津および播磨方面を管轄する役目を担っていた。

 出自も定かでない祐筆あがりの久秀は、他の三好家臣からは必ずしも好かれてはいない。しかしながら、誰もがその実力を認めざるを得ない存在である。

 豊助が言うとおり、小賢しい謀事を巡らせる重則がかなう相手だとは、則頼には到底思えない。面倒ごとを起こしてくれるな、というのが本音である。

「いや全く。儂は豊前守様のお役に立ちたいと思うて働いておるのに、足を引っ張るような真似は控えてもらいたいものじゃ」

「それがしは商人にございますれば、様々なお客様、例えば、ご当家以外のお武家様とも取引がございます。そこで耳にした話を、折に触れて有馬様にもお伝えいたしましょう」
 その中から、有馬様がこれはと思うものを豊前守様にお知らせするのも、大事なお役目にございますぞ、と笑顔を絶やさず豊助は続けた。

「ふむ。そのようなものか。例えば、どのような知らせじゃ」
 実のところ、それはあまり心が動く役目ではないな、と則頼は思った。

 余計な噂話を之虎に告げて、差し障りがあっては困る、との思いが先に立つ。

「そうですな。今しがたお伺いした『有馬様は、御父上と折り合いが悪い模様』といった話にございますな」

「むっ」
 丁寧な豊助の口調に、則頼は言葉を詰まらせた。

 怒鳴り付けたくなる気持ちは、それ以上に湧き上がる羞恥心に押しつぶされた。

「そうか、つまり、そのような話ということか」
 あえぐような口ぶりでつぶやく。

 商人風情とあなどり、つい気を許して口を滑らせた何気ない話すら、調略の種となるかもしれない。則頼はその恐ろしさに気づいたのだ。
 背中に冷や汗が噴き出す。

 葛屋の取引の相手は三好家に限らず、京の公家衆の他、大名家では六角家や細川家にも入り込んでいるという。

(豊助は表向きは歴とした商人ではあるが、細作や乱波と呼ばれるような者と同様の役目を持っておるのか)

 まさか豊助自らが自ら忍び装束に身を固めて、どこぞの敵城に忍び込んだりはしていないだろうが、そういった働きをする者を連雀として使っているのであろう。

 則頼はそのことに思い至るや、すぐさま居住まいを正して、豊助に向かって深々と頭を下げた。

「これからもよろしく、お引き回し下され」

「いえいえ。こちらこそ、末永くお付きあいをさせていただきたく存じます」
 にこやかな口調を絶やすことなく、豊助が応じた。

 そこへ、之虎に買い付けを頼まれていた茶碗を手代が運んできた。

「お確かめくだされ」
 差し出された茶碗は、下釉が白っぽくみえる独特の風合いをもっていた。

「うむ。……この茶器はなんという名ですかな」
 慎重な手つきで茶碗を受け取った則頼は、率直に豊助に尋ねる。

 確かめるもなにも、良し悪しを見極める目利きなど出来る筈もない。

「こちらは灰被天目と申します。有馬様も茶の湯に興味がございますかな。よろしければそれがしが簡単に手ほどきなど差し上げましょうが、いかがですかな」

「茶の湯、にござるか」
 豊助からの思いがけぬ申し出に、則頼は反射的に尻込みする気持ちになる。

 「それがし不調法にて」などと断りの口上すら頭に浮かぶが、則頼は腹に力を込めて踏みとどまる。

 これからも、使番として他家の大名や町衆、公家らと相対していくのた。
 この先、茶の湯のような数寄の心得は欠かせないものになるだろう。

(せっかくの機会を逃すべきではない)

 広き世を知りでかい男になれ、と激励してくれた有馬四郎の声に背を押されるように、勇を奮って豊助に頭を下げる。

「それは願ってもなきこと。之虎様は本日は夕刻まで御戻りにならぬ予定でござれば、しばらく戻らずともようござる。是非にお願いいたしまする」

 則頼はこの日、生涯に渡って関わり続けることとなる茶の湯の道に、第一歩を踏み出すこととなった。
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