【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬

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(五)婚礼と九十九髪茄子

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三月下旬のある日。

「念のために聞くが、お主、妻はおらぬであろうな」
 之虎からの思いがけない問いに、則頼は首を傾げた。

「残念ながら縁がございませぬが、いかなる理由による御下問でしょうか」
 則頼はきまり悪さを感じつつ答える。

 則頼は当年二十三歳。とうに嫁を迎えていてもおかしくない年齢である。

「なぁに。お主の嫁取り話よ」

「なんと」

 聞けば、別所方から和睦の証として差し出された姫を形式的に之虎の養女として迎えたうえで、則頼の妻とするのだという。

 使番の仕事に励んでいた則頼は敢えて意識しないようにしていたが、三好の播磨攻めは、この数か月で大きな進捗を見せていた。

 三木城に籠る別所家の当主・別所村治は三好勢の攻撃をよく凌いでいたが、二か月かけて充分な兵糧を準備していた三好勢は、包囲の構えを崩す気配はなかった。

 籠城したまま越年し、明石氏の降伏もあり勝ち目が薄いことを悟った村治は、二月になって赤松氏との和睦を条件として三好との和睦を結んだ。

 これにより東播磨の有力諸将のほぼすべてが、三好に従属する形となった。

 いち早く三好に走った父・重則の判断は正しさが証明されたとも言える。

 しかし、則頼の関心はもっぱら和睦の際に別所が人質に出した姫のことだ。

「それは、もしや別所の御当主の娘にございますか」
 思わず則頼は勢い込んで聞き返す。

 三津田城の部屋住みに過ぎなかった則頼も、重則に連れられて三木城に登ったことが幾度かある。その際、別所村治の娘・皐姫と顔をあわせたことがある。

 その頃、皐姫はまだ十歳かそこらだったと思われるが、その容色は則頼が知る同年代の娘と比較しても際立っていた。

 もっとも、村治も時に苦言を呈するようなお転婆娘であるらしく、大事な評定の最中にもひょっこり顔を出したりもする。
 が、その天真爛漫な明るさに負けて、一度は叱りつける村治も結局は許してしまう。そんな娘であった。

 懐かしい思い出が一瞬にして則頼の脳裏に蘇る。

 あまり良いことを経験せぬまま二十歳を過ぎてしまった則頼にとって、皐姫の笑顔は数少ない好ましい記憶であった。

(年端も行かぬ頃からあの見目なれば、今頃はどれだけの佳人となっておろうか)

 あの娘を妻に迎えることが出来るのならば、と夢想が広がる。

 しかしそれは、やはり一瞬の夢に過ぎなかった。

「さにあらず」
 則頼の食いつきぶりがおかしかったのか、之虎は笑って首を振る。

 別所から人質として引き渡されたのは振という名の姫であり、別所一族である別所志摩守忠治の娘だとされる。

 後世に残る別所氏嫡流の系図の中には、別所村治の弟である砥堀修理亮忠治の娘としているものがある。
 この系図が正しいのであれば、振姫は当主の姪にあたる。

「ありがたき思し召しにござりまする」
 相手が皐姫でないことに落胆しなかったといえば嘘になるが、いずれにせよ則頼に断る選択肢などある筈もない。


 婚礼に先立ち、これまで摂津国の堺北荘にある之虎の屋敷内に起居していた則頼はあらたに己の屋敷を与えられた。

 さほど広くもないが、住み込みで働く下男・下女までが之虎の手回しで雇われていた。

 この新たな屋敷にて、ごく簡単に婚礼の儀が執り行われた。

 当日になって初めて引き合わされた振姫は小柄な娘で、年の頃はまだ十二、三ほどに見えた。

 元々、武家の結婚となれば、婚礼の儀までお互いに顔を合わせる機会もないのが普通である。

 しかし、則頼は密かに脳裏に描いていた、皐姫の朗らかな笑顔とはあまりに対照的であることに戸惑った。

 白無垢姿の振姫は、肌が白く、黒髪は艶やかに輝いていて、何やら色彩を持たない水墨画を思わせた。

 ただ、その瞳の輝きの冷たさに、則頼は思わずたじろくものがあった。


 お互いの境遇からして当然の話であるが、両家の親族縁者が打ち揃う筈もなく、形ばかりの祝言となった。

 盃の儀の後、参列者の席にも酒が回った。しかし、祝い唄もなければ、興に乗った者が一差し舞うといった、祝言であれば当たり前の光景を見ることすらできなかった。

 やがて、夜更けを待ちかねるように早々にお開きとなり、則頼と振姫は部屋に下がった。

 既に床が用意された部屋で、改めて二人きりで向かい合う。

「人質に出された者同士の婚姻など、あまり聞いたこともないが、これも何かの縁。よろしく頼む」

 照れくささや恥ずかしさといった感情よりも先に、則頼が己を鼓舞するような心持ちで発したのが、夫婦で交わす最初の言葉となった。

「こちらこそ、幾久しくよろしくお願いいたします」
 緊張を隠せぬ小さな声で振姫が応じるが、伏せられた目の光は、相変わらず寒々とした色を帯びている。

「うむ。我が有馬の宗家である有馬民部少輔様は月江と称しておられるが、そなたの目は月の光と書いて月光を思わせるな」

「まあ、それは喜んでよいものでしょうか」

 則頼の場違いな軽口の意味が理解できなかったのか、顔を上げた振姫が首を傾げた。

「無論、誉め言葉じゃ」

「左様でございますか」
 安堵したのか、振姫はわずかにこわばった身体の力を抜く。

 どうにもぎこちないやりとりではあったが、最初はこのようなものだろう、と則頼は己を納得させる。

 いずれ、脳裏に残る皐姫の幻影も消えていくであろう。則頼はそう楽観していた。
 少なくとも、この時は。




 則頼が人質として差し出されて後、四年の月日が流れた。

 その間に、二十四年続いた天文年間は弘治へと変わり、さらに弘治年間も四年をもって、二月二十八日から永禄へと元号が改められた。

 この間、三好の軍勢は播磨や丹波などに出兵こそしているが、長慶は領国の拡大よりも政治基盤を盤石にすることを優先していると思われた。

 そのため、則頼にとっては概ね平穏な歳月であった。

 永禄元年(一五五八年)三月。
 則頼は依然として、三好之虎の使番としての職務に励んでいた。

 ただし、今では使番頭とでもいうべき地位にあり、どこに使番衆の誰を走らせるか、之虎の意を呈しての調整が主になっていた。

 必要に応じて、自らが向かう場所を決められる。逆に言えば、役目をある程度選り好みできるようになった。

「茶の湯の手前はどれほど上達したのじゃ」
 屋敷に則頼を自室に呼びつけた之虎が不意に尋ねた。
 口元には笑みが浮かんでいる。

 之虎自身も茶の湯には傾倒している。
 個人の趣味として親しむのは当然であるが、それ以上に茶の湯を主導する有力商人と親交を結ぶことは、武具の調達や交易品の売買などを行う上での実利の面が大きい。

「はっ。最初の数年は、美味く濃茶を練るために茶筅を振る手さばきの巧拙ばかりに気持ちが向いており申した。さりながらこのところは、いかに心を込めて相手をもてなすかを考えるようになり、さらに茶の奥深さを感じるようになりました」

 ただ、相手をもてなすと同時に、いかにその誠意を押し付けがましくないように相手に感じ取らせるかも必要なのだ、と内心で則頼は考えている。

(とはいえ、こればかりは言葉にしてしまっては興ざめも良いところじゃ)

「なるほど。葛屋に学んだか」

「はっ。豊助殿は、自分などは茶の湯においてはほんの駆け出し故、良き師の手ほどきを受ける機会があれば逃すな、と申されておりますが」

「ほう。ならば、折よくこれより松永弾正の元で茶席がある。良き機会ゆえ、ついて参れ」

「はっ」
 尻込みする気持ちがないと言えば嘘になるが、またとない機会である。則頼は喜んで相伴することにした。




 長慶の居城である摂津芥川城近くにある久秀の屋敷に、之虎の供をして赴く。

 之虎から後学のために連れを伴ってきたと聞かされても、久秀は嫌な顔一つみせず、上機嫌で茶室に招き入れた。

 久秀の屋敷の内庭に造作された茶室は四畳半北向き。
 四方面取りの柱に張付壁で、畳の中央に大きく炉が切られ、押板ではなく村田珠光流と思われる床構えが設えられている。

 これらは、当世茶の湯の最先端を行く造りといえる。

 則頼としては出来るならば様子を書付に残したいところであるが、さすがに不調法である。それとなく観察して記憶するにとどめる。

「よう参られた。播州ではその方の父に世話になっておるぞ」

 久秀は亭主の席から則頼に向け、口の端をにっと吊りあげてみせた。

 若い頃は秀麗な面立ちで知られたと聞くが、年齢を重ねて貫禄がついてくると、表情の陰影にどこか不気味なものを感じさせる。

 則頼は、すでに役目の上では久秀とは何度か顔を合わせている。

 ただ、久秀が則頼の存在を記憶にとどめているかはここに来るまで判らなかったのだが、どうやらしっかりと認識されていたらしい。

 則頼は、怯えにも似た感情を抱く。

 世話になっているどころか、三好家において摂津滝山城を拠点に、摂津および播磨方面を管轄しているのは他ならぬ久秀なのだ。

「はっ。よろしくお願いいたしまする」

「まあ、そう固くならずともよいぞ」
 傍らから之虎が柔和に微笑むが、則頼は肩の力を抜くどころではない。

「さて。此度、それがしが豊前守さまをお招きしたのは他でもなく。こちらを披露したかったが為にござる」
 そう前置きした久秀は、長盆に飾り付けてあった唐物の茄子茶入を手に取って差し出した。

「ほう、これはもしや、九十九髪茄子か」
 感嘆の声をあげた之虎は目を輝かせて、釉薬が明るく光る茄子茶入に見入る。

「いかにも。いやぁ、これを手に入れるのに随分と苦労しましたぞ」
 久秀はいかにも得意げに自慢する、といった風情の声色を作った。

「さもあろう」
 之虎も幾度も頷いてみせる。

 久秀は買い取るのに一千貫も要したと苦笑するが、肝心の購入先については明かさなかった。

 あるいは、なにか表沙汰に出来ない手段で入手した可能性もある。

(いや、ここで余計な詮索はすまい。それよりも、恐らく二度とお目にかかれぬ名物であろう。眼福とはこのことか)
 則頼は形や特徴を記憶にとどめておこうと、息を詰めてみつめる。

 九十九髪茄子には釉薬がかからず、小さく土が見える石間と呼ばれる部分が二つ並んでいる。

 これが眼のようにみえることから、「付喪神」と称されたとされる。
 また、伊勢物語にある歌「百とせに一とせ足らぬ九十九髪、我を恋ふらし面影に見ゆ」に由来があるとも伝わる。
 完全な百に対して、石間がある分、一引かれるという意味であろう。



 その後、九十九髪茄子に入れられた抹茶を用いて、久秀が濃茶を練る。

 久秀の手さばきは流石に作法に叶ったもので、緊張しっぱなしの則頼も内心で唸らざるをえなかった。

 茶の味そのものを楽しむ余裕もない茶席ではあったが、この経験もあって則頼は茶の湯に一層のめり込むことになる。

 しかし、世情の動きは、いつまでも則頼に茶数寄の世界に浸っていることを許さなかった。
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