6 / 42
(六)有馬重則の死
しおりを挟む
松永久秀の元で九十九髪茄子を見る機会を得てからしばらくの後。
使番として葛屋を訪れ、自慢気に話す則頼に対して、珍しく言いにくそうに豊助が口ごもる。
「あまり耳触りのよろしくない報せをお聞かせせねばならぬかと」
どこまで演技なのか、それとも本心なのか。今もって則頼の眼力では、豊助の表情からは見抜けない。
「はて。どのような話であろうか」
則頼は見当もつかず、率直に問う。
「実は、有馬様のお父上、月公様にある噂がございましてな」
「月公、か。親父も、要らざる波風を立てる号を名乗ったものよ」
父の号を聞き、則頼は渋面を作った。
重則は居城を三津田から淡河に移した後、本家たる有馬郡分郡守護の有馬村秀が「月江」を号しているのにあやかるのだと称し、「月公」と名乗っている。
どのような意図があるのか最初は判らなかったが、どうやら「有馬のげっこう様」と領民に呼ばせることで、本家の有馬村秀と己を勘違いさせようとの意図があるらしかった。
子供だましじみているが、耳でその名を聞く領民には重則と村秀が別人であることを知るすべはないのも確かだ。
それは重則なりの慰撫策なのかもしれないが、どうにも小細工が過ぎる。則頼としては素直に感心できる話でもなかった。
「有馬様?」
「ああ、済まぬ。で、親父が如何したと」
知らぬうちに渋面を作っていることに気づいた則頼は、咳払いして豊助に話の先を促す。
「さらなる領地の拡大をもくろみ、松永様になにやら働きかけておられるご様子にござりまする」
先にも記したとおり、播磨の仕置きは、摂津滝山城を預かる松永弾正久秀に任されている。
もっとも、播磨の別所を従属させて以降、三好家は積極的に西に勢力圏を拡大させる動きは見せておらず、久秀にしても播磨にかかりきりではない。
有馬と淡河の位置関係を整理すると、まず有馬家が抑える三津田の地の東に戸田があり、さらにその東に淡河がある。
戸田と淡河の境には小さな峠があり、この峠を挟んで有馬家と淡河家は長年に渡って小競り合いを繰り返してきた。
しかし、淡河家を首尾よく手に入れた重則としては、三田の有馬家と別所家が既に三好に服属している限り、街道の東西を抑えられ、これ以上領地を拡大させる術がない。
(そのために、更なる戦さを求める、か。よほど、三好の討ち入れに乗じて淡河三城をかすめ取ったことに味を占めたとみえる)
危ういものを感じる則頼であった。
「その話、今少し詳しく聞かせてくれぬか。内容次第で、豊前守様にお報せせねばならぬ」
気にいらぬ父であるが、命取りになりかねぬ話を之虎に伝えねばならないのは心が痛む。しかし、親子の情で握り潰す様な真似があってはならぬのだ。
「心中、お察しいたしまする。では」
気の毒そうに表情を曇らせつつ、豊助は改めて噂話として配下の連雀が聞き知ったという重則の行状について説明を始めた。
則頼の懸念は的中した。
それから一月ほど後、有馬重則は死んだ。
その死因は史書ごとに記述が異なる有様で、謎が多い。
自ら月公などと号して、有馬月江村秀との混同を意図的に目論んでいた節もあり、重則と村秀と取り違えたと思われる記録も少なくないためだ。
いずれにせよ、その死には松永久秀が絡んでいるとされるとの記載が多い。
重則が摂津滝山城にて播磨を管轄する久秀と合戦に及ばねばならない理由はなく、また勝算がある筈もない。
正面切っての合戦による討死ではなく、謀殺であった可能性が高い。
「おおかた、要らぬ欲を出したためであろう」
呆気ない死に様を伝え聞いた則頼は驚きこそすれ、自分でも不思議なほどに哀しみの気持ちが沸かなかった。
むしろ、妻の振のほうが一度も会ったことのない義父の死を嘆き、すすり泣いていたほどだ。
だが、自分に上機嫌で九十九髪茄子を自慢していた久秀の顔を思い出すと、一月後にその父親を誅殺する男だったとはとても想像できず、則頼はいま一度背筋が寒くなる思いであった。
重則が死に至った理由はなんであれ、有馬家は長男である則重が継ぎ、城代として預かっていた三津田城の城主となった。
急な家督継承であったこともあり、淡河城に居を移すには今しばらく時間が必要となる様子であった。
幸いというべきか、重則が誅殺されても人質である則頼にはなんら咎めがなかった。
あるいは之虎のところで、久秀からの進言を差し止めてくれているのかもしれない。
「兄者がうまく家をまとめてくれれば良いのじゃがのう」
今のところ、有馬の家にあまり執着はないが、則頼にしても滅んでしまえなどと願っている訳ではない。
則頼の目からみた兄は頼りがいがあるとはとても言えないが、立場が人を作るとの言葉もある。なんとかうまくやって欲しい、というのはまぎれもない則頼の本音であった。
それからさらに一月ほど経った六月のある日。
夜半になって、則頼は之虎からの呼び出しを受けた。
どう考えても、良い話が舞い込む時間とは思われない。急いで身支度を調え、緊張の面持ちで屋敷に走り、之虎の部屋へと参上する。
「急に呼び立ててすまぬな。三津田より早打が届いたのでな」
畿内にて勇名を恣にする三好長慶の実弟ながら、人質の身である筈の則頼に対する之虎の口ぶりは、未だに丁寧なものだった。
ただ、燭台の灯りに照らされた暗い室内にあっても、之虎の顔にわずかばかり困惑の色が浮かんでいるのを、則頼は見逃さない。
「兄から、にございまするか」
「うむ。まずは読んでみよ」
之虎が差し出した書状をうやうやしく受け取った則頼は、急いで文面に目を走らせた。
そこには、三木城に逼塞していた筈の淡河元範の嫡子・淡河範之に淡河城と野瀬城を奪還されたこと、奪還にあたっては、範之が養子に迎えた弾正定範なる男が優れた働きを示したため淡河家中で重きをなしていること、三津田城もしばしば攻撃を受けており、立て直しのために弟を戻していただきたい、などといった内容が余裕のない筆跡でつづられていた。
書状の端を握りしめる則頼の指先が小刻みに震える。わななく唇から言葉を押し出すのに数拍の時間を要した。
「弟を頼るとは、我が兄ながらなんと不甲斐なきことよ。お目汚しの書状を寄越した兄に代わり、伏してお詫び申しあげまする」
目もくらむような怒りと恥ずかしさで泣き出したい気持ちになりながら、則頼は書状を床に放り捨てて平伏した。
書状には直接書かれてこそいないが、別所から三好に差し出した一門の姫・振を妻に迎えている則頼が帰還すれば、いま別所の後ろ盾を得て三津田城を脅かしている淡河家の勢いも鈍る、則重がそう目論んでいるのは明らかだった。
(浅慮、浅慮よ)
激発する感情を押さえかねている則頼とは対照的に、之虎は穏やかな表情を崩さない。
「まあ、そう邪険に致すな。そなたの兄も、父を失って家督を継いで間もない身の上のこと。家中を取りまとめるのも楽ではなかろう」
「されど、この体たらくではなおのこと家中にも示しがつきませぬ。この際、兵を差し向けて淡河を討つことは出来ぬのでしょうか」
悔しさあまってそんな提案もしてみるが、則頼の頭の冷静な部分は、「それは無理だろうな」と早々に結論づけてしまっている。
元々、播磨国では事を荒立てたくないからこそ、その意向に反する動きをみせていた重則が誅殺される羽目になったとも考えられる。
己の手で三津田の有馬家を弱体化させた挙げ句、その居城である三津田城の防衛の為に兵を出すなど、松永久秀が同意する筈もなかった。
案の定、之虎も静かに首を横に振った。
「お主の考えも判らぬではないが、残念ながら、今の三好に、地侍同士の争いを鎮めるために、改めて播州に兵を送る考えはない。騒擾は別所に鎮めさせることとなろう」
「……申し訳ござりませぬ。浅はかなことを申しました」
要するに、従属した別所に播磨の統治を任せている以上は、その支配下にある有馬家と別所家が寸土を巡って城を奪いあう程度のことでは、わざわざ三好家が直接介入はしないという話である。
別所家もそれと判っているからこそ、敵対的な存在の有馬家ではなく、友好的な淡河家の失地回復の後ろ盾となっているのだろう。
則頼も頭では判っているが、やはり割り切れなさは募る。
「殿に諮らねばならぬが、そなたの兄の願いは、おそらく聞き届けられるであろう。……儂としては、そなたの働きには随分と助けられておったのだがな」
「畏れ多いお言葉にございます」
「第一、考えてもみよ。お主の父が誅殺された以上、いつ松永弾正が気まぐれでそなたの首級を所望するか知れたものではないではないか」
「……確かに、それは失念しておりました」
不意の指摘に、則頼は言葉に詰まる。実家のことばかり考え、自分の身も危うい事実がすっかり頭から抜けていたのだ。
「それにな。有馬源次郎ほどの男が、ただ実家に戻るだけでは済ますまい、と儂は信じておるぞ」
之虎が含みを持たせた言葉の意味を、則頼はすぐに察した。
(確かに、このままでは済ませられぬ)
この時、則頼は己が別所の獅子身中の虫となって三好の為に働くこと、淡河家をこのままにはしておかぬこと、そして情けない書状を臆面もなく送りつけてきた兄から有馬家の実権を奪うことなど、様々な思いを瞬時に心中深くに期した。
「これまでのご厚恩、それがしは終生決して忘れませぬ。つきましては一つ、図々しいお願いがござる。それがしに受領名をお与えくださいませ」
則頼はたじろぐ己の気持ちに負けぬよう、一息でそう言い切った。
この時代、多くの武士が朝廷から正式な任官を受けずに官職名を名乗ることが常態化している。自ら勝手に称する場合もあれば、主君から家臣が授かる場合もある。
どうせ名乗るのであれば、之虎から与えられた名乗りであれば箔がつくとの思いが則頼にはあった。
「受領名か。なんでも良いのか」
之虎が面白げに問うた。
「欲を申せば、敢えて似合わぬ名乗りのほうが、それらしくある気も致します」
則頼の言葉に、之虎は薄く笑った。
「本当に欲深いわ。では、中務少輔などはどうじゃ」
もちろん、則頼は之虎から与えられる名であればなんでも構わなかったから、異論はない。
「ありがたき幸せ。今よりそれがしは、有馬中務少輔則頼と名乗りまする」
則頼は喜色を浮かべて平伏する。
こうして、則頼は播磨へと帰還することになった。
使番として葛屋を訪れ、自慢気に話す則頼に対して、珍しく言いにくそうに豊助が口ごもる。
「あまり耳触りのよろしくない報せをお聞かせせねばならぬかと」
どこまで演技なのか、それとも本心なのか。今もって則頼の眼力では、豊助の表情からは見抜けない。
「はて。どのような話であろうか」
則頼は見当もつかず、率直に問う。
「実は、有馬様のお父上、月公様にある噂がございましてな」
「月公、か。親父も、要らざる波風を立てる号を名乗ったものよ」
父の号を聞き、則頼は渋面を作った。
重則は居城を三津田から淡河に移した後、本家たる有馬郡分郡守護の有馬村秀が「月江」を号しているのにあやかるのだと称し、「月公」と名乗っている。
どのような意図があるのか最初は判らなかったが、どうやら「有馬のげっこう様」と領民に呼ばせることで、本家の有馬村秀と己を勘違いさせようとの意図があるらしかった。
子供だましじみているが、耳でその名を聞く領民には重則と村秀が別人であることを知るすべはないのも確かだ。
それは重則なりの慰撫策なのかもしれないが、どうにも小細工が過ぎる。則頼としては素直に感心できる話でもなかった。
「有馬様?」
「ああ、済まぬ。で、親父が如何したと」
知らぬうちに渋面を作っていることに気づいた則頼は、咳払いして豊助に話の先を促す。
「さらなる領地の拡大をもくろみ、松永様になにやら働きかけておられるご様子にござりまする」
先にも記したとおり、播磨の仕置きは、摂津滝山城を預かる松永弾正久秀に任されている。
もっとも、播磨の別所を従属させて以降、三好家は積極的に西に勢力圏を拡大させる動きは見せておらず、久秀にしても播磨にかかりきりではない。
有馬と淡河の位置関係を整理すると、まず有馬家が抑える三津田の地の東に戸田があり、さらにその東に淡河がある。
戸田と淡河の境には小さな峠があり、この峠を挟んで有馬家と淡河家は長年に渡って小競り合いを繰り返してきた。
しかし、淡河家を首尾よく手に入れた重則としては、三田の有馬家と別所家が既に三好に服属している限り、街道の東西を抑えられ、これ以上領地を拡大させる術がない。
(そのために、更なる戦さを求める、か。よほど、三好の討ち入れに乗じて淡河三城をかすめ取ったことに味を占めたとみえる)
危ういものを感じる則頼であった。
「その話、今少し詳しく聞かせてくれぬか。内容次第で、豊前守様にお報せせねばならぬ」
気にいらぬ父であるが、命取りになりかねぬ話を之虎に伝えねばならないのは心が痛む。しかし、親子の情で握り潰す様な真似があってはならぬのだ。
「心中、お察しいたしまする。では」
気の毒そうに表情を曇らせつつ、豊助は改めて噂話として配下の連雀が聞き知ったという重則の行状について説明を始めた。
則頼の懸念は的中した。
それから一月ほど後、有馬重則は死んだ。
その死因は史書ごとに記述が異なる有様で、謎が多い。
自ら月公などと号して、有馬月江村秀との混同を意図的に目論んでいた節もあり、重則と村秀と取り違えたと思われる記録も少なくないためだ。
いずれにせよ、その死には松永久秀が絡んでいるとされるとの記載が多い。
重則が摂津滝山城にて播磨を管轄する久秀と合戦に及ばねばならない理由はなく、また勝算がある筈もない。
正面切っての合戦による討死ではなく、謀殺であった可能性が高い。
「おおかた、要らぬ欲を出したためであろう」
呆気ない死に様を伝え聞いた則頼は驚きこそすれ、自分でも不思議なほどに哀しみの気持ちが沸かなかった。
むしろ、妻の振のほうが一度も会ったことのない義父の死を嘆き、すすり泣いていたほどだ。
だが、自分に上機嫌で九十九髪茄子を自慢していた久秀の顔を思い出すと、一月後にその父親を誅殺する男だったとはとても想像できず、則頼はいま一度背筋が寒くなる思いであった。
重則が死に至った理由はなんであれ、有馬家は長男である則重が継ぎ、城代として預かっていた三津田城の城主となった。
急な家督継承であったこともあり、淡河城に居を移すには今しばらく時間が必要となる様子であった。
幸いというべきか、重則が誅殺されても人質である則頼にはなんら咎めがなかった。
あるいは之虎のところで、久秀からの進言を差し止めてくれているのかもしれない。
「兄者がうまく家をまとめてくれれば良いのじゃがのう」
今のところ、有馬の家にあまり執着はないが、則頼にしても滅んでしまえなどと願っている訳ではない。
則頼の目からみた兄は頼りがいがあるとはとても言えないが、立場が人を作るとの言葉もある。なんとかうまくやって欲しい、というのはまぎれもない則頼の本音であった。
それからさらに一月ほど経った六月のある日。
夜半になって、則頼は之虎からの呼び出しを受けた。
どう考えても、良い話が舞い込む時間とは思われない。急いで身支度を調え、緊張の面持ちで屋敷に走り、之虎の部屋へと参上する。
「急に呼び立ててすまぬな。三津田より早打が届いたのでな」
畿内にて勇名を恣にする三好長慶の実弟ながら、人質の身である筈の則頼に対する之虎の口ぶりは、未だに丁寧なものだった。
ただ、燭台の灯りに照らされた暗い室内にあっても、之虎の顔にわずかばかり困惑の色が浮かんでいるのを、則頼は見逃さない。
「兄から、にございまするか」
「うむ。まずは読んでみよ」
之虎が差し出した書状をうやうやしく受け取った則頼は、急いで文面に目を走らせた。
そこには、三木城に逼塞していた筈の淡河元範の嫡子・淡河範之に淡河城と野瀬城を奪還されたこと、奪還にあたっては、範之が養子に迎えた弾正定範なる男が優れた働きを示したため淡河家中で重きをなしていること、三津田城もしばしば攻撃を受けており、立て直しのために弟を戻していただきたい、などといった内容が余裕のない筆跡でつづられていた。
書状の端を握りしめる則頼の指先が小刻みに震える。わななく唇から言葉を押し出すのに数拍の時間を要した。
「弟を頼るとは、我が兄ながらなんと不甲斐なきことよ。お目汚しの書状を寄越した兄に代わり、伏してお詫び申しあげまする」
目もくらむような怒りと恥ずかしさで泣き出したい気持ちになりながら、則頼は書状を床に放り捨てて平伏した。
書状には直接書かれてこそいないが、別所から三好に差し出した一門の姫・振を妻に迎えている則頼が帰還すれば、いま別所の後ろ盾を得て三津田城を脅かしている淡河家の勢いも鈍る、則重がそう目論んでいるのは明らかだった。
(浅慮、浅慮よ)
激発する感情を押さえかねている則頼とは対照的に、之虎は穏やかな表情を崩さない。
「まあ、そう邪険に致すな。そなたの兄も、父を失って家督を継いで間もない身の上のこと。家中を取りまとめるのも楽ではなかろう」
「されど、この体たらくではなおのこと家中にも示しがつきませぬ。この際、兵を差し向けて淡河を討つことは出来ぬのでしょうか」
悔しさあまってそんな提案もしてみるが、則頼の頭の冷静な部分は、「それは無理だろうな」と早々に結論づけてしまっている。
元々、播磨国では事を荒立てたくないからこそ、その意向に反する動きをみせていた重則が誅殺される羽目になったとも考えられる。
己の手で三津田の有馬家を弱体化させた挙げ句、その居城である三津田城の防衛の為に兵を出すなど、松永久秀が同意する筈もなかった。
案の定、之虎も静かに首を横に振った。
「お主の考えも判らぬではないが、残念ながら、今の三好に、地侍同士の争いを鎮めるために、改めて播州に兵を送る考えはない。騒擾は別所に鎮めさせることとなろう」
「……申し訳ござりませぬ。浅はかなことを申しました」
要するに、従属した別所に播磨の統治を任せている以上は、その支配下にある有馬家と別所家が寸土を巡って城を奪いあう程度のことでは、わざわざ三好家が直接介入はしないという話である。
別所家もそれと判っているからこそ、敵対的な存在の有馬家ではなく、友好的な淡河家の失地回復の後ろ盾となっているのだろう。
則頼も頭では判っているが、やはり割り切れなさは募る。
「殿に諮らねばならぬが、そなたの兄の願いは、おそらく聞き届けられるであろう。……儂としては、そなたの働きには随分と助けられておったのだがな」
「畏れ多いお言葉にございます」
「第一、考えてもみよ。お主の父が誅殺された以上、いつ松永弾正が気まぐれでそなたの首級を所望するか知れたものではないではないか」
「……確かに、それは失念しておりました」
不意の指摘に、則頼は言葉に詰まる。実家のことばかり考え、自分の身も危うい事実がすっかり頭から抜けていたのだ。
「それにな。有馬源次郎ほどの男が、ただ実家に戻るだけでは済ますまい、と儂は信じておるぞ」
之虎が含みを持たせた言葉の意味を、則頼はすぐに察した。
(確かに、このままでは済ませられぬ)
この時、則頼は己が別所の獅子身中の虫となって三好の為に働くこと、淡河家をこのままにはしておかぬこと、そして情けない書状を臆面もなく送りつけてきた兄から有馬家の実権を奪うことなど、様々な思いを瞬時に心中深くに期した。
「これまでのご厚恩、それがしは終生決して忘れませぬ。つきましては一つ、図々しいお願いがござる。それがしに受領名をお与えくださいませ」
則頼はたじろぐ己の気持ちに負けぬよう、一息でそう言い切った。
この時代、多くの武士が朝廷から正式な任官を受けずに官職名を名乗ることが常態化している。自ら勝手に称する場合もあれば、主君から家臣が授かる場合もある。
どうせ名乗るのであれば、之虎から与えられた名乗りであれば箔がつくとの思いが則頼にはあった。
「受領名か。なんでも良いのか」
之虎が面白げに問うた。
「欲を申せば、敢えて似合わぬ名乗りのほうが、それらしくある気も致します」
則頼の言葉に、之虎は薄く笑った。
「本当に欲深いわ。では、中務少輔などはどうじゃ」
もちろん、則頼は之虎から与えられる名であればなんでも構わなかったから、異論はない。
「ありがたき幸せ。今よりそれがしは、有馬中務少輔則頼と名乗りまする」
則頼は喜色を浮かべて平伏する。
こうして、則頼は播磨へと帰還することになった。
6
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる