【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬

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(十七)淡河城へ

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 荒木村重の離反の後、平井山合戦に勝利した秀吉は、改めて三木城の包囲を完全なものとすべく、三木城の東側の地域にも兵を向け始める。

 天正六年十二月十一日には、淡河方の枝城である野瀬城が陥落する。

 野瀬城は本来、先代当主・淡河範之の弟・範政の城であったが、この時期は定範の弟、淡河長範が城番に任じられていた。

 淡河長範は元は江見定治と名乗っていたが、実家である美作国の江見家が滅ぼされたためとで、兄の縁を頼って淡河家まで落ちのび、随身した経緯がある。

 一説には、範之の養子になったことで淡河姓を名乗るようになったとも伝わる。

 別所が挙兵した頃から、範政の消息を則頼は掴んでいない。恐らくは三木城に兵を率いて立てこもっていると思われた。

 野瀬城は元々、萩原城の存在によって淡河城との連携が取りづらい上、南側こそ川岸に面した要害ではあるが、北側の大手門側は土塁と堀を設けてはあるものの、守りが固いとは言い難い。

 長範の指揮下にあった土着の武将である国次小二郎猛紀が大手門で奮戦する間に、長範は将士を率いて淡河城目指して落ちのびた。



 さらに天正七年三月一五日。蒲公英城こと松原城が秀吉勢に攻め落とされた、

 松原城は播磨国と丹波国、そして摂津国の三国の国境にあり、交通の要衝を扼する重要な拠点の一つである。

 もっとも、城構えはさほど堅固ではない。

 則頼は松原城が陥落し、松原家が滅んだとの報せに動揺した。

 なぜなら、松原家とは淡河定範の長女、すなわち皐姫の娘である百合姫の嫁ぎ先であるとのが、松原城を治める松原家へ輿入れしていたからだ。

 なお、一般には定範の娘の夫は、松原右近大夫貞利(義富とも)であるとされる。

 だが、貞利は永禄三年(一五六〇年)に既に松原城の城主となっており、嫡子である筑前守定友(貞富とも)の存在を考え合わせても、いささか年代が合わない。

 後世に伝わる別所氏の家系図は複数あり、その中には、皐の妹にあたる女性が松原右近大夫の妻と記すものが存在する。

 また一方、定範の娘の夫を筑前守定友とする記録もあることから、一般的ではないが、年代的にはこちらが妥当と思われる。

 いずれにせよ、落城の混乱により百合姫の消息は不明となっている。

(皐様は、さぞ悲しまれておられような)
 出家してまで己のあさましい煩悩を断ち切ろうとした則頼であるが、皐姫の嘆きを想像すると、どうにもやりきれない気持ちを抑えきれなかった。



 四月の中旬になって、則頼の元に、秀吉の急使が待望の報せをもたらした。

「いよいよかっ」
 則頼は小躍りする思いで、吉田大膳、嫡男の有馬則氏、そして妻のを自室に呼び集めた。

 大膳は毎度のこととあって、いつも通りのしかめ面。

 則氏は何事かと期待に目を輝かせている。

 対照的に日頃は政事向きの話を則頼から聞かされる機会がないは、不安げな様子を隠さない。

「此度は何事でございましょうか」
 いつものように、大膳が場を仕切るように口を開く。

「うむ。いよいよ、筑前様が淡河城攻めを決断なされた。越前衆に付城を築かせるため案内いたせとのご命令じゃ」

 これまで、三木城の東側にあり、戦局に影響がないとして放置されてきた淡河城を秀吉が攻めることに決めたのには理由がある。

 別所勢が籠る三木城では籠城から一年近くが経過し、秀吉方の包囲を受けて秋の収穫を年貢として集めることも出来ず、兵糧が欠乏すると見込まれていた。

 事実、毛利勢が別所を支援すべく、三木城に運び込もうと幾度も画策していた。

 運び入れに成功した時もあったが、多くの場合は秀吉方により阻止されていた。

 毛利領から遠路兵糧を運び込むとなれば海運を用いざるを得ず、三木城の南西方面からの搬入を警戒する秀吉方の目を逃れることは困難であった。

 しかしながら、三木城では依然として炊煙が減ることもなく、決定的に兵糧が不足する気配がない。

 秀吉は三木城への兵糧道がまだどこかに残っていると考え、監視を強化させた。

 その結果、荒木村重の離反により、三木城南東の花熊城に毛利方が荷揚げした兵糧を、丹生山、淡河城を経て三木城に運び込むという、言わば裏口からの経路が密かに確立されていたことが突き止められた。

 ここに至り、淡河城は三木城攻めのため、必ず陥落させねばならない重要拠点と見做されたのだ。

「いよいよでございますか。それがしがこの場に呼ばれたということは、織田勢の手伝いをせよとの思し召しにございましょうか」
 則氏が声を弾ませて身を乗り出す。

「さにあらず。そなたには、もっと重大事を託さねばならぬ」

「と、申されますと」

「三津田城は今、別所方についた兄上が三木城に向かったため、蔵人が留守城を預かっておる。かねてより蔵人には、時が来ればそなたを城主として迎え入れるとの言質をとっておる」

 三津田城開城の密約は、長い間に渡って温め続けてきた秘策である。
 ついもったいぶった口ぶりになる則頼の言葉を聞き、則氏とが揃って息をのむ。

 秘事を知る者は少ない方が良いとの考えにより、則頼は振は無論のこと、当事者となる則氏にも仔細を伝えていなかった。

 なお蔵人こと有馬重頼は、則頼の長女・の婿であるから、則氏の義兄にあたる。

「それがしに、三津田の城代になれと仰せでござるか」
 目を白黒させながら、則氏が再度尋ねた。

 則頼は口元に笑みを刻んで頷く。

「越前衆が到着すれば、目障りな別所方の三津田城なぞ、たちまち焼き払ってしまおう。その前に、我が方のものとせねばならぬでな」

 今となっては目を引くような大手柄とはならないだろうが、せっかくの密約を活かさない手はない。

「承知仕った。是非とも、それがしにお任せくだされ」
 一時的な城代とはいえ、一城の主になれると聞いて、則氏は素直に喜色を浮かべた。

「本当に、大事ないのでしょうか……」
 意気込む則氏の横で、はか細い声で問うともなしに呟く。

 則頼に似ず凛々しい面立ちの若武者に育った則氏を、振は一方ならぬ愛情を持って可愛がってきた。愛息を手元から離すのを寂しがるのは当然と言えた。

 則頼もの思いを理解しているからこそ、門出の時に振を同席させたのだ。

「娘婿を信じるよりあるまい。からの書状を読む限り、蔵人は目端の利く男じゃ。時勢は読めておろう」

 則氏に対する嫉妬とまではいかないが、振の態度にあまり面白くないものを感じつつ則頼は応じる。

「であれば良いのですが。三津田の御城は本家の城なれば、戦さが終われば殿も御移りになるのでしょうか」

 三津田城はさほど大きな城ではないが、の言葉どおり曲がりなりにも有馬家の本城である。

 住み慣れた愛着を除けば、枝城に過ぎぬ萩原城に住み続ける理由はない。

「まあ、それは戦さが終わってから考えればよかろう」
 則頼は言葉を濁す。

 戦さが終われば、との言葉はにとって重いものだ。
 己の実家筋を、夫が敵となって滅ぼそうとしているのだ。心中穏やかではいられないだろう。

 則頼には、戦さが織田の勝利に終われば、淡河城を褒美として拝領して、淡河の地全てを己の所領としたいとの思いがあったが、さすがに今の段階で口にするほど軽率ではない。




 秀吉からの急使が届いてから数日の後、淡河城周辺に 彼らに続き、信長の命によって派遣された前田利家、佐々成政、金森長近、不破光治、原長頼らの越前衆が来着した。

 則頼の案内のもと、越前衆が石切山の出城に手を加えるとともに、淡河城の西、東、南の三か所に付城を築き始めても、淡河城からの妨害の動きはなかった。

 淡河定範は城外に出てきても矛先を織田勢に向けることはせず、これみよがしに淡河城の防備を固める作事を指揮する姿がみられるのみだった。

 やがて三か所の付城が形になると越前衆は去り、わずかな番兵だけが残された。



 五月二十五日。
 淡河城の南に位置する丹生山明要寺の砦が、羽柴秀長勢により焼き討ちされた。

  秀長勢は、反織田方として丹波にて抵抗を続ける波多野攻めの応援に派遣されていたが、波多野氏が籠る八上城が落城間近となったため、播磨へと戻ってきたのだ。

 数日後には先に越前宗が築いた付城に入り、淡河城攻めの構えをとった。

 城攻めの大将である秀長の副将として、秀吉の妻・寧々の義理の兄弟である浅野弥兵衛長吉と、同じく寧々の母の兄、つまり秀吉にとって義理の伯父にあたる杉原七郎左衛門家次がつく。

 一代で成り上がった秀吉にとって、現時点において最も信頼の置ける譜代扱いの姻戚が一堂に揃った布陣と評しても過言ではない。

 大将の秀長は、淡河城から西側にやや離れた位置に建つ八幡神社の境内に本陣を据えた。

 八幡神社と淡河城の間には淡河川が流れており、淡河勢による秀長本陣への急襲を阻む水濠の役目を担う。

 浅野長吉は淡河城南側に築かれた付城に入り、杉原家次は、淡河城の北側にある石切山南端の出城に入っている。

 石切山の出城は、則頼にとっては長年に渡って淡河城の目の上のたんこぶとして確保し続けた思い入れのある場所だったが、淡河城攻めという大事の前に譲ることにためらいはなかった。

 有馬則頼と則氏父子も淡河城攻めに参陣している。

 則頼自身は居城である萩原城から西進して、淡河城の東側に築かれた付城を持ち場としている。

 淡河城とは淡河川支流の浦川と丹生山からの街道を挟んだ向かい側の小山にあり、目と鼻の先といっても良い位置関係にある。

 則頼の感覚では、この付城から鉄砲を撃てば淡河城まで届くのではないかと思うほどに近い。

 それも道理で、この付城は、元々は淡河城の搦め手門を守る出城である。

 淡河家と有馬家が小競り合いを続けていた頃であれば機能していたたであろう出城だが、羽柴勢の大軍を前にしては孤立して兵力を損なうだけと踏んだのか、定範は放棄していた。

 羽柴勢はその遺構を付城として再利用したのだ。

 あまりの彼我の近さに、則頼の家臣からは不安と不満の声が漏れる。

 まして、長年に渡って枝城として活用してきた石切山の出城を杉原家次に明け渡しているからなおさらだ。

「判っておらぬな、お主らは。搦め手門の門前にて我らが旗を掲げておればこそ、淡河弾正を掣肘できるというものじゃ。出城からではいささか距離がありすぎよう」
 そう笑い飛ばす則頼であるが、搦め手門から淡河城への一番乗りを果たすつもりなどさらさらない。

 淡河城の天然の濠として機能する浦川を押し渡り、その先に待ちかまえる急斜面をよじ登るのは容易なことではない。

 丹生山を水源として淡河川へと流れ込む浦川の水量は、支流とあってさほどのものではない。

 とはいえ、それなりの速さの流れがある川である以上、柴束などを放り込んで濠を埋めるような城攻めは行えない。



 一方、無事に三津田城に入城を果たした則氏は、三津田城の城兵を引き連れて、やや南寄りに築かれた西側の付城に着陣している。

 実質的な初陣でありながら城攻めの一手の将となった則氏だが、劣勢の別所方から足抜けする機会を与えてくれたとして、短期間に三津田の城兵の支持を集めることに成功していた。そのため、将兵揃って戦意は高かった。

  なお、本陣以外の四つの付城はいずれも淡河城よりも高い位置に築かれている。淡河城から討って出て奇襲を仕掛けるのは簡単ではないと思われた。

(とは申せ、相手は淡河弾正。油断は出来ぬ)
 則頼は、織田勢との同陣にすっかり勝った気になっている配下の様子を懸念しつつ、ひとり気を引き締める。



 地元の伝承では、淡河定範は三百の兵のうち五十名ずつを配下の淡河長範や野瀬範次らに与え、三つの砦に詰めさせて羽柴勢を迎え撃ち、数日の攻防の後に淡河城に退去したとされる。

 ただし、このくだりは他の著名な軍記物等にはみられない。

 わずか三百の手勢をさらに分割して配置するのは兵理のうえでも愚策であり、あまり信憑性がある内容とは思われない。

 むしろ枝城や砦を最初から全て放棄し、手勢を全て城内に引き入れて迎え撃つ構えを取っていた、と考える方が自然であろう。

 ではこの時、淡河城にこもる人数はどれほどであったか。

 軍記物や地元の伝承では、一様に「三百人」「三百騎」という数字が並ぶ。

 石高一万石あたり、およそ二百から三百名が標準的な動員力とされる。

 淡河の地は六千五百石と言われており、単純にあてはめれば百から二百名程度は動員できる計算となる。

 有馬家による領地の蚕食分を差し引きする必要はあるが、一方で、野瀬城や丹生山から撤退してきた兵力や、三木城からの荷駄を護衛するための加勢も勘案する必要がある。

 とかく軍記物は数字があてにならないものであるが、こと淡河城の兵力に関しては約三百名という数字はあながち的外れでもないように思われる。

 なお、この数字は純粋な戦闘員のみを表しているため、非戦闘員を含めた数字は三倍から四倍になるだろうが、多くても二千は超えないと思われる。

 では、淡河城を包囲した羽柴方の兵力はどれほどか。

 これもまた定かではないが、通常、城を攻めるにあたっては、攻める側の兵力が三倍は必要と言われる。

 仮に、秀長と四名の武将がそれぞれ一千を率いていたとして、およそ五千名といったところであろうか。

 秀吉が播磨にて動かせる総兵力が、援軍をあわせておよそ三万とも言われており、三木城を包囲している最中、自由に動かせる兵力としてはこの程度と考えるのが妥当であろう。

 いずれにせよ、布陣してからしばらくの間、戦機が熟するのを待つかのように、両勢の間に大きな動きは見られなかった。

 互いの陣営から少人数が度胸試しのように敵陣に近づき、弓矢や石礫を放って引き上げる、といった挑発的な探り合いを重ねるばかりであった。
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